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2011年5月26日 (木)

オダマキ

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オダマキがたくさん咲いた。年を追うごとに株を大きくし、花の数をふやしている。種を落として隣にも別の株が成長し、また他の場所にも小さな株が育っている。花びらの先は色が違うが、枯れかけているのではない。こういう花なのだ。

いつもこの花はうつむき加減に咲き、写真を撮るのに苦労する。這いつくばって撮るのである。その時の私の姿は、泣いている子どもを覗き込むようにしてなだめるスタイルに似ている。てっきり顔を上げることのない花だと思っていたら、ある晴れた日、天に向かって微笑んでいるのを室内から見た。私の知らないところで空を仰いでいたのだ。その場所は建物の陰になり、午後からは陽が当たらない。日陰が好きな花だと思っていたが、ほんとうは太陽が好きだったのか。植物だからもっともだ。一見か弱そうなこの花は、実は生命力旺盛な花である。

一週間ぶりに快復した。そう口にすることが憚られる。なぜならば今日の午後にもぶり返しそうになり、明日、目が覚めたらまた不調になっているかもしれないからだ。そういう体になっている。いい時は長く続かず、すぐに次の不調が訪れることは珍しくない。

だから今日は頑張ってサツマイモの芋づるを植えた。注文しておいたものが届いたのだ。花の苗やツルは季節の果物同様に、いつ届くのか分からない。発送した旨のメールが来て到着を前日に知る。幸いにも体調が上向きになっているので、植えられそうだ。

陽が陰るのを待っていたが、曇ってきたので予定より早めに取りかかることにした。明日にも次の雨が来るという。植物は待ったナシだ。今日しかない。今日でよかった。毎年よりずいぶん減らして60本の植え付けだ。庭屋さんにお願いして、腐葉土や草木灰、油粕などを混ぜ、畝を立ててもらったので植え付けるだけだ。しかし今の私には重労働だ。出来るだろうかと不安がよぎる。

畝を立ててもらってから日が経っていたので土が固くなっている。それを鍬で起こして柔らかくしていると、肩が痛み、息が切れ、汗が流れる。いったん休憩のために家に入り、野菜ジュースを飲んで汗を拭く。また風邪をひくかもしれない。私は汗をかくと必ずといっていいほど風邪をひくのだ。それでも植える。秋の収穫を待ちこがれるために植える。暑い夏に水をやるために、水をやることができる体調でありますようにと願いつつ私は植えなければならない。

はるかちゃんとじぃじぃがそばで見ている。この親子がいる風景は私を癒す。安らぎを与える大いなる功労者である親子に深く感謝している。ふだん私は猫やカエルや虫や植物くらいとしか話さない。それがこよなく心地よく、私の弱い心身にやさしい。しかし鍬を振りながらはるかちゃんに言う。「君が人間だったらうんと手伝ってくれるだろうね」。働き者で元気者のはるかちゃんは黙っていた。けれども意味が分かったのか目を細めた。

これさえ終われば寝込んでもいい。ものごとに取り組む時、いつもそう考えている。どうせ時間はたっぷりある身だ。目の前にあることだけを無事に済ませよう。‘今この時’だけを頑張れたらいい。弱るにつれて私は欲ばらなくなった。その日の目標は一つだけ。それが出来たら歓ぼう。そんな考えが出来るようになったのだ。やむをえずそうなった。裏庭に植えきれずに残った芋づる数本を野菜用プランターに植え、やっと作業を終えた。

手を洗い、着替えを済ませてベッドに倒れ込む。作業が終わりに近づいた頃、過呼吸になり動悸が始まった。あの時みたいに目まいもした。視界が狭くなるような感覚も襲ってきた。いけない。昨秋のようになってはいけない。片付けも早々に引き揚げてベッドに横になった。横になると体はうんと楽になり、大事に至らなかった。晩御飯まで私は横たわっていることにした。吐き気も頭痛も来ないから大丈夫だ。冷静に判断をし、夕餉の支度に起き上がった。病気が進んで諸器官が弱り、不都合なことが多くなった。

このように、出来ることが限られた生活、無理が出来ない生活にも慣れた。元気な頃のようにいくつものことを一日でこなせなくとも仕方がないと受け入れて暮らしている。すぐに崩れる体調は不便ではあるけれど、崩しては建て直し、建て直しては崩れることを恐れずにいる。とにかく今の私の目標は、自分の力で一日を暮らすことだ。その単純なことがこれほど大変なことだったとは、健康な時には想像だにしなかった。今すこし自分のことは自分でしたい。この意思は、あらゆる面の矜持を保つのに必要だ

晩御飯は以前より簡単なものになった。今夜は生協さんが届けてくれたばかりの鯖のみりん漬けを焼いた。美味だったので二枚も食べた。サラダコスモさんのスプラウトセットからアルファルファと大豆モヤシを使い、サラダと卵スープを作った。これも美味だった。独り暮らしになって食事のおいしさを初めて知ったように思うのはなぜか。悲しみも寂しさも感じることなく、ひとり食しておいしいと感じてありがたく思い感謝する。目の前のことを黙々とこなして達成できれば満足して一日を終える。達成できなくても次にはできると信じて嘆かない。自分を許すことをようやく私は身につけた。そして楽になった。

午後八時には完全にネジが切れ、動けなくなってベッドに横たわる。生活は前倒しになったが長年の夜型生活は変えることが出来ない。明け方まで寝床で読書をしたり映画を観て過ごす。したがって活字を追う時間はふえ、観る映画の本数もふえている。今夜もカエルがにぎやかだ。猫はそばで眠っている。「もしも・・・だったら」は消え失せ、あきらめも無くなった。判で押したような規則正しい生活にとくに不満はない。何も変わらない日常がどれほど幸せなことであるかを痛感し、被災地の人々に想いを馳せ、かれらが早く日常を取り戻せますようにと祈り続ける。

酷暑のあとに来る秋の楽しみを、今日は一つ用意することができた。できたのだから明日ふたたび寝込んでも、いっこうにかまわない。崩れたら建て直す。建て直せなくなる時までは建て直し続ける気概を維持したい。それが生きている者の義務だから。さて今夜も『遠野物語』の世界に浸るとしようか。オシラサマに会いに行こう。ザシキワラシにも会いたいものだ。東北、東北、がんばれ東北。心から。

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