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2011年10月29日 (土)

『トラ吉』追悼週間(一周忌)No.6“桜の木のそばに眠る”

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逝った日、私は静かにトラ吉と過ごしていた。彼の息子や娘たちは、トラ吉が逝っても彼のためにエサを残し続けた。家の中に運び入れていたのでトラ吉が帰ってくると思っていたのかもしれない。重態のときからかれらは父親の死期が近いことを理解していたように思うが、曖昧なままでは戸惑うかもしれないと考えた。私は午後、トラ吉の亡骸を抱えて芝生の上に置いた。ちょうど庭の中ほどあたりに眠ったトラ吉をそっと寝かせた。

息子や娘たちはわかっているのかいないのか、ほとんどの猫が近づこうとしなかった。トラ美だったか一匹が近づいて匂いを嗅ぐと、すぐさま離れた。死んでいると確認したことだろう。子供たちは遠巻きにしていたが、やがてみんなどこかへ行ってしまった。猫には喪失を悲しむ感情があるのだろうか。みんな悲しそうには見えなかったが本心は人間にはわからない。小太郎は、やけに張り切っているように見えた。あとを継ぐのは自分だと、早くも気負っていたのかもしれない。庭の真ん中で眠るトラ吉は心地いい秋風に吹かれ、弱い太陽を受けて気持ちよさそうだった。この庭に現れてから十数年、彼にすればじぃじぃの庭ではなく、‘俺様の庭’であった。

夕方、また家の中に戻して寝かせ、何度か般若心経をあげた。私の悲しみは和らぎつつあった。じぃじぃも帰ってきたとき数秒間ほど嗅いでいたが、すぐにそばを離れた。動物は「死」を予感するのも早く、確認したときにも人間のような感情は挟まないように思う。問いただすことが出来ないので何とも言えないが、猫に関していえば忘却するのがとても速いと言われている。矢のように過ぎる時間を、その日一日の食べる心配をするのが野に生きる動物の本能だ。野良猫も然り。グループのオスは次のことを考えなければならないし、メスたちもいつもとおなじ一日を送ることに専念する。

夜、最後の夜をともに過ごした。トラ吉のそばで原稿の最終チェックを始めた。翌日は締め切りの日だった。文章が走っていない。よけいなことばかり書いている。間際になってアラばかりが目に付いた。しかしもう手直しをする時期ではなく、久々に書けた小説が完成できたことにのみ満足しようと自分を納得させた。翌29日、起きてすぐ送信での投稿に取り掛かった。ワードのままの添付では駄目だったかと説明を読みなおし、指定のファイル形式でようやく投稿できた。さて、トラ吉の埋葬だ。埋める場所は決まっていた。裏庭の桜の木のそばと決めていた。そこ以外に考えられなかった。

スコップを物置から取り出し、長靴をはいた。裏庭へ行き、穴を掘り始めた。身体が大きいので大きな穴が必要だった。深さも50センチ以上は掘ったほうがいい。掘っては土を横に盛り上げ、額には汗がうかび、こめかみから流れてくる。私は休むこともなくトラ吉のために掘りつづけた。ようやくトラ吉が眠れるスペースが掘れたとき、トラ吉を抱えてきた。箱もタオルも無い身体ひとつの状態で穴の底に寝かせ、摘んだ花をその上に載せた。それから般若心経をコピーした紙を顔のあたりにかぶせた。エサと線香を脇へ置き、ごめんよと言ってから土をかけた。最も早く土に戻れるように埋葬した。そのあとはレンガで埋めた場所を囲い、ひとつのレンガを立てて置き、墓石にした。その石の前にドライフードを置き、庭の花を立ててあげた。合掌をして埋葬が終わった。

次の春、トラ吉は、きれいな桜を咲かせてくれることだろう。そばにある紅葉して葉を落とし始めた桜の木を私は眺めていた。そして今春、私の桜はみごとな花を咲かせた。これはトラ吉がきっと咲かせてくれたのだ。枝を広げ、花をたくさんつけた桜の木を感慨深くながめていた春だった。トラ吉は土に還り、花となった。

画像は2010年4月18日撮影。(修整なし)丸々と太り、穏やかな表情をしている。この半年後に別れが来た。しかし私が生きている間、忘れられない猫の一匹として心のなかに生き続ける。

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