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2011年10月27日 (木)

『トラ吉』追悼週間(一周忌)No.4“最後の元気な姿”

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トラ吉の姿を求めて写真フォルダを探しました。これが元気なときの最後の写真となりました。2010年5月26日撮影です。この5カ月後に彼は逝きました。元気そうな彼の姿から、そんなに早く別れが来るとは思いもよりませんでした。

エサをやるときとは異なり、違うところから出てくると、眠っていてもすぐに起きて逃げる用意をします。しかし、ここまで近づけたのは嬉しいことでした。私と判ったようでした。

私はこの追悼記を書き始めてから、毎日トラ吉の思い出に浸っています。命日まであと数時間。昨年の今頃、明け方に息を引き取ることは分からず、懸命に看病していました。そのそばで私は書いていました。

昨夜、思い出すままに書いた文章を掲載します。記録のような文体はそのままでの掲載です。

昨年の5月末にふらりと帰ってきたトラ吉は、夏の間に一度も姿を見せなかった。私はとても体調が悪かったが、エサやりだけは欠かさず続けた。梅雨とそれに続く夏の間、トラ吉はどこへ行っていたのかわからない。久しぶりに帰ってきたトラ吉に異変を感じた。痩せていたのだ。ポンポンといつも叩いた背中には背骨が浮き出ていた。しばらく放浪していたので、ろくなものを食べていなかったのだろうと私は思った。食欲は落ちていなかったので、すぐに太るだろうと思っていた。いつものように背中をポンポン叩く気にはなれなかった。エサを食べたらどこかへ行くのはこれまでと同じだった。そしてまたやってくる。娘や息子たちは食事時間がわかっており、決まった時間に集まって待っているのだが、トラ吉はそんなことおかまいなしに突然に現れる。例によって大きな声で「エサくれぇ~、エサくれぇ~」と鳴くのである。夜中とか明け方とか、普通の家ならとうてい何も出てこない時間でもエサが出てくる。右近庵は彼にとってまったく好都合な餌ステーションだったにちがいない。

いも掘りの頃、異変はさらに目を見張るものとなっていた。前庭にいた私は驚いた。のっしのっしと歩いてくるトラ吉の腹部が、両側にこぼれるように異様なふくらみを見せていたのだ。どうしよう。考えた。病院へ連れて行こうか、それとも・・。ひとめ見て思ったのだ。これは助からないだろう。歩くのも大儀なほどに膨張した腹部に何が起きているのだろうか。腫瘍?単なる腹水?それなら抜けば回復できるかもしれない。だが彼は名誉ある生粋の野良猫である。もうひとり誰かの手を借りれば、食べている最中にネットでもかぶせて捕まえ、箱に入れてしまうことは不可能ではないと思われた。しかし大変な驚きで暴れ、抵抗するだろう。そして今まで見たこともない動物病院へ連れて行かれ、触られたこともない人間の手によって何をされるかわからない彼はただ脅えて全身で抵抗し、ありったけのエネルギーを使い果たしてしまうことだろう。そんな目にあわせたとて必ずしも助かるとは限らない。手術となれば大ごとで、入院生活は彼にとって地獄だろう。短時間に私の頭の中で様々なことが巡りつづけた。

決断するのにそれほど時間はかからなかった。野良猫は野良猫の誇りをもった生き方を貫かせてやろう。しかし私はこの庭で、彼のためにどんなこともしてやろう。往くならば、その瞬間まで見届けてやろう。そう決めたのだ。それから寝床を温かくし、若い猫たちよりもトラ吉を優先的にそこで眠らせた。歩くのも重そうな大きな腹でも彼はときどきどこかへ行った。けれどもかならず帰ってくるようになった。エサも先頭で鳴いて要求した。食べる量は減ってきた。少し食べたら寝床へ入って目を閉じていた。もう死期を悟っていたのだろう。そのように見えた。

かれの子供たちに変化が見られた。父親が病気であることを成人した子供たちはみんなわかっていた。トラ美はみんなが一斉にトレーのエサを食べはじめても、ひとり段の下にすわって見ていた。小春は早々に食べ終えて離れ、あの大食いの小太郎でさえも、そこそこ食べれば立ち去っていった。トラ江はよくわからなかったかもしれない。父親のそばで食べていた。みんなトラ吉の弱り様を気遣い、彼にたくさん食べさせようとしていたのだ。

このきょうだいは、さらに驚きの行動をした。トラ吉がいない時にエサを与えたときのことだった。いつも通り喜んで食べ始めた。私は家の中にもどっていたが、しばらくして見に行った。なんとエサがトレーに残されていたのだ。それもけっこうな量で、トラ吉がいつも食べる場所あたりに残っていたのだ。いま居なくてもエサを残していた子供たちの親を想う気持ちにしばし感動を覚え、私はそこにたたずんでいた。動物は偉い。言葉で何かを教わるわけではないが、親子の情や、病む者を想う気持ちを身につけているのだ。

猫の病気を調べてみると、腫瘍が腸あたりに出来ている可能性が高かった。病気はかなり進行し、腹水が溜まりに溜まった状態だと思われた。辛そうなので、それを抜くだけでもと再び病院へ行くことを考えた。さらに弱り、連れ出すことはたやすいことに思えた。しかし私はしなかった。後でこのことを後悔するかもしれないと何度も逡巡したが、今の彼には安らぎを与えてやることが最もいいと判断した。食欲は落ちてきた。食べるとすぐに水溶便が出てつらそうだった。ちゃんと寝床を出て縁の下や草むらでする。可哀想だった。けれど動物は苦しいとも言わずに堪えている。

昨年、10月になった頃、私はようやくベッドを離れて回復へと向かいつつあった。やっと自分で食事を作れるようにもなっていた。それで小説を書いていたのだ。1~2週間で仕上げて投稿するつもりで『指』という小説を書いているところだった。既定の50枚までラスト数枚を残すばかりにまで書き上がっていた。そこへトラ吉が病んで帰ってきた。しかも重病で。その短編は復帰第一作目となるのでそれなりに力を入れて書いていたが、トラ吉がいつ危篤になるかもしれないと24時間そこから心が離れない。しかも締め切りは迫っていた。小説はあきらめようか。それは可能なことだった。久々の執筆で苦戦もしていた。投げ出すことはたやすかった。しかし私は決めた。世話もする。そして書く。トラ吉のそばで書き、そして看取る。私はそう決断した。それはトラ吉が書けと言っているような気がしたからだ。

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