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2011年11月29日 (火)

ボクは癒し系。なんだって。

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カメラを構えると、ちゃんとまっすぐ見る習慣がついたじぃじぃ。美味しいエサのためなのか、それとも私を喜ばせるのが好きなのか。たぶんその両方。褒められるのもうれしいのか。

この猫ほど可愛い性格の猫をほかに知らない。おおかたの猫好きは飼っている猫をそう思うのかもしれない。ちょっと気弱で心やさしく平和主義者。私にだけ存分に甘えてくる。それがたまらなく可愛い。

この毛布は彼の4倍以上もの年月を我が家に暮らす年代物。愛着があって処分できないもののひとつ。当時のような毛足の長さは無くなったが、まだ働ける。今はじぃじぃの毛布になった。外から帰ってきてその足でベッドの布団に飛び乗ってくる。草花の種などたくさん体につけ、足は土や砂まみれ、どこを歩いたのか全身は埃っぽく、ときには蜘蛛の巣を耳にからませている。そのじぃじぃの受け皿がこの毛布。

ダッコはその後、何も食べない日を経て今日は元気だ。炬燵から出てきた。カゴに入れて座らせると自分でエサを食べてくれた。ずっと炬燵で過ごしているので環境の変化は大きくないと思っているが、気温の差でまったくダッコの体調は異なるようだ。今日は暖かかったので調子がよさそうだ。

私は前回に愚痴を書いてしまい、アプロードするそばから自己嫌悪に陥った。けれど削除はしない。それも長い介護・看護生活の軌跡として残しておこうと思うからだ。しかしダッコに対して申し訳ない気持ちになったことは否定できない。彼女の好ましくない点についてだけ書いたからだ。(好ましいことを探すのは難しいかもしれないが)

それで翌日、私はダッコを猫毛布にくるんだまま抱っこした。仰向けに抱き上げるなど元気なときは決してできなかったことだが今は容易だ。抱き上げるとうれしそうに目を細めた。のども鳴らしていた。それならと私は両手がふさがっているため顎でダッコの鼻筋からひたいにかけて撫でてやる。そうしてやると喜ぶのだ。ゴロゴロとさらにのどを鳴らしている。

その瞬間、ガブリッ!と来た。すばやく身を引いたので噛まれなかった。慣れたもので私も構えている。のどを鳴らして目を閉じ、どんなに喜んでいるように見えてもダッコは3~4度めに必ず噛みつく。他の猫たちなら、こちらがやめるまでゴロゴロのどを鳴らし続けて喜ぶが、ダッコはちがう。したがって珍しく喜びを表しても3度目には止めた方がいいことを知っている。病んでなお、老いてなお、その習性は変わらない。

ダッコは立てなくなった日から今日まで死ぬだろうと思うほど弱り、テンカンを数回起こし、何度も立てなくなったが今日は立った。自分のエサだけでなく数歩あるいてじぃじぃのエサのドライフードまで噛めないくせに食べていた。当初のまもなく逝くという予想ははずれ、またまたこの猫はやせ細ってはいるが強靭な生命力でしばらく生きると思われる。私はうまく息抜きをして長期戦で臨む覚悟をきめた。

ここまで長い年月を共に歩んできたのだ。こうして病状の変化を経て、私はいつ逝っても悔やまない看護と、まだまだ世話をしなければならないことの抑圧を減少させることを考えようと思う。うれしいことにそれらの苦労をほかの猫たちが癒してくれる。それがいかに大きな力になっているかということを、じぃじぃを撫でながら柔らかな毛の感触でたしかめる。
今日は曇り。猫たちにも私にも平穏な一日だった。みんな静かに眠っている。秋が深まってきた。前庭のモミジがきれいな赤になってきた。裏山も色づき始めている。

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2011年11月26日 (土)

桜の木の葉と心情吐露

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春に咲いた桜の木は、葉を半分ほど落とした。花が愛でられる桜の木は葉を誰からも褒められない。楓のように美しくないということか。

新緑の頃のやわらかな緑いろ、そして盛夏の濃い緑いろ。いつでも桜の木は美しい。私の桜の木はまだ若い。紅葉するにも見よう見まねだ。桜の木は、花が散るように人びとは惜しんではくれないし、人間の美的感覚からするとこんな紅葉は美しくないのかもしれない。けれども植物の命のいとなみは美しい。何よりも自然の中で自立しているのが素晴らしい。

私はとても疲れている。大きなストレスが心身に蓄積しているのを感じている。そのせいか苛立つことがままある。だからと言って何も変化はないけれど、かなり溜まっているのを感じる。それはなぜかと考えてみた。ダッコのことだった。

数日間の寒さでダッコはまったく炬燵から出てこない。鳴かない。食べない。飲まない。もちろん立たない。炬燵の中で横たわっているだけだ。当然ながら痩せていく。見る影もなく痩せている。口元までスプーンで運んでも食べようとしないときはお手上げだ。

今日はダッコの鳴き声で目が覚めた。私はすぐには動けない。目覚めた時は身体の関節があちこち痛いからだ。しばらく鳴いている間、ダッコはすこし元気になったかと考えた。だから鳴くのだろうし、炬燵からも出てきているのだ。

どれと身体を起こしてベッドから起きて驚く。防水カーペットの上には大量の尿がこぼれ、ダッコはその上で必死でもがいていた。炬燵から這い出したのか。どんな状態にあるのか自分でわかっていたのだろう。身体は横になったままだが立とうとしてか四肢を動かし、大海の中で泳いでいた。それは惨めな姿だった。

可哀想に。そう思う気持ちはなかった。ため息をつくこともなく、泣きたくなるような気持も起こらなくなっている。大量の尿の中で寝そべってもがくダッコを抱き上げてタオルに寝かせる。吸水布をひとまず尿の上に置き、熱いタオルをしぼってダッコの身体を拭く。全身が濡れているので炬燵にもどす。カーペットの尿を拭きとり、更に熱い雑巾で丁寧に拭く。肩に激痛が走る。

私はいつまでこんなことをしなければならないのだろうか。世話をよくしてくれたHiroshiが逝って以後の7年間、年々ひどくなるダッコの認知症をつぶさに見ながら、なおも凶暴さを失わないこの猫の世話に私は格闘してきた。そして介護の困難さは今や最高潮に達している。私は自身のつらい体に鞭打ちながら頑張ってはきたけれど、交代してくれる者もなく、息抜きもできず外出もできず世話に追われ続けてきた。その疲労たるや鏡を見ると表情にもあらわれている。疲れているのだ。猫の介護に心底くたびれているのだ。

もう逝ってくれれば・・。そう思うことは何度もあった。心の隅にいつもあるのかもしれない。これが可愛い性格のじぃじぃならば私の感情はまた異なるのか。ダッコは人間に応える愛らしい動物ではなかった。自分のしたいことだけをして要求し、家じゅうを叫びながら走り回り、新築で入居したマンションの障子や襖を無残にも引き裂き、至る所に引っ掻き傷をつけた。私や家人に何度も怪我を負わせ、そんなに野性が強ければ外へ出ていけばいいと思ったことも度々あった。しかしダッコはどこへも行かず、したい放題で我が家に24年以上も住み続けて超老猫になった。今、すばしこい強靭な四肢は見る影もなくやせ細り、立つこともままならず、みじめにも糞尿にまみれている。それでも気に入らないと看護人の手を噛もうとする。

私はダッコを愛しているのだろうか。問われたら答えられない。全員が動物好きである家族の誰に聞いても答えず苦笑する。Hiroshiだけは日によって可愛いと言い、ちょっかいを出してダッコを怒らせて遊んでいた。そしてよく怪我をした。彼は家に居る時間が短いから苦痛はなかったのだろう。彼以外、家族の誰もが恐ろしいのでダッコをじゃらすなどしなかった。すり寄ってきても頭を撫でようものならガブリと噛まれ、のどを撫でると珍しくゴロゴロいうと思えば三度目くらいに強烈に噛む。‘可愛い’という形容が、これほどなじまない家猫はほかに居ないだろう。

ダッコは自分を人間と同じ地位にあると考え、家族の一員だと思っていた。ペットを称して‘家族の一員’という人は世の中に多い。我が家では誰もそう言ったことはなかった。しかし彼女はいつもいちばん威張り、家族の中心になろうとし、人間が彼女について楽しげに語っていなければ、いきなり噛みついたり、狂ったように走り回り、敢えて人間の気を引く激しい行動をした。叱られても人間の注意を自分に向けたい猫だった。可愛い猫が飼いたいと願っていたが、人間だけでなく猫にも凶暴なダッコと共存できる猫は居ないと思われた。実際、どんな猫も受け入れず、いじめ続けた。その洗礼に耐えつづけたごく少数の猫が一時期同居した。じぃじぃは何もわからない赤ん坊の時から威嚇され続けてきた。だからダッコを好まない。

このダッコを抱っこ出来るようになったのはわずか2~3ヶ月前のことだ。それまでは弱っていても噛みついたり牙をむいた。幸いにも引っ掻く力は無くなった。世話をするのもいつ噛まれるかとヒヤヒヤだが、とくに顔を拭くと怒って噛みつく。どこをさわっても噛もうとするので、充分に身体を清拭できず、体を洗うのにも大ごとだった。そんな猫だから弱って身動きが取れなくなってきた頃からようやく可愛いと思えるようになってきた。

しかしながらフラフラと家じゅうを歩きまわって好きに排泄する時期はたいそう苦労した。動けないくらいの方がペットシーツの上で排泄してくれる。世話をする者には歩かない方が楽なのは事実である。しかし生きているのだから食べないのは困る。スプーンで運んでやるとわずか舐めては遠くを見ているような目でじっとする。根気よくスプーンを口に運ぶのには忍耐が要る。肩も腕もひどく痛んでくる。そのうち食べずに横を向く。水だけはよく飲むが、これも苦労する。うつむくことはまったくせず、何でも顔の高さまで持ち上げ、ちょうどいい角度に傾けてやらなければ食べず、飲まない。摂食させるのに根くらべだ。私の関節泣かせの猫である。

猫の介護を経験して私は‘人’の介護がいかに大変かを痛感した。それは経験していないが、その片鱗を垣間見たような気がする。同時にそういった仕事をしている人びと、家庭で介護にあたっている人びとの苦労が理解できた。ダッコは歩けなくなった。また歩くのかどうかわからない。食は極めて細くなった。もう終わりは近いのか。もしかしたら私は逝くことを待ち望んでいるのか。現在、私の少ないエネルギーの大半を費やすこのことのために、多くのするべきこと、したいことが停止している。私の病気も進む一方で、動ける時間は刻々減少していく気がしている。

私はひどい人間だろうか。しかし、もしもこの厳しい状況を理解してくださる人がいればありがたい。Hiroshi没後の七年間、私はひとりで懸命にこの猫と向き合ってきた。ペットという言葉も当たらないこの凶暴な猫と対峙してきた。その間、私の病気はずいぶん進み、毎日が自分のことだけで精一杯になっている。長女は産休中で、二歳児と乳飲み子の世話に忙しい。次女も離れて暮らし、仕事人間で重要な仕事を任されている立場にある。社会人となって各自のことに懸命な娘たちに猫ごときで迷惑はかけられない。

糞尿にまみれたダッコの身体は匂う。いくら熱いタオルで拭いても匂いは取れない。今の季節は風呂は禁物で、高齢猫は風邪をひくと命取りになる。食べないと少しでも食べさせようとする。水を苦労して飲ませようとする。これらのことを休みなく、交代なくしなければならない私は心身ともに疲れている。そのうえ自分のことが何もできないことの苛立ちが大きくなっている。私は弱いのだろうか。自分本意な人間なのだろうか。自問しながら今は老猫の介護だけを続けている。

しかしまた炬燵の中で音がする。ダッコが何をしているのか見てやらなければならない。私はこの猫がまだまだ生きつづけることを望んでいるのか、それとも・・・。答えは両方か。いや、片方か。いま言えることは、送ったあと、きっと私は悲しむより先に疲れを出して寝込み、快復までにかなりの時間を要するだろうということだ。もう猫はふやさない。拾わない。人に頼まれても貰わない。動物が飼える体力が私にはすでに無い。

けれども私はわかっている。この荒い気性も稀な長寿もダッコが望んだことではなく、天から与えられたものなのだ。その稀有な猫と関わったのも私に与えられたことなのだ。何度も死にそうになって心配し、悲しんだ。それは本当だ。しかしながら最終ステージだと知りつつこちらの体も心も限界まで来ている。この状態は、どうすれば突破出来るのだろう。私の場合、それはたぶん書くことか。だからこの場を借りて心情を書き、とってもキツイと初めて吐露した。これは公で言うことではなく、ちょっと情けない。しかし私を応援し続けてくださる少数の方だけには受けとめていただけるように思う。介護とは、動物であれ決してきれいごとではない。そのことを隠さずに伝えたい。ともあれ私は必死でやっていることをお知らせしたい。

読んでくれてありがとう。自分の日記に書くようなことを書いてしまったね。‘限界’というのを超えた向こうには何があるのだろう。それを知るのもいいことかもしれない。限界の向こう・・・。見てみたいね。今は昨年のように私が倒れないことだけを願っています。とにかく頑張るしかない。ただ今はそれだけ。

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2011年11月21日 (月)

じぃじぃと庭仕事

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ダッコの容態が落ち着いたので、届いたブルーベリーとクリスマスローズを植えた。

庭へ出るとじぃじぃが喜ぶ。庭を走り回って喜びをあらわす。親の姿が見えたら大はしゃぎする子どもみたいに喜ぶのだ。庭仕事のそばにはいつも猫がいる。この猫は性格が可愛い。しかし臆病で(彼の尊厳を守るなら警戒心が強いので)、誰にでもすり寄る訳ではない。否、誰にもすり寄らない。だが猫社会で集団生活はできるし、ルールもわきまえている。彼は半飼い猫で半野良的だ。猫歴が長い私は相当数の猫と関わってきたが、この猫が溺愛度No.1だと自認する。可愛くてしかたがない。

彼はこのところ私がダッコばかりかまうので、少し寂しそうだった。けれども事情は呑み込んでいたようで、駄々をこねて飼い主を困らせることはない。野良でも家猫でも誰かが具合が悪いときは皆そのことを理解している。そして、それとなく気遣う。ダッコが元気なとき、スキを見てじぃじぃはダッコだけが食べられるおしいエサを舐めに行く。けれども今はしない。母親のはるかちゃんは女王ダッコに完全平伏を貫いているが、じぃじぃはそうでもなく、たまにダッコにちょっかいを出していた。しかしながら病気とわかるとしなくなった。

あれからダッコのテンカンの発作はピタリと止まった。食欲旺盛になり、たくさんのフードを舐めた。それはいいことに違いなかったが、あの発作はいったい何だったのだろう。喜ぶ間もなくそのあと感冒の症状がひどなりくふたたび食欲を失った。また最期かと観念し、何度目かの「ダメかもしれない」をまた娘たちに送信した。おまけに私まで風邪をひき、だるさと頭痛に悩まされた。けれども寝込まなかった。寝込むことは出来なかった。動いているうち私も快復した。

眠り続けたダッコも快復し、今日は炬燵の中を見ると4本脚で立っていた。立つか座ってくれればエサを自分で舐めてくれるのでうんと楽になる。私の左肩は、ダッコの介護のためか気候のせいか、痛みがふたたびきつくなっている。ダッコが立てないときはカゴに入れて座らせ、ちょうど舐められる高さにエサを置いて舐めさせる。座っていると横に倒れそうになるため、段ボールの箱をおいて持たれさせる。窮したときにはいろいろなアイデアが浮かんでくる。

わずかな気温の変化でダッコの体調がめまぐるしく変化する。それらに一喜一憂する段階は過ぎた。そのつど深刻に考えていると、こちらの身が持たない。まるで三寒四温といった感じのダッコだが、私は存分に尽くしている。じゅうぶんに可愛がって抱っこし、おなかの上に載せて相撲を見、赤ん坊のように毛布でくるんで歌をうたってやりながら家の中を歩きまわる。今日は穏やかだった。けれど明日はわからない。そんなダッコとの毎日は濃密な時間で満たされている。

庭へ出ると風が冷たかった。ニュースで見た北海道の雪に驚くが、右近庵の裏山はまだほとんど色づかない。今年の秋は望遠レンズで紅葉を撮ってみようと思っている。どこへも出かけられなくても、周囲の自然が私に季節をおしえてくれる。これは幸せなことだとあらためて思う。ずいぶん日が落ちるのが早くなった。作業をしているとすぐに日が暮れる。これから葉を落とすブルーベリー。これから花が咲くクリスマスローズ。どちらも寒さに強い植物だ。楽しみがふえてうれしい。先日の雨でまだ鳴いていたみどり丸一族は今日は鳴いていなかった。いよいよ冬眠か。

画像では、じぃじぃの後方にネリネが咲いている。今年は3つだが来年は花をふやす。寒さに強いヒマラヤユキノシタの葉は元気。夕暮は夕暮のまま修整なしで掲載。ご心配くださっている皆さん、ありがとう。ダッコは毎日がんばっています。飼い主も。

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2011年11月16日 (水)

老猫の終末期対処法に悩む

ダッコのテンカン症状はひどくなってきました。昨日は午前九時頃に起き、それからは無事で日付が変わって本日午前1時半に起こりました。それはとても激しい発作で、また死を予感させるものでした。どうにか眠りについたので安心しました。

本日午後3時55分、今日二度目の発作。これもかなり激しく、おさまったあとも目を見開いて空を見つめたままで、噛んだ毛布を離さないでいました。前夜の発作でペットトレーの縁を激しく噛み、発作が終わってからも離さないので引き離すのに苦労しました。また固いものに噛みつくと歯が折れたりするのではと咄嗟に毛布を噛ませたのです。

ネット上には犬や猫にテンカンが起きているときの注意などが掲載され、そのように努めています。暴れ回るので動物が怪我をしないように配慮すること、下手にさわると飼い主も噛まれたり怪我をすること、発作中は大きな声を出さずに静かに呼びかけてやるなどです。ダッコも激しい動きで狂ったように近くにあるものに噛みつきます。その噛み方が野生そのもので、それによって歯を折ったり舌を噛まないかと心配で、発作が起きるとタオルなどを素早く噛ませることにしました。

午後6時30分、三度目の発作。これは時間も短く軽めでした。昼間の発作のあと、横たわったまままばたきもしないでうつろな目で空を見つめていました。その時間があまりに長いので、もしかしたらこのまま呼吸が止まるのではないかと思い、また私は長女に電話をしました。ダメかもしれない。これまで何度か伝えてきた言葉をくり返していました。しかしあることに気づきました。この発作が起きるようになってから、ダッコは片方の目を閉じないで眠ることがあるのです。両方を見ひらいている時は起きているとは思いますが、もしかしたら眠っているのかもしれないとも思えました。ともあれダッコは強い発作のあと、信じがたい旺盛な食欲でとろとろフード缶、モンプチ缶の2個を一気にたいらげてしまいました。あの体の硬直と、もがく四肢、絶叫はダッコにとってかなりエネルギーの消耗となっているのだと思います。

午後9時30分、四度目の発作。かなり激しく、また心配になりました。ダッコ専用の炬燵をかけてやっているのですが、その中でくすんくすんという声というか息というか、そんな音が聞こえると発作の前兆です。回を重ねるごとにこちらも心得たものでタオルを手にして、さぁ来いと構えます。身を反らせて暴れはじめると、すかさずタオルを口に噛ませ、身体を何かで押して移動させ、炬燵の中から出してやります。ミニ炬燵が中に入っており、その角などで怪我をしてはいけないので、何もない所へ導きます。導くといっても当のダッコはそれどころではなく、押されて移動させられるまま外へ出ます。だんだんとコツを掴んできた私は、タオルで前脚と身体を包んでやればいいのではと考え、そうすると落ち着くようでした。ダッコも訳がわからず不安でいっぱいなのでしょう。脳障害で神経系統が機能しなくなっていると思われ、麻痺状態になるために暴れ狂って叫ぶのですが、一番つらいのはダッコです。

発作のあと、放心状態のダッコをはおとなしく、私はするべきことを始めます。テンカンの発作時には力むため、かならず放尿と脱糞があります。よだれも水をこぼしたように大量に流れています。炬燵掛けをめくってミニ炬燵を外へ出し、大きめのサークルトレーに敷いたペットシーツを取り換えます。炬燵内には直接横たわるための弱い伝熱シートも置いています。それは防水対策を講じているので大丈夫。上に敷いている毛布や掛け毛布を取り換えます。ダッコは下半身がびっしょりで、便で汚れているのですが、毎回の半身浴は体力的に無理なため、濡れタオルで拭いてやるなどします。今日はあまりに汚れがひどいので半身浴をさせました。

排泄物対策として、これまでは小さいペットシーツを下半身部分に重ねて敷くといった方法でした。本日届いたばかりのオムツを初めてしてみたところ、あることがわかりました。尿だけなら効果がありますが、そうでない場合、汚物が押さえ付けられて下半身の毛につき、かえって汚れを取るのが難しくなります。ペットシーツとオムツは使い分けるのがいいと学びました。汚れたものをぜんぶ取り換え、ダッコを快適な炬燵にもどしてやるとひと段落。これを一日に数回おこないます。発作が起きるようになって回数がふえました。今はわざわざ排泄というよりは発作時に自然排泄といった状態です。

洗濯物は多いです。燃えるゴミも頻繁なペットシーツ交換のため多くなりました。けれど今は行動範囲が縮小され、汚れもののサイズが小さくなり、その点は以前より楽になりました。動き回るときは人間用の炬燵布団、炬燵敷き、炬燵中掛け、私の布団、シーツ、毛布、など、吐いたり排泄してしまったりする場所の洗濯が大きなものばかりで、それも度々の交換が必要で、その頃はほんとうに大変でした。それが理由で洗濯機を買い換えました。妙なことですが、行動半径が狭くなった分、楽になったのは事実です。反面、排泄の処理すべてをおこなわなければならなくなったのですが、これも慣れれば手早く出来るようになってきました。動物だっていつも気持ちがいい方が心地いいはずです。特に猫は、ダッコは、きれい好きでしたから頑張っています。

いま私が悩んでいることは、病院へ連れていくかどうかということです。テンカンが加わったのは予想していないことでした。だんだん弱って行動しなくなり、老衰で・・と漠然と考えていました。突如としてテンカンという激しい発作に見舞われることは所謂‘想定外’でした。テンカンをもつ犬や猫を飼っている人たちや医師が掲載していることによれば、薬を与え続ければ改善するので根気よく治療しましょうということのようです。しかしダッコはすでに24歳です。たとえ薬を与えてもいかほど改善するものなのか。その薬を与えることで身体に何らかの影響はあるのか。食欲が落ちたらひとたまりもなく死期を早めることになるでしょう。

今ひとつは、ダッコのもつ野生そのものの激しい気性です。いつ病院へ訪れても唸りっぱなし、先生を噛む、引っ掻く、ハァーッと息を吐いて威嚇するといった猫です。おまけに病院は遠く、途中で発作が起きることも充分に考えられます。あらゆることを考えれば、ダッコにも私にも病院へ行くことは負担が大きく、長い人生で数えるほどしか病院へ行ったことのないダッコには、野生ならその野性を尊重し、気性の荒い彼女が嫌なことはしないでおこうか。私もすでにかなりの疲労で、できればどこへも行かずにダッコが寝ている間は体を休めたい気持ちが強いのが正直なところです。延命治療はしない。ダッコにはそう決めていました。(私自身の場合も延命治療は望まない意思を伝えてあります)しかし発作の時のもがき方が可哀想で、実をいえば心が揺らいでいます。

しかしながら、この時期に病院へ連れていかなかったことをあとで後悔するかどうかと考えてみても、おそらく私は悔いは無いと考えます。世話を大いにしてくれたHiroshiの死後、ひとりで関わってきたダッコの世話に、私は膨大なエネルギーと時間を費やしてきました。外出をまったくしなくなったのもダッコが関係しています。とくに昨年、私は自身の体調悪化で本当につらい状態でした。なおかつ認知症がひどくなるばかりのダッコの世話を必死の思いでしていました。この度の発作が起こる前、すでにダッコは歩けない状態になってきていました。今から熱心な治療を施しても、いかほどの回復が期待できるのでしょうか。それはやってみなければわからないことかもしれませんが、飼い主側にもすでにその体力がないという厳然たる事実があります。連れて行かないことには飼い主の‘主義’と‘事情’、飼い猫の‘特性’と‘望み’があります。たぶん私は後悔をしないでしょう。ダッコもそれを望むでしょう。

自然のままに。ダッコが嫌がることはしなくていい。動物にとって何が一番よい逝き方か。頭の中をさまざまなことが廻り続けています。この老猫の飼い主としてどうあるべきか。今しばらく考えたいと思います。下の画像は発作のあと、まだ放心状態で毛布をくわえて離さないダッコです。哀しい姿というよりは、凄まじい執念といった力強い印象です。この猫は凄い。本当に凄い。野生の女王ダッコ様。本日撮影。

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2011年11月15日 (火)

ネリネ (クリスパ)

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ダッコの介護に明け暮れており、しばらく庭に出ていない。久々に庭を隅々まで見てあるくと、ネリネが咲いていた。

球根は夏に植えた。花どきはいつかも確かめずに植えたけれど、思わぬ時に咲いていた。来春か、もしくは来夏かと思っていたので意外だった。そしてうれしかった。球根は3つだったので今年は花は3つだけ。どれもまだ全開ではない。

左側後方に見えている細長い葉は夏に咲いたリコリスの葉。リコリスとネリネは種類がちがう花だが、花の咲き方も生育過程も似ている。花どきではないときに葉を伸ばして光合成をし、球根に栄養を取り込むのだ。ネリネも植えてしばらくすると、リコリスよりも細い葉を出して伸ばしていた。ところが花が咲くときにはどちらも葉がまったく無くなっている。それがヒガンバナ科の花の特徴だ。ネリネは秋に咲くらしい。

ホームセンターに苗や球根を買いにも行けず、毎週届くコープの注文カタログに載る植物を注文することが多くなった。最近ではクレマチスもそうして買った。届くとうれしく、咲く日を楽しみに植えている。届いているのにまだ植えずにいるものもある。夏水仙も植えなければ。老猫の介護から解放されるわずかな時間をうまく使い、自身のリフレッシュもする必要がある。それには花がいい。植物はいい。心が洗われる。

今日はみどり丸一族は鳴いていなかった。さすがにかれらも冬眠に入ったか。
ネリネを見つけ、デジイチをひと月ぶりに手にして穏やかな気持ちになった。

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2011年11月14日 (月)

つづく闘い

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その後ダッコは少し歩ける日もありました。トイレと決めた場所までふらふらと歩いて用を足しました。支えてやればできました。それからまた歩けなくなり、寝床で横たわるダッコにスプーンでエサを舐めさせました。立たせてやると踏ん張って舐める日もありました。やはり支えてやるとエサもクリアできました。しかし、それ以外は横たわっているだけで、何か要求があれば鳴いて知らせます。数日前までは大きな声でしたが、鳴き声にも力が無くなってきました。

さらに2日ほど前から異変が起こるようになりました。眠っていると思っていたら、突然に体を硬直させて苦しそうにもがきます。サークルの枠をつけているときはサークル内を狭しと転げまわるほど暴れました。私は見つめているだけで何もできませんでした。驚きました。

以後、眠っているときにこのように苦しそうにもがくことが数回あり、今日は明け方に大きな音を立てて暴れはじめ、サークルをはずしていたので床にまで転がり出て、のたうち回って苦しみました。じぃじぃは異変に気づくとすぐに跳び起き、怯えて逃げました。それほど激しいもがきようでした。ダッコの目は見開き、四肢は空を泳ぐように激しくうごき、大量のよだれを流し、息を荒げて苦しんでいます。いよいよ最期の時が来たかと私は覚悟を決め、午前六時前でしたが娘たちに連絡しました。いよいよみたい。そう言うと長女は涙ぐんでいるようでした。

見えているのかいないのか、瞳孔が開いているような目は、片方しか自力で閉じられないようでした。最期の時だと思った私は抱いたまま彼女の好きな音楽をかけました。こうして終わらせてやるのがいちばんいい。ずっとそう思っていました。右手でカメラを持ち、左腕でダッコを抱えて何枚も写真を撮りました。声をかけ続けて安心させてやりました。

外はすっかり明るくなりました。ダッコの呼吸はだんだん穏やかになってきました。単なる眠りなのか、それとも永遠に眠るのか。区別がつかないままにずっと抱っこしていましたが、私は疲労を感じはじめ、座っているのがつらくなってきました。体をずらせてそのまま布団の中に入り、左わきにダッコを抱いたままじっとしていました。もう逝くのかな。それとも落ち着くのかな。どちらになっても私に悔いはないと思いました。彼女の運命、生命力が決めることだと考えました。

私は急激に大きなだるさに襲われ、横になっていてもつらくなってきました。少し眠らないと。もしも私が目覚めた時に、ダッコの息が止まっていたら後悔するかもしれない。けれど私は限界でした。私が眠っている時にダッコが召されたら、心残りはあるかもしれないが、彼女は恨まないだろう。なぜなら動物は決して恨んだりしないから。それに私は彼女を抱きしめて眠るのだから。逝くならかならず挨拶をしてくれるだろうから。

目覚めたのは昼過ぎでした。すぐに確かめたダッコの心臓は、動きを私の手に伝えてきました。まだ生きていた。よかった・・。

この猫の生命力には何度も驚かされました。今日も驚きました。しかし、激しい発作のような体の中からの異変に、今後どこまでも耐えられるものだとは思いません。これをくり返し、いつかは最期の時を迎えるのでしょう。

私は今、ダッコのことと自分の食事のこと以外に何もする余裕がありません。横たわったままの彼女の世話を一生懸命しています。一日中、気が抜けず、つねに睡眠不足で心身ともに疲れています。しかしこれは私の仕事です。私にしかできない任務です。2キロあるかないかの細くやつれた24歳の老猫を看取ることは、私の人生のまとまった時間を捧げるに値するものだと思っています。それは縁あって共に長い年月を過ごした「命」に対する私の使命だと考えるからです。彼女は私たち四人家族とともに、いつも居た大事な盟友です。

ありがとう、皆さん。寒くなるようです。寒さはダッコにとって要注意です。そして私にも。それからもちろん皆さんにとりましても。お気をつけください。また報告いたします。画像は今日の朝方、激しい発作で苦しんだ後、ようやく落ち着いて眠りはじめたと思われるダッコです。永遠に眠るのかと案じましたが、ダッコはまた甦りました。なんという生命力!

追記 ダッコの引きつけたり、体を硬直させて暴れる症状は、調べた結果、猫の‘てんかん’だとわかりました。脳機能障害が何らかの理由で起きているためだと思われます。

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2011年11月10日 (木)

お外を見ようか

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ダッコはほとんどの時間、眠っている。あまり眠っていると心配になり息を確かめる。
目覚めたときにはエサを食べさせ、水を飲ませる。食欲はまだあるから大丈夫。起きているときは可愛がる。抱っこが嫌いだったダッコは抱っこしても抵抗しなくなった。
「お外を見ようか」  人間の赤ん坊に言うように私は話す。外にも興味がなくなっている。左手で抱っこし、右手だけでコンパクトデジカメで撮ってみた。私はまだパジャマ。

依然として左半身は効かない。そういえば歩いても左側に傾くようになっていた。左半身が弱いところは飼い主とおなじ。もう立てないかもしれない。また立てるかもしれない。どちらにしてもこんな日が来ることは覚悟していた。エサが自分で食べられなくなる日、排泄できなくなる日はいずれ来ると思っていた。次に何が来ても心の準備は出来ている。

庭に植えた紅アズマはまぁまぁの出来だった。友人がサツマイモのツルは炒めればおいしいと話すので先日やってみた。ごま油で炒めて塩コショウ。おいしかった。すこしぬめりがあってツルムラサキやモロヘイヤと似た食感だった。しかしとても全部のツルは食べきれない。だから乾燥させて庭屋さんに処分を頼む。前方のタイルロードに乾燥中の芋ズル。その向こうの植木鉢はクレマチス(白・ピンク)とミニバラの苗を植えたもの。来春が楽しみだ。ダッコはそのとき居るかどうかわからない。初夏に植えた黄色い花のメランポジウムはまだ咲いている。みどり丸はまだ鳴いている。花もカエル一族もすごい生命力だ。

気温が下がり、厚着をしたが私も体調がすぐれない。疲れがたまってきたのもある。けれど鳴くとすぐにベッドから起きてダッコのそばへ行く。私は元気でなければならない。何が何でもダッコの世話は最後までする。これも私にとって『‘その日’が来るまでにしておきたいこと』の重要なひとつなのだ。

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2011年11月 9日 (水)

また不調のダッコ様

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ちゃんちゃんこを着るくらいに快復したダッコですが、それから三日ほどでまた立てなくなりました。今日は左半身がまったく機能せず、立つことができません。前脚も後ろ脚も力がまるで入らない様子です。そのために食べるのもスプーンで口元へ、とろとろフードを少しずつ運んで食べさせてやりました。疲れるのかすぐに食べなくなり、また空腹なのかクンクン嗅いでエサを探すようなしぐさをします。

私はダッコのおなかに手を差し入れて身体を支えました。そうすれば彼女の体重は弱った脚にかからず、負担がないだろうとそうしました。顔も下を向くことがつらくなっているようなので、顔と同じ高さになるように台を置き、その上にフードの缶を置きました。すると自分で舐めました。おいしそうに舐めていました。

わずかな気温の変化でダッコの体調は大きく変わります。きのうあたりから寒くなっており、そのせいかダッコはまた具合が悪くなりました。あしたはもっと寒くなるとのことです。今夜からミニ炬燵をしてやろうと思います。これも熱すぎると出てきてそのまま体が冷えてしまうし、快適と感じる温度を保ってやることが難しいです。

きのうは元気だったのに、今日は悪くなっている。まるで飼い主と同じです。しかしダッコは生きるか死に近づくかの境界で、懸命に踏ん張っているように見えます。やっぱりこの猫はスゴイ。ボスクロを負かしただけあって、芯の強さはピカイチです。しかし思います。桜が咲くころにはダッコは居るのだろうか・・・。今は彼女のために出来る限りのことをしたいと思っています。画像は只今のダッコ。眠っていたのにカメラを構えるとイイ顔をしてくれた。

毛布に包んで布団に入り、胸の上に載せてやった。

まるで何も載っていないような軽さにふとせつなくなる。

ダッコは私がいちばん好き。どの人間よりも私が好きなのだ。

それは私にとってどんなに大きな喜びのプレゼントなのだろう。

ともに過ごす残りの時間をダッコと一緒に楽しまなければ。

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2011年11月 8日 (火)

ダッコ婆

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ダッコは立てるようになっています。ふらふら、よろよろと歩きますが、じっとしていたがります。少し前まではサークルから出たがったのですが、そしてサークルを外して自由にしていたのですが、今は出してやると自分でもどって行きます。しんどいのでしょうね。

近頃は寝たまま排泄していることがふえました。トイレ用のペットシーツまで連れていってみなければ、横になったまましてしまいます。それで下になった部分の毛が濡れてしまいます。以前は排尿しようとすると細い脚がふるえて身体を保てずに前に一回転するといった状態でした。ドタン、バタンと大きな音を立てて転びながらの排泄でした。だから駆け寄って体を支えてやらなければなりませんでした。もうひとつの排泄の方はもっと大変で、私が気づけば支えてやれますが、私が眠っていたり気づかなかったら、何度も転びながらの排泄となり、それはそれは悲惨な状況となりました。

夜中に懸命に排泄しようとしたのでしょう、目覚めれば家のどこかで“ギャーっ!”と叫びたくなる惨憺たる‘現場’を目にすることもしばしばでした。その辺ももダッコ自身の手足もヒサンでした。今や廊下やあちこちフローリングの床はいたる所が黒ずんでしまいました。閉じ込めるのはこちらが楽でも、出来るだけ歩かせないと脚力が低下します。だからなるべく彼女の思うままにさせてやりました。けれど大変でした。ほんとうに大変でした。私も体がつらかったものだから。今も時々つらいことがあるものだから、今だって決して楽ではありません。

このたびの衰弱後、彼女はお尻を落として排尿することを覚え、派手な前転や側転はしなくなりました。しかし排泄したものの上にじっと座っていたり、踏み歩くなどした後があることも多いです。それは尿よりも大変です。今はすぐに気づくようにベッドの近くにサークルを置いています。とにかく世話は体力と気力が要ります。猫一匹の介護ですが学ぶことは多く、こちらも耐えることが身につきました。看取るということの大変さと、どこまでも生きようとするダッコの頑張りに、崇高さも教えられます。こんなことまで公表すると、誇り高いダッコに叱られそうですね。

立ったので着せてみました。嫌がらず着てくれました。さんざん私を引っ掻き、噛みついたダッコも丸くなり、温和なダッコ婆になったものです。似合っていますね。赤い色。撮影は数日前です。

前ほどは食が進みませんが、ダッコはまだ頑張っています。心配していたトラ江もやせ細って帰ってきました。たくさん缶詰を食べました。心配してくださってありがとう。

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2011年11月 2日 (水)

ダッコさま快復中

『右近トーク』でお知らせしたとおり、老猫ダッコは今度こそダメかと思うほどの衰弱でした。しかしこの度もダッコは驚異的な回復力で生き延びました。私はもう驚くばかりです。

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目をあけてまどろむダッコ。この時点ではまだ回復不可と見えていました。

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腹ばいになり上体を自力で支えることができました。ネコ族の姿勢を保とうとします。

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そしてダッコはとろとろフードを舐めはじめました!起死回生。ダッコの生命力はすごい。

実をいえば、私はペットの火葬業者さんに電話をかけて説明を聞いたりもしていました。車で出向いての火葬というのがあり、それにしようと決めるなど、準備を始めていたのです。いよいよかと思うことは2007年に最初に危機に陥ったときから何度となくあり、そのたびに心の準備や現実的な事柄の準備をすることがありました。

今回もメールで終わりが近いと知らせた娘たちは最後だから会いに行くと言い、友人はダッコはいい人生だったと慰めの返事をくれました。しかし、しかしです。またまた彼女は不死鳥のように甦りました。あぁ、だっちゃんごめんなさい。そして貴女のその凄まじいばかりの生への執着は、私に『生きるとは何ぞや』について無言の手本を示してくれるのです。

ダッコ様 生まれはノラですが誇り高き貴女のために、私はこれまで貴女が老いや病気と闘う凄絶な様子について、それと向き合う私の苦労について、公表を避けてきました。それは貴女の誇りを守るためでした。とくに昨年、私は自分のこともろくに出来ないほど体調が悪化し、それでも休めない貴女のお世話は本当にきついものでした。正直なところ、つらくて泣きそうになり、もう勘弁してほしいと願ったことも何度かありました。ごめんなさい。私も貴女同様に体がつらいことがよくあるのです。

けれども私は決めました。24年という歳月を共に暮らした貴女のために、私はこれからも懸命にお世話を努めます。どこへも行けなくてもかまいません。どんなに家の中を汚してもかまいません。私に噛みつく元気がある日はどうぞ噛みついてください。ここまで関わった貴女が居なくなることは、頭では理解しているようでも私には現実のものとして捉えられていないのだと思います。まだまだ生きてください。貴女が与えられた長寿に伴う体のつらさを和らげるべく、また静観しつつ、私は貴女の最期まで見守らせていただきます。最後までお仕えいたします。 貴女のしもべ 右近より

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