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2011年11月29日 (火)

ボクは癒し系。なんだって。

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カメラを構えると、ちゃんとまっすぐ見る習慣がついたじぃじぃ。美味しいエサのためなのか、それとも私を喜ばせるのが好きなのか。たぶんその両方。褒められるのもうれしいのか。

この猫ほど可愛い性格の猫をほかに知らない。おおかたの猫好きは飼っている猫をそう思うのかもしれない。ちょっと気弱で心やさしく平和主義者。私にだけ存分に甘えてくる。それがたまらなく可愛い。

この毛布は彼の4倍以上もの年月を我が家に暮らす年代物。愛着があって処分できないもののひとつ。当時のような毛足の長さは無くなったが、まだ働ける。今はじぃじぃの毛布になった。外から帰ってきてその足でベッドの布団に飛び乗ってくる。草花の種などたくさん体につけ、足は土や砂まみれ、どこを歩いたのか全身は埃っぽく、ときには蜘蛛の巣を耳にからませている。そのじぃじぃの受け皿がこの毛布。

ダッコはその後、何も食べない日を経て今日は元気だ。炬燵から出てきた。カゴに入れて座らせると自分でエサを食べてくれた。ずっと炬燵で過ごしているので環境の変化は大きくないと思っているが、気温の差でまったくダッコの体調は異なるようだ。今日は暖かかったので調子がよさそうだ。

私は前回に愚痴を書いてしまい、アプロードするそばから自己嫌悪に陥った。けれど削除はしない。それも長い介護・看護生活の軌跡として残しておこうと思うからだ。しかしダッコに対して申し訳ない気持ちになったことは否定できない。彼女の好ましくない点についてだけ書いたからだ。(好ましいことを探すのは難しいかもしれないが)

それで翌日、私はダッコを猫毛布にくるんだまま抱っこした。仰向けに抱き上げるなど元気なときは決してできなかったことだが今は容易だ。抱き上げるとうれしそうに目を細めた。のども鳴らしていた。それならと私は両手がふさがっているため顎でダッコの鼻筋からひたいにかけて撫でてやる。そうしてやると喜ぶのだ。ゴロゴロとさらにのどを鳴らしている。

その瞬間、ガブリッ!と来た。すばやく身を引いたので噛まれなかった。慣れたもので私も構えている。のどを鳴らして目を閉じ、どんなに喜んでいるように見えてもダッコは3~4度めに必ず噛みつく。他の猫たちなら、こちらがやめるまでゴロゴロのどを鳴らし続けて喜ぶが、ダッコはちがう。したがって珍しく喜びを表しても3度目には止めた方がいいことを知っている。病んでなお、老いてなお、その習性は変わらない。

ダッコは立てなくなった日から今日まで死ぬだろうと思うほど弱り、テンカンを数回起こし、何度も立てなくなったが今日は立った。自分のエサだけでなく数歩あるいてじぃじぃのエサのドライフードまで噛めないくせに食べていた。当初のまもなく逝くという予想ははずれ、またまたこの猫はやせ細ってはいるが強靭な生命力でしばらく生きると思われる。私はうまく息抜きをして長期戦で臨む覚悟をきめた。

ここまで長い年月を共に歩んできたのだ。こうして病状の変化を経て、私はいつ逝っても悔やまない看護と、まだまだ世話をしなければならないことの抑圧を減少させることを考えようと思う。うれしいことにそれらの苦労をほかの猫たちが癒してくれる。それがいかに大きな力になっているかということを、じぃじぃを撫でながら柔らかな毛の感触でたしかめる。
今日は曇り。猫たちにも私にも平穏な一日だった。みんな静かに眠っている。秋が深まってきた。前庭のモミジがきれいな赤になってきた。裏山も色づき始めている。

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