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2011年12月22日 (木)

なごりの蝉衣(せみごろも)

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今月の初め、ようやく紅くなった玄関側の庭で楓を写していたときのこと。

下からも写そうと砂利の上の落ち葉を踏みしめて色づく楓を見上げた。

目に飛び込んできたのは真っ赤な楓にしがみつく蝉の抜け殻。

ここから這い出た蝉は短い生涯を終えてどこかで果てたはずだ。

遺された抜け殻は秋が過ぎて冬が来ても我が庭にしがみつく。

この美しさを撮るために見とれていた私の手が動きはじめる。

緑色の葉にしがみついた蝉の脱ぎ捨てた紅色の葉に遺るこの衣。

言い知れぬ感動に衝き動かされてシャッターを切った。

2011年12月7日のことだった。

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2011年12月14日 (水)

ダッコ その後

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ダッコはその後、よく食べてよく眠り、危機から脱して安定しています。ただ、鳴く声は以前より弱々しくなり続きません。依然として立つことはできません。したがって人間のように横向きに寝ている状態です。食欲はあり、前に好んで食べていたモンプチの缶づめに変わりました。とろとろフードに飽きたのでしょうか。これは快復と理解していいのでしょう。

寝たきりになったダッコですが、ときどき抱っこしたり、画像のように膝に乗せてやると喜びます。視力も衰えているようですが、いつも何かを見ているように、こんな目をします。私しか居ないので、彼女には私が唯一の頼りになる存在です。一日の少しの時間だけ、こんなふうに甘えたいダッコは、ゴロゴロとのどを鳴らします。そしてしばらくしたら寝床に戻してやります。戻すとやはりここがいいというふうに目を閉じます。

猫は飼い主に似ると言います。彼女は孤独を愛し、人とは心から打ち解けず、それなのに時どき人恋しく、人を求めるけれど少しの時間だけでいい。ひとりの場所が恋しくなって、じきにひとりに戻っていく。なるほど私に似ています。似ているけれど、彼女ほど私は意思表示ができず、自己主張も周りをうかがいながらしかできない。だから私は書き言葉でだけ不特定多数に向けて自己主張や意思表示をするのかもしれません。

しかしどことなく似たもの同士、彼女を看取るのは私の役目です。今は穏やかな時間が流れています。介護には慣れました。気の抜き方も覚えました。いつか私が目覚めたときに、彼女の生が終わったことを知るかもしれない。その覚悟も出来ています。今は穏やか。今日は穏やか。悔いのない関わり方を。私の心身に最も過酷な時期は過ぎました。すべては無常、うつろいます。ゆるやかにうつろう時間を無心で彼女に接していくつもりです。

画像はベッドに腰掛ける私の膝にいるダッコ。右手だけで撮影。ダッコは何を考えているのだろう。

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2011年12月13日 (火)

ふぞろいの紅葉・落葉

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紅葉は広がってきた。この部分の色と形の変化を見るのが毎年の楽しみだ。今年は正方形にも長方形にもならない。
遅い速度で色づく木々は、今年の気候に惑わされたことに焦りも見せず、茶褐色の範囲をゆっくりと広げる。落葉樹は紅葉しなければ一年を終了することができない。だから遅れてもかならず葉は変色し、枯れ落ちる。そして来春の新緑まで力を蓄える。すでに葉を落とした木も見える。今年は思い思い不ぞろいで進行している。
( 晴れ時どき曇  デジイチの標準レンズでズーム  昨日撮影 )

裏庭から見て裏山を写すとかならず白く長い部分が棚田との境に写る。これは道ではなくイノシシよけのガード。このあたりにはイノシシもいれば、ウサギやタヌキもいる。こうして棚田を防御するのはいいことだ。まじかで獲り物は見たくない。この辺では春と秋に聞きたくない音がする。その強烈な銃の音は、あたりの静寂を突き破り、夜明けから夕暮まで鳴り響いてこだまする。耳を覆いたくなる音だ。

ここへ越してすぐに驚いたことがあった。イノシシ狩りやウサギ狩りが解禁になり、近隣に住む者は気をつけるようにという回覧板が廻ってきたのだ。その後、この山の中を歩いて抜けると農家や民家があり、立派なイノシシの皮が何頭も並べて干してあったのを見たときは驚愕そのものだった。その季節、回覧は毎年のように廻ってくる。

各地でイノシシを始めとする野に生きる動物たちが人里に下りてきて人家を襲い、人を襲う。そんなニュースが後を絶たない。撃たれて死に、運ばれていく動物の映像を見るたびに心が痛む。野性動物は、野に生きるのが難しい状況となり、生きるのにかれらも必死なのだ。

地球が人間の仕切る星であるかぎり、人間の立場でだけ動物をみて私たちは害獣と呼び獣害といって憤る。仕方のないことかもしれないが、懸命に生きる野性動物にもせめて憐れむ気持ちをもちたい。気候の変化と、さらに人間による乱開発がかれらの生きる場を浸食していることはまぎれもない事実なのだから。

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2011年12月 6日 (火)

左側裏山の紅葉

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これは私の庭から見て左側にある低い山の頂上です。(前回は右側に見える山でした)色づき始めた頃にデジイチ・ズームレンズ使用で撮りました。この山の上にも鉄塔があります。撮った日は曇っていました。したがって前回の記事のような色合いに写っていました。それをPicasa3であざやかに修整したものです。

Google提供のPicasaは無料でダウンロードできます。ちょっとした修整が簡単に出来て便利です。この画像の修整も‘I'feeling lucky’をクリックするだけで色彩があざやかになりました。私はこのPicasa3と画像サイズを縮小する無料ソフトDownsize Allを毎日のように使って重宝しています。

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これはその山をコンパクトデジカメで撮ったものです。紅葉は山のこの部分だけです。しかし毎年もっと正方形に近い形の範囲が色づきますが、今年はこのようになっています。写真では手前にうちの庭や、お隣さんの庭が写り、お孫さんのために電飾を取り付けているのも写ってしまいました。したがってPicasa3で切り抜きました。これも簡単にできます。こちらは晴天の日に写しました。棚田の中央が山側へ入り込んでいるため、写真が傾いて見えますね。右から撮っているからということもあるのでしょうか。それに右上がりに写してしまう私の癖もあるかも知れません。そういうときには‘傾き調整’もPicasa3で可能です。

ダッコは落ち着いています。ほとんど歩けないのは同じですが、穏やかに過ごしています。長く眠りそうな時はオムツを使用しています。オムツトレーニング中の子どものように、オムツが汚れたら鳴いて知らせます。ダッコの世話にも少しだけ余裕がでてきたかなと思います。左肩の痛みはひどくなってきていますが、自己リハビリを頑張ってみます。いつもありがとう。

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2011年12月 1日 (木)

色づく裏山

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裏山が色づいた。私の家の裏手には、人が登らない山々が連なっている。名もないような低い山だが、四季折々の豊かな表情を見せてくれる。ただ葉を枯らして色を変えているだけの木々だが私にはみごとに映る。

あざやかな色ではない。人が愛でる紅葉ではない。けれど私の生活の背景にいつもある低い山並。その律儀な色彩の変化にねぎらう気持ちが湧き起こる。葉を落とす木と落とさない木は共生し、ともに冬の季節を迎える準備をする。どの木も好きに生きているようで調和しているのだ。

曇の日、ズームレンズで撮影。晩秋に春霞のような空気の色になった。紗がかかった低い裏山は、どこかの名山のように見える。手前にわずか映る常緑樹は裏庭のすぐ下にある木々。ズームだと、向こうの山のテレビ搭まで見えた。あの山は冬には冠雪する。昨日、二階の窓から撮影。修整なし。今日は曇りのち雨。秋雨の音がする。

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