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2011年12月14日 (水)

ダッコ その後

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ダッコはその後、よく食べてよく眠り、危機から脱して安定しています。ただ、鳴く声は以前より弱々しくなり続きません。依然として立つことはできません。したがって人間のように横向きに寝ている状態です。食欲はあり、前に好んで食べていたモンプチの缶づめに変わりました。とろとろフードに飽きたのでしょうか。これは快復と理解していいのでしょう。

寝たきりになったダッコですが、ときどき抱っこしたり、画像のように膝に乗せてやると喜びます。視力も衰えているようですが、いつも何かを見ているように、こんな目をします。私しか居ないので、彼女には私が唯一の頼りになる存在です。一日の少しの時間だけ、こんなふうに甘えたいダッコは、ゴロゴロとのどを鳴らします。そしてしばらくしたら寝床に戻してやります。戻すとやはりここがいいというふうに目を閉じます。

猫は飼い主に似ると言います。彼女は孤独を愛し、人とは心から打ち解けず、それなのに時どき人恋しく、人を求めるけれど少しの時間だけでいい。ひとりの場所が恋しくなって、じきにひとりに戻っていく。なるほど私に似ています。似ているけれど、彼女ほど私は意思表示ができず、自己主張も周りをうかがいながらしかできない。だから私は書き言葉でだけ不特定多数に向けて自己主張や意思表示をするのかもしれません。

しかしどことなく似たもの同士、彼女を看取るのは私の役目です。今は穏やかな時間が流れています。介護には慣れました。気の抜き方も覚えました。いつか私が目覚めたときに、彼女の生が終わったことを知るかもしれない。その覚悟も出来ています。今は穏やか。今日は穏やか。悔いのない関わり方を。私の心身に最も過酷な時期は過ぎました。すべては無常、うつろいます。ゆるやかにうつろう時間を無心で彼女に接していくつもりです。

画像はベッドに腰掛ける私の膝にいるダッコ。右手だけで撮影。ダッコは何を考えているのだろう。

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