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2013年1月21日 (月)

ダッコの一周忌

昨年の今日、ダッコは逝っった。
24歳6ケ月という長寿をまっとうして召されていった。
その日も相撲中継を観ていた私は、よく眠るなぁと思って覗いてみると
すでに彼女は彼岸へ渡っていたのだ。

そばに居ながら気づかなったことをひどく悔やんだ。
前夜、大きな声で鳴いていたので元気だと安心していたからだ。
それは元気だったのではなく、懸命に訴えていた叫びだったのだ。
そのことに気づいてやれなかったことに自分を責めた。

いつダッコは逝ったのだろう。
同じ部屋に居て分からなかったので、何時頃のことかずっと気になっていた。
その答えが昨夜わかった。
昨夜、と言っても本日未明、こんなことが起こった。

私は録画していた映画をベッドから観ていた。
映画の中では感動的なシーンに入っていた。
その時、スタンドがひとりでに灯った。
突然にスタンドライトがついて明るくなったのだ。

えぇ? どうして? それはあり得ないことだった。

いつものように部屋の明かりはすべて消して私は映画を観ていた。
それなのに足元のベッドテーブルの上のスタンドライトが音もなく灯ったのだ。
反射的に私は掛け時計に目をやった。
午前三時。それはちょうど夜中の三時だった。

だっちゃんは夜中の三時に旅立っていったのか・・・。

昨年のその時間、私は起きていたのかどうかも記憶に無い。
しかし眠りの淵で、かすかに呻くような声を聞いた記憶があった。

電気スタンドは買って2年ほどのもので、特に故障したことは無い。
電球は変えて日が浅く、万が一機器の故障で消えはしても灯ることは無い。

だっちゃんかHiroshiかどっちかにきまってる。

不思議だったが、気づかせたいどちらかの仕業だと思うと笑みがこぼれた。
すごいテクを身につけているのは、いったいどっち?それとも共同作業?

去年もこの時期にはぜひとも発信したいことがあった。
しかしいくら訴えても無反応で空しいネット社会が再び嫌になっていた。
クサッていたのでダッコへの注意がおろそかになってしまったかもしれない。
Hiroshiともダッコとも別れ方に悔いを残し、詰めの甘い自分が情けなかった。

ダッコが逝ってから家の中で何かが音も無く動くことがある。
それは低い位置でのことで、黒い影がサッと走り去るのだ。
はじめは何だろう、気のせいかなと考えた。
毎日のようにそれは勢いよく走り去る。ふと、だっちゃんだと気づいた。

今日も私は相撲を観ていた。
胡坐をかいた膝の中にはだっちゃんが座っていた。
今もすぐ隣にいて暖かい電気マットの上で目を細めている。
私は毎日ダッコに話しかけ、ダッコは母親のように、子どものように聴いている。

そろそろ人間の遺骨と共に葬るか自然葬に出来る所を探しておかなければ。
発信などもうやめ、身近な生き物や身近な人々をより大切にしたいと思うこの頃だ。

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2008年の頃のだっちゃん。私の着古した衣類が大好きだった。
荒い気性だが、穏やかなだっちゃんを見ているのが私は好きだった。

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