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2016年12月31日 (土)

この一年ありがとうございました

猫好きの皆さん、この一年の御訪問ありがとうございました。
更新も少ないのに、熱心な猫好きさんたちに感謝いたします。

おそらく今もあなたは愛する猫さんと過ごしておられることでしょう。
私もはるかちゃんと過ごしています。はるかバァは眠っていますが。

ゆく年を送り、来る年を迎えましょう。
どうぞ佳き」年をお迎えください。

                            良&=^_^=
                                大つごもり

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2016年12月23日 (金)

ご訪問ありがとうございます

猫好きの皆さん、いつもご訪問ありがとうございます。
私は只今、体調不良で記事の更新ができません。
よくなりましたらまた書きます。ごめんなさい。
寒くなりました。暖かくしてお過ごしください。    良

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2016年12月10日 (土)

こうして庭猫は減り続けた No.3

庭の猫たちが減り続ける理由が判らず、皆様にもその話を聞いていただいていました。途中、家の中で猫の鳴き声がする不可思議な出来事が起こり、そのことについてお知らせする記事を間に挟んだため、加えて私の体調不良などで続きを書くのが遅くなりました。引き続き思い出しながら書いていきます。

トラ一族は庭で隆盛を極め、集団で穏やかで幸せな時間を過ごしたが、その日々はいつまでも続くものではなかった。ボスのトラ吉が死に場所をこの庭だと決め、ずいぶん久しぶりに帰ってきたが、彼の死後、一族の崩壊が急激に進んでしまった。息子の小太郎と、半飼い猫のJJが争いばかりする日々が続いていた。小太郎は去っていったかと思えば、また様子を見に来てJJと鉢合わせになって大げんかを始めることも度々あった。気の優しいJJだが、我が家の庭を一族に占領され、ボスのトラ吉には幼い時から悪さをされてきた手前、初めて完全に我が家と大好きな庭を完全掌握したのだから、おいそれ小太郎に譲ることはできなかった。もしも小太郎が平和的にJJと共存するならJJは彼を許容する度量はあったと思う。だが小太郎もトップに立ちたがったのだから、負けた方が去るしかなかったのだ。小太郎は去ってからしばらく現れず、もうどこか遠くに行ったのかと思っていたら、1年以上たってヒョッコリ現れた。それは血気盛んな若造ではなく、落ち着いた、風格のある飼い猫のような風貌に変わっていた。しかしJJと会うと喧嘩を吹っ掛けるのは変わり無かった。

庭のメスたちにも変化が起きた。ボスのトラ吉の女房のトラ子はすでに居なくなっていた。それにはこんな理由がある。トラ子は休む間もなく妊娠をくり返し、次々と子どもを産んでは子育てにいそしんだ。子育てが終わらないうちにまた妊娠し、だんだんと彼女はやつれていった。小トラや小春は子育てをよく手伝っていたが、ママのトラ子は本能からかオスを誘惑しては妊娠をくり返し、みずからの身体をいとうことなく子どもを産み続けた結果、著しく体力を失って行くように見えた。そのため私はトラ子に不妊手術を施すことにした。完全な野良猫の彼女はエサをねだってそばにきても私が撫でようとすると激しく怒り、「ハァーッ!」と威嚇しては私の手を引っ掻くしぐさをした。しかし彼女は手加減をし、私をhiひどく傷つけることは無かった。

苦労して彼女を捕まえて獣医さんに連れて行き、手術をお願いして預けてきた。それ以上妊娠をくり返すと早死にするのは間違いなかったからだ。翌日、迎えに行くと、獣医さんはいたくトラ子が可愛いようで、ふだんは無口な先生が「トラ子ちゃんは可愛いね」と声をかけておられるのに驚いた。トラ子は猫にだけでなく人間の、しかも猫をさんざん見てきた変わり者の獣医さんまでとりこにしていたのだ。帰途、車の中で私は彼女に話しかけた。「えらかったね。おうちに帰ろうね。みんな待ってるよ」と。彼女はおとなしく後ろの席でケージに入っていた。

家に着いて、皆が待つ庭にケージを急いで運んだ。あちこちさ迷っているいる亭主のトラ吉以外の一族は皆、庭に居てママの帰りを喜んでいるようだった。さぁ、とばかりに私はケージのドアを開けた。予想外の行動に私は唖然とした。トラ子は素早く出てくると、一目散に走り去って行ったのだ。そこが大好きな庭だと分かっている筈なのに、可愛い子どもたちが出迎えてくれたのに、全速力で走り去り、ガレージを抜けて外に出ると二度と帰ってこなかった。親しんだ庭、可愛い子どもたち。必ず毎朝毎晩エサの出てくるこの庭を惜しげも無く振り捨て、彼女はどこかへ行ってしまった。初めての恐ろしい経験に怖れをなしてしまったのかもしれない。手術を受けさせたことがそういう結果になるとは知らず、一抹悔いが残った。産み続けて私は困り果てては世話をし、彼女は弱りながらも猫としてそれが幸せだったのだろうかと考え続けた。

それからも子トラを中心に一族は団結し、ときどき帰ってくるパパを頂点に、この家の猫であるはるかちゃんとJJの親子といがみ合うことも無く、集団をまとめていた。子トラは偉いね。私はいつも彼女にそう言った。賢くて穏やかな性格の彼女は誉めると目を細めていた。その彼女も突如として居なくなってしまった。トラ子ママが居なくなり、パパのトラ吉が逝き、小太郎とJJが喧嘩ばかりするのが嫌になったのだろうか。こうして集団のボスやリーダーたちが去ったあと、残ったのは小トラの姉妹である小春、その妹のトラ美と姉妹でいちばん身体が小さかったトラ江の三匹となってしまった。この三匹は寄り添って寝起きし、私のエサを楽しみにし、毎日食べて庭に住み続けた。

オスばかりではなく、メスも居場所から去って行くことがある。去っていった猫たちに理由を尋ねたい。君たちはなぜその選択をしたのかと。
                                              (続く)

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2016年12月 6日 (火)

声の主の小太郎君

これが小太郎君です。あの鳴き声の主です。
声は三度目もありました。日曜日の午後1時です。家の中で小太郎がまた鳴きました。でも、どこにも居ませんでした。姿は無く、声だけ聞こえたのです。
Img_2810_512_2
↑この画像は2014年4月撮影。JJが逝って3ヶ月たった頃です。久々に訪れた小太郎は、もはやオスの匂いがどこにもしないのが判ったのか、ふらりとやって来てリラックス。よく太って食べものには困ってない様子でした。JJが居なくなって寂しかったので、小太郎の来訪はとても嬉しかったです。私にとっても姉の小春にとっても。それからはるかちゃんにとっても頼れるオスが居ることはうれしいことだと思いました。
やっと花でも植えようかと買ってきた苗の置いてあるそばで、うつらうつらの小太郎君。
可愛い。私はどちらかと言えば大きな猫が好きなので、まさにタイプの小太郎です。カメラにも身がまえず貫禄の猫。

Img_2811_512
↑そしてついには熟睡の小太郎君。可愛い。かわいい。あぁ、カワイイ。

君はもう天国へ行ったの?あの声は君だよね。君かパパのトラ吉の声だね。そう、パパかもしれない。そうすれば君はまだどこかで生きているということになるから。生きているならもう一度だけ庭に来てほしい。小春姉ちゃんは居ないけど、もう一度だけ会いたい。

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2016年12月 2日 (金)

猫のふしぎ<その2>

こんばんは。こちらへお越しの皆さんは、きっと猫好きの方々だと思います。このところの猫ブームなど何だろうと思ってしまいます。私など、ものごころついた時から猫と居ました。家には犬も猫も常に複数おり、食べては走っている可愛いリスや、やかましいほど喋っている九官鳥、とてつもなく大きなガマガエルたち、大きな金魚たちなどなど、いろいろな動物が居ましたが、やっぱり私は猫が一番でした。子どもの時から捨て猫を拾ってばかりいて、今まで何匹の猫たちと関わってきたのでしょう。父がよく言っていました。おまえがもし事故に遭っても、必ず猫たちが助けてくれると。そうかもしれません。

さて続きです。一昨日の朝、猫の鳴き声がして、JJだったのかなと嬉しくなったという所まで話しました。その翌日、朝の10時頃のことです。私は遅い朝食を摂り、カップや皿などを片付けていました。その時「ニャアオ!」と、また猫の声がしたのです。それは前日よりも鮮明で、近距離にいるような声でした。えっ?また…? 食卓テーブルの下で寝ていたはるかちゃんも急いで驚いて起き上がり、キョロキョロあたりを見て警戒していました。

庭へ出るガラス戸もガレージへ出るガラス戸も、まだ施錠したままです。庭を見ても何の姿も見えません。すぐに2階へ駆け上がり、確かめました。もちろん3室とも施錠された状態でした。階下へ戻るとはるかちゃんは私を見上げました。その時、閃いたのです。小太郎だ!その日の声は、あの小太郎の声と同じだと気付いたのです。パパのトラ吉ゆずりの少しハスキーでドスのきいた声は小太郎のものだと確信しました。彼の顔を思い浮かべて微笑みかけた時、私の顔は曇りました。そうか、おまえも往ったのか…。

小太郎は既に2年ほど姿を現していなかった。ガレージで若いトラ猫と激しい喧嘩をしたのを最後に来なくなった。あの時、小太郎は負けたのだろうか。その後も若いトラは来ていた事があったのだ。どの動物もそうであるように、オス猫も喧嘩に負けるとその場所を去る。それで来なくなったのではないかと心配していたのだ。慕っていた大好きな小春ねぇちゃんが居たのに来なくなって私も小春も寂しかったのだ。JJが逝ったあとに来た時、話しかけた。小太郎や、JJはもう居なくなってしまったよ。だから君にここのボスを任せたいよ。やってくれるかい?小太郎は何も言わず、御飯を食べると少し眠り、またどこかへ去っていった。

あれはその小太郎の声だったのだ。前日の声は独特な鳴き声のJJではないようにも思っていた。あれもきっと小太郎だったのだ。JJ君ばかり呼びかけてもらっていいな。彼とばかり交信していいな。僕にも話しかけて欲しいな。知ってるでしょ、僕が寂しがり屋の甘えん坊だって。だからこうして呼んでみたんだ。僕を待っても僕はもう、あの庭へは行けない。でもまだ僕を待っててくれてるから、どうやって知らせようかと考えたんだ。そして判った。思いを込めて、うんと大きな声で、ここから下に向かって、あの庭に向かって鳴けば僕の声が届くんじゃないかって。そしたら本当に届いたから、僕だってとってもビックリだよ。そしてうれしいよ。これからは僕も此処に居るから声をかけてくれたらうれしい。寂しくなくなるよ。

小太郎の気持が頭の上から滝のように注がれてきた。生まれたての可愛かった姿や、少年の頃、おとなになった時、そして立派になって帰ってきたこと…。次々に小太郎の思い出があふれ出てきた。「小太郎!コタちゃん!君だったんやね」私は大きな声で語りかけた。そうだよね。最初に物置の屋根から二階のバルコニーに跳び移って家の中に入るのをやってのけたのは君だったね。二階で鳴いて驚いて私が駆け上がった時、君は叱られると思って脅えていたね。

懐かしい思い出がほとばしる。ノラに生まれた猫たちと、生きている時間を分かち合った年月は私の宝物だ。気付いてほしいとそれを伝えてくることが出来る猫、あるいは伝えて来ない猫たちもいる。もっともっと呼びかけ続けよう。人も猫もすべての生きものも、皆、死んでゆく。それら往った者たちが甦るのは、唯一生きている者が呼びかけ、思い出し、共に過ごした時間に思いを馳せることなのだから。数百匹の猫たちとも思い出だけで私はじゅうぶん生きられる。死ぬまで猫たちと暮らしていける。もう世話が出来なくなっても思い出の中で可愛い猫たちと生きていけるのだ。なんという幸せ。

また目がうるんでしまいました。今日は猫たちの思い出に浸ります。
あなたは信じてくださいますか?この2日間のふしぎな出来事を。

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2016年12月 1日 (木)

猫のふしぎ<その1>

こんばんは。続けて書くつもりが間があいてしまいました。続きを書きたいのですが、今日はぜひとも猫好きの皆さんに聞いていただきたいことがあります。聞いてください。

昨日のことです。朝の七時半頃のことでした。目覚めてはいたものの、すぐに身体が動かない私は30分~1時間ほど寝床に居ます。きもうのその様にしていたところ、突然、猫の鳴き声がしたのです。何? と考えました。だって猫はいま、老猫のはるかちゃんしか居ないのです。しかも彼女は鳴かない猫で、ニャっとかギャッという短い声しか発することがない猫です。20年間、猫らしい声を聞いたことがないのでした。それなのにハッキリした声が聞こえたのです。まるで家の中に居る猫が鳴いたような鳴き声が…。

急いで飛び起き、まずはるかちゃんが寝ている台所の寝床へ行きました。はるかちゃんもその声で起きたのか、丸まっていた状態から首を上げ、耳を澄まして目を見開いていたのです。それは明らかに警戒している目で、ノラさんか他の家の猫でも知らぬ間に家の中へ入っているのかと、あちこち探しているようでした。しかし、どこにも猫らしき姿はありません。もしや二階に居るのかと私は階段を駆け上がり、各部屋を探しましたがどこにも居ません。もちろんどこの部屋のガラス戸も鍵がかかっていました。

階下へ戻り、ガラス越しに庭を見渡しましたが誰も居ません。ガレージの方から猫がよく来るのでそちらも探しましたが居ません。ノラさんが来て鳴いた時は、こちらの姿が見えたら警戒しますが、鳴いてすぐに姿を消すことはありません。それに鮮明な鳴き声は、外ではなく家の中で鳴いた声そのものでした。もう探すところが無いほど探しても猫の姿は見当たらず、探すのを辞めました。はるかちゃんも私が探す様子を身守りつつ警戒していましたが、居ないと判ると庭へ出て行きました。自分で確かめたかったのかもしれません。ひととおり巡回してすぐにはるかちゃんは戻ってきました。

あの鳴き声は、いったい何だったのだろう。長い間、オス猫は誰も来ていなかったけれど、誰か来て鳴いたのだろうか…。そう考えようとした時、ふと気付きました。JJかもしれない…。なぜならJJは、これまで何度もふしぎなことをやってのけ、「僕だよ」と私に伝えて来ていたのです。そうかJJか。とたんに私は嬉しくなり、こんなこともできるようになったのかと彼の能力の高さに驚きました。でも特徴のある彼の声とは少し違っているようにも思いました。でもやはり彼だとも思いました。それで私は天井を仰いで呼びかけました。「JJ、居るの?来てるの?来てくれてありがとう」声はもうしませんでした。私は心の中がほんわかと温かくなり、朝から今日はいいことがあったと微笑んでいました。
ところが翌日、つまり今日の朝にもまた猫の鳴き声がしたのです。  (つづく)

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