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2017年1月31日 (火)

裏庭工事と桜の移設<その1>

こんばんは。今夜も遅くなりました。
私もネコ属ネコ科の生きものなのか、夜の方が元気です。膠原病をもつ者は朝がきつく、身体が動きません。朝食後、ステロイド剤を飲んでそれが効いてくるまで、まともに動けません。しかし日によってはすぐに動きだせる時もあります。そんな日は体調がとてもいいことが判ります。今は比較的いい方です。とりわけ夕方くらいから調子がよくなり、夜更けまでゴソゴソ片付けたりしています。

きのうの続きですね。その前にお詫びです。
私はこうしてつらつらと喋っていると元気だと思われるようですが、そうでもありません。発病から20年を過ぎ、不自由なことがずいぶん増えてきました。ブログの更新も滞りがちなのも、私の進行してきた症状がその理由です。パソコンに関しては目が長く使えないこと、キーを打つのに困るのは、冬季に悩まされる手指の症状です。いま私の手指は腫れています。あまりに腫れて、きのうはコブシを握ることが出来ませんでした。今日は腫れは少しひきましたが、第2関節から先は力が入らないことは冬の間じゅう続きます。それぞれの指に力が入らず、一番力が入れやすい中指だけで打っています。したがって私の眼はキーボードを見つめる時間が長くなります。両手とも中指だけで打つ為に、ただでさえ間違いがよくあるのに、年々文字の間違いがふえてきました。長く打つと目も指も疲れるので急いでアプロード。翌日に読み直すと間違いだらけ。そんなことがよくあります。申し訳ありません。今日も中指君たちだけで頑張って打ちます。あとの指はもう眠っているようです。

なぜ桜の木を移設し、その横に埋めた2匹の猫たちの遺骨をいったん回収したのかについてのお話しをします。さかのぼること10年、2007年のことでした。ガレージをもう1台分ふやすことになりました。同時に庭の向こう側にあったノリ面の防犯工事をすることにしました。家屋の裏は小さな山々が連なり、そのふもとには田んぼや畑が段々になってあります。住宅街の端にあるので眺めはよく、借景は抜群の立地なのですが、ただひとつ防犯上の不安がありました。この住宅地は造成時に強健な土台で固めて高さを揃えていますが、その下方に遊歩道があります。その遊歩道からノリ面を登ると庭まで登れることから、入居当時より心配でした。そこで考えたのはガレージ工事で掘る瓦礫や土砂をノリ面に運び入れ、遊歩道からは登れないように塀を建てるということでした。その工事を請け負ってくださったのが今もお世話になっている庭の業者さんです。夫が急逝して3年ばかり経った頃のことでした。

出来上がった塀は3メートルほどの高さがあり、ノリ面は傾斜のない平らな土地になりました。瓦礫の上に正土を敷いてくださったので、サツマイモを植えて収穫したり楽しみました。10年前はまだ元気でそんなこともしていました。ホームセンターで桜の苗木を買ってきて植えたのもその頃です。家を持ったら植えたい木がいくつかあり、桜もそのひとつでした。880円の細い苗木が果たして咲くようになるのだろうか。そんなふうに思いつつ、咲いて欲しいと願って植えました。最初の数年は花が付きませんでしたが、初めて小さな花を付けた時には喜びのあまり写真を何枚も撮りました。一方、徐々に進む症状に体力が衰え、夏場の水やりが大変になりサツマイ作りは程なく辞めました。裏庭は若い桜が1本あるだけの雑草の花々がみごとな野原になりました。桜を植えて4年後の2010年秋、トラ吉を桜のすぐそばに埋め、お墓を造ったのでした。

目と指がきつくなってきました。今日はこの辺で置きます。
昨日の暖かさは何処へ行ったのでしょう。また寒くなりましたね。
続きはまたあした。暖かくしておやすみください。      良 

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2017年1月30日 (月)

交通事故死したシャム吉のこと

こんばんは。今日は最高気温が14度ということで暖かい日でした。今の室温は10度。これだけあれば私は暖房が必要ありません。オイルヒーターをつけた日でも、何故か10度以上は室温が上がりません。鉄筋とはいえ古いので、見た目と違って何処からも隙間風が入ってくるので上がらないのです。もちろんカーテンや隙間テープで対策はいろいろ講じていますが何故か10度止まりです。昔の住宅は気密性が低く、それがいちばんの欠点です。

さて、昨日の話で補足があります。シャム吉君のことです。
ある夜、車での帰途いつもの道路が渋滞しています。ふだんは渋滞など無い場所なので不思議に思いました。前方を見ると前の車はみな何故か右側へ大きくハンドルを切って何かを避けているようでした。私の車がその場所まで進んだ時に判明しました。道路の真ん中に大きな猫が横たわっており、それを避けるように車がそのような動きをしていたのです。私はとっさに判断し、20mほど先にあるケーキ屋さんの駐車場に車を停めようと考えました。まだ生きているかもしれない。そう思ったのです。

車を停めると何か包む物は無いかとトランクを探しましたが何もありませんでした。仕方なく急いで猫の居る所へ戻りました。そこは信号のある横断歩道の手前でした。相変わらず横たわる猫をよけてノロノロ動く車の列に、赤に変わるまで待てない私は手を上げて道路へ進み出ると、近づいてきた車に頭を下げました。すると車は止まってくれました。郵便局の車でした。私は膝をついてしゃがむと猫を抱きあげました。可哀想に…。目が飛び出していました。出血は特に見られませんでしたが、すでに呼吸はありませんでした。

大きなシャム猫を抱きあげると止まってくれた車にまた頭を下げて駐車場に急いで戻っていきました。人々が横眼で見ながら通り過ぎる中を私は小走りで戻りました。トランクに乗せ、水銀灯の灯りで猫をよく見ました。もう死んでいる…。おなかも動いておらず、口からも鼻からも息は感じられませんでした。口からは、わずかな出血がありました。すでにあたりは暗くなっていました。この猫はどれくらい前に撥ねられたのだろう。今すぐにどこかの医院に連れていくべきだろうか。いろいろなことが頭をめぐりました。しかし、どう見てもすでに手遅れのように見えました。迷った末に私は家に向かいました。

家の中に連れて入り、明るい所でじっくり見ると、やっぱりもう完全に息絶えていました。可哀想に、可哀想に。猫が飛び出して避けられずに撥ねてしまったとしても、どうしてそのまま走り去って行くのだろう。撥ねた人間に激しい怒りが込み上げてきました。その猫は可愛がられていたのでしょう。青い首輪をし、まるまると太っていました。事故に遭わなければまだまだ元気でいたと思われる立派な猫でした。シャムの雑種か血統書付きのシャム猫かもしれません。きっと大事にされていたのでしょう。可哀想に。

私は飼い主さんのことを思いました。可愛がっていた猫が帰って来なければ心配だろう、夜も眠れないくらい心配だろうと案じました。かと言って私の自宅からは離れた所で事故に遭ったその猫の飼い主を見つけることは至難の技だと思われました。そんなことを考えているうちに猫の身体が冷たくなってきました。私は猫を箱に納め、猫の好きなものと花や線香を入れて般若心経を詠みました。知らない家に来てしまったね。ごめんね。でも君はもう苦しみから解放されたよね。明日、トラ吉君の隣に埋めてあげるからね。口元の血を拭き、そう言って箱の蓋を閉めました。そして翌日、彼をシャム吉と名付けてトラ吉の隣に埋めました。

昨日、二匹の骨が出てきたとのことでしたが、そのまましっかり残っていたトラ吉とは違い、シャム吉の方はバラバラで形が無くなっていたと聞きました。おもに室内飼いの猫だったのかもしれないし、年齢もいっていたのかもしれません。大地を逞しく歩き、闘い続けて生きてきた猫とは骨格も筋肉も異なるかもしれません。トラ吉はノラの一生を謳歌して12歳で逝きました。その猫はどんな暮らしをしていたのだろうと思いを巡らせました。

.彼が事故に遭った日は確か春先で、そろそろオス猫たちがメスを求める時期でした。そういう時はふだんはおとなしい猫たちも本能のままに外へ出て道路へ飛び出してしまい、事故に遭ってしまう猫も多いと聞きます。外に慣れていない猫ならば、危険度はさらに増します。それにしても撥ねておいてそのままとは赦しがたいことです。いえ、人間ですら轢き逃げ事件があとを絶ちません。道徳心のない人間がふえて困った世の中になりました。

不思議な縁で結ばれた二匹のオス猫たち。今朝も彼らに声をかけました。今夜も『おやすみ』を言いましょう。もしや飼い主さんはまだこの子を待っているのではないかとふと考えました。大丈夫ですよ。強くて優しいトラ吉と一緒に居ますよ。それに召された猫たちはすでに天国でまたイキイキと動き回っていますよ。遊んだり、日向ぼっこをしたり、メス争いもしているかもしれません。大丈夫です。そこは猫の世界で車なんかありません。猫たちの極楽浄土です。シャム吉君を送る役目を担った不思議な縁を、私は生涯忘れることはありません。君を抱いて走った時のあの重みとともに忘れないからね、シャム吉くん。

なぜそんなに可愛い子たちが眠るお墓を動かさなければならなかったかについては明日、お話しいたします。桜にしろ猫たちのお墓にしろ、やむにやまれぬ事情での決断です。それでは皆さん、おやすみなさい。また冷えますよ。暖かくしておやすみください。 良

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2017年1月29日 (日)

桜の木と、2匹の猫の遺骨

夜分遅くなりました。ごめんなさい。
今日は予定を変更し、トラ吉の話をします。先ほどまで彼の思い出に浸っていました。こんなことがありました。
今、右近庵と呼んでいるこの住居の裏庭の工事をしているところです。そのため裏庭の土を掘って大量に運び出す作業をして頂いています。いつも庭のメンテに来て下さる業者さんです。訳あって樹齢10歳になろうとしている桜の木も昨年の12月末に裏庭から庭へ移設して頂きました。移設後に桜の木があった場所を見ると、驚くほど太い根っこが方々に伸び、そこから更に何本もの根が縦横に走っていました。その桜はホームセンターで買った880円の苗を植えたものです。年々大きくなって花もたくさん付けるようになり、枝を広げて立派な木に成長していました。やむにやまれぬ事情で移設をおこない、今はわずかな細い枝だけ残してじっと休眠しています。春になって新芽が必ず出てくれると信じて待っているところです。

その桜の木の根元にこのあたりのボスであり、この庭を治めていたトラ吉を私は埋葬しました。花のそばが嬉しいだろうと思い、2010年10月に逝ったトラ吉を、植えて3年の若く細い桜の木のそばに穴を掘って埋めたのです。そこだと分かるようにレンガで囲った簡素なお墓を造ってやりました。それからは裏庭に行くたび「トラ吉、元気?」と声をかけていました。そのお墓のある場所も土を出さなければならなくなり、業者さんには猫の骨があるので、出来るだけ全部を取っておいて下さいと頼みました。そして今日、業者さんから聞きました。骨はありました、しっかりした骨ですよ、とりあえず工事が終わるまで器に土ごと入れて入れておきました、と報告がありました。

埋めて7年の月日が経っていました。それでもトラ吉の骨はしっかりしたもので、頭蓋骨はそのままあったということです。それを聞いて私は何とも言えない嬉しさに胸が熱くなりました。さすがトラ吉だ、このあたりのボスだった強い猫である彼は、土の中でも逞しく、崩れることなく眠っていたのです。業者さんはさらに付け加えました。背骨の所に桜の根が貫通していたんですよ、と。それを聞いた途端、やっぱりかと私は思いました。トラ吉を埋めてから、桜の幼木は急成長して春が来るたび花の数を目覚ましい勢いで増やしていきました。これはきっとトラ吉が咲かせているに違いない。私はそう思っていたのです。

今、仮に器に入れていただいたトラ吉の遺骨が土と共にそばにあります。実はその中に彼の骨だけではなく、もう1匹の猫の遺骨も混じっています。その猫はトラ吉を埋めた後、車に跳ねられて即死状態だった大きな猫を連れ帰って埋めた「シャム吉」君の骨です。その子はきっと飼い猫で、首輪をしたシャムが混じった雑種(あるいは血統書付きのシャム)猫でした。トラ吉のすぐ隣に穴を掘って眠らせてあげたという縁の猫です。事故に遭って可哀想に。当時、飼い主さんは探しているだろうなと心を痛めました。抱いた時はまだ温かかったけれど、もう息をしていませんでした。片目が飛び出し、即死の状態でした。連れ帰ってしばらくすると死後硬直が始まりました。その猫を隣に埋める時、掘りながら私は喋っていました。トラ吉君、新入りのシャム吉君だよ、仲良くしてあげてねと。ガッテンだ。任せておけよ。とトラ吉は答えました。2匹の大きなオス猫たちが咲かせるきれいな桜の花を、毎春、私は懸命にカメラに収めました。

裏庭の工事が終わったら、またどこかにお墓を造ってやるつもりです。出会うはずも無かった2匹の立派なオス猫たちを一緒に合祀してあげたいと思います。これらの猫のこともこのブログのどこかに書いています。また、2011年10月下旬にはトラ吉の一周忌と題してシリーズで文章を書きました。今日、その部分を読んでいると当時のことがなつかしく思い出されました。
このブログは猫たちと植物たちの記録を目的に作成を始めましたが、いくつか運営してきたブログの中で私が一番好きなブログです。大好きな猫と花だけを語る場だからでしょう。お客様の数は併設のブログには及ばない少数の皆さんですが、私自身が最も穏やかに、安らぎを感じながら心地よく書いているブログです。いつもご訪問ありがとうございます。皆さんのお顔は分からないけれど、あなたに語りかけているつもりです。

トラ吉の臨終は2010年10月です。一周忌の2011年10月下旬にさかのぼってもご覧いただけます。トラトラfamily華々しき頃の画像も掲載しています。宜しかったらご覧ください。それでは今夜はこの辺で。おやすみなさい。 良

☆トラ吉一周忌の記録(シリーズ)  シリーズは<No.1~6>に付き<1>からお読みください。

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2017年1月28日 (土)

ひなたで眠る幸せ

関西では、ここ2日間、太陽が射して昼間は暖かい日でした。
猫は太陽が大好きです。はるかちゃんは庭でお昼寝。サビ猫は外では保護色。白黒のJJは何処に居るかすぐに判ったけれど、はるかちゃんは探すのにひと苦労。特に冬枯れ色の庭では特に見つけにくいです。そのうえ太陽の動きに合わせて何度か移動しながら陽射しを楽しむので、さらに発見が困難です。今日は午前から庭の業者さんが来たので早々に家の中に入ってきました。これはきのう撮影の画像です。冬の日だまりでネンネのはるかちゃんです。

猫は自分が幸せだとか不幸だとか考えないけれど、お日様のもと眠ることは間違いなく幸せ。どんな境遇の猫も間違いなく幸せ。どんな動物もきっと幸せ。お日様は平等に生きものを照らして暖かくしてくれる。もちろん人間という生きものも。

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いくつかの話が途中になっています。私の体調もよくなってきたので、また書きます。覚えているのはダッコがなぜ王様か、私がなぜJJを特別に愛したのか、庭の猫たちはなぜメスまで居なくなっていったのか、この三つです。今日はこれで置きます。明日、また出てきます。いつもご訪問ありがとう。それではこれで。 良

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2017年1月22日 (日)

「J.J」の命日

今日は愛するJ.Jの命日です。2014年の今日、彼は逝きました。3年が経ちました。
お気づきのように、だっことJJの命日は1日違いです。だっこは2012年、その2年後にJJが天国へ行ったのです。
私はまだ喪失の哀しみから立ち直っていません。おそらく私が逝くまで立ち直ることはないのでしょう。猫たちのアルバム作りをしなければと思いながら、写真を見ると辛くなってまだ出来ません。

JJ、今日は君とママの画像を掲載するよ。
ママはいつだって遊びたくて君に跳びかかっていたね。
優しい君はむげに嫌がらず、しばらく相手をしてあげてた。
そのあと、ピョ~ンと跳んで、どこかへ逃げて行ったね。
君よりママの方が子どもだった。

2009年撮影。君は7歳。ママは13歳の時の姿。可愛いね。
この時も君は無理やり遊びに付き合わされている様子だった。

ママは今、20歳。元気だよ。まるまるしてる。毎日一緒に寝てると言ったら妬けるかな。
だから君をくるんでいたバスタオルや敷きパッドもくるくる丸めて一緒に布団の中だよ。
君はほんとにハンサムだね。ママもなかなか可愛いね。ずっと一緒に居るからね。

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2017年1月21日 (土)

「だっこ」の命日

今日は24歳で逝った‘だっこ様’の命日です。彼女が逝って5年になりました。
彼女を拾ったのは、当時住んでいたマンションの隣にあった竹林に置かれた灯油の一斗缶。その中に小さな小さな彼女はひとり居ました。マンションと竹林の前に中学校があり、仔猫の彼女は女子中学生たちによって、安全な場所に置かれ、ミルクなど貰っていたようです。それを見つけたマンションの管理人さんが、子どもを連れて帰宅した私に話しかけました。
「こんなん居りますねん」
首根っこをつままれた彼女はみるからに貧相でした。あまりに小さく、栄養失調のためか毛はあちこち禿げていました。見えているのかいないのか、くりくりとした濃いグレーの目をした仔猫は私の掌に乗るほどの小ささでした。
「連れて帰ります」
私は管理人さんにそう言いました。彼は私がたびたび迷い犬や捨て猫たちを見つけてはそっと連れ帰っていたのを彼は知っていたのです。マンションではペット禁止が規則でした。心優しい管理人さんは、そっとおしえてくれたのです。

連れ帰った仔猫はマンションのLDKに少し驚きました。ここは何処だろうと不安になったのか、早くも私を頼りました。仔猫用の食べものを与え、ミルクを飲ませると、スリッパの中に入って眠ってしまいました。それからしばらくはスリッパが彼女の寝どこになりました。1988年9月のことでした。中学校では2学期が始まったばかりでした。女子中学生たちが石油の空き缶に隠さなかったら、野良犬の餌食か車に轢かれていたかのしれません。様子を見に来た中学生に無事だからと伝え、世話をして飼い主を見つけるからと伝えると、安心したように戻って行きました。それが24年5ヶ月もの年月を、手を焼きながら共に過ごすことになるとは思いもよりませんでした。もちろんこの貧相な可愛い仔猫が、希有の凶暴さを持った生きものであるということも全く気付きもせずに。

今日は当時の携帯で撮ったなつかしい画像をご紹介します。後方にあるのはお気に入りのハウス。段ボール箱に敷き物を入れ、上から膝掛けですっぽり覆ってやると大そう気に入っていた。猫は隠れた所から様子を窺がうのが大好き。意外にもリボンや首輪が好きでした。可愛いと人間に言われるのが好きだったようです。手前の敷きパッドは、当時、布団を敷いて寝ていた病弱系飼い主の寝床です。

晩年は老いとの壮絶な闘いでした。やせ細ってなお食べようとしました。亡くなる2日前まで旺盛にフードを舐めました。もっともっと尽くせばよかったと今でも悔やんでいます。寝たきりになっても噛みついて、世話をする私を困らせたけれど、もっともっと抱いていてあげればよかった。人間を含めても、彼女が私を一番愛した生きものだったと分かっていたのに…。

今日は相撲を観ながらずっと骨箱を抱いていました。語りかけながら。
猫通も唸ったあなたの筋金入りの気性の激しさは、私の猫生活で唯一無二の存在です。カミソリだっこ。家族でそう呼んでいたあなたの付けた腕の傷を今でも時々眺めてはあなたを懐かしんでいます。ありがとう、だっちゃん。あなたに頑張ること、生きる執念を教えてもらいました。ずっと一緒に居るからね。時々床で音を出しているよね。そばで遊んで居るよね。

2008年9月に撮影。ダッコ様、超絶ノラの女王様、20歳の時の美貌です。スキのない、不遜な眼差しを見てやってください。なぜ彼女が女王様なのかは、いずれまた。
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2017年1月13日 (金)

終末期の猫に悩む皆さんへ

暮れから年始にかけて頑張りすぎたのと、風邪までひいてしまったのとで不調が続いていました。ようやく快方に向かっています。ご訪問ありがとうございます。

このブログで一番アクセスが多いのは「老猫の終末期対処法に悩む」と「飼い主はまだあきらめない」というページです。これは文字通り、2012年に24歳5ヶ月で往ったダッコという猫の最期の対処法に悩んでいた頃に書いた記事です。多くの猫を飼う皆さんも、いずれは直面することになるかもしれないことですね。しかし私の場合、ダッコは稀にみる野生の強い、気性の荒い三毛猫の雑種で、20歳を過ぎてからも腎機能を誉められるような猫でした。したがって単なる老衰ということになります。どこかが悪いと病院の世話になったことがまるで無いのでした。一方、思い出してもつらい最愛の猫JJは、気付いた時にはすでに重い腎不全という衝撃の事実に直面し、目の前が真っ暗になりました。その後の約二年間、病院や家での点滴を嫌がる彼に、どうやって輸液を施すかなど苦悶の日々でした。手を焼いて悲しむ私に彼は下手な点滴をしやすいポーズをとってくれ、よく我慢してくれました。いま思い出しても泣きそうになります。

ただ多くの皆さんとは異なり、私は猫をペットと認識しておらず、縁あって共に住んでいる愛らしい仲間と捉えてきました。したがって多くの猫と関わってきましたが、マンションがスタートだったダッコを除いて皆、いわゆる自由猫です。ゆえに行動の制限はしたことがなく、外へ行くも自由、帰って眠るも自由という関わり方です。室内飼いがあたりまえの時代に、昔ながらの自由飼いで猫たちと関われることは環境のおかげです。というよりも、そんなことがしたいから、それが可能な此処へ引っ越してきました。ですからすべては基本的にネコ属の生態に沿った生き方をさせたいというのが縁あった猫たちと関わる上での私のポリシーです。特に猫という生きものは「自由」を好むので、そのスタイルを貫きました。

そんな猫たちとの暮らしも私自身が進行性の難病に指定された病気を持っている為、年々その症状がきつくなり、猫の世話も困難な時がふえてきました。加えて年齢的なこともあります。私はすでにシニアです。そういった状況から、もう猫は増やさず、今もそばに居るJJのママのはるかちゃん(20歳)を最後に、猫との共存を終了したいと考えています。はるかちゃんの為にも仔猫をもう一匹と何度も考えましたが、猫を残して私が先に他界する訳にはいきません。それで苦渋の決断をしました。

ノラの母親にカルガモのように連なって歩いて庭を横切った仔猫4匹のうちの一匹だった小さなはるかちゃんは、最初にこの家に居ついた猫で、最後まで私と共に居てくれる猫となりました。生粋のノラ娘の彼女が終末期になって、人為的な医療行為を嫌うだろうということは明らかです。丈夫な子なので今まで病院の世話にもならずにきた猫でもあり、なおのこと病気になってからの病院は負担だと考えます。ですからこの子は今から身体にいいフードを食べさせ、肥満には気を付け、ダッコのように元気で老衰期に入っていけるよう仕向けたいと思っています。老衰なら病院へはかからず、元ノラらしく、彼女が大好きな庭や家の中の居場所で、共に終末期を過ごして彼女の望む場所で看取ってやるつもりです。逝けば愛息と同じ墓所に埋めてやります。まだとても元気ですが、過去の反省から、この最後の猫には私がうろたえず、悲しむよりも余裕を持って、残された日々を穏やかに一緒に過ごそうと決めています。

皆さんが愛する猫さんたちの終末期に悩まれることは充分にお察し致します。終末期はその猫によりさまざまな状態があります。ダッコのように老衰からの大往生ばかりではないでしょう。JJのように次第に悪くなっていくこともおつらいと思います。それぞれの猫ちゃんが最も望むだろうことを飼い主さんは考え抜いて、迷わずそれを貫いて下さい。決して人間の傲慢で、徒に生きることを長くすることは避けてあげてください。血液検査の結果に一喜一憂するのは理解しますが、どう送りたいかを飼い主さんが先に決め、自信を持って終末期を共に穏やかに迎えて超えられますよう私も祈念しています。

私が過去に書いた記事が参考になるかどうか判りませんが、もし宜しければ、お集まりの皆さんで自由にコメント欄でのやり取りをなさってはどうですか?お気づきかどうか、当ブログではすでにコメント欄は「受け付ける」に設定しています。悩める皆さんはもちろん、私の書いたことへのコメントもどうぞご自由に。確認してからの公開となりますが、猫好きの皆さんがご自由に書いていただければと思います。終末期や病気に関することは、私の知識の範囲でお答えも致します。コメントを下さった皆さんとは、メールでのやり取りも可能です。

そのページがあまりに閲覧されるので、ひとこと書き添えておきました。
終末期。おつらいですね。心からお察し致します。

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