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2019年7月31日 (水)

逝ったあとに伝える猫たち

皆さん、こんばんは。今日もまだ29.2度あります。暑いですね。
昨夜、ブログを書き終える直前に音がしたことを書きました。それは過去の猫たちの時にも起きた現象で、私にすれば少しも不思議なことではないのです。今夜もたった今、起きました。パソコンを床に座ってミニテーブルで打っています。するとつい先ほど、右前方で動きが見えました。テレビのリモコンが持ち運びできるジッパー付きのCDケースからいきなり落ちたのです。あ、はるかちゃんだ!また私は喜びました。

その場所は彼女が私のベッドへ上がる際にジャンプをするための足場になる所でした。モノを置いていればその上にあがってジャンプし、ベッドへ上がってくるのでした。ベッドの足元のその場所に置いていたCDケース。その上に置いていたテレビのリモコン。落ちるはずのない状況で起きたので、また私は猫がもつ不思議な力を見せられました。

検索してみると、おなじく不思議なことが起きたという人たちが沢山いました。カリカリを食べている音が聞こえてきた、眠っていたら何か軟らかいものが顔を横切ったなど、様々です。過去の猫たちも何度も音で伝えてきました。何か黒い影が床をサッと横切るのが見えたことも何度かありました。これと同じ経験を私の娘もしています。それが愛猫だと分かったとたん、とても嬉しくなるのです。来てくれたんだと喜びます。今のリモコンが落ちたのも、はるかちゃんがその力を持っていたということなので嬉しいことです。今、お骨は私の枕の横に置いてあります。彼女はまたパソコン?私は先に寝ますよとサッサとベッドに上がったのでしょうね。

こんな話、あなたは信じますか?経験したことが無ければ無理かもしれませんね。音や何かが落ちるなどした時は猫だ!と思ってすぐに名前を呼びます。今日は間違いなくはるかちゃんなので、「はるかちゃん、来てくれてありがとう」と言いました。もうすぐ寝るよ。一緒に寝ようね。それでは皆さん、おやすみなさい。  良

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2019年7月30日 (火)

ペットロス 私の場合

こんばんは、皆さん。
暑いですね。深夜でも室内は29.5度あります。私は空調が苦手なので使いません。昼間の事を思えば風も入っていくぶん涼しいです。夜なのに蝉たちも鳴いています。(羽を震わせています) 

ペットロスについて考え続けています。多かれ少なかれ間違いなくその症状は現れると分かっていました。送って後、忙しくあれこれ動いていたのも、ペットロス協会の吉田先生が言うところの「過活動に置き換えて悲しむ作業を怠っている」のかもしれません。それらの雑事が一段落すると、じわじわと来たかなと感じます。それらは亡くなって直後の十日間の強い悲しさ辛さとは少し違っています。悲しみのあまり何も出来ないわけではなく、家事もすれば音楽も聴きます。旧宅の庭に住んでいる猫にもご飯を与えに毎日行きます。でも、空しいのです。語り掛ける相手が居なくなってしまったからです。

日本ペットロス協会のサイトを訪れ、掲載された文を読んでいます。さまざまな項目があって参考になります。その中の「ペットロス、ペット依存度診断テスト」という項目ををやってみたところ、私はどちらも重症と出ました。それはただ悲しみが大きいというだけではなく、私のこれまでのライフスタイルと深い関係があります。独居であること、人に自分の心を打ち明ける方ではないこと、悲しい時に聴いてくれる人を持たないことや、人間との関りよりも猫たちとのそれの方が私にはよほど心地よいものであったため、人付き合いを怠ってきたということなどがあります。植物と猫。それだけでじゅうぶんに幸せを感じて私は長く暮らしてきました。ものを書いていた時期もあり、それを邪魔しない植物と猫は私のベストパートナーでした。人との厄介な付き合いが無くても猫と植物が私に与えてくれる力や喜びで幸せに生きていました。

ところが最後の猫がとうとう居なくなり、植物もマンション暮らしでは旧宅の広めの庭で得るほどの喜びを得られないことなども関係し、私は今、すっかり元気を失くしてしまっています。したがって私の場合は猫を失った悲しみと、隣家の迷惑行為で家を捨てたため、猫と植物という大きな生きる張り合いがなくなったことによるものであることを理解しています。そこへ急激な暑さもあって気力・体力共に下降気味です。無理は禁物ですね。無気力です。一日に何度も「いま私は何をすればいいのだろう」とボンヤリ考えます。

このブログへお越しの皆さんの中にも、大事な猫さんや犬さんを送ったことがある方々が居られると思います。あるいは闘病中の猫さん犬さんを看病している方々も、いつかはという気持ちを意識して看護や介護をしておられるかもしれません。私も近々送ることになるとは分かっていましたが、いざ失うと寂しいものです。22歳まで頑張って生きた愛猫には召された年齢に不足はないかもしれません。マンションに共に寝起きした最後の5ヶ月間、それよりもうんと長い旧宅での21年半の思い出がほとばしり出て、失った今、いかに私が猫に助けられて(依存して)生きてきたのかを思い知ります。したがって私の場合、はるかちゃんを亡くしたことだけではなく、これまでとガラリと変わってしまう生活に戸惑いや不安、寂しさを感じていることもあるのだと思います。

あ、今、はるかちゃんが来ましたよ。寝床はすでに片付けているのですが、文字を打っているとカタンという音がしました。はるかちゃんです。先日も、そして今日も音で伝えてくれました。寝床はそこにないのに、音がしました。いつも寝ていた床のあたりで聞こえました。それはJJやだっこの時にも起きました。人間である夫は頻繁に伝えてきました。今でもたまに伝えてきます。そういうことは信じない方でしたが、はっきりした音がしっかり聞こえるので、これは伝えたい者が伝えてくる音だと思っています。嬉しいですね。これで2度目です。

はるかちゃんからの意思の伝達があったので、とても嬉しいです。その嬉しい気持ちのまま眠ることにします。おやすみなさい。

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2019年7月26日 (金)

愛猫が逝って3週間 虹の橋が架かった

みなさん、こんばんは。ご訪問ありがとうございます。
なかなか出てくることが出来ず申し訳ありません。

昨日、はるかさんが召されて3週間を迎えました。直後に比べれば、いくぶん私の悲しみは和らいだのかもしれません。しかし無理に動いてはボンヤリすることが多く、この悲しみから立ち直るには、まだまだ時間が必要に思います。

私はまだ悲しみと正面から向き合っていないのです。これまではるかさんのことにすべてを費やしていたために、後まわしにしていたおこなうべきことがいくつもありました。それらを遂行しなければならなかった為に時間を取られ、まだ充分に悲しんでいません。忙しくしているその合間に強い悲しみが何度も何度も押し寄せてきました。早く悲しみや様々な感情と向き合わねばと思っています。

きのうは私の誕生日でした。また年を重ねました。22年間を共に暮らしたはるかちゃんを、私がきちんと送ることが出来てよかったと、あらためて思いました。そしてはるかちゃんを送ったら、もう猫はそばに置かないと決意しました。もしも新たな猫をそばに置き、再び猫と共存の幸せな時間を過ごしても、その猫を看取るまで私が元気でいられる保証はないと思うからです。それで私は、はるかちゃんとのお別れ後は、長い長い猫との共存生活に終止符を打とうと決めていました。

きのうの夕方、ひどく雷が暴れて激しい夕立になりました。ひとしきり降ったあと、陽が射しはじめました。午後六時過ぎ、長女から携帯メールが届きました。「すごく大きな虹。見えてる?」すぐにベランダへ行くと、目の前に七色の巨大な虹が空にかかっていました。ベランダからの眺めは山並みが連なっており、虹の一方の端は左側の山の間から伸び、大空のキャンバスに巨人が描いたように大きな弧を描き、右側の山並みにもう一方の端が差し込まれたように架かっていました。息を飲みました。はやり言葉で言うならば、それは「わたくし史上初」の巨大で鮮やかな美しい虹でした。

ふと、はるかさんのことを想いました。今日、渡るのだろうか。えっ、今から渡るの? 私が頼りないから、今までなかなか行けなくて、今日まで居てくれて、私がほんの少しだけ元気になったから、そして私の誕生日だから、あなたはこんなに大きく美しい虹を架けて祝ってくれて、そろそろ渡りますと今から渡るところ?と。

太陽の光が空気中の水滴によって屈折し、反射されるときに水滴がプリズムの役割をして七色の帯に見えること、虹は赤から紫までの光のスペクトルが並んだ円弧の光だとわかっているけれど、今の私にはその大きく美しい虹と、召されたら動物たちは虹の橋を渡って幸せになると言われることが重なってしまいました。でも、渡らないでと願ってしまう私。また会おうねじゃない。再開の時は迎えに来てね、じゃない。今も、いつも、これからも、ずっとそばに居るのだと考える私。虹の橋の観念よりも、私はむしろお釈迦様のそばで元気に遊んでいる彼女を思い浮かべるのです。

きのう髪を切り、今月のTo do listをすべて済ませて多忙は一段落しました。これで悲しみや寂しさと向き合えます。さぁ、ノートに心ゆくまで綴りましょう。彼女の思い出をゆっくりと綴りましょう。 おやすみなさい。

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2019年7月18日 (木)

愛猫が逝って2週間

激しい雨の夜です。はるかさんが召されて今日で2週間になります。
皆さんには大丈夫ですなんて言ったけれど、ちっとも大丈夫ではありません。
まだまだ悲しいです。寂しいです。つらいです。

やれることはすべてやったという気持ちはあります。
だからと言って喪失感が和らぐわけではありません。
居た場所に居ない。するべき介護や看護が無くなった今、何をすればいいのか分からない。自分ひとりの食べること。それだけはしないと私が弱り、彼女が悲しむから。

今はもう苦しみから解放されて、愛息のJJと元気よく飛び跳ねて遊んでいるだろうか。
そうであれば喜ばなければならない。よかったねと私も喜ばなければならない。
車を運転すると決まって大声で君の名前を呼んだり話しかけたりと。
歴代の猫たちの名前を次々呼び、みんなよろしくね、仲良くしてねと言ったりも。

I miss you.
君が居なくて寂しいよ。
まだ私の目は一日じゅう潤んでいるよ。
風邪でもないのに洟もシュンシュン。

君との22年間。
あまりに思い出が多すぎて。
それらを思い出しては微笑んだり涙ぐむ。
もうしばらくはダメな私を許してくれるね。

彼女が逝ってから、頭の中をぐるぐる回る曲があります。
マーティ・バリンの“Hearts”です。
(その彼も昨年9月に76歳で召されました。)

はるかちゃん、失恋の歌だけど彼に会ったら天国で歌ってもらって。
一緒によく聴いていたこの曲を今夜も聴こう。聞こえるよね。

皆さんも一緒に聴いてください。大好きな名曲です。  良

◎ “Hearts” Marty Balin (日本題「ハート悲しく」) 

               「洋楽和訳」Neverending Music様   Thanks.

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2019年7月 7日 (日)

愛猫のご弔問ありがとうございます

ご弔問ありがとうございます。
4日の夕方、はるかさんは私の膝で眠るように静かに逝きました。
穏やかな最期をと毎日神仏にお願いしていたことが叶いました。

そんな訳で、はるかさんは天国で元気に遊んでいるので留守です。
彼女は働き者で、動ける体に戻るとさっそく狩りに出かけていると思います。
性格よく賢く陽気な彼女のことです。あちらの猫世界でも楽しく暮らすことでしょう。

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左の花束は動物病院様から届きました。心のこもったお手紙も添えられて。
嬉しいですね。しんみりしていた気持ちが‘頑張らなきゃ’になりました。
ありがとうございました。大変うれしく思います。

私のことをご心配くださる皆さま、大丈夫です。どうぞご心配なく。
それでは今日はこれで失礼いたします。   良

 

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2019年7月 4日 (木)

愛猫は永眠しました(腎不全・猫22歳)

愛猫はるかさんは先ほど永眠いたしました。
今はもう苦しみから解放され、愛息のJJと再会して喜び合い、二匹でじゃれ合って飛び跳ねていいることでしょう。幸せそうなその姿が目に浮かびます。

彼女の身体はまだ温かいです。今から送る準備をいたします。
皆様にはこれまで彼女への応援を誠にありがとうございました。

取り急ぎご報告まで。

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2019年7月 1日 (月)

死に場所を探す愛猫の行動 (超高齢・腎不全)

皆さん、こんばんは。
昨日から、はるかさんの不可解な行動が続いています。それは死に場所へ、しきりに行きたがるように見えています。今日もベランダから隣のベランダへ行こうとしました。玄関マットの上で香箱ずわりをし、ドアが開くとすぐに出て行こうとします。それで今日も旧宅へ行くときに連れて行こうかと思いましたが、バッグに入るのを嫌がったのでやめました。連れて行ったところで喜ぶ訳ではなく、また敷地外へ出ようとするだけでしょうから、それに付き合ったとて、死期を悟っているであろう彼女の好きにさせると、生まれた場所に極めて近い野山に行くと思われます。そしてそこで身を横たえ、死期が近づくのを静かに待つのだと思います。

この行動は強制給餌により少し体力が戻ったはるかさんが考えた「今なら動ける。今のうちに行っておこう」というものによるのではないかと思います。食欲がなく、体力が全く無くなってただ寝てばかりの時、このような行動は見られませんでした。鳴く力も無くなっていたので鳴きませんでした。ところが今は一日に何度も低い声で「ナーオ、ナーオ」と鳴くのです。ベランダへ出せと鳴き、隣へ行かせろと鳴きます。なぜ隣か、それは旧宅のある地域の方角に当たり、その住宅が角部屋になるからだと思います。反対側のベランダヘは行こうとしません。方角が逆だからです。玄関で頑張っているのは、ドアが開けばすぐ階段を降り、地上へ降り立ったら、ひたすら生まれ育った野山に向かおうとヨロヨロ歩くのでしょう。

はるかさんはバリ野良さんの子供として生まれました。カルガモの親子よろしく母猫を先頭に、4匹の仔猫があとをついて、子別れ式の真っ最中でした。その数日後、はるかさんは白黒のハチワレ猫と共に私の庭が気にいって戻ってきたのです。残念ながら臆病だったハチワレ君は短命で、亡くなっていたと近所の人から知りました。一方、サビ柄仔猫のはるかさんは毎日エサを求めてやって来ました。家に入りたがる訳でもなく、エサだけ食べるといつも何処かへ帰って行きました。他にもスポンサーが居るような気はしていましたが、右近庵(私の旧宅)も重要なエサstationだったようで、頻繁に通って来ました。何度かの妊娠の後、彼女が5歳頃の春に4匹の可愛い子猫を加えて運んで来て、私の庭の住人となったのです。

彼女の子育ての様子を私は見守り続け、母乳を出さなければならない彼女に栄養を摂らせました。子猫は3匹を貰っていただき、1匹残った白黒のハチワレ(きょうだいにもいた白黒ハチワレが息子にも居た)仔猫を運んできた時点で、先輩の高齢猫が居たけれど、家に自由に出入りさせました。1匹残った息子を溺愛し、息子が大人になっても彼女は野ネズミやスズメなど、獲物を息子に運んできました。息子はもっと大きなハトなど捕まえるほどになっていたのに与えることに喜びを感じていました。こうして仲良し親子は幸せな時間を庭や家の中で過ごしました。しかし、はるかさんは家猫のようにじっと家に居ることは無く、殆ど居らず、獲物を持って帰ってくる時、眠りたい時、キャットフードが食べたい時などに帰って来ました。自然豊かな地域で野山を駆け巡り、趣味と実益を兼ねての狩を大いに楽しんできました。

ここ数日の彼女の行動や悲しげな鳴き声から、彼女が野山に行きたいことをすぐに察しました。今も時折、悲しげに「ナーオ」と鳴きます。訴えるように鳴いています。したいようにさせてやりたい気持ちはありますが、私には出来ません。やせ細った彼女を野原の草むらに置いて帰るなど、とても出来ません。ごめんね、はるかちゃん。出来ないよ。この言葉を繰り返しています。猫の帰巣本能で検索すると飼われていた猫が家に帰ってくることばかり上がってきます。今は飼い猫だが元はノラ育ちという猫が死に場所の野山に帰りたがっている件については上がってきません。半ノラ、半飼いという形で来たのは、彼女が本来、自由猫でありたい猫だったからです。そのことを理解し、文字通り彼女を自由に出入りさせていました。しかし彼女の根幹には野良の血が流れていたのです。野良として生きた猫の大いなる誇りを持って、今も家の中でその方向にあたる部分に香箱ずわりで悲しげな顔で居ます。

ごめん、はるかちゃん。出来ないよ。どうしても出来ないよ。君の願いを聞いてあげたいけれど私には出来ないよ。別に私の腕の中で、絵に描いたような穏やかな死を迎えさせたいなんて思っていない。出来ることなら好きに生きてきた君に、死に方も好きにさせてあげたいよ。でも、できない。これが22年間君と関わってきた私の最後の君へのわがままだと思ってくれないか。君が出口を求めてマンションという無機質な住居の中をウロウロ探し回る姿を見ている私だってつらい。君には分からないだろうけど、君の最期は看取りたい。私が看取らせてもらう。ごめん、はるかちゃん。君の気持ちは充分にわかっているから、もう鳴かないで・・。 良

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