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2019年8月15日 (木)

死が迫った愛猫に何ができるか

こんばんは。台風10号の影響で、私の住む近畿地方でも夕刻から激しい雨になって降り続いています。
今日は74回目の終戦の日です。私も戦後生まれで戦争を知りませんが、父は戦争に行ったのでその当時の話をいろいろ聞かせてくれました。しかし若い人たちを始めとし、大半が戦争について知識を与えられることなく大人になっていくので、その悲惨さや、戦中戦後がいかに大変であったかを知る人が少なくなってしまいました。私は常々、広島・長崎の原爆の日と、終戦の日は国民がどこに居ても、何をしていても1分間の黙とうを捧げるべきではないかと考えてきました。なぜその声が大きくならないのか不思議です。今の日本の繁栄は、戦争による莫大な犠牲のもとに在るからです。若い人たちが戦争について学ぶ機会が無くなりつつあるのが本当に残念です。

前置きが長くなりました。では猫のことを語ります。病気と闘って徐々に弱っていく愛猫を見ているのはつらいものですね。悲しく、つらく、心が重くなり鉛のようになってしまいます。でも腎不全のように治らない病気であることやその重さ、年齢的なことも加わると、そばにいる人は、そう遠くない日に送ることになるのを漠然と理解するでしょう。しかしその段階では、あとどれくらい生きるのだろうかということは全く見えていません。猫は人間のように苦痛を訴えることもなく、どうして欲しいとも言いません。その為、食欲が落ちてきたら、いかにして食べさせようかと努めます。フードを変えてみたり、私のように手作りごはんを作ってみたり、またある人は病院を変えて他の医師に相談したり、ネットの情報で弱ってきた猫を改善する手段や方法を躍起になって得ようと努めます。私もその一人でした。

しかし治らない病気は進行し、年齢が若くなることもありえません。病気は重くなり、年齢も重ねているのに、そばに居る人は涙ぐましい努力をし続けるのです。それは何のためにでしょうか?猫が少しでも元気になるように?少しでも長く生きさせるために?それともその猫が居なくなれば、どうしていいか分からないほど悲しい現実が、少しでもあとに来るようにと願うためでしょうか。これらすべてがYesだと思います。私もそうでした。けれども『その時』は刻々と迫り来ます。一縷の望みをかけ、ありとあらゆる努力をしてみても、愛猫の状態は死に向かって少しずつ進むことを止めることはできません。それならば、と考えます。せめて苦しまないで逝かせたい、送る時は静かに穏やかにと願います。死に向かって愛猫が歩み始めていることに目をやらず、病院へ行けば何とかしてもらえると願って駆け込む人も少なくないようです。

このブログへお越しの皆さんは、現在、猫と暮らしている、その猫が病気である、という方々が多いと理解しています。こんな時はどうすればいいのだろう、何を食べさせればいいのだろう、殆ど食べないけれど、どうすれば・・・。すがる思いでネットで同じような人が居ないか探してたどり着いた方々もおられるかもしれません。ここまで書きながら、すべて自身のことを書いているなと思いました。そうです。私も皆さんと同じで悩みながら努力を続けてきました。いつかは逝くのだろうと考えながら一日一日を共に過ごしていました。そんな中で私が願っていたことは皆さん同様に『穏やかな臨終』でした。だから最期が近づけば、私の願望だけで薬や治療のための行為で愛猫に負担を与えることは絶対にしないと決めていました。このたび送ったはるかさんの息子のJJを送るまえ、最期近くで私はまだ病院へ駆け込み、彼の意思に反する‘むりじい’をしてしまったのです。彼はすでに自身の死期が近いことを知っているかのような行動をとっていたにもかかわらず私が取り乱してしまいました。これが大きな悔いとなって残っています。

では死期が近づいた猫に対し、人はどういう行動をとればいいのでしょう。はるかさんは逝く数日前、大好きな旧宅の庭へ連れて行きましたが、庭を喜ばず、敷地から出て行こうとしました。庭ではなく生まれ育った野山に行きたかったのです。なぜ?それは青空のもとで死を迎えたいからです。馴染みのある場所で臨終を迎えたいから準備をしたかったのです。それをさせてやる勇気が私には無く、痩せに痩せた彼女を抱いて、マンションに戻りました。その2~3日後、隣のベランダへ入り込み落ち着いて一定の方角を向いていました。更にその2日後、ついには水も飲まず、何も食べなくなりました。そしてとうとう脚も立てなくなりました。それなのに翌朝にはマンションの玄関近くまで這って進んでいたのです。隣のベランダもマンションの玄関も、生まれ育った所の方向に当たります。あくまでも彼女は自分の死を野山でという意思を示し続けました。その頃には彼女の不思議な行動も理解していましたが、彼女が望む場所で死を迎えさせてやることはできませんでした。このことは今も可哀そうなことをしたと思っています。本来、動物たちが命を終えるたい場所へ行かせてやることが私には出来ませんでした。

亡くなる日、私はそんなことは知らずに少なくなった輸液を貰いに医院に出向きました。身体をきれいに拭き、歩けない彼女にオシメをしてあげました。食べない、飲まない、歩けないのに、もうしばらくは寝たきり生活が続くと思って私は張り切っていたのです。ところが彼女はその日の午後7時頃に逝きました。逝ったのは私の膝の彼女のベッドの中でした。苦しむこともなく、静かで穏やかな最期でした。そのことには安堵しましたが、それが彼女の最も望む逝き方ではなかったことに自責の念を感じました。一方で、重篤になってからも病院へ連れて行こうとは思わなかった私の考えは正しかったと胸を張ることが出来ます。重篤になってバタバタと病院へ連れて行き、点滴や治療を受ける、あるいはそのまま入院させる、だけど助からなかったという場合も多いと聞きます。最後は病院のケージで死なせてしまったことを後悔する人も少なくありません。それを思うと、ゆったりとした時間の中、私の膝の上で静かに逝ったはるかさんを、落ち着いて看取ることが出来たのはよかったと思っています。

さて、皆さんは愛猫さんが重篤になってきたら、どんな行動を取られますか?ちなみに猫をはじめ動物は皆、自分の死期を悟ります。事前に察知します。そして静かに果てたいと願って好きな場所で逝きたがります。それを叶えてやることは難しいですが、臨終の間際まで医療機器に囲まれ、無駄な針が刺される状態にされることは猫さんの本意ではないということを理解してあげてください。そばに居る人は慌てないでください。あたふたと病院に駆け込むのは考え物です。人間を含め生き物は皆、いつか死にます。それをみずから察知している猫さんに、病院ではなく、あなたのそばで静かに臨終を迎えさせてあげては如何でしょうか。

猫にとって死とは人間が感傷的に考えるものではありませんが、厳粛なものであることは人間と同じで自然に還る大切な時なのです。生き物たちは、そろそろ自分は死ぬ時期だと淡々と捉え、静かに逝くのを望んでいるのです。その猫さんの意思を極力くみ取って寄り添い、無駄な治療は控えて声をかけ、優しくなでて最期を看取ってあげること、死まで静観して見届けてあげること。それがそばに居る人が出来る最良の事だと私は思います。心の準備は早めにして調え、気持ちの余裕をもって送ってあげるのが愛猫さんにも、皆さん自身の‘喪失の悲しみ‘緩和にも良いことだと考えます。今日は遠からず愛猫の死に臨む人たちに私の考えを述べました。それでは今夜はこの辺で。  良

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