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2019年8月23日 (金)

予知がむずかしい愛猫の「その時」

こんばんは、皆さん。ご訪問ありがとうございます。
夜になって強い雨がひとしきり降りました。今日はいくぶん涼しい日でした。

タイトルにあるように、今日は愛猫の「最期の時」を知る難しさについて話します。あくまで私の経験からだけの内容となりますが、宜しかったらお読みください。四十九日を終えた愛猫のはるかさんは、高い評価を得て心地いい世界に安住できたと思います。つらいですが彼女が逝く数日前からの様子を思い出しながら書いていきます。

6/30 食欲が激減し、死に場所へ行きたがる行動を示し始めた時、その時が近づきつつあることを知りました。但しまだそれは漠然としたものでした。旧宅へ連れて行った時も今住んでいるマンションでも、生まれた場所の方向へ行こうとし、元気よく行動したり、身体をそちらへ向けていました。逝く五日前のことでした。食餌はすでに強制給餌を続けていました。

7/1 その頃からは、あれほど飲んでいた水も飲まなくなっていたので、シリンジで水も補給しました。生まれた野山の方向に体を向けては、しきりに悲しげに鳴いていたのが亡くなる三日前です。普段は鳴かない猫なのに、せつなく、悲しげに鳴き続けるのを聞いている私も悲しかったです。死期が近づいている。それは確実に感じ取っていました。しかし死に場所へ行きたがる行動や鳴き声から、それはむしろ元気に見えるため目前に死が迫っているとは考えづらいことでした。

7/2  翌日、尚も私は好きだったホタテなどをムース状にして強制給餌を続けました。その日の夕方、ずっと出ていなかったのに寝床で排便しました。まだ出したい様子なのでトイレに連れていきました。すると長い時間をかけて一生懸命に出しました。その後、疲労困憊した様子でぐったりしてしまいました。私も長い時間、彼女の身体を支え続けて疲れてしまいました。猫はふらつき、歩くのが困難な状態になりました。

7/3 朝、ムース状のフードを強制給餌、その後にベランダの方へ何とか歩き、出たそうなので抱えて出してやりました。もう生まれた場所の方向に体を向けることは無く、早々に寝床に戻りたがりました。しかし悲しげに鳴くのはその日もあり、私の記録にも「死期が近づいてきたように思う」とあります。午後二時過ぎ、ふと寝床を見ると、苦しそうにあえいでいました。息が荒く、目を見開いてハァハァと苦しそうでした。もしかしたらこのまま死んでしまうのかもしれないと私は覚悟しました。しかし、しばらくすると持ち直したように呼吸は落ち着いていました。

その夜、私が眠っている夜中に逝くのではないかと案じ、寝床を私のベッドに近づけて消灯しました。午前四時、目覚めると寝床に居ません。電気をつけると一生懸命に床を汚して排便した跡があり、もう完全に歩けなくなっていた彼女は、またもやマンションの玄関の方まで這って行ったのかそこに居たのです。さっそくオムツを買わないと。彼女の身体をきれいに拭き、寝床も変えてあげました。抱き上げた時、妙に手足が冷たいと感じました。カイロを入れてあげないと。死が忍び寄りつつある彼女に私はまだそんなことを考えていたのです。

7/4  朝に起きた時、寝床に排便し、再びそこから這っていったのか玄関に近づくように廊下に居ました。しかし私はそのように動いた彼女から、その日に死が訪れることを察知できなかったのです。身体をきれいに拭き、残り少なくなった輸液を貰うために動物病院に昼前に行きました。前日に発作のような症状になったが落ち着いたと報告しています。輸液を3袋購入し、紙おむつも途中で購入し、急いで帰りました。ぬるま湯で再び体の清拭をおこないました。はるかさんはとても気持ちよさそうに目を閉じていました。

午後四時半、「ナォー」とうめくような声がし、急いで駆け寄り、オムツを確かめると大小とも少しずつ出ていました。清拭をして新しいオムツに替えてあげると気持ちよさそうに目を閉じました。もしかしたら逝くのかもしれない。でも人間のように寝たきりになって命が続くこともあるかもしれない。そんな思いから私は輸液を三袋も購入したのだと思います。まもなく逝くと知らない私はなるべく寝床から近い所でこまごまと家事をしていました。あれは何時頃だったのでしょう。午後六時過ぎ頃だったと思います。再び「ナォー」という弱々しい声に急いでそばに行き、寝床ごと私の膝に乗せ、タオルを掛けた体をさすり続けていました。

夕方になり、そろそろ輸液の用意をしなくては。給餌のフードも準備しないと。そう思って私は彼女に声をかけました。「ちょっと待っててね。用意してくるから」と。輸液の準備をし、タオルをめくっていつものように背中の皮をつまんで「ごめんね」と言って針を刺しました。彼女は反応しません。ピクリとも動きません。おなかも動いていません。彼女の息はすでに停まっていたのです。すべてを悟った私は、慌てることなく「あぁ、逝ったんだ・・」と考えていました。彼女はおなかの中をきれいにし、息が絶えた瞬間すら分からないほど静かな逝き方で、眠るように22年の生涯を閉じました。

このように、頭ではもうじき召されると分かっていても、私は輸液を買い足し、オムツ買ってあてがい、寝たきりになってもまだ世話を続けるつもりでいたのです。客観的に状態を考えることは出来ていましたが、目の前に重態の猫が居たら、出来るだけのことをして命を長くしようとする行為をしてしまうのです。けれども多くの人がとる、病院へ駆け込むという行動は取らないことを決めていました。弱りが激しくなったら静脈からの輸液をして一時的に元気にさせることや、注射や薬で気慰めの重態から抜け出させるための治療は、死を控えた子には不要と考えていたからです。

彼女は年齢も年齢でしたが、もっと若い子でも同じ道を選んだでしょう。それは、どう抗っても逝くべきときには逝くものだからです。それが寿命というものだと考えています。人間のように延命措置は受けないと生前から家族に伝えておくことは動物たちには出来ないけれど、猫や犬たちは自分の死期を悟っており、自分の好きなかたちで死を迎えたいと願っています。その点で、はるかさんを生まれた野山で息を引き取らせてあげられなかったことを申し訳なく思っています。でも、私の膝の上で、私の掌で撫でられながら知らぬ間に逝きました。これも大往生なのだと思いました。

末期の病気と闘うあなたの可愛い猫さんの死期を正確に察知するのは難しいことです。ひとつのめやすとして、飲まない、食べない、そして立てなくなったら「その時」は近いです。そんな中でも私のように、まだ生き続けるのではないかという期待のもとに行動することは誰でもあると思います。‘まだ生きるかもしれない’と‘間もなく逝くだろ’という両方の気持ちが混在する時にも「その時」が近づいたことを念頭に置き、取り乱さず、どうするのが逝く子に最善かを考えてください。必ずしもその時期に慌てて病院へ駆け込むことが最善だとは思いません。落ち着いて最期まで寄り添ってあげてください。あなたの声や感触が、最後のやすらぎではないかと私は思います。

今日は私の愛猫の死の数日前からの様子をお話ししました。何か皆さんの参考になることがあればと思って書きました。それでは今日はこの辺で。  良

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