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2019年8月12日 (月)

愛猫との関り 過去の後悔いろいろ

皆さん、こんばんは。
お盆休みに入っている方、お盆もお仕事の方、台風が近づく中、帰郷で出かけている方など、お忙しい時期ですね。引退シニアの私は一年365日が休日の為、現役の時のように休みの日が貴重だという感覚を忘れつつあります。ともあれ明日からお盆です。はるかさんの初盆です。

このブログにお越しになるのは腎不全他の病気を抱えた猫さんの居る皆さんが多いのではないかと思っています。ご訪問の皆さんのアクセスが多いページというのがあります。そのひとつが、はるかさんの息子JJの最期近くの記事です。それらは2014年1月8日と1月13日の記事です。もうなすすべ無く悪化した病気と闘う彼を見ているのが辛くて私は毎日泣いていた頃です。『飼い主はまだあきらめない』『飼い主が迫られる決断』というタイトルで書いた両記事です。彼を看取って5年後、ママのはるかさんを看取りましたが、この度は息子JJの時のようにバタバタと無駄な動きはせず、そのため死を目前にした病気の猫に無理な負担をかけることが無かったと思います。

24歳5ヶ月で逝っただっこは完全な老衰でしたが、腎不全という病気に苦しんでいた11歳のJJを看病する過程では悲しみ続けました。猫との関りは数えきれないけれど、自由猫として関わっていたので居なくなってしまう猫も多く、臨終まで看取ることが少なかったのと、腎不全の猫を看病することが初めてだったので、知識もなく、病院にも恵まれず、悲しみ、苦しみ、送ったあとも様々な後悔が強く残りました。それが重症のペットロス(猫をペットだとは考えておらず共同生活者だと思っていますが)に陥ることとなってしまいました。JJの悲しみから立ち直るのに3年もかかりました。その間、写真を見ることもできませんでした。数ある後悔の中でも最後の方に、すがる思いで別の病院に行ったことは大きな悔いとなって今でも思い出すと辛くなります。そこでJJは強引な医師と看護師に雄猫としての意地を毅然として示し、反抗しました。そのことが今でも忘れられません。胸が痛くなるのでまたいつか詳しく語ります。

それなのに、そのページに多くの皆さんがアクセスしてくださることに複雑な想いを抱いています。それに関しては、その記事の文頭に補足を加えたいと思っています。死期が迫っても見境なく病院を頼ってはならない、死ぬのは当たり前の事だから、関わる人間はその猫が望む逝き方を理解し、できればそれに従って無理に人工的なことを加えない、与えないというのが今の私の考えです。はるかさんにはそれが自然に出来ました。彼女が切望した野山で果てるということはさせてあげられなかったけれど、その想いを十二分に理解をし、私の膝で眠るように静かに逝きました。JJの時は何も分からず知識もなく、あたふたと行動し、愛する猫を最後まで余計に苦しませてしまったという悔いがあります。

猫が居ない生活に少しだけ慣れてきたところです。旧宅に餌を求めて毎日私が来るのを待っている超狂暴な猫(♀)に手作りご飯を作って与えることが楽しみとなっています。私はこうして再び猫に助けられているのだなと感じます。私の車が着くと、ニャーニャーと絶叫する元気な女の子です。このトグちゃんのことはまたお伝えいたします。狂暴すぎて撫でることもできませんが、エサを与える私も食べるトグちゃんも、winwinの関係です。猫の声が毎日聞けるだけでも嬉しいです。また私は猫に助けられているなと再確認しています。
それでは今夜はこの辺で。 良

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