2019年8月23日 (金)

予知がむずかしい愛猫の「その時」

こんばんは、皆さん。ご訪問ありがとうございます。
夜になって強い雨がひとしきり降りました。今日はいくぶん涼しい日でした。

タイトルにあるように、今日は愛猫の「最期の時」を知る難しさについて話します。あくまで私の経験からだけの内容となりますが、宜しかったらお読みください。四十九日を終えた愛猫のはるかさんは、高い評価を得て心地いい世界に安住できたと思います。つらいですが彼女が逝く数日前からの様子を思い出しながら書いていきます。

6/30 食欲が激減し、死に場所へ行きたがる行動を示し始めた時、その時が近づきつつあることを知りました。但しまだそれは漠然としたものでした。き旧宅へ連れて行った時も、今住んでいるマンションでも、生まれた場所の方向へ行こうとし、元気よく行動したり、身体をそちらへ向けていました。逝く五日前のことでした。食餌はすでに強制給餌になっていました。

7/1 その頃からは、あれほど飲んでいた水も飲まなくなっていたので、シリンジで水も補給しました。生まれた野山の方向に体を向けては、しきりに悲しげに鳴いていたのが亡くなる三日前です。普段は鳴かない猫なのに、せつなく、悲しげに鳴き続けるのを聞いている私も悲しかったです。死期が近づいている。それは確実に感じ取っていました。しかし死に場所へ行きたがる行動や鳴き声から、目前に死が迫っているとは考えづらいことでした。

7/2  翌日、尚も私は好きだったホタテなどをムース状にして強制給餌を続けました。その日の夕方、ずっと出ていなかったのに寝床で排便しました。まだ出したい様子なのでトイレに連れていきました。すると長い時間をかけて尚も一生懸命に出しました。その後、疲労困憊した様子でぐったりしてしまいました。私も長い時間、彼女の身体を支え続けて疲れてしまいました。ふらついて歩くのが困難な状態になりました。

7/3 朝、ムース状のフードを強制給餌、その後にベランダの方へ何とか歩き、出たそうなので抱えて出してやりました。もう生まれた場所の方向に体を向けることは無く、早々に寝床に戻りたがりました。しかし悲しげに鳴くのはその日もあり、私の記録にも「死期が近づいてきたように思う」とあります。午後二時過ぎ、ふと寝床を見ると、苦しそうにあえいでいました。息が荒く、目を見開いてハァハァと苦しそうでした。もしかしたらこのまま死んでしまうのかもしれないと私は覚悟しました。しかし、しばらくすると持ち直したように呼吸は落ち着いていました。

その夜、私が眠っている夜中に逝くのではないかと案じ、寝床を私のベッドに近づけて消灯しました。午前四時、目覚めると寝床に居ません。電気をつけると一生懸命に床を汚して排便した跡があり、もう完全に歩けなくなっていた彼女は、またもやマンションの玄関の方まで這って行ったのかそこに居たのです。さっそくオムツを買わないと。彼女の身体をきれいに拭き、寝床も変えてあげました。抱き上げた時、妙に手足が冷たいと感じました。カイロを入れてあげないと。死が忍び寄りつつある彼女に私はまだそんなことを考えていたのです。

7/4  朝に起きた時、寝床に排便し、再びそこから這っていったのか玄関に近づくように廊下に居ました。しかし私はそのように動いた彼女から、その日に死が訪れることを察知できなかったのです。身体をきれいに拭き、残り少なくなった輸液を貰うために動物病院に昼前に行きました。前日に発作のような症状になったは落ち着いたと報告しています。輸液を3袋購入し、紙おむつも途中で購入し、急いで帰りました。ぬるま湯で再び体の清拭をおこないました。はるかさんはとても気持ちよさそうに目を閉じていました。

午後四時半、「ナォー」とうめくような声がし、急いで駆け寄り、オムツを確かめると大小とも少しずつ出ていました。新しいオムツに替えてあげると気持ちよさそうに目を閉じました。もしかしたら逝くのかもしれない。でも人間のように寝たきりになって命が続くこともあるのかもしれない。そんな思いから私は輸液を三袋も購入したのだと思います。まもなく逝くとは知らない私はなるべく寝床から近い所でこまごまと家事をしていました。あれは何時頃だったのでしょう。午後六時過ぎ頃だったと思います。再び「ナォー」という弱々しい声に急いでそばに行き、寝床ごと私の膝に乗せ、タオルを掛けた体をさすり続けていました。

そろそろ輸液の用意をしなくては。給餌のフードも準備しないと。そう思って私は彼女に声をかけました。「ちょっと待っててね。用意してくるから」と。輸液の準備をし、タオルをめくっていつものように背中の皮をつまんで「ごめんね」と言って針を刺しました。彼女は反応しません。ピクリとも動きません。おなかも動いていません。彼女の息はすでに停まっていたのです。すべてを悟った私は、慌てることなく「あぁ、逝ったんだ・・」と考えていました。彼女はおなかの中をきれいにし、息が絶えた瞬間すら分からないほど静かな逝き方で、眠るように22年の生涯を閉じました。

このように、頭ではもうじき召されると分かっていても、私は輸液を買い足し、オムツ買ってあてがい、寝たきりになってもまだ世話を続けるつもりでいたのです。客観的に状態を考えることは出来ていましたが、目の前に重態の猫が居たら、出来るだけのことをして命を長くしようとする行為をしてしまうのです。けれども多くの人がとる、病院へ駆け込むという行動は取らないことを決めていました。弱りが激しくなったら静脈からの輸液をして一時的に元気にさせることや、注射や薬で気慰めの重態から抜け出させるための治療は、死を控えた子には不要と考えるからです。

彼女は年齢も年齢ですが、もっと若い子でも同じ道を選んだでしょう。それは、どう抗っても逝くときは逝くものだと思うからです。それが寿命というものだと考えています。人間のように延命措置は受けないと生前から家族に伝えておくことは動物たちにはないけれど、猫や犬たちは自分の死期を悟っており、好きなかたちで死を迎えたいと願っています。その点で、はるかさんを生まれた野山で息を引き取らせてあげられなかったことを申し訳なく思っています。でも、私の膝の上で、私の掌で撫でられながら知らぬ間に逝ったはずです。

末期の病気と闘うあなたの可愛い猫さんの死期を正確に察知するのは難しいことです。ひとつのめやすとして、飲まない、食べない、そして立てなくなったら「その時」は近いです。そんな中でも私のように、まだ生き続けるのではないかという期待のもとに行動することは誰でもあると思います。‘まだ生きるかもしれない’と‘間もなく逝くだろ’という両方の気持ちが存在する時にも「その時」が近づいたことを念頭に置き、取り乱さず、どうするのが逝く子に最善かを考えてください。必ずしもその時期に慌てて病院へ駆け込むことが最善だとは思いません。落ち着いて最期まで寄り添ってあげてください。

今日は私の愛猫の死の数日前からの様子をお話ししました。何か皆さんの参考になることがあればと思って書きました。それでは今日はこの辺で。  良

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2019年8月21日 (水)

愛猫はるかさんの忌明け

皆さん、こんばんは。今日は愛猫はるかさんの忌明けです。好きなものをたくさん並べ、先ほどお経を詠みました。

人間の場合、亡くなって以後、七日ごとに審査が行われます。生前をどう生きたかということから裁量されるのです。仏教ではこの期間を「中陰」と呼びます。その間に故人は精進を重ね、此岸に居る人間たち(遺族など残された人たち)も、お経をあげるなどして故人を応援します。そして七回目の七日間が過ぎて四十九日を迎え、晴れて彼岸の住人となります。

猫の場合も同じかどうか分かりませんが、今日は愛猫はるかさんの四十九日にあたります。勤勉な彼女ですから、この期間も高い所へ行くために精進をしていたと思います。しかし猫だけでなくすべての動物たちは、おしなべて皆、高い所へ行くのではないかと思います。なぜならば、かれらは人間界で「悪」とされていることは何もしていないからです。動物たちは生まれたら一生懸命に生きて人間のような悪行はおこなわず、死が訪れたらジタバタせずに悠々と逝きます。だから皆、お釈迦様の住む極楽浄土に行って楽しく快適に暮らしているのだと思います。そうです、きっとはるかさんも、皆さんがお別れした猫さんたちもです。

こんなことを言う私はまだ猫の居ない生活に完全に慣れたとは言えません。雑事に追われて慌ただしく日々が過ぎる中、ふと寂しさを感じます。最後の方の辛そうだった姿が焼き付いて、今でも脳裏に浮かびます。年齢に不足はなく、穏やかに召されて天寿をまっとうした彼女ですが、居なくなった寂しさは簡単には無くなりません。あとは日にち薬に頼るしかありません。

高校野球も明日は決勝戦ですね。すべての学校に優勝旗を。そんな思いを持って観てきましたが、あした頂点に立つ学校が決まります。星稜も履正社も両方とも頑張れ!それでは今夜はこの辺で。  良

 

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2019年8月12日 (月)

愛猫との関り 過去の後悔いろいろ

皆さん、こんばんは。
お盆休みに入っている方、お盆もお仕事の方、台風が近づく中、帰郷で出かけている方など、お忙しい時期ですね。引退シニアの私は一年365日が休日の為、現役の時のように休みの日が貴重だという感覚を忘れつつあります。ともあれ明日からお盆です。はるかさんの初盆です。

このブログにお越しになるのは腎不全他の病気を抱えた猫さんの居る皆さんが多いのではないかと思っています。ご訪問の皆さんのアクセスが多いページというのがあります。そのひとつが、はるかさんの息子JJの最期近くの記事です。それらは2014年1月8日と1月13日の記事です。もうなすすべ無く悪化した病気と闘う彼を見ているのが辛くて私は毎日泣いていた頃です。『飼い主はまだあきらめない』『飼い主が迫られる決断』というタイトルで書いた両記事です。彼を看取って5年後、ママのはるかさんを看取りましたが、この度は息子JJの時のようにバタバタと無駄な動きはせず、そのため死を目前にした病気の猫に無理な負担をかけることが無かったと思います。

24歳5ヶ月で逝っただっこは完全な老衰でしたが、腎不全という病気に苦しんでいた11歳のJJを看病する過程では悲しみ続けました。猫との関りは数えきれないけれど、自由猫として関わっていたので居なくなってしまう猫も多く、臨終まで看取ることが少なかったのと、腎不全の猫を看病することが初めてだったので、知識もなく、病院にも恵まれず、悲しみ、苦しみ、送ったあとも様々な後悔が強く残りました。それが重症のペットロス(猫をペットだとは考えておらず共同生活者だと思っていますが)に陥ることとなってしまいました。JJの悲しみから立ち直るのに3年もかかりました。その間、写真を見ることもできませんでした。数ある後悔の中でも最後の方に、すがる思いで別の病院に行ったことは大きな悔いとなって今でも思い出すと辛くなります。そこでJJは強引な医師と看護師に雄猫としての意地を毅然として示し、反抗しました。そのことが今でも忘れられません。胸が痛くなるのでまたいつか詳しく語ります。

それなのに、そのページに多くの皆さんがアクセスしてくださることに複雑な想いを抱いています。それに関しては、その記事の文頭に補足を加えたいと思っています。死期が迫っても見境なく病院を頼ってはならない、死ぬのは当たり前の事だから、関わる人間はその猫が望む逝き方を理解し、できればそれに従って無理に人工的なことを加えない、与えないというのが今の私の考えです。はるかさんにはそれが自然に出来ました。彼女が切望した野山で果てるということはさせてあげられなかったけれど、その想いを十二分に理解をし、私の膝で眠るように静かに逝きました。JJの時は何も分からず知識もなく、あたふたと行動し、愛する猫を最後まで余計に苦しませてしまったという悔いがあります。

猫が居ない生活に少しだけ慣れてきたところです。旧宅に餌を求めて毎日私が来るのを待っている超狂暴な猫(♀)に手作りご飯を作って与えることが楽しみとなっています。私はこうして再び猫に助けられているのだなと感じます。私の車が着くと、ニャーニャーと絶叫する元気な女の子です。このトグちゃんのことはまたお伝えいたします。狂暴すぎて撫でることもできませんが、エサを与える私も食べるトグちゃんも、winwinの関係です。猫の声が毎日聞けるだけでも嬉しいです。また私は猫に助けられているなと再確認しています。
それでは今夜はこの辺で。 良

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2019年8月 3日 (土)

猫も説明のつかない事柄を死後におこなう

こんばんは。暑いですね。室温は只今29.6度、湿度72%。風が少しあるので、この程度なら許容範囲です。

まもなくはるかさんが逝って1ヶ月ですが、今日は亡き夫の15回目の命日に当たります。それでカレーを作りました。彼は私が作るカレーが大好きだったので。でもベジタリアンに近い食生活の今の私が作るのはベジカレー。彼は不本意かもしれません。

逝った猫たちが音や陰で現れるのを何度も経験してきましたが、もっと回数が多いのが亡夫です。彼は死後に凄い力を得たのか、数々の不思議なことを起こしました。ココは猫のブログなので、それに夏向きとはいえ、そういう話が苦手な皆さんも居ることでしょう。ですからそれはまた折があればということに。人間も猫も死後に伝えてくることは私には珍しいことではありませんが、先日のテレビのリモコンがCDのハンディケースの上から突然に滑り落ちたのには驚きました。やっぱりはるかちゃんはスゴイ猫だったんだと改めて思いました。

スゴイ猫と言えば、こんなこともありました。亡くなった翌日に火葬車に来てもらって荼毘に付しました。車の台に乗せ、花とともに火葬される直前に手を合わせて拝みました。そして業者さんによろしくと言い、彼は扉を閉めました。一時間弱で終わりますからとの言葉に、いったん部屋に戻ることにしました。マンションの敷地内を歩き、私の住む棟に行くのに階段を降りなければなりません。階段を2~3段降りた時、左脚の膝に激痛が走りました。あまりの痛さに思わず立ち止まり、膝をさすりました。私は生まれてこの方、膝に痛みを感じたことはありません。その日も膝の具合が悪いなど無かったので驚きました。しかしその痛みはまさに激痛という言葉がふさわしい強い痛みでした。こんなに痛むのなら明日は病院かなと立ち止まったまま考えていました。けれど階段に立ち止まっていても仕方が無いと再び降り始めました。

不思議なことに歩き始めるとその強い痛みが消えたように無くなりました。まさか、あんなに痛かったのに急に無くなるなんてありえない。明日になればもっとひどくなっているかもしれない。そう考えながら部屋に戻りました。ところが部屋に戻っても特に痛みは感じず、いつもと変わらぬ状態で普通に部屋の中を歩いていました。今頃、燃えているんだろうな。そう思うと切ない気持ちになりました。悲しくなりました。そして1時間後、火葬車まで戻りました。猫が好きすぎてこの仕事を選んだというその業者さんは「この子は凄い子ですよ。立派に残っていますよ」と言ったのです。開かれた扉の向こうに横たわるはるかちゃんは、見事に骨格がすべてわかる状態で、お骨になっていたのです。

しっぽの関節が連なり、腰骨も大腿骨もしっかりと残り、肋骨、肩甲骨、前脚の骨も爪も歯も、そして頭蓋骨はまったく崩れずにそのまましっかりと残っていたのです。それは美しい骨でした。美しく横たわった22年を生き抜いた立派な猫の姿でした。私は感動を覚えました。丁寧に骨を箸でつまんで骨壺に入れ、最後に見慣れた犬歯(牙)を入れてから、頭蓋骨を載せました。みごとな猫の、みごとな骨でした。そのまだ温かい骨壺を胸に抱いて部屋に帰りました。本当に死んでしまったんだな。そう思いました。

膝の痛みの事はきれいに忘れてしまっていました。夜になって、あの痛みは何だったのだろうかと考えました。そしてふと思いました。あれは、はるかちゃんだったかもしれない。火葬車の中で火が点いた瞬間だったのではないか。今から骨になります。ありがとう、さようなら。そう彼女が私に伝えた瞬間だったのではないだろうか。実は膝は痛めたことがないけれど、私の弱点は左脚全体なのです。30代で椎間板ヘルニアを患い、その頃から左脚が弱くなり、今でも疲れやすいのが左脚でした。でも強い痛みが膝にというのは初めてで、それ以後は同じことは起こらず、あなたの左脚の弱さをわたしが持っていきますという、はるかちゃんからの合図だったようにも思います。ありがとう、はるかちゃん。

私はこの度は重症のペットロスに陥ることは無かったようです。最初の十日間ほどは本当につらかったです。悲しかったです。今は「頑張ってるよ、はるかちゃん」と語り掛け、出かける時、帰ってきた時、何かする時、まるで部屋に誰か人が居るかのように、はるかちゃんに語り掛けています。寝る前は、お骨を胸にしばらく載せます。そして語り掛けます。車の中では相変わらず大声で呼びかけています。正直に言えば、私はJJの時ほどではににせよ、かなりのペットロスになるのではと、鬱の薬も多めに貰ってありました。しかしやるべきことが多くあり、その為に人と接することも増えているせいか、‘ドツボ’にはなりませんでした。思えば息子のJJが11歳で逝った時、私は毎日泣き暮らし、ロスから脱するのに3年もかかりました。その間、私が泣いていれば彼女が頬や手を舐めて慰めてくれたものです。その彼女も逝ってしまい、音でも不思議な現象でも、影でも、何でもいいから伝えてくれると私はとても幸せです。

長くなりました。皆さんにご報告があります。これまでのメインブログを休止し、こちらに猫の事など綴っていきます。ただ、猫がもう居なくなったのに何が書けるのだろうかとは思います。好きな音楽や、猫から離れた話題も入れるかもしれません。私の中には過去の猫たちや猫にまつわる話は山ほど潜んでいると思っています。書くことでロスから回復すると思います。そういう意味では皆さんにお世話になっています。ちなみに‘ペットロス’という言葉、仕方なく使っていますが、私は関わってきた多くの猫たちのどの子も‘ペット’とは思っていませんでした。共同生活者。そう思っていました。猫は猫らしく。この私のポリシーをみごとに満たしてくれたはるかさんの、みごとな生き方でした。

読んでくださってありがとう。おやすみなさい。  良

 

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2019年7月18日 (木)

愛猫が逝って2週間

激しい雨の夜です。はるかさんが召されて今日で2週間になります。
皆さんには大丈夫ですなんて言ったけれど、ちっとも大丈夫ではありません。
まだまだ悲しいです。寂しいです。つらいです。

やれることはすべてやったという気持ちはあります。
だからと言って喪失感が和らぐわけではありません。
居た場所に居ない。するべき介護や看護が無くなった今、何をすればいいのか分からない。自分ひとりの食べること。それだけはしないと私が弱り、彼女が悲しむから。

今はもう苦しみから解放されて、愛息のJJと元気よく飛び跳ねて遊んでいるだろうか。
そうであれば喜ばなければならない。よかったねと私も喜ばなければならない。
車を運転すると決まって大声で君の名前を呼んだり話しかけたりと。
歴代の猫たちの名前を次々呼び、みんなよろしくね、仲良くしてねと言ったりも。

I miss you.
君が居なくて寂しいよ。
まだ私の目は一日じゅう潤んでいるよ。
風邪でもないのに洟もシュンシュン。

君との22年間。
あまりに思い出が多すぎて。
それらを思い出しては微笑んだり涙ぐむ。
もうしばらくはダメな私を許してくれるね。

彼女が逝ってから、頭の中をぐるぐる回る曲があります。
マーティ・バリンの“Hearts”です。
(その彼も昨年9月に76歳で召されました。)

はるかちゃん、失恋の歌だけど彼に会ったら天国で歌ってもらって。
一緒によく聴いていたこの曲を今夜も聴こう。聞こえるよね。

皆さんも一緒に聴いてください。大好きな名曲です。  良

◎ “Hearts” Marty Balin (日本題「ハート悲しく」) 

               「洋楽和訳」Neverending Music様   Thanks.

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2019年7月 7日 (日)

愛猫のご弔問ありがとうございます

ご弔問ありがとうございます。
4日の夕方、はるかさんは私の膝で眠るように静かに逝きました。
穏やかな最期をと毎日神仏にお願いしていたことが叶いました。

そんな訳で、はるかさんは天国で元気に遊んでいるので留守です。
彼女は働き者で、動ける体に戻るとさっそく狩りに出かけていると思います。
性格よく賢く陽気な彼女のことです。あちらの猫世界でも楽しく暮らすことでしょう。

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左の花束は動物病院様から届きました。心のこもったお手紙も添えられて。
嬉しいですね。しんみりしていた気持ちが‘頑張らなきゃ’になりました。
ありがとうございました。大変うれしく思います。

私のことをご心配くださる皆さま、大丈夫です。どうぞご心配なく。
それでは今日はこれで失礼いたします。   良

 

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2019年7月 4日 (木)

愛猫は永眠しました(腎不全・猫22歳)

愛猫はるかさんは先ほど永眠いたしました。
今はもう苦しみから解放され、愛息のJJと再会して喜び合い、二匹でじゃれ合って飛び跳ねていいることでしょう。幸せそうなその姿が目に浮かびます。

彼女の身体はまだ温かいです。今から送る準備をいたします。
皆様にはこれまで彼女への応援を誠にありがとうございました。

取り急ぎご報告まで。

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2019年7月 1日 (月)

死に場所を探す愛猫の行動 (超高齢・腎不全)

皆さん、こんばんは。
昨日から、はるかさんの不可解な行動が続いています。それは死に場所へ、しきりに行きたがるように見えています。今日もベランダから隣のベランダへ行こうとしました。玄関マットの上で香箱ずわりをし、ドアが開くとすぐに出て行こうとします。それで今日も旧宅へ行くときに連れて行こうかと思いましたが、バッグに入るのを嫌がったのでやめました。連れて行ったところで喜ぶ訳ではなく、また敷地外へ出ようとするだけでしょうから、それに付き合ったとて、死期を悟っているであろう彼女の好きにさせると、生まれた場所に極めて近い野山に行くと思われます。そしてそこで身を横たえ、死期が近づくのを静かに待つのだと思います。

この行動は強制給餌により少し体力が戻ったはるかさんが考えた「今なら動ける。今のうちに行っておこう」というものによるのではないかと思います。食欲がなく、体力が全く無くなってただ寝てばかりの時、このような行動は見られませんでした。鳴く力も無くなっていたので鳴きませんでした。ところが今は一日に何度も低い声で「ナーオ、ナーオ」と鳴くのです。ベランダへ出せと鳴き、隣へ行かせろと鳴きます。なぜ隣か、それは旧宅のある地域の方角に当たり、その住宅が角部屋になるからだと思います。反対側のベランダヘは行こうとしません。方角が逆だからです。玄関で頑張っているのは、ドアが開けばすぐ階段を降り、地上へ降り立ったら、ひたすら生まれ育った野山に向かおうとヨロヨロ歩くのでしょう。

はるかさんはバリ野良さんの子供として生まれました。カルガモの親子よろしく母猫を先頭に、4匹の仔猫があとをついて、子別れ式の真っ最中でした。その数日後、はるかさんは白黒のハチワレ猫と共に私の庭が気にいって戻ってきたのです。残念ながら臆病だったハチワレ君は短命で、亡くなっていたと近所の人から知りました。一方、サビ柄仔猫のはるかさんは毎日エサを求めてやって来ました。家に入りたがる訳でもなく、エサだけ食べるといつも何処かへ帰って行きました。他にもスポンサーが居るような気はしていましたが、右近庵(私の旧宅)も重要なエサstationだったようで、頻繁に通って来ました。何度かの妊娠の後、彼女が5歳頃の春に4匹の可愛い子猫を加えて運んで来て、私の庭の住人となったのです。

彼女の子育ての様子を私は見守り続け、母乳を出さなければならない彼女に栄養を摂らせました。子猫は3匹を貰っていただき、1匹残った白黒のハチワレ(きょうだいにもいた白黒ハチワレが息子にも居た)仔猫を運んできた時点で、先輩の高齢猫が居たけれど、家に自由に出入りさせました。1匹残った息子を溺愛し、息子が大人になっても彼女は野ネズミやスズメなど、獲物を息子に運んできました。息子はもっと大きなハトなど捕まえるほどになっていたのに与えることに喜びを感じていました。こうして仲良し親子は幸せな時間を庭や家の中で過ごしました。しかし、はるかさんは家猫のようにじっと家に居ることは無く、殆ど居らず、獲物を持って帰ってくる時、眠りたい時、キャットフードが食べたい時などに帰って来ました。自然豊かな地域で野山を駆け巡り、趣味と実益を兼ねての狩を大いに楽しんできました。

ここ数日の彼女の行動や悲しげな鳴き声から、彼女が野山に行きたいことをすぐに察しました。今も時折、悲しげに「ナーオ」と鳴きます。訴えるように鳴いています。したいようにさせてやりたい気持ちはありますが、私には出来ません。やせ細った彼女を野原の草むらに置いて帰るなど、とても出来ません。ごめんね、はるかちゃん。出来ないよ。この言葉を繰り返しています。猫の帰巣本能で検索すると飼われていた猫が家に帰ってくることばかり上がってきます。今は飼い猫だが元はノラ育ちという猫が死に場所の野山に帰りたがっている件については上がってきません。半ノラ、半飼いという形で来たのは、彼女が本来、自由猫でありたい猫だったからです。そのことを理解し、文字通り彼女を自由に出入りさせていました。しかし彼女の根幹には野良の血が流れていたのです。野良として生きた猫の大いなる誇りを持って、今も家の中でその方向にあたる部分に香箱ずわりで悲しげな顔で居ます。

ごめん、はるかちゃん。出来ないよ。どうしても出来ないよ。君の願いを聞いてあげたいけれど私には出来ないよ。別に私の腕の中で、絵に描いたような穏やかな死を迎えさせたいなんて思っていない。出来ることなら好きに生きてきた君に、死に方も好きにさせてあげたいよ。でも、できない。これが22年間君と関わってきた私の最後の君へのわがままだと思ってくれないか。君が出口を求めてマンションという無機質な住居の中をウロウロ探し回る姿を見ている私だってつらい。君には分からないだろうけど、君の最期は看取りたい。私が看取らせてもらう。ごめん、はるかちゃん。君の気持ちは充分にわかっているから、もう鳴かないで・・。 良

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2019年6月30日 (日)

猫腎不全重度 はるかさんの脱走劇

皆さん、こんにちは。
G20で大変だった大阪です。大阪市内ではない私の住む市では、道路規制で遠出も出来ないせいか街にはいつもより車が多く感じたこの週末です。

実はたった今、脱走したはるか婆さんを確保したところです。えっ、腎不全重度の猫が脱走!?と思われたでしょう。そうなんですよ。今日は朝から行動がいつもと違っていました。まず、このところしなくなっていた私のベッドに上がってきて起こすという動きにビックリ。ベッドの高さをジャンプして上がったことに喜びました。次の不思議な行動は、玄関へ行き、ドアを開けろというふうに動きません。それなら少しだけと開けて出してやりました。幸い廊下には誰も居ませんでした。するとはるかさんは迷うことなく階段のある方へと歩きだしました。階段を降りられては困るので途中で抱き上げて中に入れました。彼女が迷わず進んだ階段のある方向は自分が生まれ育った旧宅のある方角だったのです。方角を感知する猫の能力はスゴイです。

以前、とっても体調が良くなかった時にも朝に玄関に居たことがありました。それは死に場所に行きたがっているのではと感じました。そうか。強制給餌でいくぶん元気になったと思っていたけれど、生き物は死に場所へ早めに行く、あるいは確かめに行くのかと考えました。それでひとまず旧宅へ連れていってやろうと思いました。予報では大雨になるとのことだったけれど、降るまでには少しだけ時間がありそうな空でした。私は急いで身支度を整えて連れ出す用意をしました。午前11時過ぎに家を出て5分後に旧宅へ着き、玄関前の芝に置いてやるとクンクン芝を匂ったあと、あろうことか門扉の方へ歩き始め、おもて通りに出て行こうとするではありませんか。何コレ、以前はおもての芝や裏の広い芝が大好きで、すぐにそちらへ向かったのに・・。

その時間には旧宅に居ついている猫(♀)が居らず、裏庭へ連れて行くとさぞかしのんびりできるだろうと思いきや、しばらく芝生に座って辺りを見回すと、そそくさとガレージの方へ歩き出しました。コンクリートの階段をフラフラしながら5段降り、ガレージへ行くと、雨水をすこし飲んで、またガレージの柵へと向かい、おもて通りに出ようとしました。この行動は何だろう。死に場所へというには元気でまだ早い。用意周到なはるかさんのことだから先に確認をと思ったのいかもしれません。ちょっと待った!と私に再び阻止され、家の中に戻されました。小雨も降ってきたところでした。家の中では歩き回ることもなく、いつも居た私のベッドに座っておとなしくしていました。もう帰ろうね。旧宅に住みついたトグちゃんのご飯を置いてマンションへ帰ってきました。

帰ってきた時には、お昼ご飯の時間を過ぎていました。2~3日前からニャオと鳴けるようになったはるかさん。今日はイイ声で鳴いてご飯の要求です。おメメもキラキラしています。薄く切ったトリの胸肉を3切れ平らげました。そのあとにホタテを半粒。そして苦手の強制給餌によるトロトロ介護食。そのあとも眠らずに、ベランダへ出て行きました。定位置で香箱ずわりをするかと思えば今日は柵越しに下界を見下ろしていました。そのあと、ウロウロと歩き回っていましたが、さして気にも留めずにいると、居ない・・!ベランダのどこにも居ない。まさか転落、いや猫に限ってそんなことはあり得ない。では、もしや・・。身を乗り出してお隣のベランダを覗かせていただくと、な、なんと居るではありませんか!それもやけにリラックスした感じ、香箱ずわりでくつろいでいる様子。104歳の貫禄か。やば~い!早速お隣りへ。出てこられた奥さんに事情を話すとすぐにご主人がはるかさんをベランダから連れてきたくださいました。無事に逃亡犯を確保、脱走猫を捕獲です。身体が痩せて超スリムになり、置いているレンガの間をすり抜けてしまい、隣へ侵入してしまったようです。ご夫婦に平謝りしましたが、ニコニコ笑っておられました。(^^)(^^)

思い出してみれば去年はるかさんと一緒に見た桜が今年は見られるだろうかと考えていました。今年も車からだったけれど一緒に見ることができました。夏までは無理かもしれない。あしたから7月。もう夏です。前回もらってきた輸液4つが使い切れないかもしれないと悲しかったけれど、また貰いに行って来なければ。ここへ至るまでに何度もあきらめ、何度もあきらめず、悲しんだり喜んだりしながら、とにかくやってみようと、はるかさんに食べさせることに私のエネルギーのすべてを使ってきました。今日の彼女の意外にゲンキな行動は、それらの成果の現れなのだろうかと喜びながら、それでもいつかは越えられない時が来るのだろうと気を引き締めた次第です。

脱走した腎不全重度の老猫さん(1997年生まれ・人間なら104歳)、頑張っていますよ。=^_^= もちろん私も。(^_-)-☆
はるかさんはやっと眠ってくれました。その間に家事などします。次回は元気を取り戻した彼女の食生活の内容をお知らせいたします。大雨になっている地域の皆さん、お気をつけください。それではまた。3:25pm 良

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2019年6月25日 (火)

腎不全 猫 食欲すこし戻る

皆さん、こんばんは。
強制給餌をしてから少し元気を取り戻し、自分から食べるなど食欲も少し快復して喜んでいます。大好きな朝一番のトロトロフードも欲しがらなくなっていたのが、今日はおねだりです。朝のトロトロフードも無理に口に入れるようになっていたのが、ん~んと小さな声を発し、台所の入り口まで来て待っているのです。振り向くと体は隠れている状態で顔だけのぞかせていました。そしてお行儀よく朝食の用意が出来るのを待っています。思わず“カワイイっ!” とカメラを手にパチリ!そこまで来て食事を待つという動きをしたことに私は大喜びでした。このあと健康缶20歳のトロトロフードを美味しそうになめました。しんどいので明るい表情はできませんが、こんな行動は少し元気な証拠です。うれしい。(^^)

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腎不全の末期の状態とは、人間では二日酔い状態の間隔という人がいます。猫なら船酔い状態でしょうか。とにかくしんどくて、だるくてたまらない状態であるに違いありません。しかし今はこれでも一時の全く食べず、口内の痛みもひどそうで、もう悪い方向へまっしぐらかと思っていただけに、食欲が出たのは何よりもうれしいことです。今日の食事をお知らせしましょう。メモ帳の記録です。

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7:40 トロトロフード舐める。
8:30  ヒルズ缶ほか2種のフードをトロトロにしたものを強制給餌。
この後、陽の当たるベランダのガラス戸の内側で眠る。それからベランダにも出た。
12:30  まぐろのたたきを少々。ヒルズほか2種のフードで強制給餌。
その後、ホタテ少々、鶏むね肉も少々精力的に食べた。
15:00  シニアミルク 強制給餌。
18:00  輸液後にヒルズにカロリーフードを加えて強制給餌。その後にご褒美の鶏肉、まぐろ、ホタテ各少々。それらは自分から勢いよく食べた。量は多くはないが嬉しい。

強制給餌を始めてよかったことは元気になったこと、食欲が少し戻ったことです。それから薬やサプリ類をフードに混ぜて給餌器から口にいれてしまうので、確実に服用させられることです。好きなものを食べると言っても食は極めて細く、飲み込みやすくしたフードを無理やりにでも口に入れるのは猫にも私にもストレスですが、やり始めたからにはこれを続けてみます。居間から台所にいる私をじっと見つめている姿をここ2~3日ほど目にし、少し前の‘食べるの大好き、ごはんまぁだ?’のはるかさんがチョットだけ戻って嬉しい一日でした。

はるかさんはとってもしんどいので、イイお顔をお見せできなくて・・。でも皆さんにご心配いただき、今日のはるかさんをご覧いただきました。いつもありがとう。夜になるとクタクタです。では、おやすみなさい。良

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