2012年11月 1日 (木)

まだ咲いているマリーゴールド

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夏の前に植えたマリーゴールドがまだ咲いている。

そばに植えたランタナも丈を伸ばして同じく黄色い花をつけている。

黄色い花は元気者。なかでもマリーゴールドは。

木枯らし第一号が吹いたが咲き終わらない。

みどり丸一族すら鳴かなくなったのに。

桜も葉を染めて落ちはじめたのに。

君たちのなんという生命力!

何だかうれしい。

ありがとう。

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2012年7月 4日 (水)

白桔梗もひらいた

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雨が続く中、蕾をふくらませていた白桔梗がひらいた。
大雨になるかもしれないという予報に軒下に入れておいた。
これらは昨年に丸いプランターに植えた白い桔梗。背が高く50㎝ほどもある。

白桔梗という名前だが、ほんのり薄桃色がかっている。
白は無垢。ほのかな桃色は優しさか。
風が吹くとゆらゆら揺れる。一年間まるで放っておいたのにきれいに咲いた。

微熱はとれないが何とか起きることができた。寝込んで10日も経っている。
花は迎える。花は私を待たずに咲くけれど、咲いて慰めようと待っているのだ。
黙して楚々と咲き、喜ばせてくれる花。人間よりも花。寡黙で律義なのがいい。

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2012年6月25日 (月)

ヤマアジサイ‘隅田の花火’

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先日ご紹介したアジサイは‘隅田の花火’と呼ばれるヤマアジサイ。あれからますます元気で美しい花を(ガクを)咲かせています。淡いブルーはいくぶん濃さを増したり、白っぽくなったりします。紫がかっている時もあります。アジサイはもともと七変化する植物だと言われていますが、このアジサイもそのようです。天候や時間帯で微妙に変化する色合いが楽しめます。

‘隅田の花火’。このおとなしい色の花に誰が名付けたのかこの名前。打ち上げ花火としては古い歴史がある隅田川の花火になぞらえたのは、ガクが多くて華やかなこと、円を描いて順番にひらいていくからでしょうか。はじめは花火とは不似合いな命名だと思いましたが、近頃はどことなくそう言われればそのようだと思うようになりました。スカイツリー開業で、今年の‘隅田の花火’は、いっそう盛り上がることでしょう。

小雨が降ったりやんだりの一日でした。午後六時半に撮影。日が長くなりました。

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2012年6月21日 (木)

雨の中のアナベル

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昨年、アジサイ好きの友人にもらった小さな枝。さし木が育って背丈は50㎝ばかりになった。小ぶりの花をつけ、ガクが開いてきた。ぜんぶ開いたときを逃さず撮ろうと毎日見ている。今日の昼間に撮った一枚。けっこうな雨にもかかわらず、アナベルは元気だ。私は雨をものともせず濡れながらシャッターを切った。

苦い思い出がある。植えた覚えもないのに花壇にみごとなアナベルが咲いたことがあった。初めは緑色の花で、次に白になり、長い間咲いていた。花は大きく複数ついた。暑くなってもしばらく咲いていたが、とうとう枯れた。翌年もきれいな花が見られると思って楽しみにしていたが咲かなかった。

考えられる理由は、雑草と間違って抜いてしまったことだ。植物はしたたかだ。とくに雑草とよばれる草は強くて賢い。自分にそっくりな植物のそばで生きながらえようとするのだ。おそらくアナベルの周りに同じような葉の形をした雑草が生い茂り、誤って抜いてしまったのかもしれない。もうひとつ考えられることはラベンダーだ。アナベルはラベンダーの後ろの日陰に咲いた。ラベンダーは株を大きくし、成長いちじるしい時だった。植物が別の植物に負けるということがあるのなら、ラベンダーの勢いに負けたのかもしれない。

以来、そのアナベルは二度と咲かなかった。株がどれかもわからなかった。私は手入れが行き届かなかったことを悔やんだ。きっとその頃、何か別のことをしていたのだろう。おそらく小説を書いていたのだ。そういうことを始めると、私はいっさいのことを放棄してしまう。アナベルをどこかで見かけると、あの年に突如として花壇に咲いた大きく立派で美しい花を思いだす。もちろん写真は残っているが、見るにつけ悲しくなるので見ないようにしていた。ポーがアナベル・リーを愛したように、私はそのアナベルを愛していたのだ。それなのに大切にしてやれなかった悔いは大きい。

庭の植物との間には、さまざまな出会いと別れがある。くしくも昨年もらったアジサイはアナベルだった。いくつもの種類が咲き誇る中で、これをと友人が差し出したのだ。今度こそ植え替えを完璧にし、立派なアナベルに育ててやりたい。また雨がいちだんと烈しくなってきた。今夜も夜通し降るのだろうか。どこにも誰にも災害が起きませんように。

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2012年6月20日 (水)

ガクアジサイ

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庭の片隅で日陰に咲くガクアジサイ。今年は花が多い。

花といってもアジサイの花はメシベやオシベと区別がむずかしいほど小さい。

すべてのアジサイは花びらに見えるところが実は‘ガク’なのだ。

ガクの方が立派で美しい。これも虫たちを誘うためなのか。

それともメシベやオシベを守るための大きなガクなのか。

いずれにせよ華麗で頑丈で美しい‘ガク’である。

このアジサイは天気によって白くなったり薄い紫や青になる。

涼やかな花、いや、ガクである。

これも小さなひと株から低木に育ったもの。

雨がいくら降っても心配のいらないたくましい植物だ。

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2012年6月16日 (土)

桔梗が咲いた

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起きると雨風。雨だけでなく風も強かった。
可哀そうに。雨の中、彼女はけなげに頑張っている。

青紫の色が見えていたので咲いているのは家の中からすぐに分かった。
こんな雨風の中で一生懸命に咲いている花がせつなかくてたまらない。

とりあえずは写真をと、猫の配膳だけして着替えもせ、髪もボサボサで雨の庭へ。
大きな花が咲いている。みごとな花が咲いている。感激。

写真を撮るのが難しい。なぜならこの種類は背丈が低く、小柄で20㎝あるかないか。
膝をついて背を丸め、私はダンゴ虫のようになってシャッターを切った。

それでもうつむき加減の花しか撮れない。晴れていたら寝そべるのだが出来ない。
記念すべき今年の一輪目は荒れた天気にも負けず、きれいに咲いた。拍手。

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その後ろには第二号が控えている。この子はエクボをつくって笑っている。可愛い。
彼女たちは‘雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ’ だ。蕾たちは沢山ひかえている。

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雨は強くなったり弱くなったり、風も強まったり弱まったりで治まりそうにない。
小雨になったときに見に行けば、咲いた花は雨に打たれて首をうなだれている。

可哀そうに。一日じゅう雨に打たれるなんて気が気じゃない。それに数日間は雨。
私は傘をさしかけた。飛んでしまわないように傘の柄を柵で抑え込んで留めた。

この傘はどちらの娘のだったのか。家の中には働く場がない傘がずいぶんある。
折りたたみ傘を今日は10本ばかり岩手に送ったが、長い傘も送ろうか。

傘をさす桔梗。私の「桔梗愛」はかなりのものである。
雨がひどい。また各地で被害が出なければよいのだが。

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2012年6月15日 (金)

アシタ 咲キマス

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いちばん好きな花は桔梗。星型の花びらと神秘的な色に魅せられる。

今年はたくさんの花が咲くはずだ。春先に手掘り株を取り寄せて植え足した。

寒さが長びいたので桔梗の前を陣取る水仙の開花が遅れた。

花が終わった水仙の葉に邪魔されて桔梗も新芽を出すのが遅れていた。

しかし今、このように蕾はふくらみ、ふうせんのようになってきた。

この線にそって花びらはしぜんに切り離れ、美しい星形の花がひらく。

一輪目はあした咲く。カメラを向けると「アシタ 咲キマス」と微かに聞こえた。

雨が降りはじめた。あしたは雨脚が強くなるらしい。起きたら一番に見てみよう。

                                 (デジイチ 修整ナシ 本日撮影)

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2012年5月27日 (日)

恋人たちの甘い囁き

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小さな素焼きの鉢に咲いた小さなバラ。早春に購入した苗が育ち咲き始めた。

名前はSweetMemory。甘い想い出。可愛い姿を写しておいた。

花を写す時にいつも思う。日陰で見るほうが花はきれいだ。

たいていの花は太陽が好き。けれど日陰で見るほうが美しいのは何故。

バラでもどんな花でも蕾が付きすぎると間引きをするらしい。

摘蕾。それを‘てきらい’と呼ぶ。蕾をわざと減らしてしまうのだ。

きれいな花を少しだけ咲かせるために。そのために。

まるで恋人同士のように見える二輪のバラ。

耳を澄ますと恋人たちの囁きが聞こえてくる。

きれいだね。

きれいだわ。

今が至福。時間よとまれ。このままで。閉じ込めて。想い出に。

(修整なし デジイチ)

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2012年4月17日 (火)

ホトケノザ

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春の雑草とされる‘ホトケノザ’。漢字で書けば‘仏の座’。ほんにこの草はめずらしい花を咲かせる。まるで仏様が手を合わせているようだ。

庭猫ガールズのうちの一匹、トラ江の具合がよくない。昨夜はひどく悪そうで心配した。もしかしたら駄目かと見えた。風よけを工夫して寝床にはカイロを入れてやり、缶詰のフードを与えた。また私は迷っていた。病院へ連れていくべきかどうかということだ。

この猫は五匹生まれたなかで二番目に小さかった。いちばん小さかったのはじきに来なくなったので育たなかったと思われる。このトラ江も長くは生きないと見えた。しかしきょうだいたちの中で頑張って生きてきた。食べるのが遅い。要領が悪い。けれども一生懸命に食べた。

食べても食べても太らない。この猫だけが痩せている。ときどき風邪をひいてつらそうだった。見るからにひ弱なこの猫が、頑張って生きているのはそれだけで称賛に値する。他の猫たちは狩りをするが、この猫はしない。いつも敷地内のどこかで日向ぼっこをしている。

いずれこの猫を送ることになるだろう。そう思って見つめてきた。送ってやるのは私の務めだと考える。厳しい寒さを耐えた春、具合が悪くなっているのはなぜか。おそらくエイズか白血病。その両方かもしれない。抵抗するのを捕まえ、病院へ連れていくことが私の体力では不可能だ。ダッコも延命治療はしなかった。

ノラはノラらしく。この言葉に私は逃げているのか。嫌がっても治療すれば長く生きるかもしれない。しかし私には動物病院へ通う体力がない。そのために、みすみす助かる命を縮めることになるのか。再び自問自答をくりかえす。そして結論する。ノラはノラらしく。

今日、箱を見る前に覚悟した。死んでいるかもしれない。そう思って箱をのぞいた。よかった。箱の中は空っぽだった。昨夜のエサはぜんぶ無くなっていた。今日は晴天で太陽が暖かい一日だった。陽のあたる所をえらび、トラ江は気持ちよさそうに春の光を浴びていた。

この猫を看取る。この猫を送る。右近庵のすべての猫を私は送る義務がある。人とも縁、猫とも縁。縁のあった猫たちは最後まで。最期まで。そんなことを考えて庭を歩けば、其処此処にホトケノザ。合掌する仏様であふれている。穏やかな庭でくつろぐ猫たちと、今このときを分かち合う。これはまぎれもなく幸せ。

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2012年4月 2日 (月)

元気な花とじぃじぃ

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冬のあいだ雪をかぶったり霜に悩まされたりと苦難の連続だったビオラやパンジーは、春になって元気いっぱい。また、例年ならこの時期はユキノシタの花は終わっているのだが、いまだ真っ盛り。

きのう、今日と庭仕事をした。すぐに疲れるので休み休みだったけれど、土いじりは何より癒される。植え替えたり雑草引き、今頃に球根を植えてみたりとすることはたくさん。

そんな私をじぃじぃは手伝おうかとじっと見ている。手伝わなくてもいいから、足にじゃれつくのだけは勘弁だよとカメラを向けるとじっとしてくれた。外遊びに夢中の彼は薄汚れている。

明日は大荒れの天気とか。草花を風の当たらないところへ移動させなければ。

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