2017年11月 7日 (火)

My桜の今

おはようございます。
右近庵では今日も晴天です。朝日が気持いい。
朝の陽射しを浴びると、よい睡眠がとれるといいます。私は電気を消すと一分後には眠っている人なので、よほどの心配ごと、気がかりなことががある時以外は不眠はありませんが。でも朝の陽射しは気持がいいので、庭に出るようにしています。その前に記事の更新です。

昨年のクリスマスイヴの日に枝を払って丸坊主になったMy桜を、裏庭から庭に移設して植え替えましたが、初めての秋に葉を落とし始めました。植えた当時、幹はゆるやかなカーヴを描いていましたが、今はずいぶん真っすぐになってきたなと思います。‘胴吹き’をまめに切り取っていたのもよかったのかもしれません。それよりも木が本来もっている再生力から、天に向かって真っすぐに伸びてきたのだと思います。※‘胴吹き’とは幹や枝に出てくる芽や小枝のこと。
これが今の姿です。夏の間は、それなりにたくさんの葉を茂らせていました。葉の色が変わり始め、まもなく落葉します。10年後の姿を見るという目標を私に与えてくれた桜の木。毎日ながめては楽しみにしています。がんばらないと。

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植物は強い。偉い。神々しい。
愚かなことをくり返す人間が見習うべきことを、動植物はたくさん持っている。

左はハナミズキ(白花)。こちらも小さな株が7年で立派な木になった。
葉を落とし始めた。その葉はたい肥にし、他の植物に栄養を与える。

火曜日です。皆さんが明るい気持で、元気に今週を過ごせますように。
命を大切に。今日一日を大切に。それでは皆さん、ごきげんよう。では庭へ。  良

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2017年1月31日 (火)

裏庭工事と桜の移設<その1>

こんばんは。今夜も遅くなりました。
私もネコ属ネコ科の生きものなのか、夜の方が元気です。膠原病をもつ者は朝がきつく、身体が動きません。朝食後、ステロイド剤を飲んでそれが効いてくるまで、まともに動けません。しかし日によってはすぐに動きだせる時もあります。そんな日は体調がとてもいいことが判ります。今は比較的いい方です。とりわけ夕方くらいから調子がよくなり、夜更けまでゴソゴソ片付けたりしています。

きのうの続きですね。その前にお詫びです。
私はこうしてつらつらと喋っていると元気だと思われるようですが、そうでもありません。発病から20年を過ぎ、不自由なことがずいぶん増えてきました。ブログの更新も滞りがちなのも、私の進行してきた症状がその理由です。パソコンに関しては目が長く使えないこと、キーを打つのに困るのは、冬季に悩まされる手指の症状です。いま私の手指は腫れています。あまりに腫れて、きのうはコブシを握ることが出来ませんでした。今日は腫れは少しひきましたが、第2関節から先は力が入らないことは冬の間じゅう続きます。それぞれの指に力が入らず、一番力が入れやすい中指だけで打っています。したがって私の眼はキーボードを見つめる時間が長くなります。両手とも中指だけで打つ為に、ただでさえ間違いがよくあるのに、年々文字の間違いがふえてきました。長く打つと目も指も疲れるので急いでアプロード。翌日に読み直すと間違いだらけ。そんなことがよくあります。申し訳ありません。今日も中指君たちだけで頑張って打ちます。あとの指はもう眠っているようです。

なぜ桜の木を移設し、その横に埋めた2匹の猫たちの遺骨をいったん回収したのかについてのお話しをします。さかのぼること10年、2007年のことでした。ガレージをもう1台分ふやすことになりました。同時に庭の向こう側にあったノリ面の防犯工事をすることにしました。家屋の裏は小さな山々が連なり、そのふもとには田んぼや畑が段々になってあります。住宅街の端にあるので眺めはよく、借景は抜群の立地なのですが、ただひとつ防犯上の不安がありました。この住宅地は造成時に強健な土台で固めて高さを揃えていますが、その下方に遊歩道があります。その遊歩道からノリ面を登ると庭まで登れることから、入居当時より心配でした。そこで考えたのはガレージ工事で掘る瓦礫や土砂をノリ面に運び入れ、遊歩道からは登れないように塀を建てるということでした。その工事を請け負ってくださったのが今もお世話になっている庭の業者さんです。夫が急逝して3年ばかり経った頃のことでした。

出来上がった塀は3メートルほどの高さがあり、ノリ面は傾斜のない平らな土地になりました。瓦礫の上に正土を敷いてくださったので、サツマイモを植えて収穫したり楽しみました。10年前はまだ元気でそんなこともしていました。ホームセンターで桜の苗木を買ってきて植えたのもその頃です。家を持ったら植えたい木がいくつかあり、桜もそのひとつでした。880円の細い苗木が果たして咲くようになるのだろうか。そんなふうに思いつつ、咲いて欲しいと願って植えました。最初の数年は花が付きませんでしたが、初めて小さな花を付けた時には喜びのあまり写真を何枚も撮りました。一方、徐々に進む症状に体力が衰え、夏場の水やりが大変になりサツマイ作りは程なく辞めました。裏庭は若い桜が1本あるだけの雑草の花々がみごとな野原になりました。桜を植えて4年後の2010年秋、トラ吉を桜のすぐそばに埋め、お墓を造ったのでした。

目と指がきつくなってきました。今日はこの辺で置きます。
昨日の暖かさは何処へ行ったのでしょう。また寒くなりましたね。
続きはまたあした。暖かくしておやすみください。      良 

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2012年4月12日 (木)

雨のあとのマイ桜

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昨日の激しい雨に打たれたあとも私の桜は花びら一枚落としていなかった。家の中からガラス越しに見ていると、強風に吹かれ、どしゃ降りの雨を受けていた。それでも私の若い桜は散らなかった。咲いたばかりの桜の花は強い。このように強風や強い雨でも花を落とさないのだ。したがって私の裏庭に降った昨夜の雨は「花ちらし」の雨ではなかった。せっかく咲いたのだ。もうしばらく見ていたい。まだ散るな。

これは今日の夕方に撮ったもの。昼間のにぎやかな太陽は沈みかけていた。薄闇がおとずれる前の花曇り。そのような中で撮った。これは私の持論だが、桜は晴天に似合わない。薄桃色と青空の配色は洗練されておらず好まない。私は太陽の日差しを浴びると皮膚がすぐに赤くなり、そのあと身体全体がだるくなる。そのために日差しを避けて暮らすようになった。したがって写真を撮るのも夕暮れが多い。写した画像に明るく修整を加えるのはたやすいことだが、角膜が薄くなった私の眼にはこのくらいが心地いい。すべてのものごとに固定観念が存在するが、そんなことは気にしなくなってきた。自分自身が心地よいことが最も美しいと感じるならばそれでいい。

今年で五歳になる私の桜は元気いっぱい。しばらく私の目を楽しませてくれるだろう。しかしまもなく気を揉ませる。もう散るのではないか。いつぜんぶ散らすのだろう。まるで年頃の娘を案じる父親のような気分である。相変わらずの桜馬鹿だ。ただし外を出歩くのが大変になってきた今、この桜だけに馬鹿となり、それで充分だと私は満足している。風邪はいくぶんよくなってきた。

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2012年4月 7日 (土)

もう咲いていた桜

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大きな勘違いをしていた。桜はすでにひらいていた。
庭のフェンス越しに写していた枝は、木の半ばくらいの高さにある。そこについた蕾ばかりを庭から見て気にしていたのだ。

先日、庭猫の誰かが仕留めて食べた鳩の残骸を埋めるのに裏庭へ行き、桜の木のそばにしゃがんで穴を掘った時にも気づかなかった。葬ることと般若心経を唱えることに集中し、桜の木を見なかったのだ。あたりは薄闇に包まれた時刻でもあったことから、裏庭へ出ながら気づくのが遅れてしまった。

木の下方の枝に、すでに花はひらいていたのだ。今日は天気がいいので裏庭に出た。しばらく其処に出ることがなかったから気づかなかった。そう考えるのは自然なことかもしれない。けれどそうではない。あれだけ開花を待っていたのに、一本の木の全体を見ようとせず、動かずして庭の方から見るだけで待っていたのだ。

「木を見て森を見ず」という言葉がある。ものごとの全体を見ずに一部分しか見ていないことの例えだが、この場合、「中ほどの枝のみ見て木の枝すべてを見ず」ということか。これは失敗した。最初の開花はすでに数日前に認められたはずだった。

私の桜は下方から上へと上る。そんなことも分かっていながら、気づかなかった。気が回らなかったにせよ、ドジをした。これが老化というものの始まりか。思考の範囲が狭くなってきているのか。そうは思いたくないが、おそらくそうであろう。私はどうかしている。身体がつらく、なるべく動かない生活になっているからか。いや、それだけではないだろう。思考が狭められてきたのだろうか。

情けないとも思うが、変わりゆく自身を受け容れることは大切だ。こうではなかった。そう思うことが日常のあらゆる場でふえてきた。私の場合、病気の進行も関係するが、年齢的な衰えは否定できない。嫌になることもあるが、引き換えにふえていくものがあるのも事実だ。老練。この言葉に若い時から憧れていた。何においてというのではなく、ただ憧れている。とりわけ精神性においてこの言葉がふさわしい人間になれたらと憧れているのだ。

暴風雨のようなあの突風の日以来、風が強い日が続いている。「風待ち」をして満開の枝を写す。その枝先の花も写した。これがその一枚。私の桜は誰にも見えない所で最初の花をそっとひらいて揺れていたのだ。ごめん。悪かった。許して。桜は微笑んで揺れていた。薄黄色の花を咲かせる「ウコン」の桜も隣に植えてみたくなった。

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2012年4月 5日 (木)

マイ桜 ひらいた

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ひらいた。咲いた。私の桜がひらきはじめた。十ばかりの花がひらいた。
きのうは蕾ばかりだったけれど、今日はひらいていた。うれしい。

最初の開花をしっかり確認する。この木が花を咲かせて以後、きめたこと。だから蕾がふくらむとそわそわする。今日はひらくか明日なのか。落ち着かない日が続く。

ふたたび寒くなってきたので、一気に開花とはいかないだろう。長い期間を楽しめるので私には好都合だ。先程、ポストまで行ってきたが、そばにあるみごとな桜の木も同じような開花状況だった。この辺りは遅い。大阪では最も寒い地域のひとつなのだ。とくに今年はいつまでも寒くて開花が遅れている。

寒いと静かだ。暖かくなると、この静かな街でさえ賑やかになる。どちらが好きかといえば静かな方だ。しかし寒さが身体にはきつい。庭も寂しげだ。気候がよいと騒々しいが、気分はたしかに上を向く。身体も楽で庭も華やぐ。それぞれの季節にはよさがある。四季があるのはめまぐるしいが、それに応じてめまぐるしく暮らすことに、それなりの価値があるのだろう。そうして一年がめぐり、歳月が重ねられる。

昨夜は風邪の兆候があったので早くから布団にもぐって映画を観ていた。さいわい今日は改善した。けれど明日はまた寒くなるという。まだ冬物が仕舞えない。ほんに私たち人間は、自然の手玉にとられてなされるがままに合わせて暮らす。体調維持が難しい春である。昨夜、東北では雪だとメールをいただいた。北国の冬は長い。

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2012年4月 4日 (水)

私の桜は出番待ち

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今年は寒さが長びき、植物が遅い。私の桜もまだ咲かない。
しかしたくさん蕾をつけている。咲くのが楽しみで毎日ながめている。
台風のような暴風雨が駆け抜けたが、いまだ蕾であったのが幸いした。

この桜は2007年に植えた。1メートルあるかないかのソメイヨシノの苗だった。
開花まで何年もかかるのかと思っていたが、二年後から花をつけ始めた。そして年々、花の数をふやしている。「桜切る馬鹿 梅切らない馬鹿」というので何もしないで放っておいたが、枝をうまく張り広げて桜の木らしくなってきた。昨年よりも枝につく蕾がまた多くなったように見える。

桜の木の下には死人が眠るという話がある。私の桜の木の下や周りには、三匹の猫たちと、鳩、すずめ、ひよどり、すずめなどの鳥類や、ヘビ、トカゲ、ネズミ、ムカデ、セミなど両生類、爬虫類、昆虫も眠っている。命の循環により、それらの生きものたちが与える栄養で私の桜は美しい花を咲かせるのだ。願わくば、私もそのあたりに葬ってほしいものだと思う。しかしそれは不可能なことのようだ。

今年は日本からアメリカに桜の木を贈って100年めになるという。桜を愛でるのは我が国の者ばかりかと思いきや、ニュースではアメリカの人々も満開の花の下で写真を撮って興じていた。桜並木に沿ってポトマック河が流れている。この河の上を真っ白な船でゆっくりと運ばれたなつかしい日々が思いだされた。もう30年以上も前のことだが今でも鮮明によみがえる。

この桜を植えてから、近隣の桜さえ見に行かなくなった。体力の弱りが急激に進むと分かっていたわけではないが、あの時に980円ばかりで買ったソメイヨシノを植えてよかった。近頃、春が近づけばそう思う。今まさに出番を迎える若い女優のように、私の可憐な桜は舞台の袖で待機している。きれいに咲けよ、私の桜。  
                           (久々にデジイチで。写せる喜びを満喫)

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2011年11月26日 (土)

桜の木の葉と心情吐露

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春に咲いた桜の木は、葉を半分ほど落とした。花が愛でられる桜の木は葉を誰からも褒められない。楓のように美しくないということか。

新緑の頃のやわらかな緑いろ、そして盛夏の濃い緑いろ。いつでも桜の木は美しい。私の桜の木はまだ若い。紅葉するにも見よう見まねだ。桜の木は、花が散るように人びとは惜しんではくれないし、人間の美的感覚からするとこんな紅葉は美しくないのかもしれない。けれども植物の命のいとなみは美しい。何よりも自然の中で自立しているのが素晴らしい。

私はとても疲れている。大きなストレスが心身に蓄積しているのを感じている。そのせいか苛立つことがままある。だからと言って何も変化はないけれど、かなり溜まっているのを感じる。それはなぜかと考えてみた。ダッコのことだった。

数日間の寒さでダッコはまったく炬燵から出てこない。鳴かない。食べない。飲まない。もちろん立たない。炬燵の中で横たわっているだけだ。当然ながら痩せていく。見る影もなく痩せている。口元までスプーンで運んでも食べようとしないときはお手上げだ。

今日はダッコの鳴き声で目が覚めた。私はすぐには動けない。目覚めた時は身体の関節があちこち痛いからだ。しばらく鳴いている間、ダッコはすこし元気になったかと考えた。だから鳴くのだろうし、炬燵からも出てきているのだ。

どれと身体を起こしてベッドから起きて驚く。防水カーペットの上には大量の尿がこぼれ、ダッコはその上で必死でもがいていた。炬燵から這い出したのか。どんな状態にあるのか自分でわかっていたのだろう。身体は横になったままだが立とうとしてか四肢を動かし、大海の中で泳いでいた。それは惨めな姿だった。

可哀想に。そう思う気持ちはなかった。ため息をつくこともなく、泣きたくなるような気持も起こらなくなっている。大量の尿の中で寝そべってもがくダッコを抱き上げてタオルに寝かせる。吸水布をひとまず尿の上に置き、熱いタオルをしぼってダッコの身体を拭く。全身が濡れているので炬燵にもどす。カーペットの尿を拭きとり、更に熱い雑巾で丁寧に拭く。肩に激痛が走る。

私はいつまでこんなことをしなければならないのだろうか。世話をよくしてくれたHiroshiが逝って以後の7年間、年々ひどくなるダッコの認知症をつぶさに見ながら、なおも凶暴さを失わないこの猫の世話に私は格闘してきた。そして介護の困難さは今や最高潮に達している。私は自身のつらい体に鞭打ちながら頑張ってはきたけれど、交代してくれる者もなく、息抜きもできず外出もできず世話に追われ続けてきた。その疲労たるや鏡を見ると表情にもあらわれている。疲れているのだ。猫の介護に心底くたびれているのだ。

もう逝ってくれれば・・。そう思うことは何度もあった。心の隅にいつもあるのかもしれない。これが可愛い性格のじぃじぃならば私の感情はまた異なるのか。ダッコは人間に応える愛らしい動物ではなかった。自分のしたいことだけをして要求し、家じゅうを叫びながら走り回り、新築で入居したマンションの障子や襖を無残にも引き裂き、至る所に引っ掻き傷をつけた。私や家人に何度も怪我を負わせ、そんなに野性が強ければ外へ出ていけばいいと思ったことも度々あった。しかしダッコはどこへも行かず、したい放題で我が家に24年以上も住み続けて超老猫になった。今、すばしこい強靭な四肢は見る影もなくやせ細り、立つこともままならず、みじめにも糞尿にまみれている。それでも気に入らないと看護人の手を噛もうとする。

私はダッコを愛しているのだろうか。問われたら答えられない。全員が動物好きである家族の誰に聞いても答えず苦笑する。Hiroshiだけは日によって可愛いと言い、ちょっかいを出してダッコを怒らせて遊んでいた。そしてよく怪我をした。彼は家に居る時間が短いから苦痛はなかったのだろう。彼以外、家族の誰もが恐ろしいのでダッコをじゃらすなどしなかった。すり寄ってきても頭を撫でようものならガブリと噛まれ、のどを撫でると珍しくゴロゴロいうと思えば三度目くらいに強烈に噛む。‘可愛い’という形容が、これほどなじまない家猫はほかに居ないだろう。

ダッコは自分を人間と同じ地位にあると考え、家族の一員だと思っていた。ペットを称して‘家族の一員’という人は世の中に多い。我が家では誰もそう言ったことはなかった。しかし彼女はいつもいちばん威張り、家族の中心になろうとし、人間が彼女について楽しげに語っていなければ、いきなり噛みついたり、狂ったように走り回り、敢えて人間の気を引く激しい行動をした。叱られても人間の注意を自分に向けたい猫だった。可愛い猫が飼いたいと願っていたが、人間だけでなく猫にも凶暴なダッコと共存できる猫は居ないと思われた。実際、どんな猫も受け入れず、いじめ続けた。その洗礼に耐えつづけたごく少数の猫が一時期同居した。じぃじぃは何もわからない赤ん坊の時から威嚇され続けてきた。だからダッコを好まない。

このダッコを抱っこ出来るようになったのはわずか2~3ヶ月前のことだ。それまでは弱っていても噛みついたり牙をむいた。幸いにも引っ掻く力は無くなった。世話をするのもいつ噛まれるかとヒヤヒヤだが、とくに顔を拭くと怒って噛みつく。どこをさわっても噛もうとするので、充分に身体を清拭できず、体を洗うのにも大ごとだった。そんな猫だから弱って身動きが取れなくなってきた頃からようやく可愛いと思えるようになってきた。

しかしながらフラフラと家じゅうを歩きまわって好きに排泄する時期はたいそう苦労した。動けないくらいの方がペットシーツの上で排泄してくれる。世話をする者には歩かない方が楽なのは事実である。しかし生きているのだから食べないのは困る。スプーンで運んでやるとわずか舐めては遠くを見ているような目でじっとする。根気よくスプーンを口に運ぶのには忍耐が要る。肩も腕もひどく痛んでくる。そのうち食べずに横を向く。水だけはよく飲むが、これも苦労する。うつむくことはまったくせず、何でも顔の高さまで持ち上げ、ちょうどいい角度に傾けてやらなければ食べず、飲まない。摂食させるのに根くらべだ。私の関節泣かせの猫である。

猫の介護を経験して私は‘人’の介護がいかに大変かを痛感した。それは経験していないが、その片鱗を垣間見たような気がする。同時にそういった仕事をしている人びと、家庭で介護にあたっている人びとの苦労が理解できた。ダッコは歩けなくなった。また歩くのかどうかわからない。食は極めて細くなった。もう終わりは近いのか。もしかしたら私は逝くことを待ち望んでいるのか。現在、私の少ないエネルギーの大半を費やすこのことのために、多くのするべきこと、したいことが停止している。私の病気も進む一方で、動ける時間は刻々減少していく気がしている。

私はひどい人間だろうか。しかし、もしもこの厳しい状況を理解してくださる人がいればありがたい。Hiroshi没後の七年間、私はひとりで懸命にこの猫と向き合ってきた。ペットという言葉も当たらないこの凶暴な猫と対峙してきた。その間、私の病気はずいぶん進み、毎日が自分のことだけで精一杯になっている。長女は産休中で、二歳児と乳飲み子の世話に忙しい。次女も離れて暮らし、仕事人間で重要な仕事を任されている立場にある。社会人となって各自のことに懸命な娘たちに猫ごときで迷惑はかけられない。

糞尿にまみれたダッコの身体は匂う。いくら熱いタオルで拭いても匂いは取れない。今の季節は風呂は禁物で、高齢猫は風邪をひくと命取りになる。食べないと少しでも食べさせようとする。水を苦労して飲ませようとする。これらのことを休みなく、交代なくしなければならない私は心身ともに疲れている。そのうえ自分のことが何もできないことの苛立ちが大きくなっている。私は弱いのだろうか。自分本意な人間なのだろうか。自問しながら今は老猫の介護だけを続けている。

しかしまた炬燵の中で音がする。ダッコが何をしているのか見てやらなければならない。私はこの猫がまだまだ生きつづけることを望んでいるのか、それとも・・・。答えは両方か。いや、片方か。いま言えることは、送ったあと、きっと私は悲しむより先に疲れを出して寝込み、快復までにかなりの時間を要するだろうということだ。もう猫はふやさない。拾わない。人に頼まれても貰わない。動物が飼える体力が私にはすでに無い。

けれども私はわかっている。この荒い気性も稀な長寿もダッコが望んだことではなく、天から与えられたものなのだ。その稀有な猫と関わったのも私に与えられたことなのだ。何度も死にそうになって心配し、悲しんだ。それは本当だ。しかしながら最終ステージだと知りつつこちらの体も心も限界まで来ている。この状態は、どうすれば突破出来るのだろう。私の場合、それはたぶん書くことか。だからこの場を借りて心情を書き、とってもキツイと初めて吐露した。これは公で言うことではなく、ちょっと情けない。しかし私を応援し続けてくださる少数の方だけには受けとめていただけるように思う。介護とは、動物であれ決してきれいごとではない。そのことを隠さずに伝えたい。ともあれ私は必死でやっていることをお知らせしたい。

読んでくれてありがとう。自分の日記に書くようなことを書いてしまったね。‘限界’というのを超えた向こうには何があるのだろう。それを知るのもいいことかもしれない。限界の向こう・・・。見てみたいね。今は昨年のように私が倒れないことだけを願っています。とにかく頑張るしかない。ただ今はそれだけ。

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2011年10月 1日 (土)

ギンモクセイ

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きのう、起きると部屋じゅうに甘い香りが広がっていた。

どこかのキンモクセイが香っているのだろう。

この木を植えるまではそう思っていた。

けれどもいちばん香っているのは私の庭のギンモクセイ。

金と銀。

私はオリンピック選手ではないからどちらかといえば銀が好きだ。

キンモクセイではなくこのギンモクセイにしたもうひとつの理由。

この木は春と秋に花を咲かせ、一年のうち二度も香るのだ。

キンモクセイはオレンジ色 ギンモクセイは薄黄色。

それぞれに愛らしく それぞれの芳香は人を酔わせる。

この香りをあなたに届けられたらいいのだけれど。

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2011年9月29日 (木)

最初の紅葉

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2007年に植えたソメイヨシノの木が色づいてきた。

ちらほら黄色くなっているのは気づいていたけれど、

はじめて紅い色になった私の桜の葉の一枚。

熱があって頭痛もあって だるさや吐き気もあるのに庭へ。

カメラを持って脚立に乗って 君に近づこうと努力する。

だって君は明日には散っているかもしれないもの。

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2011年8月19日 (金)

サルスベリ

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サルスベリが満開だ。

日が高いうちにと西日のなか撮った。

どうせならと脚立に乗り、木のいちばん上で咲く花を撮った。

腕を伸ばしてコンパクトデジカメの窓に収めると、

なんであの娘たちだけなのよと、咲きこぼれる花々が不平を言う。

この木は多く花をつけた翌年ほとんど咲かない。

そのことを太宰の小説で知るまでは、

咲かない年に心配ばかりしていたっけ。

うちのサルスベリは奇数の年に咲くらしい。

この夏わたしの手の甲は、いつになく陽に灼けている。

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