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2012年3月 9日 (金)

二件遂行

このブログは昨年来ストップしている。何かと多忙だったということは言い訳にならないが、慌ただしい日々であったことは事実だ。その慌ただしい中で、必ずするべき項目であった2つのことが片付いた。それは老猫を送ることと娘を送り出すことだった。

一月下旬、老猫を送った。寒波到来の寒い日に荼毘に付した。
骨揚げをして骨壺に収め、居間で眠っている。

二月中旬、次女が結婚した。大阪梅田のホテルで身内だけのささやかな式を挙げた。
この娘は老猫を荼毘に付すときに身重だったが駆けつけてくれた。そして可愛い花嫁になった。

これらのことを無事に終えたあと、私は空っぽになった。
寂しいのではない。私にはすでに寂しいという感情は無い。どちらも私が関わるべき大きな項目で、これらは私の体が動けるうちに関わりたいと願っていた事柄だった。それが出来たことの大きな安堵が、寂しいといった感情の何倍もあったのだ。

そして思った。
これで残りの人生は好きに生きられる。

私の体は衰えが甚だしい。
それらをひとつひとつ述べる必要もないので言わないが、焦りはある。
なぜなら私の一番したいことは体力を要することだからだ。
もしくは頼れるパートナーの存在が無ければ不可能なことだからだ。

この冬、また大きく症状が進んだ。関節や筋肉の衰えが顕著で体重も減った。
加えてレイノー症状で手指の第二関節から先は感覚がなく、指の背や手の甲も惨憺たる状態になった。それは、しもやけといったものの域を超え、登山家が患う凍傷に近いものだった。今なお赤黒く皮のむけた指で人前に出せない。冬の間は指の感覚がなく、たびたび食器を落としてずいぶん駄目にした。ペットボトルの油や調味料、瓶の蓋など開けるにもひと苦労だった。

2010年の大きな体調の崩れをきっかけに、年々症状は加速している。
しかしながらしたいことが複数ある。そのことが出来るのかどうか自信はない。
望みはあっても出来ないかもしれない。逡巡を繰り返し、ひるむのは事実だ。

だが、何もしないで衰えるよりも、したいことをして急激に衰えたとしても満足だ。
人生は長さではなく、いかに生きるかだ。
残りの人生は好きに生きる。

2011年12月 2日 (金)

箱モノをなくすこと

事業仕分けでよく耳にした「箱モノを無くせ」という方針は、あまり活用されていない建築物に国の経費をかけないための方策として掲げられた。これは片づけやモノ処分にもあてはまる。私の場合、将来的に家という箱モノの不相応な規模を是正するためにも家の中の箱モノの見直しが必要となってくる。

ところが私は箱フェチである。きれいな化粧箱にかぎらず、箱という箱を取っておく癖がある。その理由は四角いモノが好きなこと、何でも取っておく性癖を有すること。この2つだ。その昔、戴きものの箱を両親が取っておくのをよく目にした。缶の箱はとくに重宝がられた。それらの箱には写真や書類など大事なものが収められた。そういった親の生活を見ていたせいか、箱は貴重だという意識が私の中で育っていた。そのため箱といえば小さなものから大きなものまで一応は取っておく。箱の材質も様々で、紙、缶、プラスチックまで種類は豊富だ。そういう訳で使っていない二階の一室は、箱でほぼ占領されているのが常だった。

これらの箱を取っておくのは、むろん箱が好きだというだけではない。入っていた品物をまた収めるのに使うかもしれないとも思うからだ。仕舞っておくにしろ、人に譲るにしろ、箱があれば重宝だ。電化製品の箱は取っておけとも言われているので、それらはすべて取ってあった。季節商品の収納にはたしかに便利だ。ところが箱は積むのにも都合がいいが、箱そのものが場所をとるのも事実である。それに季節用品を何年も出し入れするうち箱はくたびれてくる。パソコンなどの箱は修理のときに使うかもしれないと取っておくが、修理に出すことなどほとんどない。こう考えると、すぐに処分しても何も問題はないと思われる。それなのに随分いろいろな電化製品の空き箱を取ってある。処分しよう。

私の箱好きは机やボード、書類ケースや食器棚の中にも現れている。こまごまとしたものを小さな箱を駆使してモノを入れ、それがスッキリ見えていいと長い間おもっていたのだ。ここはボールペン、ここは鉛筆、ここはホッチキスの針やスペアインク、ここは切手、ここはシールと種類ごとに小さな箱に入れてあった。しかし最近になって気がついた。ひとつの小グループの箱は満杯になることはまれである。そうすると、区分けしてあるそれぞれの箱には余裕があるのに、しばしば引き出しにいくつも入らないといったことになる。はじめは小箱の空間はあった方が使いやすいと考え、それでよいと思っていた。しかし、ひとつの引き出しをより効果的に使うには無駄な空間をなくして全体を七分目くらいにするのがよいことを知った。だが収納する品の種類は多めの方がよい。文具類など引き出しひとつで用が足りるのは都合がよい。それには小箱で仕切るのがベストの方法ではないと判明した。

そこで使いはじめたのがチャック袋である。これは中身も見えてかさばらない。何もかも箱に入れるのを改め、チャック袋の併用で整理すれば収納力が倍増する。最近はさまざまな大きさや形のチャック袋があるので便利だ。この方法で整理すると、大小さまざまの箱が空きはじめた。引き出しの中はもちろんのこと、押し入れなどに書類ごとに分けて収納していた箱をたたんで袋に替えるとカサが減り、製品の取り扱い説明書、領収書、納品書、そして写真なども箱や缶をやめて袋にしたら収納しやすくなった。そんなことは最初から気づいている人も多いだろうが、如何せん私は箱フェチであるために、今頃気がついたのである。そして長年あたりまえのように存在していた箱たちと別れを惜しみながら、お役目終了としている最中である。

器を無くせばカサが減る。大事なのは器ではなく中身なのだ。自慢の記憶力も怪しげになってきた近頃、蓋をあけてはじめて「あぁ、これか」と思うよりも、一目瞭然なのがよい。そんなところから私は家の中の箱処分に精を出し、箱だけでなく衣装ケースやプラケースを減らすことにまで手を広げはじめている。あればモノを入れるが無ければ入れない。自分ひとりのモノや衣類はそれほど多くは必要ない。好きなモノが少しだけあればよい。四人家族時代のモノ処分は中身だけでなく器もその対象だ。さいわいにも衣装ケースなど収納ケースは被災地でたいへん喜ばれる。新たな場でふたたび活用されればうれしく、入用の方々に衣類や日用品を詰めて送っている。お陰で押し入れの中がずいぶん空いた。使っていただく方々に対して感謝の気持ちが芽生える。

現在、私は老猫の介護に時間やエネルギーを使い、師走になるというのに片付けが停滞気味だ。焦りはあるが少しずつ再開を始めた。体力が無く、あれやこれやと同時にできないことに苛立つが、こんなことに気がついた。箱をたためばスペースが広がるように、私の中の「箱」もたためば心が少し広くなって居心地がよくなるのではないかということだ。「猫の世話」「モノ処分」「片づけ」「好きなこと」「するべきこと」など、種類別にひとつずつ入れている箱からぜんぶ取り出してみればよいのだ。そして透明なチャック袋に移し替えておけば、いつでも見える。そうしておけば、どの項目にもすぐ取りかかれる。気が向いたときにそれらを愉しくやればよいのである。

わかりにくい比喩かもしれないが、要するに四角ばった中身が見えない器ではなく、可視性と柔軟性のある入れ物のほうが便利だということだ。つまり人の心の中も箱という仕切りで区分けして仕舞い込まず、軟らかな考え方でものごとに対処するほうがよいと気づいたと言おうとしているのだ。依然としてわかりにくいかもしれないが、なんとなく分かっていただければ幸いである。箱モノの数は最少限度にとどめる努力を引続き行おう。心の中にあるモノも、箱から出して解放しよう。可視化・透明化。それがきっと暮らしよい。

2011年10月25日 (火)

アルバム整理をしておこう

今月に入ってから体調のよくない日が続いている。気候がよくなってきたが、それとは無関係に年じゅう具合が悪い。季節の変わり目だからと人は言うが、そうでなくとも風邪をひき、痛みやだるさに襲われる。季節にかかわらずそれらと共存しているので仕方がない。そんなこんなでほとんどベッドの上にいる。何もかも遅々として進まない中で、かろうじてパソコンや電話で支援活動ができているのが救いである。暑い時には涼しくなればいろいろやろうと思いながら、涼しくなったら風邪ばかりひき、じきに寒くなってしまう。寒くなると手指がいうことをきかなくなり、からだのあちこちに痛みを生じ、心身ともに縮こまってものごとが進まない。春は春で埃っぽくて目のトラブルが絶えないし、やたら世間が浮かれて騒々しく、ひとり者には寂しげな季節で好きではない。こうしてみると、私には一年じゅういい時がないように思えてくる。

雑談はともかく前回に遺言書作成を勧めたが、私がぜひとも済ませたいことのひとつにアルバム整理がある。これがまったく始められない。とりかかりたい気持ちはあれど、そのほかのことが片付かず、落ち付いて写真整理ができそうにない。二人の娘のアルバムは成長段階の途中で終わっている。私が仕事に忙しくなってきた頃からパタリと途絶えているのである。そして膨大なネガや紙焼き写真が箱に収まっている。それらは年代別に並んでいるが、手にとって見はじめると、果てしなく見続けてしまい、整理どころではなくなるだろう。そういうことも考えて、アルバム整理はもう少し全体の片づけが進み、生活縮小が誰の目にもわかるくらいになるまで我慢しようときめている。それはもう少し先のことだ。では、なぜ今アルバム整理の話をするのか。私はまだ出来ずとも、これを読む皆さんが始めるきっかけとなればよいと考えて取り上げた。アルバム整理が未だ出来ていない方々に早急にとりかかることを勧めるためだ。

阪神・淡路大震災で私のふるさとや周辺都市が破壊されたとき、瓦礫の中から人々が懸命に探したのは‘思い出’だった。このたびの東日本大震災においてもそれはおなじだった。IT化された世の中でさえ、人びとは紙焼き写真が貼られたアルバムを探し続けたのだ。最近はほとんどの人がデジタルカメラで写し、画像をパソコンに取り込んでおくという形での保存が多い。用心深い人は二重、三重に保存場所や方法を変えもする。私もそのひとりである。だが、東日本大震災のような規模の地震・津波が来たとき、パソコンなど水に弱いただの機械に過ぎないことを我々は思い知った。瓦礫の中からパソコンを見つけたとてデータの復元は難しい。だからこそ被災者の人たちはアルバムに貼られた懐かしく大切な写真を一枚でも取り戻せたらと探し続けた。犠牲者の捜索や瓦礫処理にあたる人びとも、写真やアルバムが出てきたら保管場所へと持ち寄った。そして集められた写真をきれいに水洗いし、できるだけ元どおりになるように、ボランティアさんたちが懸命に活動した。今もその作業はおこなわれてきる。

生きていくには現在と未来が大切だ。私はいつもそう口にしてきたが、現在の私も未来の私も身近な者たちと多くの時間を共にした過去から続く線上に生きている。その自分が生きた証となるモノや記録を失うことはつらいことに違いない。突如として起こる天変地異や事故に対して私たちは無力であり、何が起きてもまず生きていることが大切なのは言うまでもない。だが人は誰も思い出と無縁で生きられない。なぜならば、矢のように過ぎ去る時間は刻々すべてが思い出となってゆくのだから。心の中に残る思い出は消えないというが、それとて歳を重ねれば忘却の彼方へ往くやもしれない。出来ることならモノで、写真で思い出を語り、温まりたいのは誰しも同じだ。それら写真は厳選したものをアルバムに貼り、貴重品として保管しては如何だろうか。家庭用金庫とは貴重品や現金を入れるためにあるのだが、貴重品として家族のアルバムをぜんぶ収納できるサイズのものがあればよいのにと考えた。こんどメーカーに提案してみようかと思っている。

2011年10月14日 (金)

遺言書の作成について

だるさがひどく、まったく動けないで寝ていると、時間が無駄に過ぎていくような気がする。
なぜこんなにだるいのかと考えればすぐにわかる。前日に動き過ぎると必ず翌日はこうなるのだ。わかっているが、動ける時にはつい動いてしまうのだから仕方がない。そんなときに考えることはあまり明るくない。しかし暗くもなく、山ほどあるするべきことを頭の中で巡らせている。ずっと気になっていることがある。それは遺言書を作成することだ。私はまだ書いていないのだが、同年代では書いている人といない人の比率はどれくらいのものなのか興味深い。

ひと頃はやった遺言ノートなるものを私も買ってはみた。それはマンガの挿絵つきでわかりやすい説明がなされたカジュアルな遺言書の手引きだった。遺言書などというと形式ばったものかと思いきや、想像以上に簡単なものであることに驚いた。読むのにも一時間とかからず、遺言状たるもの、こんなでいいいのかとさえ思うくらいの手引書だったが、たいそうなものだと考えていたのが楽になった部分もある。

遺言書は今や老齢期の人びとだけでなく、30代や40代の若い人たちも書くべきだと手引書は勧めている。そうかもしれない。人間、いつなんどき、どんなことで命が終わるか誰にも見えない。そのためには年齢を問わず遺言書なるものを用意しておくと安心ではある。この遺言書だが、決して難しいものではないながら、記述に際して絶対に守るべき点があることは心得ておきたい。きまりを守らなければ、せっかく書いた遺言書が無駄になることもある。以下に挙げた事柄だけは今すぐに頭に入れておいてもらいたい。

◎遺言書作成に関して覚えておきたいこと三原則

1.本人の自筆で書かれたものであること。

2.鉛筆など消すことができる筆記用具で書かない。

3.日付の記入と押印は必ずすること。

私もそうだが近頃は何でもパソコンで文書を作成する人が多い。けれども遺言書は直筆でなければ無効とされる。さらに何者かによって書き換えられないために万年筆や筆などで記入することも義務づけられ、日付が無いのも無効になる可能性が高い。押印は実印が望ましい。遺産を分割する際には実印が必要で、遺言書の保管場所にその印鑑や印鑑登録カードも保管しておくのがよい。

また、遺言執行者を指定し、その際には遺言書にしたがって執行することもできる。これは行政書士、司法書士などに生前から依頼しておくのだが、いくらかの費用がかかる。詳細についてはひとつWebサイトを紹介しておく。遺る者たちが気持ちよくあとを引き継ぐためには、ぜひとも遺言書は作成しておく方がよい。関連書も多く出ている。年齢を問わず、また中高年になればぜひ作成したいものだ。私も今年中には作成しようと考えているところである。

◎ 遺言書の書き方 (行政書士市川事務所様サイトより)

2011年10月 8日 (土)

絞っていく時期

先日、親友と電話で話した。彼女とは、親友でありながら年にいくらも話さない。一度も話さない年もあるし、数回も話せば多いほうだ。メールのやりとりも用がある時のみに限られる。変わり者の彼女とは、さばさばした付き合いだが中高時代を共にした一番の親友だ。

用件が終わって雑談になり、話題は方々へ飛んだが、このような話になった。人生を何段階かに分けたなら、そろそろ最終段階に近づいている。私の場合、いよいよ本当にラスト10年か、それより短いかもしれないと思う、そろそろ一番したいことを絞っていくべき時期に入っていると話してみた。たいていの人はこのようなことを言うと、まだまだ頑張れだとか、元気な自分の方こそ先に逝くかもしれないと、ありきたりのつまらないことを言って愛想笑いなどする。そういう人とは絶対に親しくなれない。こちらが病気もちで真面目な話をしようとするのをきちんと受け止められない人だからだ。だが、彼女は違った。そうやなぁ。それはそうやと思う。そういう時期やなぁ。とだけ言った。彼女もまた健常な身体ではないのだ。健常な者にはない焦りは、よい意味できちんと先を見据えて生きる動機になっている。健康でも病弱でも、そろそろ最後に何をするのかを決める時期に入っているということで意見は一致した。

いつも書いているように、私にはしたいことがいくつもある。それらをベッドの上で考えていると、不思議なことにどれも実現できるような気がしてくる。たとえば一番したいことは、私が最も自信のある中高生の学習指導だが、それは人生の半分ほどを仕事として費やしたプロとしての誇りや自信とともに厳然と私の中に今もある。それを被災地で活かせたらと願っているのだ。学校の教師のように総合的な指導はできないが、塾の講師は確実に学習を理解させ、学力向上へと導くことを旨とする。もちろん生徒に愛情をもち、学習が面白く楽しく思わせる指導をしなければならない。私はとくに学力の低い生徒を伸ばすことに力を注ぎ、大いに遣り甲斐を感じてきた。被災地では震災後の教育現場が以前とは大きく異なるようだ。学校が流されたり今なお避難所になっているところもある。統廃合されているところもあるだろうし、別の学校に遠くまで通っている生徒も多いことだろう。そんな状況で、生徒の学力差が大きくひらいていることが危惧される。支援サイトで知った塾の先生によると、高額の教材を売りつける悪徳業者も出没するという。そんなことを知ると、居ても立ってもいられなくなる。すぐにでも飛んでいき、私が作成した教材で教えてあげたい気持ちになる。

けれども私は病気もちだ。持病をもって以来、口惜しいと思ったことは数えきれないが、この度の震災でも感じずにいられなかった。もしも健康体であったなら、今頃もう現地で学習指導のボランティアとして活動しているだろう。人生の終わり近くでなすべきことを絞るとしたら、すべてを投げうってもそれに専念したいと思っているが、如何せん私の身体がそれを許さない。現実的に考えると体力的に無理だと分かるのだが、このことに対する熱意と願望は消えない。健康であれば絞った結果、これしかない。けれども私は病気もちだ。これはあきらめなければならないのか。人のサポートがあれば何とか可能なのか。まだ夢は捨てていない。というのも学校の勉強ばかりがすべてではないということは分かっている半面、学力不足が原因でさまざまな問題を抱える子どもたちが全国に居ることは事実だからだ。学力がその子の将来や生き方を左右することは否めない。

この大切なことに再び関われたら無上の喜びだが、私の希望に耳を傾けてくれる人の大部分は、どうせ無理だと分かっているのか、ただ頷いて微笑んでくれる。では、一番したいそのことができないのなら、最後に生きる形とはどんなものなのか。霧に包まれて答がまったく見えてこない。絞りたい。絞れない。体力がなくて出来ないことだらけの病弱な者には、背の高いハードルが目の前に立ちはだかり、越えることができない現実がある。したがって何をするべきか未だ絞ることができないのだ。病気であることはやはり口惜しい。人のためになりたいのに出来ないのは、まことに地団太を踏むような口惜しさがある。

2011年10月 6日 (木)

愚か者であり続けること

アップル社の創設者で元CEOのスティーヴ・ジョブズ氏が亡くなった。8月に退任の挨拶で公に出てきた時のあまりの痩せように直感したが、思いのほか早い逝去だった。

私はMacのユーザーではなくipodもiphoneもipadも持っていない。しかし、いち早くマッキントッシュというOS(Operation System)を世に送り出した彼の偉大さや大胆な発想、さらにはいくつかの名言について人並みに知っている。折しもipad2の購入を考えているところでもある。だがライバルでありプライベートではよき友人であったというビル・ゲイツ氏が率いるマイクロソフト社も、近い将来Windows8を搭載したタブレット端末を発売予定だという。それを知り、もう少し待って比較しようかと考えているところだ。ITのなかでもこの分野はこれからますます各社とも進歩するだろうが、迷ったり待ったりする人たちにはアップル社の製品に憧れをもつ人は多い。私もその一人だ。そんな憧れとともに、世界中の人々のライフスタイルを大きく変えた彼の偉大さに、いたく尊敬をしている。

東日本大震災で発売が遅れたipad2が欲しいと思った理由は薄くて軽いことだ。私は病気のために指関節や手首の力がほとんど無くなるときがある。特に血流の悪くなる冬場にはそれが著しい。また起き上がるのも大変で、ベッド脇に置いているノートパソコンをデスクごと引き寄せるのすら億劫になることもしばしばだ。そんなとき、ベッドで上体をバックレストにもたれさせて操作できる軽くて便利なipadはずいぶん力を発揮してくれるだろう。出歩ける訳ではないから無線LANで室内のみの使用になるが、アプリをさまざま入れると世界が広がり、楽しみも無限大になる。このようにIT(Information Technology)は、私をはじめ多くの病気の人たちにも大いに貢献している。病人の私が世界の情報をベッドで瞬時に把握できる利器。それひとつをとっても功績は偉大だ。その彼は56歳の若さで世界を、生涯を駆け抜けた。偉大なる才能を発揮し、駆使するにはその長さが限度であったのか。

スタンフォード大学における彼の演説の中に有名な言葉があるという。それは“Stay hungry.Stay foolish.”という言葉らしい。空腹であり続けよ。馬鹿であり続けよ。そのような意味だ。私たち凡人は年を重ねるにつれ穏やかになり、貪欲に求める気持ちを失い、妙に思慮分別をつけたがために大胆なことが出来なくなる。孫と遊ぶのを楽しみにし、趣味に興じて日々を暮らすことは幸せで平穏な生き方ではある。何も今から無理に腹ペコになることもなかろう、馬鹿になど更になれないと人生の後半では守りの態勢に入る人びとが多い。実のところ私もそうなりかけている。いや、なっている。

けれども私にはそれで満足できない気持ちも強い。病弱なくせしてまだ何かができると夢を見ている。これを「空腹」といえばそうかもしれないし「馬鹿」といえばそうだろう。私は出来もしないことをしたがり、何でもかんでも興味をもって真剣に取り組もうとするが、それはいいことなのだとジョブズ氏の言葉で気づかされた。私は充分に腹ペコで、充分に馬鹿である。たとえちっぽけな人間でも「貪欲」で「愚か」であり続けることは貴重なことで、取りも直さずそれはその人の中心的な体幹部分である精神を構成する。満足しないこと、愚直に求めて生きることは大切だ。「その日」が来るまでにしたいことも、しておきたいことも沢山ある。私も腹ペコの馬鹿者、何かを追い求め続ける貪欲な愚か者でありたいと思う。

鬼籍に入れど歴史に遺る不滅の人、偉大なるスティーブ・ジョブズ氏の冥福を祈りたい。

2011年10月 5日 (水)

『優先順位』はむずかしい

ものごとにはするべき優先順位がある。私は目覚めたときの体調で、その日に活動できるだいたいの総量を把握する。そしてするべき事柄の優先順位を決めるのだ。相手があることは最優先する。メール、電話、荷物の発送、お知らせの文書送付などはトーストとコーヒーのあと、すぐに取り掛かる。それらは体調いかんにかかわらず、するべきことなのだ。

それ以外は生きもの、植物に関する事柄をもってくる。生きているのだから放っておけない。それなりの世話やケアが必要だ。また、花が咲いたり珍しい生きものが居たら、絶好のシャッターチャンスなので、何をおいても撮影にかかりきる。その時でなければならないことは誰しも優先するだろう。体がきかない日には掃除を休んでも、それらを休むわけにいかないのだ。

では、人生において優先すべきことは何か。もっと絞れば、現在の私が以後の人生で優先するべきことの順位はどういったものだろうと考える。モノ処分、自身の楽しみ、人間関係、今後の行動などいくつかのことが頭に浮かぶ。だが、それら生活でのこまごましたことに順位をつける前に、私には大きな二者択一が構えている。それは、人生一度きりだとばかり思いきったことをするか、これまで同様に平々凡々と暮らしていくかという選択である。其処が決まらなければ、今後どのように生きていくかが描けない。

困ったことに、どちらの生き方を選ぶかを決めるにも、何を優先するかが問われる。体を第一に考えるのか、はたまた命を縮めても好きなことをやって死んでいく満足を得るかを決定する必要がある。肝心のこの答が出なくて私は困っているのだ。無理をするとすぐに体に響くことは分かっている。けれどもしたいことがある。それを押してすることは、周りに迷惑をかけることになる。そこが問題なのである。倒れれば迷惑をかけてしまうため、躊躇していることが私にはいくつかある。ものごとの優先順位を決めるのは、むずかしいものだ。

2011年9月24日 (土)

『長くて短く 短くて長い時間』にすることいろいろ

ひとつ飛んで前の二回が『長い時間』『短い時間』と連載のようになった。本当は題名をそれぞれ『ベッドの上の長い時間』『ベッドの上の短い時間』としたかったが、やめておいた。ブログを長年やっていると、検索で何がヒットし、何がヒットしないのかがわかっている。人びとが検索するとき、タイトルによって訪問するかどうかを決めるところが大きい。(このブログは情報提供の場ではないので、多くの人の来訪を切望している訳ではない。単なる私的な記録だが、もしも面白ければ来られたし) したがって、そのようなタイトルをつければ官能小説か何かと勘違いをした見知らぬ人ビトがわんさと訪れるやもしれぬ。ゆえに‘ベッドの上の’をカットした。ベッドはベッドでも、私の場合は病弱系ベッドである。艶っぽい方面を期待された方を落胆させては申し訳ないので、しぶしぶそうした。説明が長くなった。どうでもよいことではあるが。

ではベッドの上での長い時間、いったい私は何をしているのだろう。「あぁ、しんど」と、バタリと倒れ込んだとき、無常の喜びを感じる。体が楽になる瞬間に「あぁ、極楽」と思うのだ。この倦怠感については持病のもつ最も厄介な症状でありながら、緩和できるものはステロイド以外にないのである。もちろん増量はしたくないので、だるさとは生涯なかよく二人三脚でいくよりほかに道はない。それはともかく、極楽だぁと思ったあと、ベッドでの時間を何をしているのか?これはカメラでも据え付けて、一日じゅう動きを撮ってみればいちばんよくわかる。観てみたいものである。きっと私は「コレです」と言えない(言うほどのことでもない)事柄をいろいろとしているのだろう。ここ数日の間にしたことを思い起こしていくつかを書き連ねてみる。

折しも秋場所開催中につき、元気であってもなくても場所中はほとんどベッドの上で観戦している。以前は幕下の取り組みが午後一時から観られたのが、現在は放送がなくなってしまい、午後三時過ぎから六時まで相撲を観る。そのため体調いかんに拘わらずその時間は元気でもベッドにいる。しかし、なんかかんかしている。(←関西弁「何かをかならずしている」の意。「なんやかや」とも言う。)今日は前日に作成した文書をメール便で送るため封筒に宛名書きをし、同時に娘に果物を送る伝票を書いたりしながら十両あたりを観ていた。

それからキャットフードを剪定鋏で切り始めた。これは前からダッコのためにしていたことだが、彼女は超高齢猫用トロトロ缶詰が主食になり、その必要がなくなった。けれども今度はじぃじぃが今までのフードをよく噛めないのか吐くようになり、彼のために一粒ずつこまかく切っている。左肩や腕がひどく痛んだときは小さなものをつまむたびに激痛が走り、これが最もつらい仕事だった。しかし自己リハビリを頑張った甲斐があり、現在はこまかい作業にも肩周辺の筋肉が対応できるようになってきた。餌を切っている最中にも首を突っ込んで食べにくるじぃじぃを叱りながら、せっせと塩まきの間に切っている。よそ見をして切っていると指先を怪我するので、切るのと観るのはきちんと分ける。制限時間いっぱいになれば取り組みをじっと観て、「うわぁ」とか「あぶなっ」とか「やった」などと鋏を片手に叫んでいる。じぃじぃの妨害に耐えながら容器にそこそこフードがたまると別のことをする。

手を洗ったあと寝ころび、「極楽~」とふたたび感じ、やおら腹筋運動など始める。これはテレビを観ているときによくすることだ。しかし制限時間いっぱいになるとやはりじっとして勝負を観る。このとき、わざとしんどい角度で止まって観ている。そうすると腹筋がふるえて効果的だ。さらに久しぶりにパックでもしようと洗面所へ行ってパックを取ってくる。そして塗りたくり、脚を上下させたりクロスさせたり静止したりして腹筋運動をしながら白い顔で観戦している。そんな飼い主に猫は慣れているのか、ときどき白い顔になるが少しも驚かない。ちなみに私は病弱系だが体内組成年齢は33歳と出る。体重やサイズも若い時と変わらず、体型にもあまり変化はない。努力をしているという意識はない。このような性分と行動パターンが理由かもしれない。動けるときはそれがうれしい。

そのほかベッドの上でよくすることを挙げれば好物の枝豆を枝からちぎりながら観ているし、爪を切ったり洗濯ものをたたんだり、頭皮マッサージのようなこともする。何もしないで相撲だけを観ることがどうしてもできない。(これを昔は貧乏性と呼んだが、今ならボンビー性か)あるいはベッドテーブルの上を片付けはじめたり、スタンドの埃を拭いたり、上体を乗り出して小さな手ぼうきでベッドまわりの床を掃いたりもする。猫が喧嘩を始めたような声が聞こえると、パック中以外は硝子戸をあけ、飼い主じきじきによその猫を威嚇する。途中でコーヒーが飲みたくなったら、取り組みを気にしながら急いで湯を沸かして淹れ、カップ片手に運動会の父兄競技のスプーンリレーの要領で、手は動かさずに小走りに素早く戻ってまた観戦。相撲の期間中はとくにベッドに強力に引き寄せられ、行き来するスピードも速い。観戦中は貼り着いたように動かない。

相撲観戦中ではないときにすることは、郵便物の開封や整理、不要な郵便物の選別および処分、その前に集めて送るため使用済み切手を切り取っておく、ノートパソコンでの作業、カメラ関連のこと、そしてそして読書である。書くことである。それから今あなたが読んでくださっているブログを書いたりもベッドの上だ。すべてが My Lovely Sunoko Bedの上でなされている。何かしてはベッドにもどり、ベッドに長くいなければならない日には多分に身体がつらいのだが、出来るだけ坐ろうと努力して何かをしようとしている。こうして私の短くも長い一日はくり返される。動きまわって家じゅうをきれいにしたりなど、望んでいることが充分にできず、外での買い物を楽しんだり書店に行くこともできなくなった。しかしネットという強い味方があるので不自由は感じない。このように長くて短く、短くて長い活動時間で、今のところ何とか「自活」(=自立生活)ができている。行き届かないことは多々あれど、この身体で自活していることに満足している。

人から見れば単なる‘ぐうたら’に見えるかもしれない私の生活だが、動けないものは仕方がない。現在は仕事をしているわけではないからステロイドを増量してまでもっと動こうとも思わない。私とてこの自分を受容するまでに時間がかかり、葛藤はいろいろあったのだが、よく動けた頃を懐かしんでもなんにもならない。かくして私はベッド以外で活動できる時間が短いことにも不満を覚えなくなった。素早くものごとをすることに磨きがかかり、あとはぐうたらを決め込んでベッドの上で長い時間を過ごすことに対して自分を責めなくなった。それもよしと思うようになってきたのだ。まことあきらめまじりの発展的慣れというのは恐ろしいものである。
今日も私はベッド以外で素早く動き、ベッドの上ではのんびりまったり過ごしている。これこそが体調維持の唯一の方法だ。今は‘ぐうたら’に見えても仕方がない生活になってしまった私だが、かつては人一倍動く人間だったことを最後に付け加えておこう。一応はメンツのために。 注:面子(メンツ・体面、面目の意)は中国語より日本語化された言葉。

体調がよくなってきたので、複数の更新ができた。小説も少しずつ進んでいる。
相撲が面白い。今場所、琴奨菊が頑張っている。魁皇から何やら言葉を貰ったようだが秘密らしい。ぜひとも大関になってくれということだろう。目指せ大関、がぶり寄り琴奨菊! ところで今頃になって気がついたが、今日の記事は『その日が来るまでにしておきたいこと』とは無関係なことばかりになっている。それもよしとしよう。

2011年9月16日 (金)

『シェーグレン症候群』について

ここ数カ月、ブログおよびサイトへ初めて訪れる客人が増えた。東日本大震災関連の記事を掲載していることが新しいお客様を招いているようだ。(しかし洋楽や訳詞、それに‘Tシャツの干し方’など俗なこともなかなかツヨイ。)

検索にヒットしやすい別ブログに初めて訪れた人たちにとって、おそらく右近とは何者か分からないだろう。「右近トーク」には体調が安定しない云々・・と頭に書いてあるし、このヒトは何の病気だと思うことだろう。(HP『平成道行考』の「その他」から‘病気’の記述へ行けるのだが、奥まったところにあるので分かりにくいかもしれない。) ときどきメールでお尋ねになる方もあるが、トークでも書いたように、申し訳ないながらそれらにお答えするのが大変なので、私の病気について分かりやすい説明を掲載しているサイトを紹介する。

この病院はシェーグレン症候群についてとても理解があることが以前からわかっている。この病院にかかるために京都に住むことも考えたことがある。(この先に住む町の選択肢のひとつとして京都は常に考えている。) たいていのサイトは「目が乾いて口が渇く病気です」としかないのだが、そんなに簡単なものではなく、厄介なことはたくさんある。世間にあまり知られていないこの病気だが、少しなりとも知っていただければありがたい。とくに病気を抱えながら働くことを余儀なくされている人たちにとって、なぜあの人はすぐに疲れるのか、無気力に見えるのか、急に横になりたいと言うのかなどについて、広く理解が得られたらさいわいである。

ちなみに私は発病して15年になる。10年ごとに段階が上がり、症状がきつくなると言われているが、私は第二段階の真ん中にまで来てしまった。きついはずである。この年月の間に以下のページに掲載されている症状をすべて所持し、急性期にもったのが繊維筋痛症(現在は無い)や筋炎、まだ訪れないのが悪性リンパ腫である。(これは来てもらっては大いに困る)私が生きている限り付き合わなければならないこの病気、 よろしかったら知識をもっていただき、周りにそういう人がいれば理解して優しく接していただきたい。読んでくださる皆さんが私にはうれしい読者様で、ページのトップから下まで、ゆっくりとお読みくださいますようお願いする次第である。

今日はこちらからお知らせとなります。紀伊半島、奈良方面での大雨が心配です。土砂崩れも土砂ダム決壊も、なにごとも起こらないことを切に願っています。


◎『シェーグレン症候群』について (京都 宇多野病院のサイトより)

2011年9月14日 (水)

『短い時間』

私の一日は短い。人様と同じ24時間を与えられてはいるけれど、活動時間がきわめて短い。いったいどのくらいの時間を動けているのか計ってみようと以前から考えていた。眠りについては若いときには5~6時間ほどの睡眠時間で平気だった。それくらいしか時間がとれないほど仕事や家庭のことで忙しかったのだ。だが今は弱る体力を維持するのに8時間の睡眠が必要になった。したがって活動時間は24-8=16時間だ。しかし私の場合、16時間を動き続けることが不可能だ。では、いったいどのくらい動いているのだろうか。

私はリモコン操作で操られた人形のように、すぐにベッドへ舞いもどる。なぜか?だるくなるからだ。しんどくなるのだ。それで、どうにも横になりたくなってしまうからだ。30分も動くと疲れてしまい、自然にベッドへと向かう。そして横になる。私には動いた時間と同じくらいの休憩が必要となる。休んだ後、また復活して動きだし、またしんどくなって舞いもどり・・のくり返しの一日だ。この生活にも慣れてしまい、なんとも思わなくなっているが、先月のある日、いったい私は一日にどれくらい動いているのか‘のべ時間’を計ろうと実行した。それはベッドを離れた時刻と舞いもどった時刻を記録し、活動した時間を合計するというものだ。

計ってみた結果、さてもさても予想通りに私は短い時間しか動いていなかった。なんと活動時間の合計は、たった6時間だった!おおよそ見当はついていたが、やはり短いと知った。しかし体調によって日ごとに若干の差はある。計った日は今から体調が下降すると思われる日のことだった。調子のいい時はもう少し動いていることもあるが、それとてせいぜい上限が8時間くらいのものだろう。不調のときは2時間も動いていないだろう。つまり私は世の中の人々が活動する時間の半分、あるいはそれ以下の時間しか動けていないということになる。眠っている時間とほとんど活動せずに休んでいるような時間の合計は、16時間~18時間にも及ぶ訳だ。これでは片付けもはかどらないはずだ。私は8時間を眠り、最大で、こま切れの8時間を家事や猫の世話や庭で写真を撮ったりし、残りの8時間をすのこベッドの上で横になったり起き上がったりし、雑多の事柄を煎餅職人のように座業でこなして過ごしているのだ。もちろん体調不良の日は自分の食事と猫のエサやトイレの世話をするのも呻きながらおこない、あとはベッドに倒れ込んでひたすら横たわっているだけの情けない状態だ。

では平均してたった6~7時間の活動で、私は家の中でどんなことをしているのか。まず食べることだ。食事は簡単なものしか作らなくなった。それでも食べ終わって片づけるまでの一連の作業は容易にいかない。夕餉の支度をして食べ終わったところでたいてい動けなくなることが多い。よほど調子のいい時は食べ終わってすぐに茶碗を洗ってしまうが、そうもいかないときはたびたびある。私の体には‘ひとやすみ’が必要なのだ。そんなときはひとまずベッドにもどり、食後のコーヒーを飲みながらニュースなど観ている。そしてしばらく横になる。洗濯については全自動に買い替えて楽になったが、掃除は床を掃除するロボットを買うつもりはなく、箒やハンディ掃除機、スタンド式掃除機を使用し、まめに埃やゴミを処理して極力きれいにしている。ベッドに猫が上がるので、一日おきにシーツや敷きパッドを取り換える。天気がよければ布団もなるべく干すようにしている。こういった何気ないことも私には体力の要ることで、休み休みすることとなる。夕方の水やりは一番の重労働だが怠るわけにいかない。これにとりかかる前には充分に休んでから意を決して「エイッ」と起き上がり、蚊に刺されないよう完全武装して庭へ出る。庭・裏庭・前庭とたっぷり水をやるのに30分以上かかる。終わればシャワーのあとベッドでぐったりするが、これを終えたらホッとする。そして夜のとばりがおりてきて、心が休まる時間帯に入っていく。

このように私は10分、15分、長くて30分と短い時間を動いては、おなじくらいの時間を休みながら、生活するための雑事をこなす。それらの行動は、いつガス欠するか分からない体ですることだから急いでなされる。したがって適度に雑で、適度に中途半端におこなわれるが、それも譲歩しなければならない。できないことはできるときにすればいい。自分に寛容に。そう言い聞かせることも身についてきた。つけなければ苛立つばかりで自活ができない。私がモノ減らしを急ぐ理由は、死後のこともあるが、さしあたって生きている間、あらゆる負担を軽減することが病気をもつ身に暮らしやすさを与えると思うからだ。モノは少ないほど暮らしやすい。いずれにしても「短い時間」をどう効率的に使うのか、その方法をベッドの上の「長い時間」に考えるのが私の日課となっている。

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