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2011年8月

2011年8月26日 (金)

「書くこと」について

夏風邪で寝込み、退屈なので書き始めた。文章そのものを久しく書いていないので、書けるかどうかわからない。しかし書きたい気持ちがあるのだから、書いてみようと書き始めた。思いのほか言葉が出てくる。タイトルは仮題だが『エスカレーター』にした。タイトルだけを聞いて、人はどんな話を思い浮かべるのだろうか。人間が頭に浮かべることは、ほとんどが過去における自身の経験を基にしている。したがって、このタイトルから想像されるのは、百人いれば百の物語だ。そんなことを考えると楽しくなり、どの人の物語にも耳を傾けたくなってくる。

今は単調な生活になっているが、若い頃には私も人並みに様々なことを経験した。夢も希望も、何でもかんでも実現可能という気がしていたのである。私に限らず、あの頃の若者には、そういう者が少なからず居たものだ。病気を授かって以来、床に就いている時間が長くなり、それは年々長くなり、体力も無くなってきたために時間や行動に大きな制限が加えられた。しかし何もしないのは退屈で仕方ない。書くことは、まだ可能な事柄であり、大好きなことである。だから私は書くのだ。

しかし書くといっても現在の生活は単調で、人との関わりも少ない私に書ける題材は限られる。だが、これまでの人生の中で経験したことや、忘れられない人たちのことなら書く自信がある。もちろん創作である以上、ベースになるものはあるが、ドキュメンタリーではないのでそのままは書かない。そこをどう描いていくかが物語を書くことの醍醐味と言える。もちろんドキュメンタリーもいつかは書きたい。そのときは死んでから出版せよと娘たちに遺言を残して書いておこうかと考えている。

それはともかく、今日、このページを書く理由は、過去のことを思い起こして書くことは、とても楽しいことだと読者に知らせたいからだ。私の場合、創作であるため脚色をして書き進むが、経験を基にしているゆえに、多くの過去の出来事や人物が頭の中で去来する。それがとても楽しい。このことは創作でなくともきっと楽しい。それに文字や言葉を組み立てるだけでも脳は活性化する。自分の過去の出来事をノートに綴ってみることは、よいことばかりだと勧めたい。もちろん嫌なことは書かなくていい。心地いいことだけを書き遺しておくのは如何だろうか。

書くことは苦手だという人は多い。その人たちは、きっと人様に見せる文章が苦手だということだろう。自分の楽しみや覚書のために書く文に、格好も何も必要ない。書いていると頭の中が整理され、遥か昔の出来事や懐かしい自分が彷彿としたり、二度と会うことのない人たちに思いを馳せることもある。自分だけのひそかな楽しみがそこにある。過去だけではない。現在のことも書きとめて、後に読むと楽しいものだ。私のように指関節が自由に動かない者にも日記形式やいろいろな形の無料ソフトがあり、パソコンによる記述も楽になって便利な世の中だ。

私には、死ぬまでに書いておかなければならないと考えているテーマがいくつかあった。今もそれらは温めている。しかしながらこの体力の弱り方から、すべてを書くことは不可能だとわかってきた。否、テーマ以前に書くことじたい、書かねばならないといった義務感を自分に与えていたのが間違っていたように思う。諸事情で書けなかった(書くことから逃れた?)この3年間が、その窮屈な枠を取っ払ってくれた。書きたいことを、書きたいときに、書きたいだけ、書けばよい。「ねばならない」を取り払い、私は自由になれたように思う。自分に課したものをゆるめることは、きっと心身によいことに違いない。何にも誰にも縛られず、この先は気ままに生きてゆきたいのと同じく、気ままに書いてゆきたいものだ。後生大事に持っていたものを手放すと、人間、ずいぶんと楽になるものだ。

2011年8月20日 (土)

オークション初体験

暑さで体調維持が難しいが、盛夏にもなるべくモノ処分を休まなかった。動ける時はなるべくそのことに費やしている。先日、初めてオークションなるものを経験した。ほとんど使わず仕舞い込んでいる芝刈り機を、どうにかしたいと思っていた。それを入札してみたのだ。庭のメンテの職人さんが、突然に辞めてしまったことがあり、次の業者さんを探す間、自分で刈ってみようかと買ったのだ。電動芝刈り機はあるが、音も大きく操作も大変そうなので使う気がせず、手軽に使える手動のものが一台あればよいと考えての購入だった。ネットで探し、金物で有名な会社の芝刈り機を選んだ。色は赤で愛らしく、緑の芝生に置いてみると絵になった。

さっそく使おうと前庭で試すことにした。芝の上を押して歩くと、これがなかなかきつい。体重をかけ、前傾姿勢で押して歩くが、芝が伸びていたせいもあったのか、とても重くて私の体力ではとうてい無理だとすぐに悟った。これは失敗したと気がついた。ものの30分も使わないうちに私は芝刈り機を片づけ、以来、物置の中で二年ほども眠らせていた。その後、良心的な業者さんにめぐり会え、赤い芝刈り機の必要性はゼロになった。貰い手もなく、どうしたものかと思っていたが、本気でモノ減らしをするにあたり、真っ先にこの芝刈り機を収まるべきところに収めるべきだと考えた。周りに貰ってくれる人がいないので、思い切ってオークションにかけることにした。

初めて経験することは、かすかな緊張感があり愉快なものだ。見栄えのする画像も挿入して参入した。けれどもアクセスする人の数は日ましにふえるが誰も落札しようとしない。高すぎたかな。購入価格の四分の一強の値段をつけたことをじきに後悔した。値段を訂正しようと思っていたところへ、お一人が落札したのに気づいた。入札価格での落札希望だ。もっと値上がりして欲しいとは思わないので、この落札者の方に収まればいいのにと考えた。終了の日時が来て、結局その方に決まった。もっと安くしてあげればよかったと申し訳なく思った。

夏風邪をひいて寝込んでいたが、相手のあることは急いでことを運ばなければならない。芝刈り機を磨き、説明書と御礼の手紙を添えて翌日に発送した。届いたと連絡を貰い、一件落着。その方はさっそく使われた様子で、やはり手動はけっこう大変ですねとの感想を、汗が流れる顔文字とともに送信してくださった。これからも可愛がりますとのお言葉に嬉しかった。けれどオークションは一度だけでいい。差し上げるほうがずっと楽だ。落札されるかどうかに縛られるのはしんどいし、取られる時間も惜しい。出品中はマメにチェックをしなければならないのは面倒だ。面白かったが、これきりにする。私には、そういうマメさは無いので向かないと分かった。

雨が降って涼しくなった。幸いにも指関節の腫れや痛みが治まった。関節痛は持病の主な症状だが、リウマチを併発する人も多い。私も発病後の数年間はリウマチ特有の「朝のこわばり」が指にあり、いつも指は痛みを伴い腫れていた。しかし関節破壊まで進行せず、以後は長い間「寛解」の状態で、リウマチは活動せずにいる。だが痛みは年じゅうどこかにあり、目覚めて強い痛みがあれば、リウマチが来たかと身構える。どうやらこの度は膠原病の痛みだったようで安心した。

ところで、このブログはモノ処分や死別がテーマではない。死ぬまでにしておきたいことを進める過程の単なる覚書と、整理の目的で記録するものである。それにしてはここまでのところ内容が暗い。暑さのために体調がすぐれなかったせいだと思われる。死ぬまでに、などと言うだけで暗いと思われる要素をはらんでいるかもしれない。言葉の感じ方は読む人によりさまざまだが、生活全般のサイズダウンを真剣に始めたのは、人生の後退や撤退ではない。今後の体力がどう変化するか分からないが、一番やりたいことを人生の終わり近くで思いきりやってやろうという魂胆が底にあるのだ。モノや家という器や過去に縛られず、心地よいものだけに縛られて残りの人生を謳歌するためなのだ。訪れてくださる人たちには、挨拶とともに最初にこのことを告げるべきだったかもしれない。私は意外に前向きな人間だ.。読む皆さんにどう映っているのか知る由もないけれど。

2011年8月17日 (水)

一段落して疲れ出る

送り火が済むと「やれやれ」と思う。体調が最も維持しにくい時期に、するべきことが集中している。今年も何とか無事に終えられたことに安堵する。そして例年通り疲れを出して動けない。

七月末の私の誕生日頃から落ち着かない。じきに花火の日になり亡き人の命日が来る。猛暑の真っ只中、それだけでも私には大変なことだ。けれど次にヒロシマ・ナガサキ追悼の日がやって来る。そしてお盆が追いかける。迎え盆から送り盆の間には、娘たちが集まり食事をする。久々に皆が集まるのだからと、頑張って家の中をきれいにする。罰あたりなことを敢えて言うと、お盆は気が重い。夏場に体力をととのえて動くことだけでも私にとって容易ではない。だが、こればかりは割愛できない。しかしながら、これら一連の仏事が年々きつくなってきた。お盆の時期に海外へ行く人たちの姿をニュースで見ると、この人たちは盆のことをどうしているのだろう、解放されているならば、羨ましいことだとつい思う。

もちろん仏事は義務ではなく、信仰心からするべきことだ。だが私は信仰心があるのだろうかと疑問をもつ。祖父母や両親、叔父や叔母たちが当たり前のようにしていた事柄を踏襲しているだけかもしれない。たしかに仏教は心のよすがとして信じ、頼っている。家族の突然死後の私自身の当惑と落胆は仏教によって快癒に向かった。それならば、もっと熱心な信者になってもよさそうなものだが、以前ほど毎日のように仏壇の前に坐らなくなっている。これはどうしたことだろう。すがりつきたい気持ちで読み続けた仏教関係の本も、めったに手に取らなくなっている。それは完全に立ち直ったからだろうか。

亡き人と見た最後の花火、命日、そして盆の行事の最中に終戦の日が来る。もしもこれらが気候のいい春か秋ならずいぶんと私は楽に動け、発信もできるだろう。しかしそうはいかない。すべては一年で最も暑い時期におこなうべきことなのだ。だが思う。いつまでこのようなことが出来るのだろうか。もちろん大したことはしていない。訪れるのも長女一家と次女だけだ。彼女たちの来訪は可愛い孫たちも加わり嬉しいことだ。その日は早くから別人のように動き回って家の中をきれいにする。食事は作れなくなり会席膳を注文する。楽しい時間が流れていく。その時に疲労は感じない。しかし皆が帰るとドッと疲れが出る。楽しく嬉しいことの前や最中には気づかないが、かなりの無理をして迎えていることに後で気づく。皆もたぶんそれを知っているだろう。

このように誕生日祝いに始まり、命日、原爆、戦争、そして盆の行事と集中する時期に、これらの事柄のひとつとして省略することはできない。できたことに満足する。その後の猛暑も影響し、エアコン無しの私にはまったく厳しい暑さでまいってしまう。熱中症だけにはならないように気をつけてはいるが、予測通りほとんど動けない状態だ。日がな一日ベッドの上で横たわっている。だが、今夏もこれらが何とか出来たことに満足したい。目下、痛みのトラブルに悩まされているが、左肩は今に始まったことではないし、久々に出たらしいリウマチの症状にも驚かない。しかし両手指の関節が腫れて痛むのは不自由なものだ。そんな中でも最低限しなければならないことがある。猫の世話、水やり、そして自分の食事のことだ。だるい身体を起こし、これらのことをするのは正直言ってかなりつらい。とくに24時間の介護が必要な老猫ダッコの世話は、言葉にする気も失せるほど過酷な重労働だ。けれどしなければならない。24年を越えてダッコは生き続けている。

おぼつかない両手指で時間をかけ、変則的な入力をしながらふと思う。元気ならば夏の暑さも日常生活も平気なはずだ。さらに、こんなに身体が辛いのは、この暑さのせいだとも思う。昔とはちがう執拗な暑さに病弱な私は負けてしまう。暑い、痛い、だるい、しんどい。これらは年々レベルを上げている。したがって今のこの暮らしを長くは続けられないと分かっている。だからモノ減らしをし、生活のdownsize を図って身軽にしておき、いつの日か、好きな所へ行けるように準備を進めなければならない。娘の勧めで初めて考えた。今は性能のいいエアコンがあるとのこと。私でも使えるのがきっとあると言うのだ。来年は家の中の何台かのエアコンを買い替えてみるのもひとつの方法かもしれない。電力が回復していればそうしよう。動けないよりは性能のいいエアコンで可能なら、活動できる方がいい。そう考えたのは初めてのことだ。私にはエアコンは絶対に駄目だと思い込んでいたふしがある。

あと何回の夏が越せるのだろうか。弱りゆく体力に焦る。先日来の手指の関節痛がリウマチの再発だと厄介だなと腫れた指をさすりつつ、だるくて動けない状態でずっと寝ている。また左腕の複数個所にも石灰ができているのに気がついた。肩ではないから今のところ不自由はない。腎機能の低下により、石灰化が進んでいるのかもしれない。しかし運動能力がこれ以上落ちては困る。しかしながらキーは何とか打てるので、こうしてベッドからでも休み休み発信できることは幸せだと感じている。‘その日が来るまでに’するべきことが山積みだ。焦る。焦る。焦る。

2011年8月 4日 (木)

ある日突然に人は逝く

最初の記事をあわただしく掲載して後、昨日は亡き人の命日にあたり、いつもとまったく変わらない心境だとはいえなかった。落ち込むわけではないが、ため息に似たものは今年も出た。それは、生きていれば新たな幸せにもめぐり合えたのにというため息だった。

今日、サッカー選手が心筋梗塞により息を引き取った。私は2004年の夏以降、心疾患で人が亡くなったと聞くと穏やかではなかったが、ようやくそれから抜け出せたと思っていた。しかし今日はちょっと考え込んだ。34歳のスポーツ選手でも起こりうる心筋梗塞。倒れる寸前に松田選手は「やばいやばい」と言ったという。すぐに手当てを受け、病院に搬送されたが助からなかった。我が家の場合、私はその時に不在だった。居ても居なくても駄目な場合が多いとはおおかたの慰めの言葉だった。たしかにそうかもしれない。けれども、いつもなら居た時間に、その日に限って居なかったことが、ひどく私を苦しめたのだ。あれから七年が過ぎたが、その思いは完全に無くなりはしない。しかし運命だったのだと思えるようになってきた。そうするよりほか仕方が無い。あきらめは生きる術のひとつだ。

このように、人は突然に逝くことがある。だが、そのことを実感しているのは経験者だけではないか。身近な者を事故や急病で突然に失くした経験がある者だけが身を持って知っている。そうでない人たちは冗談まじりに「私たちだって、いつお迎えが来るかわからない」と笑って言う。そういうことを口にするのはたいてい健康な人たちだが、まるで実感していないからこそ声高に冗談を言うのだあろう。しかし誰にでもあり得るのは事実だ。頑健な松田選手にも起こったのだ。尤もスポーツ選手には、よく起こる心室細動ではなく、心筋梗塞もまれに起こるようである。

では一般の私たちは、そうならないためにはどうすればいいのか。暴飲暴食や偏食を避け、規則正しい生活をすること、それからもうひとつ重要なことは、ストレスを受けないことだ。このストレスが思いのほか心臓に悪影響を及ぼすことを知っておかなければならない。松田選手は新たな活動の場で意欲を燃やしていたという。しかしながら、昨年の12月、長年貢献したチームから戦力外通告を受けたことは、大きな心痛を与えたようだ。その後、立ち直って新天地で前向きにサッカーに取り組んでいたにせよ、心身の消耗は彼の身体をむしばんでいたことが想像できる。大きな落胆は本人も気づかないうちに体は変化しはじめ、何かを堆積させていたのかもしれない。これは想像の域を出ない。

ストレスと体調の関連は私も肌身で感じている。嫌なことをされたり激しい言葉をぶつけられるなど、不本意にも嫌なものを無理やり受け止めさせられたとき、大きなストレスが短時間で急膨張し、動悸が激しくなって息苦しくなる。同時にだるさや吐き気も一気に増大し、立っていられなくなってしまう。とりわけ人間関係のストレスは体にこたえる。そういうところから、人との関わりも制限することとなった。無理をして人と関わることは自分の体を傷めつける。そのことが充分に分かったので、それを避けなければならない。もう私は先生ではないのだし、‘いい人’を返上し、自分を一番に考えればよいのだろう。

膠原病を持った虚弱な体は、嫌なことをまともに受け留めるとひとたまりもなく崩れていく。それはこの病気をもつ患者特有の症状でもある。そういう訳で、現在は実生活で人様とあまり関わらず、良きにつけ悪しきにつけ、自分の体にストレスそのものをを与えることを極力避けて暮らしている。それが心身を調子よく保ち、平穏に暮らす方法だ。それはまた、私が誰にも迷惑をかけない暮らし方でもある。関わる人は、ほんのわずかでよい。体も心も無理をしない、させない。それが大切だ。

「その日」は突然ではなく徐々に来てほしい。心の準備や身の周りの整理整頓を完了し、人との別れを惜しみなくしたいからだ。しかし逝き方を選ぶことは出来ない。自分の最期は誰にも見えない。だからこそ思うのである。日頃から準備をしておかなければと。松田選手はピッチを駆けるように人生を駆け抜けた。彼は今も駆けているだろう。ご冥福を祈りたい。

2011年8月 1日 (月)

はじめに

このブログを読む人の多くは健康な方々であろうと思う。しかし中には私のように、不治の病や慢性病を抱える人も居るかもしれない。年齢と共に病気を授かる率が高まるのは致し方ないことだ。夢多き若い頃には、歳を重ねた後に死を迎えることには考えが及ばなかった。人生の真っ只中においても仕事や家庭に忙しく、肉体が滅びることなど思考の枠から外れていた。しかし青年期や壮年期は長く続かない。誰にでも老年期はやってくる。

壮年期を過ぎて現役から引退し、老年期への過渡期にある私の年齢では、人生の最終段階を睨んで準備をととのえる必要がある。それは負の考えではなく、今後よりよい暮らしをするためでもある。俗にいう「身の丈に合った」という言葉は、ある程度の年月を重ねてきた人間によって語られるときにのみ実感のこもったものとして響く。その身の丈に合った生活を目指し、実践し、かつ心ゆたかに暮らすには、これまでの生活を惰性で引きずっていてはならない。自身も家族の状況も、すっかり変化してしまっている。それは至極当然のことと言えよう。

そんなことを考えると、まず最初にするべきことはモノ処分だ。生活の縮小をはかる第一歩は所有するモノの数量を減らすことから始まる。私の場合、4人家族で暮らした家の中には、それなりのモノがある。逝った家族のモノはとりわけ多く、膨大なモノで部屋は隅々まで埋め尽くされていた。遺品処分はかなり進んだが、完了するまでには至らず、今しばらく時間が必要だ。また故人のモノだけでなく、自分のモノ、今は社会人となった子どもたちのモノ、単に置いてある一家のモノなどが、かなりのスペースをとっている。これらのモノを選別して所有物を減らしていくことから始めたい。

だが、不要なものを一気に処分してスッキリし、気持ちよく暮らそうという流行りのモノ減らしには首をかしげる。私はひとつひとつのモノを慈しみ、愛しみ、感謝の思いを込め、時間をかけ、納得しながらモノを減らしたいのだ。過去の自分が気に入ったり必要で買い求めたモノたちが、要らなくなったからといって邪魔者のように蔑み、思いも込めない処分の仕方をするのは如何なものか。催眠術にかかったように、あるいは酔わされたようにモノを処分するやり方を私は好まない。感謝すること。この気持ちは食べ物、持ち物、人の心などすべてに抱きたいものだ。ぼろぼろになった雑巾にも感謝の気持ちをこめ、最後は洗って乾かし、「ありがとう」と言って処分したい。

片付けている最中に、娘たちが幼い頃に書いた紙きれが出てきても捨てられない。拙い絵や文字を見れば一気に遙か遠い時代に戻って微笑む。その紙きれは右へと分けられる。保存。そんな私がモノ処分に本気で取りかかることにしたのだが、さてうまく進められるのやら。けれども亀の歩みのモノ処分ながら、娘たちは帰ってくるたびに家の中がスッキリしたと褒めてくれる。仕事柄、人様の子は褒め上手だった私だが、自分の子どもときたらまるで下手な親だった。この年になって彼女たちに褒められるのは妙にうれしく恥ずかしく、しかし俄然はりきってモノ処分や片づけをしようと思うのである。

このブログ、こんな形で気ままに人生の整理についてのいろいろなことを語っていきたいと思います。他のブログ同様に、よろしかったら同道を。    ご挨拶にかえて。 良

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