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2011年9月 9日 (金)

『長い時間』

週の半ばからまた不調になった。食欲不振と微熱&倦怠感がやってくると、また風邪をひいたと気がつく。しかしもう遅い。いったん下り坂になると、すぐには回復できない。ひと通りのroutine(アクセントはiにおく)がある。つまり一定のコースとなって症状が現れるので、それらを途中で止めることができないのだ。痛みを止めるのに鎮痛剤を用いる人はいるが、胃弱の私には向かない。もともと薬嫌いであり、服用する薬は最小限にとどめたいのだ。したがって安静にするしかない。それよりもひどくならない努力を横たわることでするのである。ステロイドを服用する者は風邪をひきやすく、風邪をひけば持病もうごく。私は一年の多くの時間をベッドで過ごしている。私の生活はほとんど軽症の入院患者といってもよい。家で寝ているか病院の病室かの違いはあれ、食べる以外はベッドにいる生活様式は入院患者と変わらない。むろん入院しなくてよい状態でいられることは、ありがたいと思っている。

私の家の中は、かつて居間だったところが私の病室になっている。ソファを処分してベッドを持ちこんだのは数年前で、その部屋には大型テレビやパソコン、本棚、リビングボードや仏壇まである。一切合財がそろった部屋はもはや客間ではない。さいわい客が訪れることがなくなった今(=呼ばなくなった今)、その部屋に人を通すことはなく、訪れるのは娘たちほか身内だけになっている。この部屋のベッドで私は調子のいい時も悪い時も、一日の多くの時間を過ごしている。そして多くのことをベッドの上でこなしている。書き物、読み物、パソコン作業、針仕事にこまごまとした事務処理などすべてをそこでする。机に向かって椅子に坐り、一定時間の姿勢維持をすることができるのは、よほど体調のいい時に限られる。よって疲れたらそのまま後ろへ倒れて休めるベッドの上は私にとってありがたい場所なのだ。

だが、坐って何かができる時はまだいい。何もする元気がないときに困ってしまう。どこかの痛みが強ければ読書もできない。まして書きものなどできっこない。テレビは見たいものがほとんどなく、好きな映画もそれほど多くは観られない。そんなときにハタと困る。そして思う。あぁ、こんな時間の無駄なこと!こうしているうちにも人生は刻々と過ぎていくというのに!と考えてしまい焦燥感がチクチクする。そして思い直す。ま、しょうがないか。しかしながら私の残りの人生における多くの時間がベッドの上で悶々とすることに充てられるとすれば、まったく不本意だ。横たわっていても考えることは、あれを処分し、あそこはいついつまでに片づけ終える、次の粗大ゴミにはあれを絶対に出さなければ、遺言ノートも記入をしていこう、娘たちには貴重品のありかや詳細を書いておかねばならないといったことばかりだ。私が人よりもこれらの点について考えるのは、配偶者を急に失くし、後のことが大変だと痛感しているからだろう。それゆえ私は残る者たちにかける負担ができうる限り少ないようにと考える。できるものなら遺品整理・処分業者の世話にならずに自分で処分し、指示を書き遺しておきたいと思っている。

しかしそういった作業にかける元気に動ける時間はきわめて短く、しかも年々それは短くなり、私の体調はすぐに崩れるようになっている。そしてくり返し寝ていなければならない時が訪れる。昨年に比べると今年の体調はありがたいと感謝しているが、人生におけるベッドで過ごす「長い時間」は無駄だと思う気持ちはぬぐえない。体が動かないときにも頭だけは動いている。この時間をなんとか有効に活用できないものかと日々考えあぐねているのだが、とりあえず頭を鍛えることくらいしか浮かばない。だが、それとて不調の時はたいしたことは考えられない。ベッドの上での「長い時間」をいかに活かすか、今のところ答えは見つかっていない。明日は起きられたらうれしい。

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