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2011年9月14日 (水)

『短い時間』

私の一日は短い。人様と同じ24時間を与えられてはいるけれど、活動時間がきわめて短い。いったいどのくらいの時間を動けているのか計ってみようと以前から考えていた。眠りについては若いときには5~6時間ほどの睡眠時間で平気だった。それくらいしか時間がとれないほど仕事や家庭のことで忙しかったのだ。だが今は弱る体力を維持するのに8時間の睡眠が必要になった。したがって活動時間は24-8=16時間だ。しかし私の場合、16時間を動き続けることが不可能だ。では、いったいどのくらい動いているのだろうか。

私はリモコン操作で操られた人形のように、すぐにベッドへ舞いもどる。なぜか?だるくなるからだ。しんどくなるのだ。それで、どうにも横になりたくなってしまうからだ。30分も動くと疲れてしまい、自然にベッドへと向かう。そして横になる。私には動いた時間と同じくらいの休憩が必要となる。休んだ後、また復活して動きだし、またしんどくなって舞いもどり・・のくり返しの一日だ。この生活にも慣れてしまい、なんとも思わなくなっているが、先月のある日、いったい私は一日にどれくらい動いているのか‘のべ時間’を計ろうと実行した。それはベッドを離れた時刻と舞いもどった時刻を記録し、活動した時間を合計するというものだ。

計ってみた結果、さてもさても予想通りに私は短い時間しか動いていなかった。なんと活動時間の合計は、たった6時間だった!おおよそ見当はついていたが、やはり短いと知った。しかし体調によって日ごとに若干の差はある。計った日は今から体調が下降すると思われる日のことだった。調子のいい時はもう少し動いていることもあるが、それとてせいぜい上限が8時間くらいのものだろう。不調のときは2時間も動いていないだろう。つまり私は世の中の人々が活動する時間の半分、あるいはそれ以下の時間しか動けていないということになる。眠っている時間とほとんど活動せずに休んでいるような時間の合計は、16時間~18時間にも及ぶ訳だ。これでは片付けもはかどらないはずだ。私は8時間を眠り、最大で、こま切れの8時間を家事や猫の世話や庭で写真を撮ったりし、残りの8時間をすのこベッドの上で横になったり起き上がったりし、雑多の事柄を煎餅職人のように座業でこなして過ごしているのだ。もちろん体調不良の日は自分の食事と猫のエサやトイレの世話をするのも呻きながらおこない、あとはベッドに倒れ込んでひたすら横たわっているだけの情けない状態だ。

では平均してたった6~7時間の活動で、私は家の中でどんなことをしているのか。まず食べることだ。食事は簡単なものしか作らなくなった。それでも食べ終わって片づけるまでの一連の作業は容易にいかない。夕餉の支度をして食べ終わったところでたいてい動けなくなることが多い。よほど調子のいい時は食べ終わってすぐに茶碗を洗ってしまうが、そうもいかないときはたびたびある。私の体には‘ひとやすみ’が必要なのだ。そんなときはひとまずベッドにもどり、食後のコーヒーを飲みながらニュースなど観ている。そしてしばらく横になる。洗濯については全自動に買い替えて楽になったが、掃除は床を掃除するロボットを買うつもりはなく、箒やハンディ掃除機、スタンド式掃除機を使用し、まめに埃やゴミを処理して極力きれいにしている。ベッドに猫が上がるので、一日おきにシーツや敷きパッドを取り換える。天気がよければ布団もなるべく干すようにしている。こういった何気ないことも私には体力の要ることで、休み休みすることとなる。夕方の水やりは一番の重労働だが怠るわけにいかない。これにとりかかる前には充分に休んでから意を決して「エイッ」と起き上がり、蚊に刺されないよう完全武装して庭へ出る。庭・裏庭・前庭とたっぷり水をやるのに30分以上かかる。終わればシャワーのあとベッドでぐったりするが、これを終えたらホッとする。そして夜のとばりがおりてきて、心が休まる時間帯に入っていく。

このように私は10分、15分、長くて30分と短い時間を動いては、おなじくらいの時間を休みながら、生活するための雑事をこなす。それらの行動は、いつガス欠するか分からない体ですることだから急いでなされる。したがって適度に雑で、適度に中途半端におこなわれるが、それも譲歩しなければならない。できないことはできるときにすればいい。自分に寛容に。そう言い聞かせることも身についてきた。つけなければ苛立つばかりで自活ができない。私がモノ減らしを急ぐ理由は、死後のこともあるが、さしあたって生きている間、あらゆる負担を軽減することが病気をもつ身に暮らしやすさを与えると思うからだ。モノは少ないほど暮らしやすい。いずれにしても「短い時間」をどう効率的に使うのか、その方法をベッドの上の「長い時間」に考えるのが私の日課となっている。

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