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2011年12月

2011年12月 2日 (金)

箱モノをなくすこと

事業仕分けでよく耳にした「箱モノを無くせ」という方針は、あまり活用されていない建築物に国の経費をかけないための方策として掲げられた。これは片づけやモノ処分にもあてはまる。私の場合、将来的に家という箱モノの不相応な規模を是正するためにも家の中の箱モノの見直しが必要となってくる。

ところが私は箱フェチである。きれいな化粧箱にかぎらず、箱という箱を取っておく癖がある。その理由は四角いモノが好きなこと、何でも取っておく性癖を有すること。この2つだ。その昔、戴きものの箱を両親が取っておくのをよく目にした。缶の箱はとくに重宝がられた。それらの箱には写真や書類など大事なものが収められた。そういった親の生活を見ていたせいか、箱は貴重だという意識が私の中で育っていた。そのため箱といえば小さなものから大きなものまで一応は取っておく。箱の材質も様々で、紙、缶、プラスチックまで種類は豊富だ。そういう訳で使っていない二階の一室は、箱でほぼ占領されているのが常だった。

これらの箱を取っておくのは、むろん箱が好きだというだけではない。入っていた品物をまた収めるのに使うかもしれないとも思うからだ。仕舞っておくにしろ、人に譲るにしろ、箱があれば重宝だ。電化製品の箱は取っておけとも言われているので、それらはすべて取ってあった。季節商品の収納にはたしかに便利だ。ところが箱は積むのにも都合がいいが、箱そのものが場所をとるのも事実である。それに季節用品を何年も出し入れするうち箱はくたびれてくる。パソコンなどの箱は修理のときに使うかもしれないと取っておくが、修理に出すことなどほとんどない。こう考えると、すぐに処分しても何も問題はないと思われる。それなのに随分いろいろな電化製品の空き箱を取ってある。処分しよう。

私の箱好きは机やボード、書類ケースや食器棚の中にも現れている。こまごまとしたものを小さな箱を駆使してモノを入れ、それがスッキリ見えていいと長い間おもっていたのだ。ここはボールペン、ここは鉛筆、ここはホッチキスの針やスペアインク、ここは切手、ここはシールと種類ごとに小さな箱に入れてあった。しかし最近になって気がついた。ひとつの小グループの箱は満杯になることはまれである。そうすると、区分けしてあるそれぞれの箱には余裕があるのに、しばしば引き出しにいくつも入らないといったことになる。はじめは小箱の空間はあった方が使いやすいと考え、それでよいと思っていた。しかし、ひとつの引き出しをより効果的に使うには無駄な空間をなくして全体を七分目くらいにするのがよいことを知った。だが収納する品の種類は多めの方がよい。文具類など引き出しひとつで用が足りるのは都合がよい。それには小箱で仕切るのがベストの方法ではないと判明した。

そこで使いはじめたのがチャック袋である。これは中身も見えてかさばらない。何もかも箱に入れるのを改め、チャック袋の併用で整理すれば収納力が倍増する。最近はさまざまな大きさや形のチャック袋があるので便利だ。この方法で整理すると、大小さまざまの箱が空きはじめた。引き出しの中はもちろんのこと、押し入れなどに書類ごとに分けて収納していた箱をたたんで袋に替えるとカサが減り、製品の取り扱い説明書、領収書、納品書、そして写真なども箱や缶をやめて袋にしたら収納しやすくなった。そんなことは最初から気づいている人も多いだろうが、如何せん私は箱フェチであるために、今頃気がついたのである。そして長年あたりまえのように存在していた箱たちと別れを惜しみながら、お役目終了としている最中である。

器を無くせばカサが減る。大事なのは器ではなく中身なのだ。自慢の記憶力も怪しげになってきた近頃、蓋をあけてはじめて「あぁ、これか」と思うよりも、一目瞭然なのがよい。そんなところから私は家の中の箱処分に精を出し、箱だけでなく衣装ケースやプラケースを減らすことにまで手を広げはじめている。あればモノを入れるが無ければ入れない。自分ひとりのモノや衣類はそれほど多くは必要ない。好きなモノが少しだけあればよい。四人家族時代のモノ処分は中身だけでなく器もその対象だ。さいわいにも衣装ケースなど収納ケースは被災地でたいへん喜ばれる。新たな場でふたたび活用されればうれしく、入用の方々に衣類や日用品を詰めて送っている。お陰で押し入れの中がずいぶん空いた。使っていただく方々に対して感謝の気持ちが芽生える。

現在、私は老猫の介護に時間やエネルギーを使い、師走になるというのに片付けが停滞気味だ。焦りはあるが少しずつ再開を始めた。体力が無く、あれやこれやと同時にできないことに苛立つが、こんなことに気がついた。箱をたためばスペースが広がるように、私の中の「箱」もたためば心が少し広くなって居心地がよくなるのではないかということだ。「猫の世話」「モノ処分」「片づけ」「好きなこと」「するべきこと」など、種類別にひとつずつ入れている箱からぜんぶ取り出してみればよいのだ。そして透明なチャック袋に移し替えておけば、いつでも見える。そうしておけば、どの項目にもすぐ取りかかれる。気が向いたときにそれらを愉しくやればよいのである。

わかりにくい比喩かもしれないが、要するに四角ばった中身が見えない器ではなく、可視性と柔軟性のある入れ物のほうが便利だということだ。つまり人の心の中も箱という仕切りで区分けして仕舞い込まず、軟らかな考え方でものごとに対処するほうがよいと気づいたと言おうとしているのだ。依然としてわかりにくいかもしれないが、なんとなく分かっていただければ幸いである。箱モノの数は最少限度にとどめる努力を引続き行おう。心の中にあるモノも、箱から出して解放しよう。可視化・透明化。それがきっと暮らしよい。

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