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2006年4月 1日 (土)

今日は暖かいらしい

真冬に戻ったような寒さでしたが、今度こそ本当に春の訪れだという近畿地方です。皆さんの所では如何ですか?

きのうに続き、「書く」ことについて少々。
文章教室が大はやりの世の中ですが、そういう所では何を教えてくれるのでしょうね。私は通信教育もカルチャースクールも一回きりで馬鹿らしくて辞めてしまった前科があり、内部の事情を知らずに触れる資格はないかと思いますが、ちょっとだけ言わせてください。

文章講座とか教室で教えてもらうことは、あくまで型ではないかと思います。手紙や論文よりも人気があるのが自分史とかエッセイを書く講座のようですが、人に教えてもらえることというのは、文法や文の構成の仕方、あとは品詞別の使い方(たとえば接続詞など)でしょうか。確かに基本的なことは文を書く上で大切ですが、それらは文を書くにつれ慣れて来て判るものです。修得するにもそれほど大変なことではありません。プロの先生はそういった技術を教えてくださることでしょう。それを学ぶには教室での勉強は有効だと思います。

ただし妙にテクニックだけ身に付いてもマイナスになることがあります。パターン化してしまった文を書くクセが付いてしまい、教本にあるような文になってしまうからです。それらは一見、上手な文と一般の方々には見えてしまうようですから困ったものです。手紙はともかく紋切り型のエッセイほど退屈なものはありません。ココはこう締めくくるという意識が働いた途端、その文章は死んでしまいます。技巧的な文はそれに走る余り、心を入れ忘れるのです。仏つくって魂入れずということになるのですね。しかも心の入れ方は誰も教えてくれません。

技巧や教本的になどと考えず、ひたすら一生懸命に書かれた文章は、技術的には未熟でも光っています。多くの生徒たちの作文を読んだ経験から判りました。良い文章とは、何をもって良いとするかの定義からして難しいですが、ひと言でいえば心が伝わってくるような文でしょうか。しかし、これもまた、書き手が心を伝えようと頑張ってできるものではないでしょう。計算した瞬間に文章は損なわれます。そこで提案。うまくなりたいなんて考えるのがそもそも間違い、文を書いて楽しんでは如何ですか? うまい下手は他人が勝手に決めること、放っておきましょう。まず自分が一生懸命に書き、書いて楽しいと感じることが先です。さぁ、皆さんも書いてみませんか?

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