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2009年6月22日 (月)

今夜も太宰で

もう太宰は3日間引っ張ったのでと思っていましたが、なんと“クローズアップ現代”で国谷裕子女史がまた見せてくださったではありませんか。ゲストは太宰通の井上ひさし氏。今夜も少々お付き合いください、太宰のコト。

なぜ今、若者たちが“太宰”なのか。そのことについてのお話でした。若者の不変で普遍的な心情を赤裸々に書いているから惹かれるということは以前より言われていたことです。もちろんその点は大きいと思います。しかし、今までにもまして混迷と閉塞感を深めた今、なぜ、よけいに太宰なのか。そこですね、重要なのは。

井上氏は興味深いことを話しました。太宰は思春期の頃から年よりもませていました。芝居だの落語だの、高校時代には義太夫にも凝り、着物をきて習いに通ったりしました。それら「口承文学」の言葉に多く触れた彼が、青年になって西洋からの近代文学に触れた。そのふたつの出会いが彼の文体を形作ったというのです。なぁるほど。(^_-)-☆太宰の文体の魅力的な理由のひとつに“語りかけ”調が挙げられますが、アレはその辺から来ていたんですねぇ。

その語りかけ口調がなんとも読むものの心にダイレクトに入ってきて、あたかも自分ひとりにだけ語りかけてくれているような感覚に陥ります。ソコですよね、ソコ。(うむ、女性にモテるはずだ・・) 皆さん、小説を読んでいて、筋書きから離れて突然に作者が読んでいるアナタに向かって語りかけたり、解説したり、ときには弁解したりなんて、そんな小説ほかに無いでしょ? それはおそらく、素人ですが一応ヘタクソな文を書く右近の思うに、意識して彼はやっているのではなく、書いている最中に常に読者を意識している、いや、すぐそばに感じているからではないでしょうか。ソレがまた、孤独な者にはたまらない。この人ボクにアタシに話しかけてくれてる、こんなしんどいのは俺だけじゃない、私はひとりじゃないんだぁっ、このおじさん、バリかっこいい!と思わせるのでしょう。

それから太宰の言葉と今の若者の言葉が似ているということを指摘した大学の先生も居ました。秋葉原事件のK容疑者も同じことを携帯で書き続けていたけれど、誰も注目しなかったのはなぜかということを高校生達に問いかけていました。違いは、太宰の文はは破滅的なことを言っている中に、常に希望の光が見えるからだというのです。そうなのですよ、太宰は暗いばかりじゃなく、ポジティヴ太宰クンなのです。

井上氏が言うとおり、文句なしに面白い。太宰の小説は奇想天外な筋書きではなく、むしろ自分の身の周りに起こったことや、常に太宰らしき人物を中心に出来事が運ばれます。その人物が面白い。だって彼だもん。(^.^) 退廃的なようで健全なものを愛し、ずるいことや裏切りもしたけれど正義を好み、それらを偽りなくすべて隠さず吐露する太宰。惹きこまれると夢中です。私もときどき全集の一冊を取り出して読みますが、落ち込んだときや、リラックスしたいときに読みますね。

39歳でよかったのではなく、仕方がないからそう言いましたが、本当は50代の太宰、60、70、80代の太宰、そして好々爺になっているだろう100歳の彼が書くものが読みたかったな。とりわけ老いへ向かう途中の年令に、彼は何を思うのだろうかと興味があります。でも、健康的で健全な人をやってきた老大家の太宰なら、ここまで現代の若者たちの心を掴んだだろうか。そんなことも考えます。

それでは名作「津軽」のラストの文章をご紹介して今日はお別れです。
大雨が降るらしいです。気をつけてお出かけくださいね。

「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行かう。
             
                     絶望するな。では、失敬。」 

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