« 雪をどうぞ | トップページ | お知らせ »

2009年8月15日 (土)

終戦の日によせて

今日は終戦の日です。64年前の今日、日本国民は玉音放送によって敗戦を知りました。しかし64年を経た現代に生きる私たちの日常生活で、戦争が語られることがほとんどありません。その理由のひとつに、私たち戦後生まれは、自国の戦史について学ぶ機会がなかったことが挙げられます。したがってみずから学ばなければ、知ることができません。私の亡父も出征しましたが、帰還しました。父の口から戦争が語られることはほとんどありませんでした。実際に戦争に関わった人たちは高齢か、すでに他界されています。語る人は減少するばかりです。だからこそ、語り継ぐために私たちが学ばなければならないのです。

私がここ数年間、戦争について知りたいと切望した背景には、今の日本の現状があります。親が子を、子が親をいとも簡単に殺してしまうニュースに私たちは驚かなくなっています。苛立つからと誰でもいいから行きずりの人を殺したかったという輩がいます。親は子を虐待して死なせ、子どもを養育できない親がふえていると聞きます。悲しいことに青少年や、時には幼い子どもまでが刃物で人を傷つけたり殺めたりすることも、昔ほど驚かなくなりました。また、年間の自殺者が3万人を越え続けるという他の先進諸国には見られない現象も、この国では起こっています。これら「命」を軽んじる狂気の危機感から、何がそうさせたかを私は考え続けています。そうして、戦争のことを知らないのが関係するのではないかと気がつきました。かけがえのない命を差し出した兵士達、親を子を、ふるさとを国を守ろうと捨て身で戦った兵士達。その熱い思い、ひとつひとつの尊い命。現在の世の中を彼らが知れば、64年後にこんな国になるならば、命など捧げる気も失せたかもしれません。

若くして死にたくはないのは現在も戦時下の異常事態でも同じです。しかしながら、先の戦争では310万人の犠牲者を出しました。多くの人たち、とくに若者達の命が無謀で非人道的な方法で散っていった悲しみに、私は痛恨の思いを抱きます。彼らはなぜ死ななければならなかったのか。現代の「死」に比べ、あまりに純粋で重い彼らの死について、私たちは考えなければならないのだと思いませんか。こんなことを言うと、やれ右よりだと囁かれますが、そうではありません。私は右よりでも左よりでもありません。それは普段の発言からお分かりのことでしょう。私は一人の人間として、正確な自国の歴史を知りたいと願うだけです。そこから反省や教訓を得て、惨憺たる日本の現状に活かすべきことは多々あると考えます。戦争はいけない。皆が口をそろえて言います。しかし、何がどういけないのか、過去にどんなことがあったのか、特に学校で教えてもらえなかったことについて、私たちはもっと知ろうとしなければならないのです。

若き命が散った典型が特攻隊です。しかし、この特攻隊も、一般的には航空機のみしか知られていません。特攻隊について、以下にウィキペディアから一部引用いたします。

『特攻(=特別攻撃)とは、爆弾を搭載した軍用機や、爆薬を載せた高速艇等の各種兵器が、敵艦船等の目標に乗組員ごと体当たりする戦法である。太平洋戦争末期の日本で、陸海軍あげての大規模な作戦として実施されたが、乗員が生還する可能性は皆無に等しく、(突入失敗で海面に激突し、奇跡的に助かった航空機搭乗員の例もあるが極めて稀なことであった)「突入」すなわち「死」を意味すると言えた。

背景には、太平洋戦争末期における日本軍の航空機の数的不利と航空機燃料の品質悪化や航空機の生産過程での品質の低下、近接信管(VTヒューズ)やF6F艦載機に代表されるアメリカ軍やイギリス軍の対空迎撃能力の飛躍的向上により、日本軍の航空戦力が劣勢になって、通常の航空攻撃では充分な戦果を敵艦隊から挙げにくくなったことがある。さらに台湾沖航空戦の結果、フィリピンでの稼動航空機数が激減し、少数の兵力で有効な戦果を挙げるために最も確率の高い方法として、やむを得ず実行されたのが始まりである(部隊編成は19年初秋には始まっていた)。

最初の特攻隊として艦船に突入し軍神と畏敬された関行男中佐レイテ沖海戦より始まった特攻は、硫黄島やウルシー・サイパンへの作戦を経て、沖縄戦において最高潮に達した。沖縄周辺に侵攻したアメリカ海軍やイギリス海軍、オーストラリア海軍を中心とした連合国軍の艦隊に対し、日本軍は菊水作戦を発動して特攻隊を編成し、九州・台湾から航空特攻を行った。これと連動して戦艦大和以下の艦艇による“水上特攻”や回天、震洋などの体当たり艇など、各種特攻兵器が大量に投入された。』 <Wikipediaより>

「特攻」というと『桜花』に代表される航空機ばかりが知られています。しかし、先日のNHKスペシャルで、元海軍の司令官達の400時間にわたる証言を聞く中で、特攻は海軍が最初だったと知りました。『回天』という魚雷にひとり乗り込み、海中から敵の戦艦に近づいて爆破するものです。これは成功率わずか2%だったといいます。また『震洋』はひとり高速艇に爆薬を積み込んで海上を進み、敵の船を爆破するものでした。これらに乗り込んだ兵士は皆若く、航空機の特攻予備生や予科練の学生も多かったといいます。桜花ばかりではなく、これらはみな特攻隊です。反省会で証言をした元士官達は、非人道的な作戦だったが自分たちの力でどうすることもできなかったと告白していました。この悲惨な全特攻隊で、約6000の若い命が失われました。

戦況が悪くなり、敗戦の色濃い時期に、一人の人間が体当たりをして敵にダメジを与える無茶苦茶な戦法に、当時、世界中は驚いたといいます。最初は効果もあったようですが、いま私たちが考えても、個人が捨て身で激突し続けて戦況が大きく良くなるとはとは思えません。これは最後の手段ではなかったかと思います。国のためと尊い命を捧げた各特攻の兵士達を思えば痛恨の極みです。特攻作戦が熾烈となった時、すでに敗戦の予兆があったにもかかわらず、日本は降伏の姿勢を国内外に見せませんでした。その後、本土への空襲、沖縄戦が始まり、ヒロシマ、ナガサキの原爆へと続き、本土が壊滅的になった時点でやっと降伏しました。もっと早ければ、これら多くの命は失われずに済みました。結果論になりますが、そう思うと無念でなりません。

ここではこれ以上語るのは避けたいと思います。今日はすべての戦争犠牲者を追悼する日です。「ありがとう」なんて言えない。「ご苦労様」でもない。「安らかに」も違う。貴方がたの無念と勇気を、きちんと受け留めるのが私たちの務めです。戦いの末に命を落とした兵士達のことを思うにつけ、胸が締めつけられる思いです。私は貴方がたの失われた尊い命を悼みます。今はそれしかできません。流行歌手の歌をここで持ちだすことすら軽いことのようで気が引けますが、『桜花』で散った兵士たちとともに『回天』『震洋』その他、戦いのあらゆる場所で、あらゆる状況で命果てた人たちを悼むため、音楽の力も借りて皆さんに訴えることが出来ればと思います。戦争を二度と起こしてはならない。過ちは、もう繰り返してはならない。そのことを強く願いつつ手を合わせたいと思います。

哀悼の歌 “Tears” <X  JAPAN >↓

http://www.youtube.com/watch?v=4IvWeaLhwbU&feature=related

|

« 雪をどうぞ | トップページ | お知らせ »

社会の出来事」カテゴリの記事