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2009年8月 9日 (日)

ナガサキ

浦上のマリア様へ そして皆様へ

数年前、長崎の旅から帰って数日後のある真夜中、眠っていると何かの気配を感じました。目をあけると白い裳裾が目に入りました。横を向いて眠っていた私の目に、白いドレープが音もなくゆれているのが見えました。これは・・・!

見上げるとマリア様でした。黒く焼け焦げた浦上天主堂のマリア様でした。貴女様の御目は黒く虚ろでしたが、私を見おろすまなざしは哀しげでした。けれども私は恐ろしく、あわてて反対側を向きました。怖いので身を固くして背を丸めて震えていると、貴方様は信じがたい強い力で私の肩をつかんでそちらを向かせようとされました。

申し訳ありません。私の頭は冴え渡り、この現実からどうすれば抜けられるかと冷静に考えながら脅えていました。この世のものとは思えない強い力に抗い、私は幽霊や亡霊に出会ったときは念仏を唱えればいいと教わったのを思い出しました。生家の浄土真宗の「南無阿弥陀仏」を何度かくりかえし、唱えながら、マリア様に申し訳ないとも思いました。肩を掴む強い力をようやく感じなくなり、こわごわふり向くと、貴女様のお姿はありませんでした。

私は長崎への旅で、原爆を投下された地に立ち、浦上天主堂や資料館を訪れて、あらためて悲惨さに心がひどく痛みました。樫の木でできた貴方様が、原爆で黒焦げになり、頭部だけになってしまったことも、今更のように悲しいことだとパンフレットを見て感じました。その貴方様が、私のところまでお越しくださったのだと後で考え、なぜ私は怖がったりしたのだろうと恥じました。

あの日、貴方様が私の枕元に立たれたのは、きっと貴方様おひとりではなく、大勢の犠牲者の皆様もご一緒だったのでしょう。その頃まだ健在だったHiroshiが逝き、私は亡くなった人と魂の交流が出来ることを知りました。戦争の犠牲者のかたがたのことを思うと、お会いしたことがない皆さんが、悲しい思い、口惜しい思いを音で伝えてくださいます。

あのとき、貴方様は空洞の目で、私に何を訴えておられたのでしょう。忘れてはいけません。ナガサキを、ヒロシマを。おそらくそうではなかったのでしょうか。8月になると「ヒロシマ」が、「ナガサキ」がやってきます。終戦の日も訪れます。しかしながら、盆休みに遊ぶことや帰省することばかりで、それらについて考える人たちが減っているのが現状です。私は残念です、マリア様。

お父さん、お母さん、子供たちに原爆を語ってください。戦争を語ってください。子供たちの未来を守るために、もっと原爆を、戦争を学びませんか。過去に何があったかを知り、伝えていくことこそが命を守ることです。命を大切にすることです。私たち戦後に生まれた者も、もっと原爆や戦争を学びませんか。世の中がすさみ、戦争もなくならないのは、歴史からきちんと学んでいないからでしょう。日本という国は、なぜもっと、国全体で原爆の日を考えないのか不思議です。世界で唯一の被爆国だというのに。

お父さん、お母さん、遊びに出かける車や電車の中ででも教えてください。おじいちゃん、おばあちゃん、お孫さんに64年前の今日、長崎で10万人もの人が一瞬の原子爆弾で地獄と化し、亡くなったことを教えてください。今私たちが享受している「平和」は、それら理不尽に命を奪われた人たちの犠牲の上にあります。今も後遺症や悲しみで、苦しむ人が大勢居ることを、どうか子どもに孫に伝えてください。そうすることが可愛い子どもを、孫を守ることにつながります。

今日までヒロシマで亡くなった犠牲者の数・・・26万3945人

今日までナガサキで亡くなった犠牲者の数・・14万9266人

マリア様、浦上のマリア様。貴方様はそのお姿でこれからも原爆の悲惨さを訴えつづけていかれるのですね。貴方様のお姿は美しく逞しく、凛々しく神々しく、涙がこぼれそうなくらいです。枕元に現れてくださったのは、これからも考え続けよと私に仰ったのでしょう。この次に現れてくださったとき、私は決して脅えたりはいたしません。

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