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2010年5月

2010年5月31日 (月)

命の犠牲に積む命

先頃から宮崎県において家畜の伝染病である口蹄疫により大量の牛が処分されています。今後もまだ当分続くとか。種牛も結局は処分となったようです。私が近頃ニュースを見ないのは、このことが必ず報道されるからです。処分のために牛が引かれていく様子を見るとひどく心が痛み、テレビを切ってしまいます。 

小説にも書きましたが、私は幼いころにトラックに積まれて屠殺場へと送られる牛を見てひどく悲しく思い、以来、肉類を食べることを好みません。とはいえ栄養を摂らなければならないので、生きていたのを殺められて食品となったものを口にしなければならないのは避けがたいことです。私はできれば動物も植物も何も口にしたくはないと考えていますが、生きている以上、食べなければ仕方がありません。

このたびの一件で、大打撃を受けた畜産農家の方々は、大変な状況にあることもお察しします。この国の畜産を預かる人々の社会貢献も大いに認めるところです。手塩にかけた牛たちの処分は口惜しいものだと思います。しかしながら、生きた牛たちが大量に殺されていくことを考えると、私たちも心が痛むのは事実です。食肉とされるにしても殺されるのですが、そこにも哀しいものを感じます。

食べられるにしろ、食べられずに処分されるにしろ殺されるのです。牛にすれば同じことかもしれません。何ごとも起こらなければ私はこの映像を見ることがなく、ふだんから避けて通っているように、特別な痛みではなかったのでしょう。毎日毎日、牛や豚、鶏や馬ほか食用にされる動物について深く想うことを忘れていたでしょう。

私が感じる哀しみとは何か。それは言葉にすれば通常は呆れ返られるばかりの子どもじみたものかもしれません。顰蹙をかうのを怖れずに敢えて言葉にすれば、人間の意のままに命を操られる動物たちの哀しみ というものでしょう。牛のやさしい目は、そのように扱われても逆らうことなく従順に、食べられない処分を無抵抗に受けるのです。牛ばかりではなく、豚も鶏も、すべての食用の生きものたちは、食べられない病気になると、人間のように治すのではなく、処分されてしまう運命にあります。

人間に食べられるにも殺される。食べられなくても殺される。家畜は意思をもたず従順です。その従順な生きものたちの死を口にする私たち。そしておいしいと舌鼓を打つ私たち人間。食べ残したり捨てられたり、その死を充分にありがたみもせず、悼みもせず、感謝もせず、あたりまえのように口にし、病気発生だと知れたとたんに人間の事情ばかりが報道される。こういった現象に、まことに勝手な人間側だけの論理を感じて悲しくなります。

今夜のクローズアップ現代は、中島潔さんという画家のかたの絵が清水寺の一室の襖絵となったことを放映しました。題名は「大漁」です。これは夭折の女流詩人、金子みすずさんの詩からのモティーフだそうです。彼女の詩で有名なイワシについて詠ったものに、中島さんは心に響くものを感じて以来、そのモティーフで描き続けておられるそうです。イワシがたくさん獲れて大いに喜ぶ人間。しかし、海の中では大勢の弔いがおこなわれるのだという短い詩です。

    朝焼小焼だ
    大漁だ
    大羽鰮(いわし)の
    大漁だ。

    浜は祭りの
    ようだけど
    海のなかでは
    何萬(まん)の
    鰮のとむらい
    するだろう。

詩人は皆とは違った視点でイワシを見ています。その目には優しさが満ちています。大漁をただ喜ぶのではなく、イワシの側にたつ目を彼女は持っているのです。そのこまやかな生きものに対する温かさに人は打たれるのでしょう。

飽食の日本。食べもの廃棄率の高い日本。大食いを売り物にしたり、メニューを全部食べるなどと馬鹿げたことをやる人、それを企画する人、喜んで見る人のいる日本。給食、パーティー、飲食店などで廃棄される大量の食べもの・・。私たちは何か間違っていませんか。飽食の国で麻痺してはいませんか。動植物の命を殺めずに私たちは生きられません。しかし、命を犠牲にした動植物の痛みを感じることなく、楽しんだり廃棄したりするばかりで感謝を忘れていることに、犠牲になる命にすまないと感じることなしに、私たち人間はあまりにも勝手ではないかと考えてしまいます。

私たち人間は、ほかの命の犠牲の上に命を積んでいます。そのことを忘れずに、たとえ一瞬でもそれらの動植物や魚介類に感謝する気持ちをもってほしいと思います。中島さんはイワシを悼んだ金子みすずの哀しみを希望に換え、今年「大漁2010」という絵を完成されました。残念ながら、天に昇るような勢いのイワシの大群が描かれた襖絵を見に、京都まで行く体力は私にありません。それはみごとなものですよ。興味のあるかたは行かれてはいかがですか?

休筆後、ふたたび書き始めた「ハピネス・マサオ」は「食」がテーマのひとつです。後半を皆さんにお見せできないかもしれませんが、意欲的に書き進んでいます。久々のWriting Highを感じつつ、資料を読むことと書くことに没頭しています。今日で5月も終わりです。あしたからは水無月。右近が頑張らなければならない月です。うんと書き進みたいと思います。それではまた。

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2010年5月28日 (金)

ニゲラが咲いた

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今年もニゲラが咲き始めました。いつもながら不思議な花です。種を飛ばしていろいろな所に咲くのも毎年のこと。もしかしたらご近所の庭にも咲いているのかもしれません。 
後の赤く見える葉はギンモクセイの若葉。新緑の時期に赤くなる葉は多いですよ。今年の五月は例年の五月ではなかったような気候でしたが、宿根草は約束どおり咲いてくれます。

肌寒いですね。私はせっかく洗った毛布や丹前をまた出してきて、シチューを炊いたり。もうじき梅雨だというのに春先のようなことをしています。気温の変化に皆さんも体調を崩されませんように。

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2010年5月23日 (日)

“Paperback writer ”ペイパーバックライター

風雨の一日でした。右近庵近辺は、まだ明日も降るようです。皆さんのところでも雨でしょうか。雨でよかったと昨日言いましたが、これほど降ると植えたばかりのi芋づるが心配です。

こんな雨の日には明るい曲がいいですね。Beatlesの曲に限らず、洋楽では恋愛のみならず歌詞の内容がvarietyに富んでいます。この曲も面白い歌詞ですね。転職組の切なる願いでしょうか。私はアソビ人ですが、読んでくれと哀願するところ、なんだか身につまされますね。ただし右近はここまで熱心にはなれないや。それに1000枚なんて書けっこない。

Paperbackというのは、あまり上質の紙を使っていない読み物系の本です。ですから、さしずめこの人は売れっ子の読みもの作家を夢みているのでしょう。この人物、はたしてみごと夢が実現したのでしょうか。

ペイパーバック作家       Tha Beatles

                     訳 右近

拝啓  私の本をどうかお読みくださいませ

何年もかかって書き上げました どうかご一読ください

内容はリアという男の物語をもとにしています

私は生涯の仕事として作家になりたいのです

ペイパーバック作家になりたいのです

これはつまらない男のつまらない話です

彼にまとわりついている妻は夫を理解せず

デイリー・メイル社に勤める息子は

安定した職を捨て ペイパーバック作家に

なんとペイパーバック作家になろうとしています

あぁペイパーバック作家

これは千ページほどもある大作です

1-2週間の間にはもう少しばかり書けるでしょう

もしもお望みならばもっと長くも書いてみせます

あるいは一部書き換えもいたします 

とにかく私はペーパーバック作家になりたいのです

どうしてもなりたいのです

もしお気に召したなら 貴社に出版権も差し上げます

一夜にして莫大な収益をあげるやもしれません

もしお気に召さないならご返送を

私は人生におけるチャンスを切望しています

ですからぜひともペーパーバック作家に

ペイパーバック作家になりたいのです

あぁペイパーバック作家・・・

 “PAPERBACK WRITER”    Tha Beatles ↓

  http://www.youtube.com/watch?v=4yNYzqzuev4

日本公演のものです。広い武道館で音が割れ、ものすごい歓声で聞きにくいね。彼らが可哀想・・・

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2010年5月22日 (土)

芋づる植える

今年も100本の芋づるを植えました。鳴門金時と紅あずまです。関西と関東の主流のもので、育てやすい品種です。曇で蒸し暑い日でしたが、明日が雨ということで今日は植え付けに最適の日でした。サツマイモは深めのプランターや頭陀袋、古バケツに穴をあけたものなどでも育てられますよ。1~2本でも試してみてはいかがですか?植えたらその後は手間いらずです。肥料も必要ないくらいです。秋にMyイモを収穫し、アツアツの焼き芋を召し上がってはいかがですか?とってもおいしいですよ。
週末ですね。よき休日をお過しください。私は今日よく動いたので、明日は休養日です。本でも読みましょう。晴耕雨読。
夏場所は、はやばや優勝が決まって千秋楽はちょっと残念。白鵬とにかく強い。それでは皆さん、ご機嫌よう。

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2010年5月19日 (水)

「息」は上下する?

只今、夏場所の後半に入りました。連日、楽しんでいます。
ところで、最近、「息が上がる」という言葉をよく耳にしますね。NHKのアナウンサーのの皆さんも、勝った力士へのインタビューでよくこの言葉を使っていました。しかし、これは正しい言葉なのだろうかと疑問に思って調べたところ、‘いきが あがる’は、「意気が上がる」しかありませんでした。何かに対しての意識が高まることですね。肩で荒い息をしている状態のことを「息が上がる」と表現することは、わからないではありません。しかし、まだ正式に認められていない語をNHKのアナウンサーが使うのはどうかと思い、行動を起こしました。言葉の疑問に答えるサイト、NHKの“言葉おじさん”に投稿してみたのです。答えは返らないのですが、番組の中で答えていきますとありました。

その番組は、たまたま見ることもありますが、それ以来、あまり見なくなっていました。ところが変化をはっきり感じたことがありました。毎場所とっても楽しみにしている相撲中継で、どのアナウンサーも「まだ息が上がっていますね」と言わなくなっているのです。「まだ息が荒いですね」とか、「まだ息が治まりませんね」と言っています。これが私の疑問への回答でしょうか。皆さん、改めておられます。しかし、あるアナウンサーは「○○関も徐々に緊張を上げています」などとも言っていました。緊張は上げるものではなく、高まるものでしょう。この場合は、さしずめ「緊張を高めています」と言うべきでしょうか。「上げる」で簡単に済ませることも出来るかもしれませんが、何でも上げたり下げたりで表現してしまうのもどうかと思います。

言葉の省略や簡略化すべてに反対するわけではないけれど、感心できないものも多いです。崩すのはたやすいことですが、せっかく積み上げたものを簡単に崩すようなことは、NHKのアナウンサーの誇りにかけて、しないでいただきたいですね。そういえば、最近はどこのアナウンサーもよくトチりますね。その昔、ニュースを語るアナウンサーがトチれば「へぇ~っ!」という感じで驚き、気の毒に思ったものですが、最近では一度もトチらないで最後まで語る人に出会うほうが難しいです。プロはプロ意識を持ってほしいなぁ。また、崩す言葉も結構ですが、崩さないほうも大切にしてほしいものです。久々にマジメなことを語りましたね、私は。ミニ「ひとり言」だ。

雨の一日でした。一週間の中ほどは、いちばん疲れが出る頃でしょうか。
今週の後半を頑張ってください。それでは、また。(^o^)丿

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2010年5月17日 (月)

ツツジが咲いた

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この画像を少し前に前庭で撮ったもの。今は門扉の外側で小ぶりの花が咲きはじめました。ツツジとサツキ。う~ん、区別がよくわかっていない。(-"-) これはたぶん、ツツジ。

 お知らせ
プライベートのブログを本日より始めました。何かを発信するという堅苦しいものではなく、ただのお喋りになると思います。ご訪問を希望されるかたはメールでご連絡下さい。よろしくお願いいたします。  右近

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2010年5月13日 (木)

快方へ

私は長期不調の中の短期の不調から、少しずつよくなっています。ご安心ください。

さて、たいへん遅くなりましたが、例の件の説明をいたします。はい、このトークをこのままにしておくか会員制にするかという件です。結論として、システム上の理由で不可だとわかりました。私はプロバイダーがNiftyなのですが、現在無料で使えるブログ1、有料3を使っています。無料のひとつは4月から社会的意義をもつブログとして運営中です。文芸系でも死別でもないためHPや他のブログとはリンクしていませんが、アクセス数が伸びています。

あとの3つのブログは別のIDでレンタルしています。(IDを2つ持っています)これらのブログはパスワードで閲覧者を限定することができます。しかし、そのパスワードは、私が契約しているものと同じものを使用しなければなりません。それは、つまり、そのパスワードで私のNiftyでの個人情報までも閲覧できてしまうということになってしまいます。多くのブログにあるように、閲覧パスワードは別に設けられると勘違いしていたのです。出来ないのですね、Niftyは。優れている点も多いけど、融通のきかない点もあります。(-"-)

それで私は不調にもかかわらずベッドで考えていました。他のブログでやればいいんだ。今、フリーで使えるブログは多くなりました。ベッドから起きてきたとき、こま切れの時間で探していたのですが、やっと適当なものが見つかりました。それを使って近々、開設予定です。この右近トークも公に向かって何かを発信する色合いが強くなり、それは私の意識の変化に伴ってのことでしょうが、どーでもいいことを熟年の人間がオモテでベラベラと喋るのもどうかと思うようになっているのですね。それプラス、嫌なことがまた起こるのではないかとの不安もあります。だからここでは羽目を外した喋りをするのもなんだか憚られるようになってしまって。

というような理由で、のびのびと楽しく喋る場も一ヶ所は持ちたい、訪問する方々にも安心して喋っていただきたいとの願いも込めて、良識ある方々の語らいの場、お茶を飲みながらお喋りする雰囲気の場としてのブログを新たに開設いたします。オープンすれば、そのときはまたお知らせします。近日中に始めます。

昨夜、起き出したとき「ハピネス」を久々に読み返してみました。やっぱりね、なんていうのかな。血が騒ぐっていうか、書きたい!はやり言葉でいうとフツーに書きたい。そう思った。この‘フツーに’って強調語なんだって?‘とても’という意味のような。 あぁ、やはり、はやり言葉は難しい。(+_+) 

寒いね。風も強かったね。だからかな。またノドが痛い。ずっとマスクしてるのに。けれど少しずつよくなっていると思う。よくなりながら書きたいと思ってる。書かない右近なんて・・でしょ。え、喋らない右近なんて、の方?うむ、それがね、書くことと喋ることは同時に出来ない。何となくでいいから分かってくれる?やば、フーっとなったから、フツーにベッドに戻ります。コレ間違った使い方だな。おやすみなさい。 

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2010年5月10日 (月)

なかなか書けないことの説明

再開しながら、ブログがなかなか書けない。「ひとり言」も完成までと言っておきながら、これもなかなか書けない。理由なくそうなっているのではありません。理由があるからです。しかし、それらをひとつひとつ説明することはどうかと思ってしていません。何度も申し上げます。皆さん、私は皆さんが思っておられるほどに元気ではありません。大不調から脱したといっても、毎日が闘いです。この数日間も持病と風邪でだるくて起きられず伏しています。どうか催促はご勘弁ください。うれしいことですが、今や私は、それならとすぐに起きて書ける右近ではありませぬ。お元気な皆様にはご理解が難しいことかと存じます。しかしながら、どうか静観してくださいますように。

トークを書けば元気だと思われる。思われるから、元気なのになぜその他の文を書かないかと不思議に見える。思われるから悪さをする人たちも居たのでしょう。ご訪問の皆様には、どうぞスイッチを切り換えてくださいますように。私は正真正銘、病人です。それを認めなければならないレベルに弱ってまいりました。私は引き際を見誤ったとつくづく後悔しています。しかしながら、出てこられるときだけ出てくる、書けるときに「ひとり言」を書く。皆さんがこれをお許しくださいますならば、細々とでも今しばらくは続けられるかと思います。私は毎日、だるさや諸症状と闘っています。ちょっと動いてはフーっとだるくなって横になる。また気力をふりしぼって起きて動き、またダウン・・。その連続でほとんど何も進まないまま一日が終わってしまいます。当面の目標は、日常生活を自分ひとりで頑張りたいということです。けれども創作以前の、日常生活そのものが困難な状況になってきていることに危機感を覚えています。今日も晩御飯の後片付けができず、そのままにしています。情けないことです。

わかってくださいというのは無理でしょう。けれども、わかろうとしてください。皆さんの知っておられる疲労感の10倍、いや、100倍くらいの疲労感と私は一年じゅう同居しています。創作する以前に私は食事をきちんと自分で作って栄養を摂らなければならないし、掃除もできるかぎりしたいと考えます。それらひとつひとつがとても大変なこととなってきました。私のもつ病気は進行性です。どうか皆さんも私の病気の進行と、それに伴う私の生活の変化を受け容れてください。急激な弱りに戸惑い、嘆き、諦めに変わってきましたが、そんな私を静かに見守っていただけますれば幸いです。もちろん書けるときには書いていきます。それを切望しているのは、ほかならぬ私自身なのですから。「ひとり言」はゆっくりゆっくり書かせてください。よろしくお願いいたします。ではベッドに戻ります。読んでくださってありがとう。      右近拝

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2010年5月 9日 (日)

“エクレア”というカーネーション

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おいしそうな名前のついたカーネーションです。実際は、もう少しシブイ色合いです。カーネーションといえば赤というのはもう昔の話のようですね。なんだか赤がなつかしい。カーネーションに限らず品種改良が盛んで、どの花もカラフルになり、本来の色のものを見ることが少なくなってきた花もあります。それがちょっと寂しいなと思う右近です。やっぱりフルイ人間だ。 

母はもう居ないけれど、母のことを想うと話しているみたいな気がします。明るい母だったものだから、笑ってるか、バカなこと言ってるか、歌ってるかだったなぁ。そんなところばかり思い出します。可愛い人だったな。(^.^) 母に“ありがとう”を言おうっと。

皆さん、お元気でしたか。起床から寝るまでの活動時間中、私は半分ほどベッドですが、なんとかやっています。例の件のご説明は、もう少し元気な日にいたします。それでは今日は、この辺で。新たな一週間を元気にお過ごしください。

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