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2011年8月

2011年8月27日 (土)

福島の桃を食べよう

果物のおいしい季節がやってきました。酸っぱいものが苦手な私は、果物の中ではとくに桃・梨・柿が大好きです。(他にはバナナ、イチジクなども好き)  秋になると、この果物トリオが楽しみです。秋口から晩秋まで、いろいろ取り寄せて味わいます。

外出が思うにまかせないので、これらの果物もネットショッピングです。ところがメガサイトでは、あまりに多くの店が並んでいて迷ってしまいます。それに、お値段がちょっと安いとか、ポイント10倍などにつられて取り寄せてはみたけれど、「イマイチ~。(-_-)」っていうものもありました。(もちろんそういうもので美味しいものはたくさんあるけれど、果物は当たり外れがあって難しい。) それで今はその経験を活かし、食べ物を購入する店がほぼ決まってきました。

築地市場は首都圏の台所であるだけでなく、国内外の観光客にも人気の観光スポットですね。私は行ったことがありませんが、有名なまぐろのセリ風景をテレビで見たことがあります。東京では国技館同様に、行ってみたい場所です。しかし遠くに住む私たちでもネットで生鮮食品が買えるのは有難いことです。私はこちらでよく購入します。価格も良心的だと思います。はい、今日も福島県・伊達の桃と千葉県・市川の梨を注文しました。(^_-)-☆

こちらの商品は築地市場で扱う品の中から目利きの仲買人が選りすぐったものだとか。そうでしょうね。ハズレたことは一度もありません。何を買っても美味しいです。被災地を特産品の購入で応援するうごきが活発です。そういう場所へ行けない方、こちらで福島の桃はいかがですか。千葉の梨はいかがですか。今年もきっと美味しいことでしょう。果物で応援しましょう。 では今日はこれで。いい週末を過ごしてください。大阪もすごい雨だったよ。

◎ 築地市場ドットコム 

追記 記事を掲載した時の幸水梨、千葉・市川産が売り切れになり、栃木・那須野産に変わりましたが、こちらも美味しそう。買ってくださ~い。関東以北のどこでも応援。\(^o^)/ 築地市場ドットコムでは、商品がよく入れ替わります。同じ商品が再び登場することもあります。こちらのサイトが気に入ってくださった皆さんは、時々チェックしてくださいね。(^_-)-☆

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2011年8月26日 (金)

「ふんばろう東日本プロジェクト」で支援しよう

個人ができる支援方法、支援物資の情報が豊富です。当初から個人宅でのグループ避難生活をしている人たちが多くおられ、その情報も得られます。皆さん、どうかご協力ください。

◎「ふんばろう東日本支援プロジェクト」 支援したい方のページ 

☆個人から送りたい支援の登録ページ 

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2011年8月25日 (木)

ほぼ快復

だるいな、熱っぽいなと感じたのが先週の土曜日でした。今日で6日です。ようやく微熱がとれました。(微熱は膠原病につきものです)体が熱いと薄着になる。そう、たいていタンクトップになってしまう。すると“Atchoo!”となる。(米国ではAchoo!)そう、ハクション!夏風邪はむずかしい。さいわい今回は頭痛がひどくなかったので助かりました。完全復帰ではないけれど、ほぼ復帰ということかな。ちょっと待って!「よかったですね」と言わないで。だって、あしたになれば戻っているかもしれないもの。すべては起きてみてからわかること。

以前は3日ほど寝込めば起きられたのに、今は5日~1週間はかかってしまう。もったいないよね、その時間。だから寝床でいつも焦ってる。こんなことしている場合じゃないのに、やることがいっぱいあるのにって。でも動けないから仕方ない。だんだんそう考えてあきらめるようになった。でもね、ベッドに居てもできることがいろいろあるよ。頭痛がなければ本が読める。撮りためているドキュメンタリーや映画を観る。カメラをいじる。写真についての雑誌をめくる。それからそれから、頭の中で空想の世界を展開し、ストーリーを組み立てる。これがまた、なんとも楽しい。

この度は軽めの風邪なので、ベッドで小説を書き始めた。短編のつもり。つもりが長編になることもあるけれど、これは確実に短編でいけそう。体調が万全ではないから、とてもslowなwriterだけど。ベッドで綴るのはノートパソコンで。しんどくなったら後ろへ倒れて休憩する。そしてまたムクッと起きて文字を打つ。突然いい言葉やフレーズが浮かんだら、メモ帳の覚書に書きとめておく。これはラストで使おうなどと考えを巡らせる。やっぱり楽しいね、書くことは。でも困ったこともあるよ。創作を楽しむと、現実の世界との切り替えがしたくなくなること。戻りたくなくなるよ。そろそろ御飯の用意をしなくちゃなんていうのもメンドウになる。

よくぞこんな楽しみを持っていたことだと思うよ。じっとしている時間が長い私にうってつけの‘趣味’だものね。そう。今は自分で趣味って言えるし割り切れる。でもいいものを書きたいよ、もちろん。最初に書いたものが図書館協会から認められたばっかりに、ちょっと有頂天になっていた頃、もしかしたらイケるかも、なんて思ったこともあったけど。本気でそう思っていたら、その時にまっしぐらに進んでいるよね。けれど私は英文学に戻たね。何だか書くことから逃げたくなってたのかなぁ。それでそうしたよ。復学して二年間、その後の体調不良の一年間の合計三年間、文章を書いていない。レポートを書くのに論文調の文はたくさん書いていたけれど、創作とはまったく別もの。‘論理’か‘心情’か、の違いかな。もちろん小説にも論理的な要素は大切なんだけど。

だからブログに復帰して思ったよ。ううぅわっ!普通の文章もろくに書けなくなってやんの。情けなぁって。(←大阪弁) みんなも思ったでしょ。右近、前より文章ヘタになってるぅって。たしかにレベルダウンしていると思う。何ごとも続けてこそ維持できるものだからね。いや、以前は上手かったということではなくってさ。単に前より落ちてしまってるねっていう意味だよ。でもね、書いているうちに少しずつ勘が戻ってきているよ。とくに小説は書けば閃く。勘が戻る。目覚めた瞬間に小説のことを考えているっていう状態。これは幸せ。他のことを何も考えずに、好きなことだけすることを「快楽」と私は呼んでいるけれど、その快楽を満喫している時、私はきっと幸せ、な・ん・だ・ろ・う。

世間はなんだかんだと騒がしいね。半分ほど虚構の世界にいるときは、それらについてとくに感情が起こらない。“美学”もいろいろあるもんだなぁ、美学って、いきなり大勢の人に迷惑かけるって意味だったんだぁとか、どうでもいいんじゃない、タレントのことなんてそんなに時間かけなくて。ニュース番組なんでしょ、もっと他のことを報道してよ、ヘイワだなぁこの国は、とか。アレ、前原さん脱小沢じゃなかったの?やっぱり“小鳩”なんだなぁ選挙となると。でも小沢さん、党員資格停止じゃなかったの、動きまくりだけど、とかその程度。そんなことより私は観たい。宮古、大船渡、石巻、気仙沼でサンマやカツオが水揚げされたニュースなら何度でも。漁師さんたちの笑顔、とっても素敵だね。セリの風景、とっても威勢がよくって頼もしい。例の宮古のあのサンマ、食べたよ先月。ダッコと一緒に。しかし、こんなに早く今年もサンマが食べられるようになるなんて思わなかった。だから嬉しくて。早く食べたいな、今年のサンマ。東北で水揚げされたおいしいサンマ。

とりとめのないことを喋ったね。こんな話つまんなくない?でも来てくれるんだ。ちゃんと読んでくれるんだ。ありがとう。あ、それから、右近トーク若葉マークの皆さん、いろいろのご質問は『平成道行考』へ行ってみて探してくださいね。病気のことも、その他いろいろ書いています。丁寧にお答えすればいいのだけれど、ウコン・メンドウサ・ゴメン。(←誰?) それでは皆さん、またね。もうすぐ週末です。頑張ってください。\(^o^)/ 大雨の地域に住んでいる人、気をつけてね。(-_-)

※『その日が・・』の方も更新したよ。(^_-)-☆ よかったら読んでね。

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2011年8月23日 (火)

Thank you for coming.

先週末から体調がくずれて寝ています。微熱とだるさと咳が少々。気温の変化に体がついていけないみたい。
よくなればまた喋るね。来てくれてありがとう。皆さんも気をつけて。雨にもね。

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2011年8月19日 (金)

Toksyでマッチング支援をしよう

震災後五ヶ月を過ぎ、被災者の皆さんの生活には変化があります。集団生活から家族だけの生活に戻りつつある現在、日常生活で必要な物がたくさんあると思われます。そんな被災者の皆さんを支援したいけれど、方法が分からないという状態ではないでしょうか。しかしパソコンで、誰にでも出来る支援があります。被災地のことは気になるけれど、たいしたことは出来ないし、何が出来るかも分からないと思っているあなた、ありますよ。あなたに出来ること。(^_-)-☆ 

支援というと負担がかかると思っている皆さん、ハンカチ1枚、靴下1足からでも支援が出来ることをご存知ですか。使わなかったノートなどの文具類、戴いたけれどそのままになっている贈答品、食品全般、中古だけれどまだ充分に着られる衣類、日用品、雑貨品、家電、ペット用品、そのほか女性なら誰もが必要な化粧品やアクセサリー、お洒落グッズなど、必要な人がたくさん居ることを知ってください。

家を流された人びとは着の身着のままで逃げ、まったくゼロからのスタートを強いられています。私たちは家の中でお気に入りのものや毎日かならず使うものがありますね。モノに囲まれて暮らしています。それらを一気に失う事態を想像するのも難しいことかもしれません。しかし想像してください。それは厳しいことですよ。避難所からようやく仮設住宅や借り上げ住宅に移って新生活を始める皆さんは、足りないものだらけで暮らしているのです。季節とともに必要なものがあります。何気ないモノのなかには、あればうんと便利で助かるという品物もありますね。そういうものが皆さんの家の中に眠っていませんか。

私の家の中にも、まだ充分に働ける数々の‘今は使っていないモノ’があります。それらを活かしていただけるなら嬉しいと思い、以下のマッチングサイトを利用しています。マッチングサイトと聞くだけで“大変そう~”っと思ったあなた、ブッブー。ハズレです。ちっとも大変ではありません。まず今から私が話すことに耳を傾けてください。(=読んでください) 利用してみて、こんなに簡単だと思いませんでしたよ。メールが打て、インターネットができる人なら誰でも参加できるしくみです。よく出来たシステムだと思います。

では、Webサイトをご覧いただく前に、少々の説明をいたします。商品は出せるけれど、送料はどうするの? 個人情報はどうなるの? 出品しても、いったい誰が、どうやって「くださぁ~い」って知らせてくれるの? などなど疑問がたくさんありますね。最も皆さんが気にされるだろうことを、私が説明をいたしましょう。例によってQ&A形式でいきましょうか。

Q1.最初にすることは何?

A1.まず会員登録をします。

以下のWebサイトのトップページ左側のサイドバーに、新規登録のためのメールアドレス記入の窓があります。そこをクリックします。アドレスを記入して送信すると、そのアドレスに返信があります。パスワードと登録情報を記入して送信すれば登録完了です。この際の登録情報は、銀行やクレジット会社の情報とは違い、かならずしも正確なものでなければならないものではありません。無料ブログを登録をするときと同じような感覚で記入してかまいません。もちろん正確に記入するのもいいですね。自己紹介の欄は書きたければ書くということでかまいません。(支援を受ける皆さんは詳しく書いています)自分自身や、それに代わる画像も入れるのは自由です。無くてもかまいません。SNSとは違って入れてない人も多いです。また、マイページは、あとからの修正が可能です。書き足しや訂正が、いつでも出来ます。

Q2.その次には何をするの?

A2.支援するための商品を出品します。

「出品する」の箇所をクリックして、商品の説明を記入します。出来るだけ詳細に書くのが望ましいです。新品か中古かは書いたほうがいいと思います。記入欄には文字の余裕がありますから、書きたいだけ書いてください。どんな人に貰って欲しいかも書いてかまいません。商品の説明の最後に画像を挿入する欄があります。パソコンの画像を取り込める人はぜひとも画像とともに商品を知らせてあげるとよくわかりますね。画像がなくても可能です。(画像を掲載したいけれど方法が分からないという方は、私にお知らせください。お手伝いいたします。あるいは、お教えいたします。)

Q3.その次はどうするの?

A3.配送希望のメール待ちです。

このメールはToksyを通して送られてくるため、お互いのアドレスは知ることがありません。配送希望メールは複数届きます。欲しいと意思表示をされた方々が、挨拶やご自身の状況などを説明しておられます。ナマの声を読むにつけ、あらためて被災者の皆さんの置かれている大変な状況を身近に感じます。ただ、複数の方が求めておられても、品物は1点だけ、どなたに貰っていただくかは出品者が決めることになっています。ここ がつらいところです。

Q4.この人に、と決めたらどうするの?

A4.「この人に送る」と意思表示します。そして品物を発送します。

同時に受付終了のマークがサイトでは表示され、その商品を望むメールはストップします。この人にと希望する人を決めたあと、全希望者のメールが一覧となったページがあります。そのページで決めた人のところの「この人に送る」のボタンを押すと、お名前や送付先が明記してあります。同じページに、発送時に受け取る発送伝票の番号を記入する所もあります。そこにも荷物の番号を記入し、メッセージも書いて送信すれば、それが相手の方への発送通知メールとなります。つまりこのメールを送るのは先方への発送後ということです。支援の品を受け取る人が、どの段階で選ばれたことを知るのか分かりません。品物が送られてきて初めて知るのか、決定した時にToksyから連絡されているのか、送る側の私には定かではありません。

(これは出品した品物に対し、希望者を募る場合です。先にリクエストしている人を品物名で検索し、その人に応える形もあります。)

Q5.送料はどうなるの?

A5.出品者が送料を負担します。それも支援です。よろしくお願いいたします。

ご承知のように被災者の皆さんは苦しい状況にあります。送料を負担することも支援です。貰っていただく、使っていただく、だから送ってさし上げる。それが支援ということです。したがってその点をよろしくお願い致します。小さなものはメール便が便利です。ヤマト運輸の場合、A4封筒サイズまでなら、厚み1センチ以下で80円、2センチ以下では160円です。小さなものはこれが便利です。送料はサイズによって異なります。皆さんが日頃なじんでいる運送会社のサイトで料金をお確かめください。参考までにヤマト運輸の料金は以下です。サイズというのは荷物の箱のタテ・ヨコ・高さの合計です。(センチメートル)

◎ヤマト運輸料金表 

ざっと簡単に書いてみましたが、文字で書くとよけいにややこしく見えますね。けれども心配は無用です。どうかあなたのお家の中で遊んでいるモノ、眠っているモノ、もう一度お役に立ちたいぞぃと出番を待っているモノ、小さなものから中くらい、そして大きいものまで、もう一度、人様のお役に立たせてあげてください。案ずるより、まずはToksyのサイトに行ってみてください。みんながどんなものを送りたいのか、望んでいるのか、送っているのか、受け取っているのかがよくわかります。モノは使ってこそ力を発揮し、製造した人も喜びます。また、モノは人を元気にします。どうかあなたのそばにあるモノを活かしてください。それでは、よろしくお願いいたします。

尚、この件に関してのご質問は、遠慮なくメールでどうぞ。(HP『平成道行考』トップページから)

◎『Toksy 』 マッチング支援サイト 

 

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2011年8月17日 (水)

がんばれ石巻市

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昨日、石巻から封筒が届きました。川開き祭りにわずかばかり協力させていただきましたが、このような丁重なお礼が送られて恐縮しています。

石巻市が川開き祭りを今年もおこなうことをテレビのニュースで知ったのは6月頃だったと思います。明け方のニュース番組で、石巻の皆さんが笑顔で「頑張るぞぉ」と言うどの顔も力強く逞しく見えました。寄付をさせていただこう。私はそう思いました。「そうしろよ」と、すぐに天井からミシミシミシと大きな相槌が聞こえてきました。そうです。花火好きのHiroshiです。

花火というと私は反応してしまいます。もともと好きな花火ですが、私には花火が思い入れの強いものとなっています。その花火と、奇しくも同じ日に打ち上げられる石巻の花火に、縁のようなものを感じました。ともに花火を見た亡き人も大いに賛成の意思表示をして応えました。追悼、鎮魂の花火。それが石巻市とのご縁の始まりとなりました。

8月1日、私も庭で花火を見ていました。夜更け、テレビのニュースで石巻の川開き祭りのことが報道されました。前日におこなわれた流燈での北上川に浮かぶ色とりどりの灯篭。それらに手を合わせて見送る人たち。そして当日におこなわれた花火の様子も少しだけ映りました。微力ながら協力させていただいたせいか、とても皆さんが身近に感じられました。

そして今、私の手元にはお礼状とリーフレット、当日の楽しげな人びとの画像をプリントした用紙、それから一冊の写真集があります。三陸河北新報社による『大津波襲来 石巻地方の記録』です。おそるおそる開いてみて絶句しました。1ページめくるごとに恐ろしい光景が現れます。胸がつぶれるような痛ましい光景に憤りすら覚え、犠牲者の皆さまへの強い思いをあらためて感じました。私は泣いているつもりはありませんでした。しかし涙はひとりでにこぼれ、終わり近くの皆さんの明るい笑顔にも感動の涙がこぼれました。前を向いて歩き始めた姿に心を打たれます。

石巻市の皆さま、被害甚大、犠牲者多数の石巻市の様子はくり返し報道されました。それらを観ては胸を痛めてきましたが、何の協力も出来ないことにもどかしさを感じていました。このたびご縁が出来、このような丁重な御礼を拝受し、あらためて皆さまの心意気を感じることができました。復興への道を歩まれる市民の皆さま、私はこれからも応援を続けます。言ってはいけないとされる言葉を使わせていただきます。「頑張ってください」。ずっと応援しています。戴いた御本は大切にいたします。ありがとうございました。

安孫子 良

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2011年8月16日 (火)

送り盆

今日16日は送り盆ですね。家に戻っておられた御先祖たちが、ふたたび彼岸へ帰っていかれる日です。麻がらを焚いて灯りをつけて送ります。御先祖さまたちに馬に乗って早く戻り、ゆっくり彼岸へ帰っていただくためのものだとか。そこでキュウリやナスを使って馬と牛を作って飾るのですね。画像の馬と牛は実は造り物です。最初の頃は、ほんとうの野菜で作りましたが、暑さのためにすぐにしおれてしまいます。そこでいつ頃からか、娘が買ってきたこの張り子。よく出来ています。真ん中のはこれとは関係なく、ただピーマンに脚をつけたものです。ちょっとライオンっぽいですね。さてピーマン殿は脚が早いのか遅いのか。迎え盆の13日、娘が自作のピーマンを飾っていきました。これは庭で育てたという本ものの野菜。命名、ライオン丸。君に乗ればどこへ行くの?

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送り火といえば、今年はひと悶着ありました。ただいま燃え盛っているだろう京都五山の送り火です。最初の松の木からセシウムが検出されなかったにもかかわらず、陸前高田市に返すという訳のわからない行為が問題なのは明白です。「保存会」がいけないのか、「京都市」の誤判断だったのか、詳細は私たちにわかりません。とにかく良識ある京都市民からは抗議殺到だったとか。それはそうだと思います。

いずれにしても、一本を残してすべてが倒されたあの高田松原の松に込められた被災地の人々の気持ちを、踏みにじるようなことをしてしまいました。「粋」なはずの京都が、なんとも「無粋」なことをしたものです。同じ関西に住む者として恥ずかしく、お詫びしたい気持ちです。京都は学生時代を過ごした大好きな町なので、とっても残念。

(大阪ならどうしたかと考えた。少数の反対の声があっても何のその、祈りが書かれた最初の薪を問題なく燃やしたことでしょう。だって検出されてないんだもん。それを燃やさないなんて、大阪のおばちゃんたちが絶対に許さない。また、二度目の松にセシウムが含まれていたとしても、再び返すなんて・・。そんなことしないでしょ普通は。どこの自治体でもしないでしょ。だって一度傷つけているんだもの、同じことやるぅ?他に方法があると思うよ。わからないなぁ、その判断・・・。)

“日本はひとつ”なんて言いいながら、こういうことをしているようではいけません。情けないことです。海外からならまだしも、国内で差別を助長するようなことは私たち個人はしてはならず、まして自治体がこんなふうでは困ったものです。今後もあらゆる場でこういったことが起こりうる可能性があるのを予感させた一件でした。このような事態になることを避けるためにも、私たちは放射能について正しい知識を持たなければなりませんね。

すったもんだの末に高田の人たちの言葉を書き移した薪を燃やすとか。しかし結果的に陸前高田の人たちを深く傷つけてしまいました。京都市は今後、陸前高田市に詫びたうえ、なんらかの行動で謝罪の気持ちを表して誠意を見せるべきでしょう。一方で、この件を見ておられずに任せておけぃと名乗り出たのが千葉県。松の皮を剥げば問題なしっ!と太っ腹の「成田山」に此処は拍手喝采です。

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2011年8月15日 (月)

66回目の『終戦の日』

今日で66回目の終戦の日を迎える。残念なことに私は自国の戦争について詳しく学ぶ機会を与えられなかった。戦争経験者の両親も、語ることはほとんど無かった。したがって自分で学ばなければ何の知識も得られない。だから学び続けている。今の若い人たちは、どのくらい学んでいるのだろうかと常に気になる。戦後生まれではあれど、私たち大人たちが知ろうとし、学んだことを若者や子どもたちに伝える義務があると考える。

忘れてはならない。あの戦争の上に現在の私たちの社会がある。その時代に生きていたあまたの命の犠牲の上に現在の平和と幸せがある。それにもかかわらず、ふだん私たちは過去の戦争について語ることはない。この大事な点を伏せたり遠ざけたりしている社会では、間違った方向へと向かう。いつか再び戦争がという危惧は多くの人がもっている。無きにしもあらずだ。また、しばしば命を軽視する風潮が見受けられるのも、
そんなところからきているのかもしれない。

戦争に関して報道を続けているNHKがさまざまなフィルムを製作しています。以下のメルマガにあるURLをクリックしてください。過去を知ることは未来へ繋がります。よりよき未来のために過去を知りましょう。サイトには放送時間や再放送の時間が掲載され、過去の放送を動画で観ることができます。子どもたちへ孫たちへ受け継ぐために、まず私たちが学びましょう。靖国神社参拝是非論は横へおき、お盆でもある八月十五日は戦没者の方々を追悼する日です。あなたの思いを少しだけ、すべての戦争犠牲者の方々に分けてくださればうれしいです。

また今夜は太平洋戦争70年特別番組 NHKスペシャル『なぜ日本人は戦争へと向かったかったのか』も再放送されます。NHK総合テレビ午後10時からです。こちらもご覧下さい。

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NHK戦争証言プロジェクト番組のお知らせ
       http://www.nhk.or.jp/shogen/
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☆「証言記録 兵士たちの戦争」放送予告
http://www.nhk.or.jp/shogen/schedule/heishi_yotei.html

☆証言記録 兵士たちの戦争「〝特攻の目的は戦果にあらず〟 ~第二〇一海軍航空隊~」 

8月15日 (月)BSプレミアム
午後6時00分~6時43分 

昭和19年10月、フィリピンで始められ戦争が終わるまで行われた日本軍による体当たり攻撃、
特攻。犠牲者の数は4500人以上にのぼる。
その特攻作戦を最初に命じられたのが、フィリピン防衛の主力として戦った「第二〇一海軍航空隊」。
特攻はどのように始まり、どのように変質していったのか。そしてその中で、特攻隊員たちは
どのような葛藤を抱えていったのか。最前線に立たされた将兵たちの証言から明らかにする。

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☆証言記録 兵士たちの戦争
 「悲劇の撤退作戦 ~ツルブ・松田支隊~」 

8月16日 (火)BSプレミアム
午後6時00分~6時43分 

戦時中、日本軍の一大拠点・ラバウルがあるニューブリテン島に送られた部隊があった。
鳥取県や広島県出身者などから編成された部隊「松田支隊」だ。連合軍の侵攻を防ぐため、
西端の要衝「ツルブ」に派遣された部隊。しかし兵士たちは「持久」と「玉砕」という、
相反する命令をたて続けに受け、混乱。やがて壊滅していく。
軍司令部の一貫しない命令に翻弄され続けた、松田支隊の兵士たち。証言から、
ツルブの戦いの過酷な実態を記録する。

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☆証言記録 兵士たちの戦争
 「陸軍軍医の戦場」

8月17日 (水)BSプレミアム
午後6時00分~6時43分 

日本軍の医師として戦場に送られ、数多くの将兵の死と直面してきた「軍医」。
その任務は、負傷兵を一刻も早く治癒させ前線に送り返すことだった。
せっかく助かった命を戦死させるために治療する、という矛盾に直面した軍医たち。
さらに、戦争終盤には、部隊についてこられない重病者が捕虜になることを防ぐため、
薬剤注射で命を絶つことまで強いられる。
太平洋戦争の最中、生と死を巡って何が起きていたのか。知られざる軍医たちの戦争体験を記録する。

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2011年8月11日 (木)

震災五カ月 悲しみ続けるあなたへ

震災から五カ月になる。被災地の10箇所で追悼と復興の花火が打ち上げられた。間もなく13日。盆の入りである。
五か月たってメディアで私たちが知るのは漁港や商店、施設などの再開、悲しみを越えて前向きに歩きはじめた人々の姿である。その映像をみてホッとし、明るい気持ちになる。しかし同時に、私たちが見えないところに未だ頭を上げることができない人々がたくさんいるのだろうと考える。災害ではないが、私にも身近な家族を突然に失った経験がある。そのせいか、あの日から私がいちばん気になっていることが、行方不明者の遺族の方々の苦しみである。(今なお4735名もの行方不明の方々が居る。)

これらの人々について報道されることはほとんどなく、きっと籠りがちになり、悲しみ続ける人たちのことは見過ごされているのか置き去りにされているのだと落胆する。この問題については気遣いが重要なためか、新聞やネット上にも書かれた記事は目にとまらない。人々が復興に向けて歩きだせばだすほどに、これらの人々は孤独感を強めているのではないかと気が気でならない。そこで今日は、これら悲しみの人たちに私なりの言葉をお伝えしたいと決心した。もしも誰かをよけいに傷つけることになれば心苦しいが、あるいはもしも、そうなんだと思ってくださる誰かがいればとのかすかな期待をこめ、勇気をだして述べてみる。

悲しみ続けるあなたへ

私も突然の死別に直面したとき、訳が分かりませんでした。急性心疾患での死亡と未曾有の災害では比べようもないかもしれません。また、あなた方を大きく苦しめている事柄は私が経験しなかったことです。失くした人の姿が見えない。確認していない。だから割り切れない。やりきれない。そのことが多大な苦しみを与えていることは想像に難くありません。自宅で息を引き取り、検視も自宅でおこなわれて密葬をし、荼毘に付した私の場合と比較するのは適切ではないかもしれません。しかしどうか耳を傾けてください。最も身近にいた人との死別の苦しみは知っています。ただそれだけのことで大きなことは言えないのは承知しています。けれども私はあなた方に伝えたいことがあります。どうか聞いてください。

悲しみ、苦しみ、後悔に苛まれる毎日で、最終的に私がたどりついたのは仏教でした。仏陀の言葉や仏教の考え方が私を救いました。私を救ってくれたのは、人は息を引き取ると同時に魂が肉体から離脱するということです。後に仏教はさまざまな宗派に分かれますが、「生死即涅槃」の考え方が仏教の主な考えです。つまり召された人は瞬時に極楽浄土へ行き、もはや何の苦しみももたないということです。あなたが探し求める愛する人の肉体には魂はすでに在りません。では、魂は何処に在るのか?常にあなたと共に在ります。居られます。逝って七年になる私の家族は、今でも何かというと音で伝えてきます。想った瞬間に音がすることも珍しいことではありません。故人の意思は未だ私と一緒に居たいと伝わってきます。

「色即是空」という有名な言葉があります。さまざまな解釈がありますが、目に見える物体や現象(色)は、なんら変わるところは無い(空)ということです。つまり目に見えるものごとが変化しようが、ものごとの根本は、なんらこれまでの事象と変わりは無いということです。つまり、あなたの大切な人の姿は見えなくとも、あなたのそばに寄り添い、これまでと変わらずあなたと共に在るということです。生きていたその人は、居なくなっても居るということです。仏教にはまた「生者必滅」「会者定離」という言葉もあります。いつか人は必ず死ぬ。このことを受け容れるのにも時間を要しました。本来ならまだ元気で生きているはずの人の遺族は、この真理を受容するのに少なからず時間を要するのだと思います。

しかし人間とは永遠に沈んでいることは出来ない仕組みになっているようです。何によって人が救われるのかはそれぞれでしょう。人であったり、言葉だったり、あなたが救いを見出すものとの出会いはかならずあります。しかし、そこへ行き着くまでに、あなたには長い長い真っ暗なトンネルを一歩ずつ自分の足で歩かなければならない試練が課せられます。助けてくれる人はきっと居るでしょう。けれども最終的に立ち直るのは、誰の力でもなく、あなたです。自身の持っている生命力とも言える秘めたる力であなたは再び立つのです。その力がまだ見えていないかもしれません。しかし真の力は、どん底にまで沈んだあと、必ず湧き起こってくるものです。それは納得いくまで底に沈み続けて存分に悲しんだあとに与えられる力です。

悲しみから逃げずに正面から対峙しているあなたは弱いのではなく、強い人です。どうか心ゆくまで悲しんでください。存分に悲しみ、苦しんだあと、あなたは底を蹴って浮上しようと考えることでしょう。その時は、あなたの失くした人があなたに宿っていることを実感し、力を与え、励ます存在になっていると気づくでしょう。思い出してください。数々の楽しかった日々を。思い出に浸って悲しい時は大いに泣いてください。泣きながら、苦しみ悲しみ、もがきながらでも、あなたは確実に前へ進んでいるのです。最後にもうひとつ。ありふれた言葉ですが、その悲しみを和らげてくれるのは時間です。歯がゆいほどにゆっくりと悲しみの時は進みます。けれど信じてください。「時間」は悲しみを和らげる最も強力な助っ人なのです。3年後、あなたはそのことが本当だったと知るでしょう。

今はただ、時間に何もかもゆだね、あなたの気の済むように、思い通りの悲しみ方で悲しみ続け、早く立ち直ろうと思わなくていいのです。そうです。ゆっくり、ゆっくりでいいのです。今日一日を生きている。そのことだけであなたは充分に立派です。だから自信をもってください。あなたは、かけがえのないあなたです。あなた自身を愛してあげてください。我慢せずに縛らずに、今はあなた自身を思いのままにさせてあげてください。それが大切です。

生意気なことを申しました。どうかお許しください。しかし、わずかでもお気持ちが楽になれたとしたらさいわいです。
もしも震災による死別で苦しんでいる方がおられましたら、微力ながら『愛別離苦』のRyoは、お力になりたいと思っています。(つまり私です)
ご連絡は『平成道行考』トップページのポストからどうぞ。

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2011年8月10日 (水)

暑いね

全国的に猛暑です。暑いね。動くと汗だく。暑い、暑い、暑い。(-_-;) けれど私は夏風邪で寝ていました。持病のため空調は使えないので、ゆるく扇風機をかけているとすぐに乾いてしまう。風にあたると鼻はキンキン、ヒリヒリし、目はチリチリ、口はカラカラ。気がつけば風邪。そして頭痛と微熱。ぬれガーゼマスクで寝ていました。しかし原爆のことはなんとか書けました。今日はかなり改善し、頭痛がとれました。

サッカーを観ていました。韓国に3対0のストレート勝ち。すごい。体格も体力も勝る韓国にはなかなか勝てなかったのですが、やりました。香川の復帰、うれしいですね。インタビューには素っ気ないほどあっさりした答え。それがまたいいね、香川君。本田選手もあっさり派。「ありゃとうございやすっ!」と早口でいつもの大阪弁Thanks。いいですね。彼、試合開始直前に両手の指をポキポキいわせてた。まるで殴り合いでも始める前みたいに。使うのは手じゃなくて足なのにね。きっと士気を高めてたのかな。いいね、本田選手。最近のスポーツ選手は国を背負ってても悲壮感がない。明るい。そこもいい。

何だか今年のスポーツ界はすごい。どのスポーツの選手も素晴らしく、結果も出しています。ひとつになることを如実に見せてくれるのがスポーツ。語らないけれど、選手たちが震災・津波の被害を受けた国のこと、被災地の人々のことを想って闘争心を奮い立たせ、あきらめない精神となって頑張っているのが感じられます。もちろん純粋に‘勝ちたい’気持ちがbaseとなってはいるんだろうけども。うん、スポーツはいいね。私はテレビ観戦ばかりだけれど。

立秋の頃から猛暑になった今年の夏です。熱中症や夏風邪には御注意を。皆さん、どうぞ御自愛ください。私もぼちぼち行きますよ。(無理をしないという意味の大阪弁ですゎ)

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2011年8月 9日 (火)

66回目の“ナガサキ”

再びNHK『原爆投下 活かされなかった極秘情報』より私感をまじえて述べる。

広島に原爆が落とされた翌日の7日、東郷成徳外相は「力の強い普通の爆弾だと思われる」とした。参謀本部では原爆投下を認めており、原爆機のコールサインを察知した田中国男さんを表彰した。そして8月9日未明、同じサインV675を太田新生さんが察知し、軍の中枢部に伝わる。それは原爆投下から5時間前のことだった。その情報は井上忠男中佐から梅津美治朗参謀長にも伝わっていた。

9日午前9時、B29が現れる。はじめは北九州の小倉に投下予定だったが、視界が悪く、目的地は急きょ長崎に変更された。その頃、皇居では軍の上層部が集まり、軍事会議を開いていた。戦況は最悪で、ソヴィエトも宣戦布告をしたときだった。敗戦の色が濃いその時期でさえ、梅津参謀総長はなおかつ戦争を続行することを主張し、第二の原爆はないだろうとの甘い見通しを述べていた。

11時2分、その会議中、長崎に原爆が投下された。
長崎県の大村の飛行場には、九州全体を見守る役目を担った“紫電改”が常時待機していた。乗員だった本田稔さんは、広島の原爆を偶然にも空から見た。瞬間、機体は操縦不能になり、衝撃で500メートルほど急落下したという。その本田さんは大村で待機する間、命を賭してB29と抗戦するつもりでいた。しかし出番はなく、投下後の地獄のような惨状のなかを懸命に救護にあたった。

本田さんは5時間も前に軍部が情報を掴んでいた事実を66年後になって知り、肩を落とした。迎撃ができておれば投下を防げたのではないかと悔やむ。その2日後に命じられた任務は、特殊情報部の資料処分だった。証拠隠滅である。原爆投下の事実を軍部が掴んでいたことに関する資料消してしまえというのだ。命令には逆らえず、本田さんは資料を燃やし続けたという。

広島・長崎ともに原爆投下の情報を軍部が掴みながら、警報すら出さなかったのは何故か。特殊情報部は何のために設置していたのか。数々の疑問を残し、長崎も66回目の「あの日」を迎えた。長崎への投下翌日、ようやく日本は降伏の意思表明をした。もしも広島への投下直後、ことの重大さを正しく認識し、その時点で意思を表明していれば、長崎への原爆投下は免れた。歴史に“もしも”はないというが、言いたくもなる。

奇襲攻撃で始めた先の戦争は、最初から勝算がなかった。当時、アメリカとの国力の差は歴然たるものだった。無謀ともいえるあの闘いの口火を切ったのはこの国だ。だが優勢だったのは初めだけで、資源のない我が国は、軍艦、航空機、大砲、銃などの武器は圧倒的に不足しており、戦況はじきに悪くなった。それでも兵隊は鼓舞させられて士気を高め、食糧も武器もなく、栄養失調になって遠い異国で戦い続け、ふるさとで待つ家族の顔を思い描きながら果てた。勝利を信じる国民は我慢を強いられ、禁欲的な生活をして耐えた。けれども戦争に負けた。負けるべくして負けた。二度にわたる原爆の投下で戦争は終わった。ヒロシマ・ナガサキで20万人以上の一般市民を死に至らしめ、やっと終わったのだ。

先を読む甘さ、認識不足、隠ぺい体質、体面維持、根拠のない自信、論理ではなく精神性のみで押し切ろうとするこの国特有の考え方などなど。悪しき伝統は、この度の地震・津波がきっかけで起きた原発事故でも政府や企業において様々なところで垣間見られた。当時、ヒロシマ・ナガサキの現場にいた人たちは無念さをかみしめる。もう少し何とか出来たのではと漏らす溜息に終わりはない。私たちの想像を絶する悲惨な状況から生き延びた人たちが今も負う心身の苦しみは、これからも続く。忌まわしい過去は塗り替えることができないが、とにもかくにも私たちは戦争を二度と起こしてはならない。そして原子力から脱する努力を続けていく義務がある。このことに尽きる。

 

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2011年8月 8日 (月)

熱いね

東北各地で祭りがたけなわ。熱いね。

甲子園で被災地の代表校が熱い、熱い、熱い。

今年の夏は熱すぎる。うん、熱い

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2011年8月 6日 (土)

66回目の“ヒロシマ”

ヒロシマへの原爆投下から66回目の日を迎えた。
午後九時からNHKスペシャル『原爆投下 活かされなかった極秘情報』を観ていた。米軍の原爆投下の最新情報を把握していたにもかかわらず、陸軍上層部は何の防衛策もとらなかった事実を知り、たいそう衝撃を受けた。

日本の特殊情報部は、テニアン島から発信される米軍のコールサインを早くから傍受していた。それまで傍受していた空襲のためのB29ではない別の機の無線だった。内容は明らかではなかったが、もしかしたら原子爆弾を積んだ特殊機が動くのではないかと危険性を察知していたという。

8月6日午前7時20分、一機のB29が広島上空に現れる。しばらくすると姿を消し、人々は空襲ではないと警戒を解く。そのB29はコールサインV675でエノラゲイを積んだ別機に連絡、午前8時15分、まったく無防備な、いつもと変わらない朝の広島に原爆を投下した。そして町と人々を焼き尽くした。

はっきり正体が掴めていなかったにしろ危険予知は出来ていたと、特殊情報部で収集に尽力していた長谷川さんは今も悔しがる。その情報はもちろん参謀本部に伝えられていたが、空襲警報すら鳴り響かず、迎撃に命をかける覚悟で待機していた飛行艇の出撃もないままに、夏の朝、広島と其処に住む人々は一瞬にして熱風と炎に包まれたのだ。

せめて警報が出ていれば、防空壕へ逃げた人々だけでも助かったのにと九死に一生を得た岡ヨシエさんは嘆く。そして三日後には長崎までも・・。番組が終わっても、私はしばらく考え込んでいた。ヒロシマ、ナガサキを有する唯一の被爆国に住む私たち自身が、もっと原爆のことを知るべきだ。この国の人々の多くが追悼の意思を表すことを身につけていないと私には映る。経験していなくとも、私たちこそ子どもたちに伝え、かれらに未来を託すべきはずだが、どれくらいの親たちが、この日、原爆について子どもと語り合っているだろうか。教えているだろうか。教育の基本は家庭に在る。

そして今、私たちは福島での原発災禍に直面している。震災による原発事故は、原子力のあり方を見直すきっかけを世界中に与えることに繋がった。この国は被爆国であり、はからずも再びの災禍で今後の原子力について再考察する問題提起をすることとなったのだ。エネルギーとして原子力を享受し、重宝してきた私たちは、もしやこれまで『ヒロシマ・ナガサキ』と切り離して考えては来なかったか。「核実験反対」や「核兵器保有反対」だけでなく、「原子力反対」をもっと声高に叫ばなければならなかった。Fukushimaの災禍は裾野を広げ、多くの人々が明日の見えない毎日を不安な気持ちで過ごしている。

この問題は長期的な取り組みとなる。私たちは原子力について知識をふやす義務がある。小・中・高の学校や大学では、原子力について包括的に教える必要があり、すべての自治体は社会人にも学ぶ場を提供しては如何だろうかと考える。『ヒロシマ・ナガサキ・フクシマ』をきちんと教えてほしいのだ。確立された教育体制がこの国を発展させてきたが、このたびの地震・津波が与えた災禍も日本の将来も、正しい知識を供給し、方向を指し示す広い意味での教育が、かならず救うと信じているからだ。

しかし全世界での完全な核廃絶は今のところ不可能に近い。原子力は両刃の剣だ。大量殺戮兵器となる負の部分の恐ろしさを、世界に向けて発信するべき責務を日本は負っている。ヒロシマ・ナガサキのあの悲惨な映像、画像の数々を、世界中の人たちは観るべきだ。そんな機会を設けることも容易ではないと聞く。世界への伝達も若い人や子どもたちに期待したい。原爆の恐ろしさを体験した人びとが次第に減少している今、受け継ぐことの重要さを私たちは認識し、実行するべきだと考える。原爆投下是非論・責任論はさておき、体験者の生の声が聞けるうちに、核の恐ろしさを語り継ぐ人たちを養成するのも私たちに与えられた急務だと思う。

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2011年8月 5日 (金)

Tシャツの干し方

夏になると定番のTシャツやタンクトップですが、皆さんは洗濯したものをどうやって干していますか? きっとハンガーで干しているのでは?干すときに首の部分をグイッと伸ばしてハンガーを無理やり押しこんだりしていませんか。そんなことをすると首まわりがすぐに伸びてしまい、型崩れします。ハンガーを下から入れたとしても、乾いてから肩にハンガーの跡がプクッと出てしまったりしてカッコ悪いですね。

Tシャツを形崩れさせずに干すには小物ハンガーが最適です。近頃は便利なハンガーも出ているようですが、モノがふえるし便利ハンガーを買わずに干せます。小物ハンガーはどなたも持っているでしょう。それを使います。ここではタオルや靴下やハンカチなどを干すのに使う長方形の中型の小物ハンガーが最適です。正方形や直径が30センチくらいあれば円形のハンガーも可能です。

では干し方です。Tシャツの両脇の部分をつまみ、ピンチ(洗濯バサミ)でそれぞれ留めます。そこは縫い目が交差したところで最も丈夫な箇所なので、ピンチではさんでも大丈夫。こうすると重みがかかっても型崩れしません。それに着用したときにもピンチの跡が見えません。タンクトップも同じように脇の部分をはさみます。ハンガーに干したり、肩のトップのところをピンチではさんで干すと、くり返し干しているうちに、濡れた生地の重みで全体がびろ~んと伸びてしまいます。ですからこれも脇をとめるのがいいですよ。(^_-)-☆

お気に入りのTシャツやタンクトップは型崩れさせずに長く着たいものです。ぜひ、お試しあれ。あぁ、君はもう知ってた?君は知らなかった?じゃ、ぜひやってみて。伸縮性のある綿製品は、何でもこの方法で干すといいよ。節電の折り、洗濯ものは太陽に乾かしてもらいましょう。ただし夏場は色ものは直射日光は避けて干そう。色あせしないように。

このブログは前から何でもアリでした。日常のちょっとした豆知識を、とくに若い人たちにおしえてあげることが出来ればと、たまにこういうのも入れましょう。では、おさらいと、まとめです。

☆ Tシャツを干すとき小物ハンガーで、パチンと両脇とめて干す。

 Have a nice weekend! よき週末をお過ごしください。
しかし沖縄では台風。関東地方では不安定な天候でゲリラ豪雨に注意とか。どうぞお気をつけて。

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2011年8月 3日 (水)

今夜は“ミ・アモーレ” 松岡直也

今日は近畿地方、カラリと晴れた夏空でした。夏らしい一日には夏の曲が聴きたくなります。
誰にも夏になると聴く曲がありますね。私にもたくさんありますが、かならず聴くのが松岡直也さん。“ミ・アモーレ”の作曲者でもあり、J-fusionの第一人者です。これは中森明菜さんの歌でも大ヒットしましたが、instrument(楽器演奏のみの音楽)も、とてもいい。それに踊るのにもバッチリのラテンリズムです。今日は3バージョンをYou Tubeからご紹介しましょう。投稿者の皆さん、ありがとうございます。お借りいたします。

◎“ミ・アモーレ” 

☆ その1  (by sortorsさん ) 1989年、中野サンプラザにおけるライブだそうです。正面のキーボードが松岡さん、リードギターは高中正義さんです。

☆ その2   by okeihan33さん凝ったスライドショーで、音がとてもきれい。世界の夏を感じますね。女性たちも美しい。 

☆ その3  (by jfusionさん) こちらは新しい録音のVersionです。ちょっとBGMふうになりましたね。softになってる。

皆さんはどれがお好きですか。私は聴きなれているので旧Versionの方がしっくりきます。バンバン、ババンバン!と何度も入るドラムの音、いいですね。

松岡直也のアルバムを最初に持って帰ってきたのはHiroshiでした。仕事でイメージ曲に使って欲しいとのプロモーションで、無料で貰ったものだとか。だから‘見本盤’と書いてありました。その頃はカセットテープ。そのテープを横取りし、私がいつも聴いていました。3つのテープは今でもあります。夏には車でよく聴きましたね。なつかしいな。  今日は彼の命日ですが、にぎやかに松岡直也のアルバムで少しだけ思い出してあげましょうか。1日の花火の日には夜中に階段をミシミシいわせていました。まだ居るんだぁ。Baby boyが自分に似ていること、知っているのかな。

それでは皆さん、ゆっくりとお楽しみください。

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2011年8月 2日 (火)

旧『小説ブログ』について

「なでしこジャパン」に国民栄誉賞。ほんとうに元気づけてくれました。
それにしても澤さんはスゴイ。いつ見ても聞いても受け答えは適確で言葉使いも完璧です。技術だけでなく人間として素晴らしい。一流プレイヤーはそうあるべきで、お手本のような素晴らしい女性ですね。

さて今日は『旧小説ブログ』について説明いたします。皆さんに伝えたいことを“ひとりQ&A”の形式で書いてみました。よろしかったらお読みください。

Q1 いきなりブログのひとつが別のものに変わりました。前の「小説ブログ」は消えてしまったのですか?『ハピネス・マサオ』はどうなてしまったのですか?

A1  私はブログを最大4つの運営が可能です。最初に道行考でのブログと愛別離苦のブログの2つが必要になったとき、ひとつ足りないためにレンタルをすることにしました。レンタルは3つでワンセットでした。必要なのはあとひとつだったけれど、せっかく借りているのに無駄にするのもと思い、あれこれ書いてきました。小説ブログもそうでした。

さてここからがAnswerです。ご心配なく、小説ブログは空いている別のブログに移しました。たいていのブログ管理ツールには「読み込み」と「書き出し」機能があります。私もそれを使って瞬時に別のブログに移しました。その空きブログはプロバイダーから与えられた無料のブログで、過去には愛別離苦に使用していました。ちゃんとそこにあります。それにすべての原稿はパソコンに保存してあります。

Q2  今後『ハピネス・マサオ』はどうなるのですか。

A2  執筆中断を余儀なくされたのは昨夏以来の体調不良のためです。私はあの作品に燃えていました。資料もたくさん取り寄せて精読し、意欲的に取り組んでいました。ラストまでの筋書きはほぼ出来ており、そこへ至るまでに戦争や食に関するさまざまなテーマを盛り込んで、若い人にも分かりやすい内容にして伝達したいと考えていました。しかし、ちょうど一年前の急激な体調悪化で継続を断念せざるを得なくなりました。いちばん口惜しいのは私です。

あんなに力を注いでいた作品への意欲は、その後の長期にわたる病気活動期の苦しい時間が萎えさせてしまいました。一日の生活すら不自由な状態では創作に取り組むこともできません。何よりも書くことが好きだったのに、日々を生き暮らすための最低限の家事や雑事、猫の世話などと、ふらふらになって格闘する毎日となりました。それらのことを何もせず、好きなことだけしていられたらどんなに幸せだろうかとベッドの上で考えたものです。しかし私が選択している生活の形態は自活が必須条件です。そのため生活を維持することは創作よりも優先させるべきこととなりました。その苦い現実を受け容れました。いつか書ける日がきっと来る。そう思うことで創作に関して一旦は筆を折ることに甘んじました。あの作品は自分でも好きなもののひとつです。いつかきっと続きを書きたいと思っています。文章は、とくに創作は、無理に書こうとして書けるものではなく、いつか小説の神様が降臨してくださった時には再開できるでしょう。いずれにしても、まず体力をつけることが先決だと思います。

Q3  『ハピネス・・』を移したブログは見ることができるのですか。

A3  申し訳ありませんが現在は更新もなく、皆さまに見ていただける設定にしていません。ハピネスの17話分を移動させただけです。そのブログはIDが別で独立しています。したがって公開限定が可能です。いつか創作をすれば使用するつもりで空けてありました。私は日常のふとしたことから構想が広がり、短編小説の筋書きを頭のなかで組み立てて楽しむことがあります。けれども今のところそれらを文字で具現化するに至りません。しかし私の憧れは小粋な短編、しっとりした短編、何気ないことを描きながら余韻が残るといった短編がさらりと書ければというものです。奇をてらったものではなく、烈しいものではなく、この年齢になってこそ書けるものがあります。そんな小説が書けたらそのブログを使います。

ただし今後は小説に関して一般公開は控えます。身の程をわきまえるようになったのは、ベッドでいろいろ考えた時間がもたらした産物というか収穫です。未熟なものを、これまでよくもまぁ公開してきたものだと今では‘赤面’の心境です。しかし書いたら誰かに見せたいのが人情です。私の書く拙い作品でも読みたいと思ってくださる皆さんには、ご本名での登録で購読していただくつもりです。拙くとも作品は私の宝物です。その行き先を把握しておきたいのは自然なことだとご理解ください。またネット界とはいえ、ご自身を開示していただける方々こそが最も確かな信頼関係が築ける存在だと私は思います。それらの皆さまには、今後も私が書いた創作ものを読んでいただけることでしょう。短編は気軽に楽しく書けて、仕上がるのも早いです。身体への負担も少ないので、近い将来、楽しんで書けるのではないかと予感しています。そう願っています。

今日は涼しい一日でした。明日は近畿では最高気温35度の予想です。暑くなりそうです。
それでは また。

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2011年8月 1日 (月)

花火大会

各地で今日は花火大会が催されました。私が紹介した石巻の川開き花火大会も今夜おこなわれたはずです。犠牲者の鎮魂や復興の誓いの花火が盛大に打ち上げられたことでしょう。

私にとっても8月1日は生涯忘れることができない日となっています。御存じの皆さんも多いと思います。そうです.。7年前の今日、花火をともに見た人が、2日後に急逝したからです。この日は本当の命日である八月三日よりも、実質命日のような気がしています。今年も庭から眺めていました。しかしマイナスの感情はもうありません。ご心配なく。きれいだなぁと見ていました。

この花火大会は、あの甲子園出場多数のPL学園を有するPL教団主宰です。宗教色はまったくなく、大阪府民に広く親しまれています。私も大阪に移り住んだ時から毎年かならず見てきました。といっても現場に行って見たことはなく、マンションのベランダからや、ここに越して以後は庭から眺めています。花火は遠景も風情があっていいものです。この花火のことを紹介しているサイトがありましたから、ご紹介します。

◎ PL教団の花火芸術

さぁ、今日は忙しい。昨夜、体調がよかったので、ボタンなど入れ替えておきましたが、肝心の中身がまだ掲載できていません。今から急いで書きに行きましょう。では御免。

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