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2011年9月29日 (木)

心が温められたこと

今日、被災地の宮城県東松島市のかたと電話で話しました。お豆腐支援に関して詳細の確認をするためです。用件が済んだあと、お見舞いの言葉を述べました。あの日以来、心を痛めているとお伝えしました。

民宿を経営されていたというIさんの、海辺にある家屋は流失しました。しかし、このあたりは比較的被害は少なかった、家はみんな流されたけど、助かったの。海に出ていた3人だけがね・・と言われました。私は言葉が出てこない。

実は私の実家も神戸で全壊したのだと話すと、Iさんはそれまでとは違ったお声で真剣に話されるのです。「地震が起きる前の日に、神戸から来たお客さんが泊まっていらしたけれども、無事かしらとずっと気になって。若い娘さんが3人で泊まられてね・・。兵庫だって言っておられたの」

私も兵庫県神戸市兵庫区の生まれですが、その情報だけでは調べようがないと思い、「そうでしたか・・」と言うしかありませんでした。Iさんはなおも何か言いたげな様子でしたが、私には答える言葉が出ず、しばらく会話はそこで途絶えました。

私はなぜか胸が熱くなりました。恥ずかしながら目頭も熱くなりました。その方は民宿をしていた家を失くされ、仮設住宅に住んでおられるのですが、未だ前日に宿泊した3人の若い女性たちのことが頭から離れないのでしょう。無事だったかどうか知りたくて仕方がないのでしょう。今はご自分のことで精一杯でしょうに、その方はきっと神戸人だと知るや誰にでも尋ねているのだと思います。何だか、何とも言えない気持ちになりました。年のせいか私はすぐに目頭が熱くなる人になっています。困ったな。こんなんじゃなかったのにな。

それから私にはとっても不思議に思うことがあります。今日もまだ熱があってだるいのに、なんでシャキンとして話せるんだろう。フラフラでベッドから動けないのに、ムクッと起き上がって、せっせと支援物資を梱包したり買いに出かけたりしています。自分のためなら何もしないくせに、人のためならなぜ動けるんだろう。そう感じている人はきっと多いと思います。3.11以来、私も何度もそれを実感しました。「人のために」。この一心で懸命に活動している人たちの存在にふれたとき、心が洗われて私も頑張らないと、と思います。

私の症状は年々きつくなってきましたが、ベッドからでも支援が出来る。出来ることはまだある。こう考えて地道に続けて行こうと思います。それなのに、ときどき弱音を吐いちゃう。それはね、とっても体がキツイとき。もうダメだ、もう何もできない、と思ってしまうのですね。あまりに肉体的につらいとき、中途半端なことは辞めておくべきだろうかと考え込むのですね。ろくなこともできないのに・・と嘆きながら下がっていくのです。体がきかないことへの苛立ちもあるのかもしれません。あぁ、情けない。まだまだ人間ができてないなぁ。

そう思っているところへ、豆腐支援50万丁達成と係りの方からメールをいただきました。そのメールで、今後も頑張りますとあり、これは引き下がってはいけないと気がつきました。自分ではたいしたことは出来なくても、引き下がったり、呼びかけるのを辞めてはいけない。そう気づかせてくださったのは、ギアリンクスさん、サラダコスモさん、そして今日お話しができたIさん。私にもまだ出来ることがあると気づかせてくださって感謝いたします。引き続き、豆腐支援に関わっていきたいと思います。撤退のお知らせ記事はSakujoです。(^_-)-☆ 熱よ早く下がってくれぃ!

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