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2011年10月13日 (木)

親愛なる「右近トーク」閲覧者の皆さんへ

いつもお越しの皆さん、ご訪問ありがとうございます。なぜお越しくださるのか分からないまま、ずいぶん長く「右近トーク」をやっています。常連様たちは各ブログ名を縮めて呼ばれるようで、こちらのブログは単に「トーク」ということのようです。それでけっこうでございます。その「トーク」に最近ちょっとした変化が起きていることに気がつきました。全体的なアクセス数も多少はふえているようですが、驚いたのは携帯からのアクセス数です。なんとパソコンからの約1.5倍のアクセスがあります。そのことに私は昨日気がついたようなことです。

ニフティのココログでは、その日や過去何日間かの各ブログへのアクセス数が分かります。たまにそれを見てみることがありますが、大きく変わるものでもなし、常連様の数はだいたい把握しているので確認する必要もないと思い、チェックにマメではありません。以前、たくさんの人に見てほしいと願った頃は気になって、たびたびチェックしたものですが、トシですね。どうでもよくなった。見たい人は勝手に見れぃっ!という感じ。←どこの言葉?(-.-)

昨夜のこと、久々にアクセス数を見てみました。驚きましたね。携帯からの閲覧者の皆さんの多いこと!いえ、多いと言いましても二桁でございます。完全な情報サイトでもないし、もとはと言えば、ホームページ『平成道行考』のなかの交流の場として設けたメッセージボードなるものが、この右近トークの前身です。それは2003年6月のことでした。その翌年、とてつもないことが私に起き、すべての終了を考えましたが、神の助けにより継続することができました。そして盛んになってきたブログへ無理やり移行させられたのが2006年6月です。したがってこのブログの始まりはその頃です。

メッセージボード時代はまだ右近は謎の人で、『平成道行考』にも恋愛詩と「水無月右近のひとり言」しか出していませんでした。そうだね、最初は恋愛詩だけだった。そして寂しいかなと文章を書き始めたんだった。それが自分で楽しくて楽しくて。あぁ、なんだか懐かしいね、あの頃が。その頃からずっと見てくださっている人たちがいる。私が把握しているのは10名に満たないけれど。(キミは誰だっ?) その人たちに会ってみたいという願望があるのだけれど、彼女たち(たぶんその頃からの人たちはすべて女性ダ。そうだろ?)は、なかなか姿を見せてくれない。

もちろん本を出したときやそれ以外のときに大阪まで会いに来て下さった方々と実際に会ったことはあるけれど、大部分の皆さんの方が私には「謎の人」だよ。愛別離苦のサイトから来られた方々もなぜかハマってくださったり、私は幸せ者だなぁと思いますよ、ほんとうに。ありがとうね。それでね、なんでこんな話をしたかと言うと、私は記事を書いているときに、会ったことのある人たち、話したことのある人たち、メールをやり取りした人たちを思い浮かべて語っていることが多かった。過去形で言ったけれど、今でもそうだと思う。だってそんなもんじゃないかな。まったく見えなくてイメージ出来ない相手に向かって、皆さんっ!って私は呼びかけられない。けれどもそのわずかなイメージできる人たち以外の人々がとっても多いことを知って、実は戸惑っていますよ。(ショージキと言わず「実は」というところが右近的)

昨年の6月終わり頃から体調をひどく崩してブログなどすべてを休載し、秋まで動けなかったのに、再開してアクセス数が増えたことは何だろうと考えてみた。やはり震災・津波の支援情報かなとは思う。3月。私はまだ一日のほとんどをベッドにいる生活で、テレビから流れる当日の映像からはじまり、毎日のように放送される凄惨な光景に、私自身がズタズタのボロボロになってしまった。それでもテレビを見続けた。これはただ事ではない。こんなことが起きていいのか。なんでなんだ。とにかく訳が分からずに怒る元気もなく悲しみと衝撃ばかりでヨレヨレになってしまった。そういう人は多かったんじゃないかな。そして何かしなければと思うのだけれど、ベッド生活者の私に何ができるのかまったくわからなかった。とりあえず出来ることはパソコンからの入金して寄付をすることだった。それからもずっと考えた。考えて考えて、悲しんで悲しんだ。そして私にもできることのひとつとしてブログからの支援呼びかけだった。これが右近トークの再開となりました。支援呼びかけを思いつかなければ右近トークは自然消滅していたかもしれない。コレほんとうだよ。復帰する気力は完全喪失していたね。なのにずっと毎日見つづけてくれた君、あなた、ありがとう。バカだな、ほんとに。心配なんかしてくれて。ちゃんとまだ生きてたよ。(^_-)-☆

その直後からアクセス数は以前より多いことに気がついてた。でもそんなの気にしている場合ではなく、被害の大きな市町村への募金を呼びかけた。それからいろいろ情報を掲載してきたけれど、打ち明ければ何度も潰れそうになった。辛いんだ。辛くて耐えられなくなるんだよ。そして体調がどんどん悪くなっていくときも多かった。そんな軟弱な自分が嫌で逆らうように頑張れば完全に潰れそうになっていく。これはね、もしも健康な時だったら動いて何か支援活動をしているんだろうけれど、あふれる凄惨な映像や哀しい物語をベッドの上でまともに全身で受けとめると発散する場所がなくて。手段もなくて。私が軟弱だということだけでなく、膠原病という病気を持っている事情も鑑みると、精神的な打撃は即、肉体に響くということだと理解していましたね。だからもうこれ以上駄目だと思ったことは何度もあり、そんなとき身体の調子がとても悪かった。だから何度も撤退しようとした。 

なんでこんな話をしているのかというと、携帯から見てくださっている方々は少なからず私が発信した情報や、参加している支援活動の関連でお越しになったのではないかと想像するからです。もちろん音楽やTシャツの欲し方なんてところから来られた方もいるとは思いますが、ホームページの恋愛詩からの方も、小説からも来られているのかもしれませんが、多くは支援関連の皆さんではと想像しています。その後、なぜかおハマりくださった方々が継続して携帯でご覧になっているというのが私の推測です。ところが携帯での閲覧そのものの数は表示されますが、ココログではサイトの閲覧総数にプラスされていません。だからこの現象に気づかなかったのです。したがって携帯からのアクセスを足すと、この地味なブログは未だかつてない数の皆さんに閲覧されていることになります。驚きだなぁ。ちゃんと喋らないと。(゜_゜)

まだわからない?だから何なのよって?もうじきわかるよ。待ってね。順序立てて説明するから。本来この「右近トーク」は謎の人にこわごわ何か書いて、すっ飛んで帰るようなメッセージボードから、Hiroshjiの死に際してアッサリ私は正体も明かし、いつしかくだけ過ぎて収拾がつかないくらいハメを外して喋っているような場になっていった。詩も書く音楽もある嘆きあり喜びあり悲しみあり小説あり皆さんへの元気づけあり私の愚痴あり近頃は訳詩もあり、そして今は支援情報が加わりました。さて、そろそろ本題です。私は三月以来、ここで軽い調子で喋る気がせず、また、そうするべきではないと考えてきました。それは理解していただけることでしょう。しかしながら、最近になって私も日常を取り戻さなければならないと考え始めました。私のいう日常と、被災地の皆さんがいう日常にはもちろん大きな隔たりがあって、この言葉を使うのも憚られますが、それはわかっています。しかし私はあの日以来、被災者の皆さんと悲しみ苦しみを分かち合うべきだと考え、おのずと自分に贅沢や楽しみを与えることを我慢するようになっていました。私だけでなく、そんな人は日本中に多く居たのだろうし、今でも居るのだろうと思います。

私は徐々に精神面で異変を感じました。大きな災害で悲しいめに遭った人たちが大勢いるのに、という気持ちから自分を抑え過ぎていることが私の精神によくないことがわかってきたのです。私は世間一般の人々が楽しみや余暇とすることも、グルメにも旅行にも興味がありませんが、ただひとつ、私には読みたい、書きたいという欲望がとても強いのです。それが唯一の私の道楽かもしれません。春頃、体調がようやく上向きになり、久々に読み書きができそうだと思っていた矢先の震災でした。それ以来、私はその欲望を封印してきました。私の自己主張であるところの装いに関しても抑えてきました。無駄遣いすることは罪悪だと感じていましたから。ところが、それらわずかに残っている私の「欲望」を抑えることが私の心身によくないことと、あとどれくらいの時間を読み書きができるのだろうかという体力的な不安からの焦りを感じ始めました。そして決断しました。私はみずから「快楽」と称する読み書きを開始するという結論に達しました。着たいものも着ればいいのだと思い直して服や帽子を買いました。同時にトークもそろそろ普段どおりに戻そうかと考え、だから翌日が11日だとわかっていながら帽子届いたもんねぇと喋りました。小さな喜びが自然にうれしくて。

検索で支援情報を求めて来られた人が、もしもその日に私が軽い喋りをしていたら、呑気に洋楽を訳して述べていたら、つまらない冗談を言ったりしていたら・・。きっと被災者の方々は嫌な気持ちになるのではと思います。もしも私がその立場だったなら「何、この人」と思うでしょう。被災していない人との温度差は幾度も感じてつらい思いをされていることでしょう。今にして思えば、支援ブログは別に開設するべきだったのかもしれません。しかし私はあのときも発信の対象は常連様しか頭になく、それはブログというものの仕組みを知らないのではなく、昔から抱いてきた云わば習慣のようなものであり、言いかえれば、とりあえずは道行考の皆さんに支援を呼びかけようと考えたからでした。日本はおろか世界中のどこからでもブログが読めることは知っています。実際、英語での閲覧者さんも複数おられます。しかし私が「右近トーク」を支援呼びかけの場に選んだのは、昔からの狭い小部屋で、うだうだと私が喋り、ふむふむと聞いて下さる方々がいたという道行考独自の決して広くはないけれど隠れ家的な心地いい世界の感覚が染みついていたからと言えましょう。もちろん新たにより多くの皆さんと関わることは幸せにちがいありません。縁(えにし)は皆さんが私を見つけてくださったときに結ばれたのですからね。

やっと結論部分に近づきました。私はプロではないのにモノ書きだと人は言います。言ってくださいます。プロではなくともそれなりにマジメに書いています。こうしてブログを綴ることも書くことのひとつです。支援はこれからも続けていきますが、私は震災が起こる前の自分に戻り、無理のないように支援を続けていきたいと思っています。被災地にお住まいの方、仮説住宅、借り上げ住宅、放射能から避難してふるさとを離れて暮らす方々、皆様の御苦労は私なりにお察ししています。それは想像を超えるお辛さで、すべてを察することはできないまでも、わかろうという気持ちは消えません。そのことをお伝えしておきます。そして私は体力との闘いのような毎日の中で、家事や庭仕事や書くことと格闘し、被災された皆さんのことは常に忘れることなく日々を重ねていきたいと思います。すべてのブログやホームページは私の「表現」手段です。この場と支援の場を兼ねることをお許しください。いつ、どんなことを喋っていようと、私の心は東北へ向いたままです。あのとき神戸に向きっぱなしだったときのように。

長い説明になりました。出かける前にちょこっと読む習慣の方には無理な長さだね。帰ってからゆっくり読んでください。携帯のアクセスが多いと驚いた話はこういうことが言いたかったのですよ。あぁ、なんだかスッキリしました。私は私でいいんだ。でも支援は辞めない。表で語っても語らなくても続けていきます。だって東北、大好きなんだ。体力がなくて行けないけないけれど、いつの日にかどうにかして必ず行きます。気仙沼の0さん、いつかいらして下さいと言ってくださってありがとう。嬉しかったです。いつかきっと行きますよ。皆さん、読んでくださってありがとう。みんなみんな、ありがとう。自然体で行くからね。頑張れ東北!

                                                    右近

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