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2012年3月

2012年3月28日 (水)

東北における衣類の需要について

支援物資に衣類がありますが、これは阪神大震災のときに有り余ってしまい、結果的に迷惑となったケースが多く、山積みの衣類の処分に自治体が困ったという事実がありました。それ以後、古着は寄付の項目に入らず、公的な機関やNPOなどの団体も「新品」を条件とし、この度の災禍でも真っ先に支援物資の項目から消えていきました。ところが現地の方のお話を実際にうかがうと、衣類を切望している人々が多くおられることがわかりました。それで私は衣類を何度か送りました。

たしかに分類されていない衣類の扱いは大変でしょう。皆が思い思いに自治体やボランティア団体に送ると、まずそれらを保管する場所が必要となります。次に衣類は種類が入り混じって送られてくるため仕分けがあります。’阪神淡路‘では大量の衣類を仕分けするのに多くのボランティアを必要とし、結局は不要となってしまった衣類が膨大で、処分の費用がかかったとも聞いています。その教訓から多くの自治体や民間団体の窓口は、衣類の支援を受け付けないことになりました。それよりお金だということのようですが、買う店が無い地域があるといった事情が広域被害の東北において存在しています。

それでは自治体や民間団体が被災地域の末端まで行き届いた物資の支援をしてきたかといえばそうではありません。衣類も然りです。この災害では家ごと流失といった被害が多く、衣類をすべて失った方々が大勢居ます。この被害状況では衣類が大量に必要だと思い、私は発生当初から衣類の支援方法を探しましたが、古着は受け付けておらず失望しました。民間団体では中古の衣類も受け付けているところが稀にありますが、ほとんど見当たらず、とくに関西においては‘阪神淡路’の二の舞は避けるべくということなのか、衣類支援の受付をしている自治体や団体を見つけることが出来ませんでした。

ところが一年を経た現在、今なお東北には強く衣類が求められている地域があります。それらの地域では全体的に支援物資も届きにくかった地域であり、支援の不均衡を痛感します。寒冷地に防寒衣類が必要で、今でも常に求められています。また女性たちはお洒落を楽しみたいのは当然です。私たち災害に遭わなかった者が無造作に処分する衣類は、東北では心から喜ばれるものであることを私は知りました。古着という呼び名はあまりよい印象を与えませんが、まだまだ活躍する古着は多くあります。お洒落着もとても喜ばれます。考えてみてください。あなたがいま持っている衣類のすべてを失くすことを!おそらく考えられないことでしょう。「衣」も「食」も「住」も、どれも人間にはとても大切なことなのです。

今日、何気なくつけたテレビで、片づけのプロとやらが家庭に入り込み、「処分品」を多く出させてスッキリさせる様子を映していました。その家庭の主婦である女性は多くの衣類を最初は名残惜しそうに分類していましたが、だんだんとバサバサ大胆に分けていきました。そして最終的に山積みになった衣類を前に、これらは処分しましょうとそのプロさんがアッサリと言いました。私は複雑な心持でそれを観ていましたが、不愉快になりテレビを切りました。これだけの衣類を必要とする人が東北にはたくさん居る。そのことを彼女たちは知らない。知ろうともしない。求める人が居るのに、片づけて気持ち良くなりたい人が惜しげもなく捨てていく。この不条理に私は愕然としました。これが日本の現実だと溜息が出ました。

ひと頃‘断捨離’というのが話題になりました。今もその流れをくむ片づけ方式が横行しています。提唱者によると、それは単なるモノ処分ではなくヨガの精神性に基づくものだといいます。この講座を聞きにいった人は、まるで催眠術にかけられたように突如として家の中から大量のモノをいきなり捨て始めます。そしてスッキリしましたと笑顔で言います。きのうまで大切にしまっていた大量の‘ゴミ’を出して、ご本人はスッキリなのです。それらの不要になったモノたちを活かすことも考えてのことならば、その片付け法だか処分法の‘精神性’も甘受します。しかしそんなことは微塵も考えていないようです。ただ捨てるのです。けれども催眠術にかかった人たちは、古いものを一気に処分し、またモノを増やす可能性があります。簡単に捨てる人は簡単にモノを買うでしょう。すぐに人に影響される人は、おおかた確たる自分を持っていません。モノを処分をしたいなら、自分で納得しながらするべきです。失礼ながら、かつてテレビで観たモノ処分後の女性たちの表情は、精神性に目覚めているというよりも、ただ高揚して酔わされていると見えました。もしも彼女たちが以後は禅宗の尼さんにでもなるのなら、彼女たちの今後を私も信じます。話が少々それました。

哲学者の梅原猛氏が震災後、積極的な発言をし、「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)としきりに口にされています。これは仏教の言葉で、草木や国土のように人間ではないものも皆、成仏するという意味で素晴らしい思想です。草木にはもちろんのこと、モノにも命や心があると私は思っています。そしてモノの成仏は活かした後でありたいものです。私は日頃から不要になったモノをあっさりと捨てる仕組みと、求めているのに声が届かず応えてもらえない仕組みの矛盾に大いに疑問を感じてきました。災害の無い満たされた地域では、片づけのプロとやらが次々に現れて、バサバサとモノを捨てさせることに余念がありません。それら名のある方々が、衣類も含めてモノのリサイクルを完ぺきにこなしてゆくのなら、モノを必要な所へ届けて納める仕組みを構築するならば、彼ら彼女たちを尊敬もいたしましょう。そうでなければ、ひたすら捨てろという観念を人にむやみに植え付けるのはおやめいただきたいものです。

はたして笑顔でバサバサとモノを捨てる人たちには、突然にすべてのモノを失うという衝撃的な出来事が与えた想念らしきものは感じられず、大切なものすべてを「瓦礫」と呼ばれた人たちの哀しみを理解しているとも見えません。思い出に浸っている暇などないと過去のモノを容赦なく捨てろと言う人に、何か一つでも思い出の品をと家があった場所を探し歩く人の思いは分からないでしょう。無関心の傍観者にすらなれない人間の愚かさを感じ、私は静かな怒りを覚えました。愚かさは無神経で時に人を傷つける。だからテレビは嫌いなんだ。とまた思いました。「あなたのそばに困っている人がいれば助けなさい。それができないなら、せめて傷つけないようにしなさい」。これはダライ・ラマの言葉です。このモノ処分法は、被災地の皆さんの目にどのように映っているのでしょうか。テレビに映し出される内容全般が、あまりに被災地への思いやりが欠如したものであることも重ねて情けないことです。

繰り返します。モノは活かしきり、その後に眠らせるのが正しいと私は考えます。モノにも命があります。だから活かしきりたいものです。捨てることを勧めるだけでなく、まだ活かせる不要となったものを、それを必要とする被災地の人の元へ送ることを、支援する側に負担なく可能にする完全な仕組みを構築する人がいつ現れるかと私は心待ちにしています。しかし、いまだ現れません。支援はしたいが送料がネックになるという人は世の中に多いことでしょう。どうにかしてここを打破することが出来れば、必要な衣類が必要な人の所へ届けられます。さらにパソコンを扱わない方々にも届くシステムが出来ればどんなに素晴らしいことだろうかと思います。また衣類だけでなく、必要な物資が望む人に全国から即座に送られるといった統一されたシステムが出来ないものかと願っています。それは夢物語であることを知りながら。 

この一年、私は東北の方々から多くのことを学びました。モノを大切にする心、慎み深さ、義理堅さ、感謝する気持ち。私たちが忘れかけているものをきちんと維持され、日々の暮らしを生きてこられた皆様の質実剛健ともいえる暮らしぶりに尊敬の念を抱きました。その価値観は私にとって祖母が有していたなつかしいものであり、呼び起されて気づかされたものであります。一枚のセーターを心から喜んでくださる人たちに、私は北へ向かって合掌したくなるのです。これからも知恵を絞り、私は引き続き衣類を送る方法を考えたいと思います。いまだ寒さ厳しく、冬もの衣類が必要という切実なお声が今日も宮古から届けられました。お豆腐を待ちわびる弾んだお声に私が元気にさせられました。

東北の皆さま、昨日も強い余震がありましたね。夕刻からテレビをつけなかったので、深夜に知りました。まだ続く余震に不安な毎日だとお察しいたします。お気をつけください。早く余震がおさまることを祈っています。私の桜はつぼみをふくらませています。

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2012年3月27日 (火)

東北の皆さんへの『お豆腐支援』続行中

東北の皆さんへ

このブログでも掲載したギアリンクスさんサラダコスモさんによる『お豆腐支援』は、2月で当初の目標“100万丁”を達成しました。パラグアイの日本人農家から支援である大豆と、現地日本人会による製造費支援金により始められたこのプロジェクトですが、100万丁のお豆腐が関係者の皆さんのご尽力により被災地に届けられました。すごいことですね。100万丁です。

 しかしその“すごいこと”は続行中です。原材料があるかぎり、この『お豆腐支援』は継続されます。まだ支援を受けておられない被災地にお住まいの皆さん、今からでもどうぞふるってお申し出ください。詳細は商社ギアリンクスさん、発芽野菜などを扱うサラダコスモさんのサイトへどうぞ。お電話で注文を受けていただけます。また、‘豆腐支援’と‘右近トーク’で検索され、掲載ページを開いていただくなどでも詳細がお分かりです。あるいはあるいは、HP『平成道行考』トップページのポストマークから右近にアクセスしてください。お届けまでの仲介をいたします。甘みのある美味しいお豆腐ですよ。数の多少や住宅の種類は不問です。東北の皆さん、被災された皆さん、どうぞふるってご参加ください。

 サラダコスモの度会さんから4月4日の100万丁達成記念会にご招待いただきました。しかし私はこんな状態です。岐阜県までとても行けません。しかしお招きは大変うれしく、羽があったら飛んでいきたいと申し上げましたが、やむなく辞退いたしました。その度会さんから本日、まだまだ続き、何度でも支援しますとのメール。それで久々に以前にお世話した皆さんに電話をかけました。慎み深く、遠慮深い東北の方々は、それ以後の支援要請をまったく出さなかった方々もおられました。それならとさっそく再びの受注係を引き受けました。全国のボランティアの皆さん、お世話くださった東北の皆さんに再度のお声かけと、まだ支援を受けておられない皆さんへも広めていただければ幸いです。

 うれしかったのは昨年よりも皆さんのお声が明るかったことです。なんだろぅなぁ。本当にこちらが元気にさせられる。弾むお声で現在の様子を伝えてくださいました。私はベッドから、電話とパソコンでこれからも頑張るぞとひとり誓ったのでした。少しずつ身体も指も動くようになっています。物資配送の際に入れる手紙が、短いけれど手書き出来るようになってうれしいです。春。

 

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2012年3月24日 (土)

東北からありがとう

私のちっぽけな支援活動でめぐり会った皆さん、ありがとう。
はるばる東北からのアクセスをいつもありがとう。

私にはまだ起きて活動する体力がありません。
もしかしたら当分はベッドの上かもしれません。

しかし時々ここから皆さんに呼びかけたいと思います。
だって皆さんが私に会いに来てくださるのですから。

こちら大阪でも明日は再び寒くなるようです。
そちらはもっと寒いことでしょう。
暖かくして。
おやすみなさい。

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2012年3月11日 (日)

御挨拶

昨年の4月1日、『右近トーク』では東日本大震災の支援呼びかけを開始しました。あの日、テレビの画面に映し出される光景に私はただ戸惑い悲しみました。それ以後、自分が何をすればよいのかわからず、悶々としていました。家に居て、ほとんどベッドの上で過ごす私に何が出来るかを考えつづけました。その結果、パソコンで出来る支援しかないと考えました。自身の可能な支援をし、人びとにも呼びかけること。その時、私にできることはそれしか見あたりませんでした。そして休載していたブログを再開し、ただひとりで出来る支援方法を選んで小さなを声をあげることにいたしました。

そしてふたたびの‘3.11’がやってきました。この一年、ささやかな支援を続けるなかで多くのことを考えました。今も考え続けています。正直なところ、私は今でもあんなに物凄いことが実際に起こった事実が完全に受け容れきれずにいます。しかし実際に起きたことなのです。私たちの国の広い範囲が破壊され、多くの尊い命が犠牲になり、原発の災禍も加わり、この国は困難きわまる状態になりました。すべての国民が何か出来ることをしなければならない。そう思い、ただひとりでする支援のひとつの手段としてブログでの発信を続けました。

一年が過ぎた現在、復旧・復興は期待したほど進んでいません。被災者の皆さんの生活にも大きな改善がみられず、先の見えない不安を抱いて暮らしています。支援する側の私たちには現地の様子が見えず、情報が少なくなっていくことに苛立ちも覚えます。さらには当時のあの熱を帯びた国民の団結意識が希薄になっていくことに失望の念は否定できません。支援とは、当初の寄付や支援物資提供しか無いのだろうか。今なお出来ることはたくさんあるのに、国民全体に寄付や支援はすでに済んだこと、ボランティアも終わったこと、といったようになっている風潮が感じられることに、やるせないものを感じ始めています。まだやっと一年です。これからが大切です。言い古された言葉ですが、息の長い支援が重要なのです。

皆さん、この災害は歴史に残る甚大なものです。私たちは支援し続けなければなりません。被災地の人々は皆、支援への感謝を口々に言って下さいます。しかし、もう支援する期間が終わったのではありません。さしあたって生活する場所や物資が行き渡ったことが支援の終わりではないことを、私は声を大にして訴えたいと思います。実際、被災者の皆さんは、当初は無我夢中だったけれど、とくに喪失の悲しみは今の方が大きくなってきていると言います。家族を失わなかった人びとも、この先の生活に対する不安はしだいに大きくなっていると聞いています。

では、これから私たちに何が出来るのか。それは皆さん自身が考えることです。そして実行することです。それぞれがそれぞれの事情や暮らしをする中で、自分に出来ることを、この先永く続けていくことが大切です。私も出来ることを見つけて実行し、今後も支援を続けたいと思っています。私は時間もある身であるのに体力が無く、病気をもつ軟弱な身体をこれほど恨んだことはありません。しかし、いつかは東北へ出向いてこの目で現地を見て合掌し、知り合えた人びとと会って握手し、たとえ短い期間でも、私が最も願っている学習指導の奉仕活動が出来れば嬉しいと願っています。

本日をもって『右近トーク』から支援を呼びかけることを今日を一応の区切りとして終了いたします。私が呼びかけるまでもなく、支援の意識を持続している皆様は、それぞれの手段で継続され、自身で支援の道を探されるであろうと思うからです。私も私なりの支援を模索し続け、復興が確実に見えてくるまで永く継続する所存です。末筆ながら、この小さな場にご訪問くださった皆さん、ご協力いただいた皆さんに厚く御礼を申し上げます。有難うございました。
      
                           

                                                                           2012年3月11日

                                                             安孫子 良

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2012年3月 9日 (金)

「3.11」 国じゅうで黙祷を 世界から黙祷を

まもなく「3.11」がやってきます。この日が近づくにつれ、被災した方々、特に大切な人を亡くした遺族の方々は沈鬱な気持ち襲われていると思います。子供たちも落ち着かず、情緒不安定になっている子も多いと聞きました。

私にはかねてより不思議に思っていることがあります。それはヒロシマ・ナガサキの原爆の日、終戦の日に、なぜ国じゅうで同時刻に黙祷を捧げようという姿勢がないのかということです。国家間のことや政治色を抜きにして、大量の命が犠牲になったという意味においての追悼です。この度の東日本大震災では死者・行方不明者約2万人という大災害となりました。この災害に対しても国民全体が同時刻に黙祷することは当然だと私は考えます。災害につき政治的な色合いは皆無であり、純粋に追悼の意を促す意味で政府として積極的に黙祷を呼びかけてはどうかと考えるものです。

もちろんさまざまな現場で就労中の人々には不可能な場合も多いでしょう。しかし、それらの人々を除いたとしても、出来る状況にある人たちのほとんどは黙祷をするだろうかと考えるとき、思わしくない結果が予想されます。それはまだ一年だというのに、国民の多くがすでに被災地ならびに被災者の皆さんへの思いを持続していないと感じるからです。

一か月、三か月、半年と、この一年はひと月ごとに報道されてはきたけれど、大きく取り上げられたのは半年くらいまででした。それ以後は月ごとに小さくニュースで取り上げられはしても遠くに住む者には詳細が伝わらず、現地の様子や被災者の皆さんの状態を知る手だてはほとんど無くなってしまいました。伝播力の大きいテレビでさえ、わずかにNHKの番組でのみ取り上げられるばかりとなっています。

世界から称賛された日本人の大部分は、きわめて切り替えの早い国民、熱の冷めやすい国民なのでしょうか。あのとき称賛されたのは日本国民ではなく東北人です。被災者の皆さんが褒められたのです。東北の人たちが、世界に絶賛される貴重な日本人気質を今なお維持し、それを世界に知らしめたのです。そして今もその超人的な忍耐力で、かれらは進まない復興にひたすら耐えているのです。政府がそれに甘えることは断じて許されません。

出来ることをしよう。絆。ひとりじゃない。続けることが大切・・・などなど。今これらの言葉は国じゅうに満ちあふれていたのが今はすすけて見えるのはなぜでしょう。残念なことに現在は国民の多くがこの未曽有の災害と無関係に生きていることを感じずにはいられません。一方で、あの日から昼夜を復興のために働き続け、奔走する官民多くの人々が居ます。社会においてすべての事柄に二分化の現象が見られるように、復興・支援に関しても、その傾向があると認められます。

さらに今、この国にはオピニオンリーダーが不在です。強力な言葉を発して国民を牽引する人物が居ないのです。もしも井上ひさし氏が存命であったなら、どんな言葉を発して国民を鼓舞し、被災者の皆さんの代弁者となっただろうかと残念に思います。山形で生まれ、被災地の東北各地をこよなく愛した彼の比類ない温かな言葉、力強い言葉はどれだけ強力に日本を甦らせるエネルギーとなっただろうかと考えます。この惨状を井上氏は天から見おろし、地団太を踏んでいるかもしれません。

東北の痛みは私たちの痛みです。その痛みを完全に分かることは出来ないにしても、私たちはそのことを片時も忘れず分かろうと努めるべきであるのです。もしも貴方が幸せな気持ちでいるとき、東北で悲しい気持ちでいる人のことを想ってください。貴方が家族とともに在る時、居るべき人を突然に失って戸惑い悲しみ続けている人がいることを思い出してください。貴方が誰かと楽しい時を過ごしている時、孤独に絶望してひとり仮設住宅に無言で居るお年寄りの方々に思いを馳せてください。貴方が何気なく暮らす不自由のない暮らしをする中で、不自由だらけで普通ではない暮らしを強いられた人々が、今なお多く居ることを、そしてこれからもそれが何年も続いていくことをどうか忘れないでいてください。

ほんの少しの時間でいいのです。たとえ一瞬でも想ってください。つらい人々のことを。思ってください。そして考えてください。自分には何が出来るのかということおを。もしも貴方がいつも心の隅に犠牲になった人々や遺った人々、苦しい現実と向きあっている人たちのことを置いてくだされば、あるいは何かしようと行動を起こしてくだされば幸いです。想うこと、願うこと、小さくても行動を起こすこと。まだ貴方が被災者の皆さんに出来ることはたくさんあります。もう終わったことではなく、これからなのです。今からなのです。出来ることを探してください。私たちに出来ることはたくさんあります。そのことを忘れないでください。まず3月11日午後2時46分、どこに居ても共に黙祷を捧げましょう。祈りを込めて街の復興、被災者の皆様の生活や心の復興を共に強く願いましょう。

最後になりました。日夜、復興に支援に尽力している皆様を敬服し、感謝いたします。御苦労さまです。ありがとうございます。そして世界の皆様、ご支援をありがとうございます。日本国民の一人として厚く御礼を申し上げます。どうか私たちの国の復興を末永く見守ってください。

                                                   安孫子 良

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2012年3月 7日 (水)

‘ありがとうコール’をありがとう

亘理町から‘ありがとうコール’をありがとう。

号泣・・でしたか・・・。ならそれは、昨年の12月、私が号泣させられた‘リベンジ’。(^_-)

がんばっている貴女とつながることは私の喜びです。

パパさん、中学生・小学生のボクたちによろしく。

いつか必ず亘理町へ行きますからね。お約束します。いつかきっと。

今日はあなたの元気を私もいただきました。いい日です。ありがとう。

                                           良

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2012年3月 4日 (日)

‘ありがとう’を、ありがとう。

土浦から、大船渡から、相馬から、“ありがとう”を、ありがとう。

つながっています。こんなに離れていても、あなた方とつながっています。

いつも共に在りたいと、ずっとずっと思っています。 ありがとう。

                                       良

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2012年3月 2日 (金)

心うたれる写真と言葉『復興の狼煙』ポスタープロジェクト

◎『復興の狼煙(のろし)』ポスタープロジェクト  

私の下手な説明は不要です。人々のたくましい姿。素晴らしい言葉。心を打たれます。皆さまもご覧ください。お読みください。一枚一枚の画像に‘不屈’をみます。‘希望’をみます。心がふるえます。

これらのポスターは購入できます。どうぞお買い求めください。それも支援につながります。宜しくお願いいたします。

                     段ボール箱をかきわけて ちゃんと出てきた右近より

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2012年3月 1日 (木)

だからね。いそがしい。

毎日やってきてくれてありがとう。

だけどね、忙しいんだ。やることいっぱいあって。もうチョット待っててくれないかなぁ。いい子だからさ。どれくらいって? うん、はっきり言えない。やるべきことがひと通り終われば、としか。すぐに疲れるものだから、なかなか進まなくて。ま、がんばるよ。発送、発送。誰だぃ。「は、そう」っていま言ったのは。君かぁ。ふふ。ふふふ。がんばろうね。(-_-)

南の人、暖かそうだね。北の人、まだまだ寒そう。雪も大変。日本海側の人も気をつけて。関東の人、雪や凍結で転ばないでね。ブーツはダメだよ。関西人、テキトーにやってください。全国津々浦々の皆さん、元気で過ごしてくださいよ。英語で見てる人、どんなふうに訳されてるのぉ?なんで見に来てくれるの。何かおもしろい?ねぇ6人くらいのEnglishReaderさんたち。

それでは皆々さん、今日はこれで。ごめんなんすってぃ。ひょいひょいひょ~いっとぉ。(-_-メ) ←満員の芝居小屋で芝居見物をしていたけれど、急に事件を思い出してピョンピョン跳ぶように立ち去る岡っ引きの感じ。

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