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2012年9月

2012年9月30日 (日)

『脱ステロイド』その3

こんばんは、右近です。なのかな。良です。の方がいいかな。ま、どちらでも。
たくさんの皆さんがお越し下さったようです。ご訪問ありがとうございます。
また強い台風17号が来て、ただいま近畿・東海・関東地方の太平洋岸へ向かっています。昼間、庭仕事をしていたら、ときどき雨が降ってきました。私の住む所では本日の昼ごろにはかなりの暴風雨になりそうです。

私はまだ『脱ステロイド』で引っ張ろうとしています。昨日は副作用から脱したいということについて具体例をあげてお伝えしました。今日は別の角度から離脱を望む理由について述べてみます。面白くないと思いますが、よろしかったらお読みください。

突然ですが、私たちは「夢」という言葉をよく耳にします。そして使います。しかしその「夢」には実現不可能なことも含まれています。いくら努力しても叶わない夢です。そういった夢は、それこそ「夢」の「夢」かもしれません。しかしながら人は抱いた夢に向かって努力をし続けます。そして叶った瞬間に、それまで大切に抱いていた夢は現実になって色あせ、新たな夢を抱くのです。なんだか胡散臭い青春論者みたいな始まりになってしまいましたね。

ではストレートに。私は長い間、ステロイド剤に頼って生きてきました。これから離れるのは夢であったともすでに言いました。けれども進みこそすれ現状より良くなることはない病気との共存には、ステロイド無しであり得ないと思っていました。離脱したい。けれども無理だろう。それが本心でした。同病の人たちには外分泌系統が破壊される以外に内蔵障害が起きない人もいます。そういう人たちはステロイド剤を服用しないでいる場合も多いです。しかし私の病気は全身性の疾患で、特に易疲労は乾燥症状よりも日常生活の妨げになるものです。そんな私にとって、ステロイド剤は強い味方として長い間ともに在りました。

離れることは無理かもしれない。とうてい無理だろう。絶対に無理だよ。という気持ちは常にありました。無理かどうかは別として、脱することから意識がそれることもありませんでした。つまり「強い願望」として私の心の底に動くことなく定住していたのが『脱ステロイド』でした。夢とは言いかえれば強い願望ということです。この強い願望は消えることなく静かに小さな火を燃やし続けていたのでしょうね。ならば一度やってみよう。なぜなら、この夢に挑戦しなければ、死ぬときまで私はステロイドを必要として暮らしていくことになります。最近の維持量は発病時の10分の1まで減量していたので、服用を続けたとしても大きな問題は起こらないとも主治医の先生は話してくださいました。けれど辞めてみますかとも尋ねてくださいました。これまでは勇気がなくてすぐに返事ができず、延び延びになっているうちに夏季や冬季になり、きつい諸症状が出てしまうと頼らなければやっていけないといった気持ちになり、踏み切ることが出来ませんでした。

では、なぜ今度は踏み切れたのか。それは夢に挑戦してみたいと強く思うようになったからです。哀しいかな私たちの年齢になると、何かに挑戦しようという気持ちは希薄になります。もちろんそうでない方々も多いですが、一般論としてはそうでしょう。平凡な生活をしている中で、また体力が衰える中で、私も何かに挑戦など考えられないことでした。したいことは山ほどあれど、高ぶる気持ちの裏には「どうせ出来っこないよ。だってこんなに弱い身体で」という所へ行きついてはあきらめるのです。ベッドでみたいくつもの夢は、たちまち泡のようにむなしく消えていきました。そんな私に出来る挑戦が、この『脱ステロイド』でした。成功するしないは別として、体力を要するもろもろの挑戦が不可能ならば、私独自の挑戦もいいじゃないか。それこそが誰にも出来る挑戦ではなく、ステロイド服用者にしかない出来ない特権だと思うと、これを楽しまない手は無いと考えました。

今ひとつ。私はこの一年半の間、自分なりのささやかな支援活動を続けてきました。その中で、あの大災害など起こらず、何ごとも無ければ決して知りあうことのなかった人たちと出会ってきました。今も出会いは続いています。それらの人々と会いたい気持ちは募ります。どうぞ東北へ来て下さいと口々に言ってくださいます。行きたいです。いつか行きます。そう答えながら、行けないかもしれないという気持ちが大きいことは否定できないことでした。行きたいです。とても行きたいです。もしも羽があったら飛んでいくのにという英語の仮定法過去の文のようなことをいつも考えていました。では、行くためにはどうすればいいのか?今よりも丈夫になることが大前提です。私の病気は完治をみないものです。したがって、病気持ちだけれども今より丈夫にならなければ、自分の旅の荷物さえ持てません。ならばどうすればいいのだろう。何から始めればいいのだろう。

探し求めて出てきた答えは、きちんと丈夫になろう、今よりも。というものでした。そろそろ人生のまとめに入らなければならない世代の者は、夢を叶えるための時間がしだいに短くなっていきます。あと何年が自分に残されているのか分からないけれど、毎日をきちんと生きて、きちんと人と関わろう、そしてきちんとあの世へ行きたいものだと考えます。それで『脱ステロイド』なのです。実行するには今だと思いました。また冬が来ると、ひるんでしまいます。気候のいい今がスタートの時です。不安もありますが、やれるような気がしています。いつか完全に離れることが出来たとき、病気が治ったわけではないのに、きっと病気に勝ったような気持ちになれるのではないかと、それこそ夢のようなことを夢みている私です。

もしも健康であったなら、私はとっくに東北へ出向いているでしょう。今頃は住んでいたかもしれません。引退して時間がたっぷりあるというのに、病弱でそれが出来ないもどかしさに苛立ちました。すぐにでもこの目で東北を見てみたい。そして大いに感じ、大いに考えたい。大部分の国民に、もう忘れ去られようとしている被災地。かの地への熱い思いが、実はこの『脱ステロイド』と大きな関係があるのです。震災・津波以後、私は東北の人たちに、どれだけの力強さと優しさを感じてきたでしょう。どれだけ多くのことを学んだでしょう。私はきっと、東北へ行く。その熱い想いが『脱ステロイド』の強力な原動力となっていることを最後に皆さんにお伝えし、この『脱ステロイド』シリーズを締めくくりたいと思います。この「夢」かならずや叶えてみせます、と申し上げておきましょう。賽は投げられました。やるしかありません。長くなりました。読んでくださってありがとう。頑張ってみます。

台風が来るたびに思います。特に南西諸島や沖縄、南九州に住む皆さん、くりかえし訪れる台風に耐えてきた皆さん、あなた方を私はとても凄いなと思っています。南北に縦長のこの日本、北と南の皆さんは自然の過酷さに耐えておられて尊敬の念でいっぱいですよ。そして全国の進路にあたっている皆さん、どうぞお気をつけください。おやすみなさい。

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2012年9月29日 (土)

『脱ステロイド』 その2

昨夜、私はテンションが高かったようです。ひさしぶりに皆さんとお会いするのが恥ずかしかったのでしょう。照れてふざけて、まるで子どもですね。たいへん失礼いたしました。
今日は私がステロイドから離れるに至った理由についてお伝えしましょう。よろしかったらお読みください。

万能薬と言われるステロイドにはいろいろと副作用があります。中でも私が困っていたのは感染しやすいこと、精神的に急な変化が起きること(主に落ち込みです。言いかえれば鬱症状)、そして体重減少です。人によって出る副作用は異なりますが、私はこの3つにとても悩まされました。

○ 感染しやすい・・・すぐに風邪をひく。今月は三度もひきました。

○ 精神症状・・・・・・特に理由がないのに気分が急に落ち込んでいくときがありました。たいてい体調が悪い時ですが、そうでない時にはごくごく些細なことがきっかけで、ひどく落ち込んでしまうことも度々でした。意のままにならない自分の精神に苛立ちました。

○ 体重減少・・・・・体重に関するステロイドの副作用は、食欲亢進と減退がありますが、私は後者です。2010年春から夏にかけてひどく体調を崩したとき、45キロまで落ち込みました。ちなみに私のベスト体重は49キロです。(身長からいえば55キロくらいあってよいそうです) 通常は1キロの幅で体重が変化することは無く、この時は驚きました。ストレスによる胃炎から出血もあったので、それも関係していたと思います。しかしその後も体重は46キロ代が続き、最近までふえたとしても47キロに届くかどうかといったものでした。

食欲がない。だから食が細る。そして痩せる。といった悪循環でした。もちろん病気が進むにつれ運動量が減っているので、おのずと食欲が減退していることは否定できません。それにしても痩せています。これはもしやステロイドの影響では?と初めて考えました。私の持病がある患者は、委縮性胃炎といって胃壁の筋肉が硬くなる傾向にあります。そのためにまとまった量が食べられなくなるのです。私もそうなので、それがすべての原因だと理解していました。

それにしても細い。痩せている。人には痩せたねとくりかえし言われ、胃に悪性腫瘍でもあるのかと思ったこともありますが、その兆候はなく、ここまで痩せていく理由が分かりませんでした。筋肉量が落ちているということ以外に、食欲が無く、減る体重には何が影響しているのか考えると、もしやステロイド?に最近になって行きついたという訳です。

今日でステロイドを服用しなくなって11日目。嬉しい変化があります。それはこの10日間、風邪をひいていないこと、不思議なくらい気分が安定していること、それに嬉しいことに食欲が増したことです。間食をすると夕飯は食べられなくなる私でしたが、果物などおやつを食べ、食事どきにはお腹がグーッ鳴るようになりました。あまり感じることが無かった空腹感がよみがえってきたのが嬉しいです。本日の体重は47.5キロでした。徐々にふえてきています。これらのことが単に偶然なのか服用を辞めたからなのか、もう少し時間がたてば分かるでしょう。さしあたって48キロを目指して一生懸命に食べています。

ただし服用を辞めて以後、予測していなかったことも起きています。それは目です。涙液がますます少なくなったのか、充血してチリチリと痛みます。家の中に居ても昼間はまぶしさが辛いです。それで常時サングラスが必要です。ヒアレインという涙液を常用していますが、頻繁に使っても効果がありません。今後もっとひどくなってきたら、眼科に相談に行かなければなりません。16年も服用していた薬を辞めるのですから、身体が完全に慣れるまでどれくらい時間がかかるのか分かりません。辞めることで、目のほかに今後も困ったことが起きるかもしれません。冬場が特に心配です。しかし、やり始めたことです。まずは3ヵ月を精いっぱい頑張ってみます。

相変らず一日のほとんどをベッドで過ごす私ですが、気候のいい初秋に始めたこの挑戦、『脱ステロイド』を成功させたいと強く望んでいます。道行考をスタートした10年前、私はすでにステロイドを服用していました。いつもだるい、しんどいとぼやいていましたね。それは今も変わりませんが、10年間、いつも見守ってくださっている皆さん、ありがとう。成功したら一緒に喜んでくださいね。この夏は写真をあまり撮れなかったのですが何枚か撮りました。いずれ庭&猫のブログに掲載したいと思います。愛猫じぃじぃは元気ですよ。今日も読んでくださってありがとう。おやすみなさい。

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2012年9月28日 (金)

近況報告 『脱ステロイド』に挑戦

秋めいてまいりました。右近庵の庭では虫たちがにぎやかに鳴いています。
ただいま午前一時です。まだ昼間は30度ある大阪ですが、朝夕は秋に移ろいつつあります。

更新の無い間も熱心なご訪問ありがとうございます。皆さん、お元気でしたか。
私はご想像どおりに弱っていました。今はいくぶん元気です。

今日は少しばかり近況報告などいたしましょう。では面白くも無い私のクスリの話から。

突然ですが、先週より私は『脱ステロイド』を実行中です。今日で10日目になります。初日は先週の水曜日。この日は不安でいっぱいでした。発病以来ずっと服用し続けた盟友のプレドニ・ゾロン君(←アラン・ドロンの怪傑ゾロみたい) と離れて暮らさなければならないのですから、それはもう不安でいっぱいでした。

初日・・・・ビビっている私。大丈夫かしらん。やれるのでせうか。ほんたうに。(-"-)
2日目・・・なんだかフーっとする感じ。コーヒーの後、いつものように手のひら載せて貰えないドロン君、いやゾロン君、今日はなぜボクを飲んでくれないのと寂しそうに見上げている。(・_・)
3日目・・・キタキタキタキタキターーーーーーッ!というほど強烈な倦怠感。むむむ。しんどい・・・。鏡を見ると芥川龍之介状態。(←久々!) 人相ならびに顔色きわめて悪し。しかし何だかオトコマエ。あれ、何だか顔がホッソリしてないかえ? そーなんだ。あんな微量で、もう無いと思っていたmoon face、多少あったんだぁと今頃気づく。いきなりの顔ヤセに驚き、チョット喜ぶ。(^.^)  以後、しんどく、だるく、眠~い一週間でした。

と、こんな感じで先週は強いだるさにかなりマイっていました。しかし薬の減量の度にこんなだったなぁと過去のことを思い出しました。大丈夫なの?と心配して下さる皆さん、ありがとう。かねてよりの願望だった脱ステロイドです。発病以来16年間服用し続けたプレドニゾロン(プレドニン)から離れることはたしかに不安です。しかし、ステロイドから離れることは私の長年の夢でありました。この度、主治医の先生の許可のもと決行に至りました。その夢、叶いますやら叶いませぬやら、今のところ不明です。ダメなら無理せずまた服用というのが条件です。先週はきつかったですが、一週間を経て身体がいくぶん慣れてきたように思います。ガンバレ、私の副腎君たち!頑張ってホルモン出してくださいよ。 副腎保持者もだるさと闘い頑張ります。ありがとう、皆さん。今夜はこれで。おやすみなさい。

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2012年9月22日 (土)

『感謝のお言葉』ありがとうございます

◎ 宮古市 中里団地 愛宕公園仮設住宅

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愛宕公園のKさん、二枚のポスターが届きました。楽しい行事の様子がわかります。コッペパンに挟んでいるのはハムとレタス。ポテトサラダもあるようですね。リラクゼーションも皆さんご一緒ですね。写っている人々の中にKさんもMさんのおばあちゃんもおられるのでしょうか。

ノートでなくてもけっこうですよ。このポスター二枚は飛行機に乗り、パラグアイへ飛んでいくことでしょう。感謝のお言葉ありがとうございました。明日、発送いたします。ノートは別のことにお役立てください。

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2012年9月21日 (金)

『感謝ノート』をありがとうございます

東日本大震災発生直後から始まった『100万丁の豆腐支援プロジェクト』は、一年半を過ぎた現在も続けられています。目標の100万丁は過ぎ、130万丁を超えました。当時から比べると、世間では企業支援も激減しています。しかし続行に尽力し、美味しいお豆腐を被災地に届けてくださる関係者の皆様には敬服の念を抱きます。あらためまして大豆を寄付してくださったパラグアイの日系農家の皆様、製造資金等を寄付してくださった現地と日本の皆様、南米からの穀物など食糧を扱う商社ギアリンクス様、系列会社の発芽野菜や自然食品を扱うサラダコスモ様、製造を引き受けてくださっている日本国内の豆腐製造業者様、さらに仲介をするボランティアの皆様方に敬意を表します。

そのお豆腐がどういうふにして届けられているかをご説明し、よろしかったら感謝のお言葉をとお願いしたのは夏が来る前でした。すでに100万丁を超えていたので、まもなく終了と思ったからでした。私が担当する地区の皆様に、簡単でかまいませんから何かパラグアイの皆様、日本国内の関係者の皆様にお言葉を頂けないでしょうかとノートを送付してお願いしました。酷暑の間、まったく動けなかった私も、涼しくなって少し動けるようになりました。そこで、お豆腐支援は続行中ですがノートの返送を皆様にお願いしました。すると三か所からすぐに送られてきました。それが以下の画像です。

◎ 東松島市 宮戸 室浜仮設住宅

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室浜の「I」さん、一緒に送ってくださった‘シソ巻き’おいしくいただきました。手作りキャンドル100個をパラグアイへ送りたいというお申し出、うれしく思います。また、この度は神戸市民が毎年おこなう“1.17追悼集会”でのロウソクとつながったことを嬉しく思います。「神戸市民交流会」主催の山川様より、今後も被災地の支援に関する情報をいただけたらとのお声が届いています。ラメ入りキャンドルが新しく加えられたのですね。頑張ってください。ノートは一番乗りでした。ありがとうございました。

ノートを読ませていただき、いかに皆様がお豆腐を喜んでくださったかが伝わりました。ノートはすでにサラダコスモさんに送付いたしました。ありがとうございました。あのシソ巻きを私も作ってみようと思います。正しくは何というのでしょうか。クルミが入った味噌を大葉でくるくる巻いて、4つを楊枝で刺して揚げたあの美味しい食べ物は。

◎ 陸前高田市 広田 長洞仮設住宅

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お世話係の「S」さん、お勤めもあるのに皆さんにお声かけをして、嬉しいお言葉をたくさんいただきました。画像もいろいろあって、こんな方々があのお豆腐を召し上がっているのだなぁと分かります。元気な子どもたち、威勢のいいお兄さん、赤い帽子にちゃんちゃんこの爺ちゃんとお孫さんなどなど、心が温められました。絵や切り紙細工なども貼られ、‘とうふマン’も登場してほほえましく見せていただきました。さっそくお送りしておきます。ありがとうございました。

また、この度は上記の室浜バーバキッチンさんの為にロウソクの寄付を岩手内で探していただきありがとうございました。もうじきロウソクを東松島まで持参してくださるとか。感激しました。遠くから限られたことしかできない私ですが、お豆腐が縁で知り合った被災地の皆さん同士がつながっていくことに感動を覚えました。これからも東北との‘縁’、東北での‘縁’が広がり強まっていけば嬉しいと思っています。

◎ 亘理郡 亘理町 宮前仮設住宅

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助産師さんをなさっている宮前の「S」さん、昨日お受け取りしました。お忙しい中をありがとうございました。箱を開けるとたくさんの「いちご」が出てきました。これが亘理町の有名な苺ですね。といっていいほど新鮮なアクリルたわしが31個。私にということですが、私はひとつだけいただきます。あとはサラダコスモさんからパラグアイへ送付していただきます。皆さんが頑張って製作し、販売しておられるアクリルたわしです。使うのがもったいなく私は大事にしまっておきます。こうして袋に入れ、ひとつひとつに誰かの感謝の言葉とともに、他の誰かの元へ渡っていくのですね。大きめ、小さめ、赤にピンク、オレンジなど、ガクの色も様々で、多くの皆さんが製作に参加しておられるのだと分かります。パラグアイの皆さんはきっとお喜びだと思います。

分厚いバインダーにはたくさんの言葉と写真、それから私が大好きな子どもたちが書いた作文の切り抜き、地域の活動やニュースなど、豊富な内容に圧倒されました。日に焼けた皆さんのお顔、住民の皆さんや職員さん。多くの人がこちらの仮設住宅の活発さを物語っています。いつかあなたが仰いました。私たちが明るいのは、子どもが一人も犠牲にならなかったからです。それを聞いた時、どんなに嬉しかったかしれません。そうです。子どもたちは宝です。子どもたちこそ宝です。その子どもたちの誕生に携わるお仕事に従事するあなたを私は尊敬しています。これからも宮前の皆さんのために頑張ってください。お預かりしましたお言葉の数々、たくさんの色とりどりの『苺』。サラダコスモ度会さんにしかとお届けいたします。ありがとうございました。

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