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2012年12月31日 (月)

サヨナラ 2012年

2012年もまもなく終わります。
今日は昼過ぎに小雪が舞いました。大阪ではかなり寒い所にある右近庵。今日が初雪でした。北の地に住む皆さん、日本海側に住む皆さんには、なんだそんなものというちっぽけな雪でしょう。しかし此処では大晦日に雪が舞うことはまれで、しばし料理の手を止めて風に舞い踊る雪を眺めていました。

私はひとり静かに大晦日の夜を迎えました。正確に言えば猫たちとともに。今日は猫たちにも大盤振る舞い。缶詰のフードやらイワシやら、おいしいものをたっぷり与えました。かれらは私の日常生活において大切なパートナーですからね。むろん今日が何の日やら分かってなどいないでしょう。今夜はご馳走だな、にゃんにゃん。それくらいのことでしょう。それで充分。おいしいモノをもらうと、にゃんにゃん言いながら食べるトラ美の喜びが伝わってきましたよ。

クリスマスをひとりで過ごす人を「クリぼっち」と言うと先日書きました。では大晦日をひとりで過ごす人を何と言うのかな。「晦日」とは月の最後の日のことで、中でも12月のつごもり(月の終わりの日)を大晦日と言います。大つごもりとも言いますね。樋口一葉の作品にもある一年の終わりのことです。さぁ、何と呼びましょうか。そこの「おひとりさん」、いい呼び方を考えてください。おおみそぼっち、みそぼっち、大つごぼっち、つごぼっち・・・。う~ん、どれがいいかなぁ。言いやすさからは‘みそぼっち’か‘つごぼっち’ではないでしょうか。

つまらぬことを喋ってしまいました。と言いますのは、通常は世間の人が家族と集う時に、以前、よくメールをいただき、大晦日、元日、お盆、、クリスマスなど、こんな時期になぜと驚いたことがあったからです。たいてい内容は今でなくてもというたわいないものでした。それらのメールに何かを感じ、すぐに返信をしました。つい考えてしまいましたね。この人はひとりなんだ、寂しいんだ・・と。今は制限させていただいていることもあり、メールそのものをどなたからも頂きませんが、その頃のことをふと思います。それらの人たちのことを思い出す時、孤独を感じる人が居たら大丈夫ですと間接的に伝えるよう心がけてきました。それは孤独を愛する私の任務のひとつだと考えています。全国のみそぼっちさん、つごぼっちさん、大丈夫。ひとりが基本、人間は皆ひとり。ひとらは楽し、心地よし。(^_-)-☆

打ちながらほとんど観ていない紅白歌合戦。観ていないなら他を観るか切ればいいのになぜかつけてる。そういう人は多いのではないでしょうか。BSプレミアムの映画を録画にしてまでNHK総合をつけることの意味。集団が多い歌手たちは誰が誰やらわからないのに、なぜつけるのかと自問してみました。分かりました。私は伝統的なおせち料理を今でも作るように、大晦日といえば昔からテレビは紅白歌合戦だったからでしょう。昔は南極からや富士山の観測所からの中継が必ずありましたね。時間も午後九時からでした。様変わりはしましたが、私は古き自分の生活に忠実であろうとしているのではないでしょうか。そう思いましたね。楽しみにしているのは石川さゆりサンくらいなものですが。天城越え。楽しみですね。

ところで皆さん、おせち料理はうまくいきましたか?お疲れ様でした。私もバッチリ出来ましたよ。楽しかったですね。おせちを作りながら出る野菜の普通は捨てられるような所をつかっての一品料理なども作り、焼酎のアテにして楽しみました。雨のため外周りの清掃が出来なくなった分、料理に体力と時間をまわすことが出来た感じです。しかし昨日、私はピンチだったのです。腰痛が起きてしまって。目覚めた時にうわっと思い、夕方までは湿布を貼り、温めて寝ていました。このところ灯油とか食材の買い物で重いものばかり持っていましたからね。それがついに来たのでしょう。幸い改善され、そろりそろり動くことが出来ました。ダメですねぇ。来年の目標のトップには‘体力向上’を持ってきましょう。それが第一です。しかし今年の最後の方に脱ステロイドに成功するという、私にとっては画期的な出来ごとがありました。でも油断大敵。寒くなると要注意です。頑張りますぞ。おっと、だらだらと無駄話をしてしまいました。

ここでお伝えしたことがあります。それは『愛別離苦』の皆さんにです。この場を借りてお伝えします。

『愛別離苦』の皆さまへ

ご無沙汰しています。その後、お元気でお過ごしでしょうか。
今年も間もなく終わりますが、皆様の2012年は、どんな一年だったでしょうか。
悲しみの中におられたあの頃よりも、お幸せであったことを願います。

あれからも私は皆さんのことをいつも想っていました。毎日、仏壇のお水をお取り替えする時に、ふと皆さんのことを想うのです。皆様の悲しみは癒えたでしょうか。あの時よりも楽になられ、お幸せに暮らしておられるでしょうか。そのことを私は毎日のように考えています。皆様と知り合えたあの頃、私も悲しみの中に居ました。思い返せば、いくらか先に死別を経験しただけで、あるいはサイトを開いているだけで、私は自分の中の悲しみに区切りをつけることが完全には出来ていなかったように思います。たしかに前へ進もうという意識は持っていました。しかし喪失の悲しみや、もろもろの感情から完全に解き放たれていた訳ではなかったのでしょう。そのように頼りない私でしたが、皆様と悲しみを共有し、お慰めしたいという気持ちは強くありました。ところが悲しみの皆様すべてのお気持ちをまとめることが出来ず、そのまま連絡を取り合わない状態になってしまいました。申し訳ありませんでした。

また、皆様と連絡を取り合わなかった年月の間に私は体調をひどく悪化させてしまったり、人間関係に疲弊するなどして再び自分の殻に閉じこもった時間を過ごすこととなりました。この『右近トーク』も8ヶ月ほど更新が出来ませんでした。体力の衰えに、日々の暮らしを維持するのがやっとの苦しい試練の時がしばらくの間続きました。このまま人知れず、すべてのHPやブログをこっそり閉じ、人様との関わりを最小限度のものとし、静かに植物と猫たちとだけ暮らしていこうと考えました。その間にも皆様のことを忘れたことはありません。お仏壇のお水をお取り替えする生活があるかぎり、皆様のことは忘れようがないのだと私は分かりました。それにもかかわらずメール連絡すら控え、沈黙を続けてしまったことを大変に申し訳なく思っています。ようやく身体は回復してきたとはいえ、人様と関わることに躊躇し勇気が無かったのです。皆様とのことではない他のことでの嫌な出来事に、どんな小さなことでもじきに響くほどに私の身体は意思とは別に大きく反応して体調が崩れるようになってしまっているからです。

昨年の東日本大震災の一ヶ月後、自分に出来ることは何かと考え抜いた末にこのブログに復帰しました。そして私なりのささやかな活動を続けてきました。それにより、あの忌まわしい災害が起きなければ知りえなかった人々とつながることを新たに経験しました。発生後から一年間、無我夢中で手探りの孤独な活動をしましたが、同時に無力感も味わいました。いまだ苦しい状況にある被災地の皆さんを思うにつけ、出向くこともできない私は何も出来ないもどかしさも感じ続けました。現在も細々と活動を続けていますが、今後の方向性を模索している状態です。被災地の皆さんを想う時、とりわけ大事な人を失くした人たちに心を痛めました。それらの皆さんの悲しみは、お察しするに余りあるものでした。今なおその悲しみとともに毎日を暮らす人たちが東北におられることを考えると苦しくなります。今後はそんな方々のために何が出来るかを考えたいと思っています。

災害による理不尽な死も病死も避けて通れなかった別れです。『愛別離苦』にお越しの皆さんも突然の死であった方々がほとんどでした。私もそうでした。私の場合、あれから8年余りが過ぎ、今やっと立ち直ったと胸を張って言うことが出来ます。皆様が今でも此処へお越しかどうか分かりませんが、あの時のことのお詫びを申し上げたいとずっと思っていました。私は来年の年賀状にこんな言葉をプリントしました。
「孫が三人になりました。ワイルド飼いの猫五匹と、のんびり暮らす毎日です。そこはかとなく幸せです。」
皆様も、あの頃よりお幸せであることを切に願っています。どうぞ新しい年をお健やかにお幸せにお暮らしください。
そして、よろしかったらご近況などお暇なおりにお聞かせください。私は元気になりました。   

                                            『愛別離苦』 Ryo

さぁ、歌合戦も終わりに近づきました。蛍の光です。
今年一年、『右近トーク』にお越しくださいました皆さん、ありがとうございました。
来年が皆様や世界中の人々に幸せをもたらす年となりますよう祈念してご挨拶といたします。どうぞよき年をお迎えください。

                                                           2012 12 .31    右近

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