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2013年2月15日 (金)

「暴力指導」に思うこと

このたび日本代表選手を含む15人の柔道女子選手が訴えた監督の暴力指導に世間は驚き、世界中に波紋を及ぼすことになった。私たちには分からなかった柔道界の古い体質が露呈した。
スポーツにおける体罰問題は今に始まったことではないが、桜宮高校における体罰の、あまりのひどさに私たちは唖然とした。あれは体罰ですらなく、顧問による‘いじめ’である。数十発も殴られると人間だれしも精神が破たんする。死を選ぶほどに悩んだ生徒がせつなくてならない。生徒の訴えに両親も動き、本人も手紙で伝えたにもかかわらず命を絶たせてしまったことは痛恨の極みである。プロでもなく、まだ学生の彼をそこまで追い詰めた高校の顧問教師とは何だったのか。自身で「慢心」だったと書いたというが、そんな言葉で簡単に片付けられては困るのだ。若者ひとりを死なせてしまったことを、当事者や関係者は生涯背負って生きるべきだ。あまりの怒りに私は今日までこのことを語ることができなかった。絶対に許せない。

この事件と同じ線上に柔道の一件がある。スポーツ界において一部では暴力指導も当たり前という風潮が今でも根強く残っていたことに驚かされたが、元巨人軍ピッチャーの桑田氏は桜宮高校で訴えた。暴力によって自身が向上したことは一度も無いと。サッカーのザッケローニ監督も佐々木監督も暴力を否定した。一流の指導者たちは選手たちに感情を荒げてぶつけることはなく、暴力とは無縁なのだ。

女子柔道選手たちのこの‘直訴’は、ひとりの監督の暴力だけでなく、協会の体質を暴き出した。私は相撲界を思い出した。親方の指導のもと、拷問にも似た稽古で若い力士が命を落とした事件があった。その後、八百長相撲、無気力相撲、賭博など不祥事が続く相撲界は存続の危機さえあった。その時に指摘されたのが角界の古い体質だった。日本の国技を守る人たちは、その関係者ばかりでほとんどが元力士であるため、自分たちが見てきたもの、通って来た道しか分からないのだった。そこで各方面から識者を迎え、相撲界は刷新を図った。その後、無実の力士を含む大勢の力士が解雇となり、再生を目指したが、この時も私は不満だった。どの力士がどんなことをして解雇されたかについて公的な発表がなかったのだ。貴乃花親方を中心に内部の改革を求める声も大きくなったが、いかんせん重鎮たちを大きく変えることは出来なかった。しかしながら改善された点は随所に認められ、力士たちの相撲に力強さが感じられる。

はからずも日本の柔道界の実態が世界中に暴露された今、関係者はどのように今後は改善していくのだろうか。スポーツ指導に限らず指導に厳格さは必要だが、国技だから、お家芸だから、名門校だからと関係者が気負いすぎるのは如何なものか。その競技に精進する者を大切に末永く育てていくことこそが第一であろう。指導者には選手たち以上の圧力がかかっていると聞くが、だから暴力でということは筋が通らない。暴力は暴力以外の何もンもでもなく、ただの野蛮な行為であり、自身の感情を発散する手段にすぎない。そんなものを一心に受け留めなければならない選手たちは、たまったものではない。監督たちの後ろにある組織にも問題がある。大津のいじめ事件も最初は教育委員会がひた隠しに隠そうとした。第三者委員会によって、いじめが原因での自殺だと結論を出すまでに1年3ケ月を要した。これら一連の事件には‘暴力’と組織の‘古い体質’が存在する。悪しき組織や隠ぺいなどは、あちこちに存在している。

さらに私は指導者と呼ばれる人たちの資質を問いたい。過去に競技上の実績がある人すべてが果たして適任かどうか。暴力を使って脅すような指導であれ監督としての実績を上げてきた人が指導者として受け入れられていたことについても訝しく思う。指導者は常に冷静で、客観的にものごとを判断できる人でなければならない。思うようにかれらができないからと、自分の感情をぶつけて暴力に訴える人は最初から適さない。愛情をもって根気よく育てることができる人こそが適任者である。先週が選手が分かるまで、とことん言葉で説明し続けるのが指導である。監督としてのメンツや責任感から暴力をふるう指導者は、これを機に即刻あらゆるスポーツ指導の場から追い出さなければならない。自分たちの過去は過去だ。旧態依然の指導をしている指導者は真摯に自省をし、今後の指導にあたって欲しいものだ。

私は指導者や指導体制について次のことを提言したい。指導するには指導法を学ぶ仕組が必要ではないか。よき指導者に指導法や、もろもろを学んで知識をふやし、経験を積みながら愛情を持って競技者たちに接すること。そんな人こそがよき指導者となるのだと考える。(もちろんそのような指導者も多いと信じている) そういった意味において、指導者を志す者には適正検査や認定試験、講習など受けることを義務付け、トータルに適任と判断された者だけが指導者となれる厳しい基準を設けることが必要だと考える。

厳しさの中にも常に愛情と理性を持つこと、そして自身の言葉の力を鍛え伸ばすこと。私はこれらのことを指導者たちに強く望みたい。実技のノウハウだけでなく、指導者には思考力と冷静さが大切であり、感情をあらわにすることはあってはならない。暴力など論外である。罵倒の言葉は人間関係にも人を育てるのにも無益である。言葉を持たないから殴るのだ。指導者たる者は人を伸ばす言葉をみずからの内に豊かに蓄えてほしい。選手たちは兵隊ではない。スポーツを志して集う場は、暴力が横行した戦時中の軍隊ではない。暴力とスポーツの悪しき関係は、今すぐに断ち切るべきである。

災害時の落ち着いた行動と慎み深さ、助け合いの精神は、世界から驚くべきことだと讃えられた。阪神淡路大震災でも、この度の震災でもそうだった。忍耐強さ、礼儀正しさ、几帳面さ、親切さ。それらは私たちが誇る美徳であり、訪れる他国の人々が持つ印象だという。その陰で未だ存在していた野蛮なやり方は恥ずべきものとして、直ちに暴力指導の一掃を求めたい。あらためて15人の選手たちの勇気を讃えたい。嫌なことを嫌だと声を上げた彼女たちに敬意。頑張れ、ニッポン!    右近

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