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2015年4月

2015年4月24日 (金)

和訳できない“Let it be”

皆さんこんばんは。
東京ドームでの初日は大いに盛り上がったようですね。行かれた皆さん、楽しまれたでしょう。よかったですね。私はPaulが国内に居る時、「どこでもドア」が欲しいなといつも思います。

さて、今夜は“Let it be”の和訳について少々。この名曲は後世まで世界中で愛され続けるPaulの代表作です。2013年同様に彼は歌ってくれました。バックスクリーンには東北の画像が映し出され、その上をゆるやかに、ひとつの灯りが舞っていました。それはおそらく悲しみの灯り、悼む灯り、癒す灯り、そして希望の灯りなのでしょう。Paulの応援うれしいですね。

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ところでこの“Let it be”、なかなかピッタリの日本語にめぐり会ったことがありません。おおかたは「あるがままに」「なすがままに」や、アナ雪でおなじみの「ありのままに」などに訳されています。私はどれも少し違うと思っています。だいたい、あるがままにとか、なすがままにとはどういうことなのか私には掴めない言葉です。言いかえれば自然体でということなのかな。それなら尚更この訳に適さないと思いますよ。日本語ではタイトルは「レット・イット・ビィ」と呼ばれるのはいいとして、歌詞の中では「あるがままに」なんて訳されているものね。違うなぁ。何か違うよなぁ。

じゃ、右近は何て訳すの?ということになりますね。そ、それがですねぇ、この英語は日本語にならないというのが私の意見なのです。とかく和訳しようとする際に、私たちはその言葉の長さに準じて日本語に訳す傾向にありますね。ですから短いこの英語に対して短い日本語の訳を無理に当てはめているように思います。元来、英語と日本語の言語体系は全く異なるので、同じくらいの長さで訳そうということに無理があるのだと私は考えます。

何でもいいけど、だからどう訳すの?ですね。はい、分かりました。残念ながら私は短い言葉での訳は不可能だと常々考えていたので「訳せません」としか言えないかなぁ…。でも解説ならできます。Let はこの場合、使役の「~させる」の意味です。beはご存じb動詞で、「その状態のまま」という意味合いです。つまり、この場合は、たしかに「苦難、困難、試練に該当するもの」を「その状態のまま」に置いておこうといった意味を持つのは事実です。

しかしそれをそのまま訳したのでは、さっぱり意味が分からなくなります。「苦難に出逢ったとき」にマリア様がそばに来て「あるがままに」と囁いた、では私にはチンプンカンプンです。だからどう訳すのよぉ?ですね。はい、私の結論はこれです。この3語の英語は、この曲において決して「あるがままに」ではないと思います。つまりこの名曲のタイトル及び歌詞の中に在る言葉は、日本語での歌詞みたくは訳せないというのが私の意見です。困難に出逢った時、聖母マリア様がやって来て、智慧の言葉を耳元で囁くという後には、どんな日本語も持ってくることが出来ないと思うからです。強いて持って来るならば、とても長いものになると思います。たとえば以下です。

「今は苦しみのとき この困難に立ち向かい じっと堪えましょう 今はひたすら堪えましょう そうすればきっとまた会える日が来るから いつか越えられる日が来るから」

これくらいの長く重い意味があると私は思います。「あるがままに」や「なすがままに」と簡単な言葉で伝えきれないものがあります。いつだったか私と同じようなことを語っておられる英語塾の先生をネット上で見つけた時、やっぱそうですよねと嬉しかったことがありました。その先生も日本語に出来ないと言っておられましたから。というわけで、英語のままがいちばんいいというのが右近的結論です。それにしてもこれは名曲です。それでは不滅の名曲をお楽しみください。

“Let it be”  Paul McCartney (You Tube  by worldmusichannnelさん Thanks!)

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2015年4月23日 (木)

“Oh, Paul…” with tears

こんばんは。今日はずいぶんよくなりました。 汗ばむことがある季節、私は寒い時期よりも風邪をひきやすいです。それで庭仕事を頑張ったあと、よく体調を崩します。私の風邪症状は主に頭痛で、「三日頭痛」と自分で呼んでいるものです。その中日の一番ひどい日に大阪公演が重なりました。でもドームに居る時は少しもつらさを感じなかったですね。いかにポールの力が大きいかを物語っています。いつもなら動くことも出来ずに布団の中でじっと耐えているのにね。 さて何から話そうかな。聴きながら涙目になった理由からですね。わかりました。 思うまま書いてみましょう。

The Beatlesを聴くようになったのはまだ小学生の時でした。Beatlesとしての彼らの活動は1960年~1970年の10年間です。1962年に初めてシングルカットされた曲“Love me do”が出ました。その頃から彼らの歌を聴いていました。小学生がBeatles?と皆さんは思うかもしれません。でも本当です。それはきょうだいの影響があったからです。私には姉と2人の兄が居ます。その3人が洋楽が大好きで、常にラジオや大きなステレオで音楽を聴いていました。そのため私は洋楽を早くから聴く環境にありました。Beatlesや種々のsingerが大音量でかかる中、小学校の宿題をしたり、課題が出ていた東京オリンピックの日々の記録など綴っていました。私は相当な「おませさん」でした。

中学生になって更に彼らに熱中しました。学校で英語を習いはじめ、歌詞の意味を調べて理解ししようとしました。歌詞もすべて理解が出来ている訳ではなかったと思います。けれどあのメロディ、あのbeat。何と言えばいいのでしょう。身体にジンジンと沁みわたるものは幼い私にすら充分に感じとれるものだったのです。彗星のごとく現れ、彼らは一躍世界の大スターになりました。出す曲は皆「キャッシュボックス」や「ビルボード」で上位に駆けのぼり、彼らは押しも押されもしない、それまでにないBigなArtistとなりました。曲は恋の歌から大きく範囲を広げ、人生や生活を、夢を希望を、そしてこの世の哀しみにまで彼らの眼は向かいました。駆けのぼったスターの地位に居る自由の無い自分たちに疑問を感じ、華やかさだけでなく苦悩の日々も過ごしてきました。 歌詞が複雑になるにつれ、中高生の私に難解なものとなりました。それでも辞書を片手に訳し、ときどき英語の先生に尋ねることもありました。すべてを理解出来ていたわけではなかったけれど、彼らに感じた反骨精神、優しさ、強さ、明るさ、暗さ。それぞれの感性で書かれた詩に聴いたことも無かったメロディ…。何もかもに魅せられてしまったのです。

振り返れば私の思春期はBeatlesと太宰の二色しかなかったように思います。中学生には中学生なりの苦悩があり、高校生にもそれなりの苦悩がありました。私は昔から群れるのが嫌いでみずから友を求めもせず、いつも独りで居ました。若い日の悩みや苦しみを人に語ることも無く、打ちひしがれた時はいつもBeatlesに慰められ、励まされてきました。今は「学校嫌い」でもいくぶん許される時代です。当時は嫌でも毎日学校へ行かなければならなかった苦しみを、彼らがいつも温かく包んでくれました。嫌な学校から急いで帰ってくると大音量で彼らの歌を聴きました。するとスーッと嫌な気持ちが消えていき、不思議にも「頑張ろっと」になるのです。魔法のような彼らの力とは、あれはいったい何だったのでしょう。いまだその正体が私には分からないままなのです。

あれから約半世紀が過ぎました。その間、彼らはずっと私のそばに寄り添ってくれました。打ちひしがれた時、マリア様がそばに来て囁く。“Let it be”と。今はこの苦しみにじっと耐えようと。 JohnもGeorgeも逝き、私にはまもなく四人目の孫が生まれます。Paulはその間、歌い続けていました。Beatles時代、Wings時代、そして今のbandでひたすら歌い続けてくれました。そのことを思うと私の涙腺はゆるんでしまうのです。とりわけ亡きJohnとGeorgeの持ち歌だった曲をPaulが一生懸命に熱唱する時、私の目の中に溜まった涙が溢れそうになるのです。ありがとうPaul。あなたが元気で歌ってくれるから、私たちは今でもBeatlesに支えられて生きています。ありがとう、Paul。本当にありがとう。東京公演はなかなかハードなスケジュールですね。でもあなたはきっと頑張るのでしょう。頑張ってくれるのでしょう。日本公演の成功を祈っています。お身体をいたわって、無事に最終日の武道館まで頑張ってください。私たちはあなたとThe Beatlesをこれからもずっと追い続けていきます。

涙目の理由の最後はPaulへの熱烈なラブコールになりました。
Paulが元気に歌ってくれるから私たちは今でも青春の日々をそばに置いて生きていられます。半世紀に渡る私のBeatles愛。これが公演でやたら涙腺をゆるませて仕方ありませんでした。こんな気持ちを皆さんに理解していただけるかなぁ。 
それでは今夜はこの辺で。 (^_^)/        右近

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Georgeの名曲“Something”を必ずPaulは歌う。最初はウクレレだけで。それからbackに在りし日のGeorgeが映し出され、演奏が始まる。懐かしいGeorgeの声とPaulの声が重なっていく……。ダメだよ、泣かせないで……。     2015.4.21   by 右近

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2015年4月22日 (水)

Paul McCartney“OUT THERE JAPAN TOUR02015” first day set listなど

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                2015・4・21  京セラドームでの初日公演    by Ukon

昨夜はポール・マッカートニーに会いに行ってきました。
今回はアリーナが取れたのでラッキーでした。
はい、楽しみましたよ、めいっぱい.。幸せでした。

早くも今回のJAPAN  TOURの全曲目をアプロードして下さっています。ご参考まで。

“2015 OUT THERE JAPAN TOUR”セットリスト 

☆『たまごのライブ情報』様、ご提供ありがとうございます。お借りいたします。

もちろん写真も撮ってきました。動画やプロ仕様のカメラでの撮影は禁止です。
しかし素人の一眼レベルやコンデジでのカメラ撮影は許可されていますよ。
上記のポール、御歳72。とても見えませんね。ますますカッコいいポールです。

きのうは朝から落ち着かず、早々に家事を済ませ、留守をしてもらう猫のはるかちゃんと、庭猫のエサなども準備しました。午後になって入浴し、用意した服を身につけ、化粧など軽くして持ちモノを再点検。もう他にすることが無くなってしまったのが午後1時。開場の4時半まで3時間半。家から京セラドームまでの所要時間はdoor to doorで約1時間ほど。もう何もすることが無くなった私は何か用事をみつけてしようとするも落ち着かず、無意味に家の中をうろうろ、ぐるぐると歩きまわるばかり。こんなことをしているのなら早く出よっと。そう思って家を出たのが午後2時半。道路は混んでなく、駐車する駅までスムーズに到着。電車にも予定より1台先のに乗れました。

しばらく急行に揺られ、乗り換えてドームに到着。開場まで約1時間。それなのにもうゲート前で並ぶ人たちの列。ベンチに腰をおろして待ち合わせの姉を待ちがてら人間watchigなどしていました。圧倒的にシニア層が多い。そんな印象です。もちろんわたくしもそのひとり、なのかな。(そうですね。間違いなくそのひとり) 中でも団塊の世代の初めの方に属する方々がいちばん多くおられたように見えました。皆さん浮かれた様子もなく、おひとりで、御夫婦で、寡黙にポールとの再会を待っているという感じでした。そうこうしている内に姉が到着。私の姉は華やかで、どこに居ても見つけやすく、遠くからでもすぐにわかり、手を振って私の居場所を示しました。その時点で開場の4時半は過ぎていたけれど開場されないのでした。ゲート前に立って並ぶ人々はまさに忍耐です。結局開場は午後5時を少し過ぎた時でした。前回は席を探すのに私が先に進んだのに、今回は姉は様子が違っており、どんどん前へ進んでアリーナで私たちの席を探すではありませんか。姉は私より5歳上。まさに団塊の世代です。(でもよく40代に見られるとのこと) 私と同じでふだんは誰とも群れない人ですが、彼女が退職して以後、時々一緒に遊んでいます。

どうでもいいことをお喋りしてしまいました。
実はまだ疲れがとれていないのです。疲れというか風邪というか、おそらく雨続きでやっと晴れたので庭仕事など頑張りすぎたせいで体調を崩していました。その為ひどい頭痛が起きてしまって。よりによってこの日にと思ったけれど、もちろん這ってでも行く覚悟、ロキソニンで痛みを抑えて出かけたのでした。帰りの電車では本当にしんどくて倒れなければいいな、なんて思って吊革を握って立っていました。やっと今日の夕方から痛みが和らいできました。明日はもっとよくなっていると思います。そういう訳でポールのことはまたゆっくり語ります。彼のことやライブのことは体調がいい時に喋りたいものだから。昼間に「ハジけてきました」と書いたけれど、ほとんどの曲で私は涙目状態。なんでって? それはもう少し元気になったらお話しします。お楽しみに。早く治らないかな、頭痛&風邪。もう少し待ってね。今日はこれだけ。どうですか。ポール、カッコいいでしょ。 アリーナならではの写真が撮れました。もちろん望遠レンズ使用です。   右近

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