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2015年6月

2015年6月24日 (水)

もう猫を駅長さんになどしないでね (猫の代弁)

「たま駅長」が16歳で逝った。可哀そうに。駅長なんかにさせられなかったら、のどかな地で猫らしくのびのび自由に暮らしてもっと長生きしただろう。私は「たま」とよく似た三毛猫を24歳5ヶ月で見送ったが、「たま」ももう少し長生きし、人生ならぬ猫生を楽しめたはずなのに残念である。彼女の筋肉の無い体は年齢より衰えて見える。運動も不足していたと思われる。うちの「はるか」(JJのママ)は18歳だが、全身プリプリで筋肉だらけである。今や16歳という年齢は長生きとは言えない。死因は心臓発作とか。人間も動物も常にストレスを感じると心臓が障害される。駅長生活は少なからず彼女の体に負担があったと思われる。可哀そうに。

私は無類の動物好きだ。特に猫が好きで、猫歴は半世紀、いや、もっと長い。私の猫との関わりは、できるだけ「猫は猫らしく」をモットーとする。よって、あのように駅長だか何だか知らないが、猫の自由を奪ってストレスをかけていることを快く思っていなかった。「たま駅長」のお蔭で地元の収益は大いにあったとか。すっかり有名になって見物客も多かったらしい。彼女は不本意にも駅長就任を余儀なくされたのに。「たま」自身は望むはずもないことなのに。すべては人間の勝手な都合である。そのために、本来は孤独をこよなく愛する猫という動物は、24時間大きなストレスと闘わざるをえなかった。客たちの前へ出ない時は狭いケースの中に居る窮屈な暮らしなど、そんな境遇は嬉しいわけが無かった。それが証拠に、ニュースで映る彼女の表情はいつも暗かった。猫に与えられたいきいきと外を歩くことも許されず、おかしな帽子をかぶらされ、大勢の人間の前に出され、ワケも分からないのに電車を見送らされ…。こんなことをするのは、おそらく世界で日本だけでは?可哀そうに。

彼女は最初、人間に寄り添いながら自由きままに生きていたのに、とんでもない“ヒロイン”に無理やりさせられてしまった。そういう意味では幸せな生涯ではなかった。動物の意思に反して人間が勝手な扱いをして収益を得るなど如何なものか。敢えて言うなら虐待とも言えなくもない。たまちゃん、災難だったね。もう一度猫に生まれて、今度は完全に自由に生きられたらいいね。人間を利用してエサと寝床を確保して、自由気ままに生きることだね。そう、たとえ太く短く生きたって、その方がずっと幸せさ。勲章も表彰も要らないよね。だって君は猫なんだもん。人間じゃなく。あ、そうだ。もしもそちらでうちのダッコ様やJJに会ったなら、仲良く日向ぼっこでもしてください。飼い主はstill aliveだと伝えてください。安らかに眠ってください。これでやっと君は晴れて自由だね。さぁ、野山を思いきり走り回れ。

久々に吠えましたね。反論は受けて立ちます、と言いたいところですが、もはや私は世捨て人。人様と議論するほど若くはありませぬ。それにパワーも無い。と言いますかすべてがあきらめが勝ってしまって。さらに多忙。さらに体調が今ひとつ。(ついに国の特定疾患認定患者に昇格!) そんな訳でここは言論の自由、吠えっぱなしでご勘弁。ワォワォワォ~!!(←これ愛しのJJの吠え方です)

主がちっとも来ないのに、相変らず訪問してくださっている皆さん、ありがとう。久しぶりに来ました。うわぁ~、埃だらけ。ゴホゴホ。窓を開けて掃除しないと。うん。水無月だしね。なでしこ頑張れ。\(^o^)/ じゃ、もう横になるね。それではまた。 右近

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