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2015年10月

2015年10月22日 (木)

近況など

こんばんは。ご無沙汰しています。めっきり秋らしくなってきましたね。お元気でしたか。

その後、あまりの忙しさに出てくることが出来ませんでした。私の雑事は一段落したものの、未だ引越しの準備もままならない状態です。ガレージ工事、防犯カメラの設置など、近隣の迷惑行為に対する防御策を終え、その後、少々の疲れを出しました。のんびり寝ても居られないのでそこそこで起きて動こうとするも私の体はタフでなく、すぐに疲れて横になる始末。その繰り返しで徐々に荷物をまとめているところです。あぁ、いつになったら引越し業者さんを呼べるかな。最初の目標は今月中でした。とても無理だと分かったので、ひとまず来月中に。それも無理なら年内には。というふうに私は徐々に目標をゆるやかなものに変えようとしています。そして今日こんなことも考えました。いっそ引越し準備兼終活にすればいい。つまり時間をかけて荷物をどんどん処分しながら、さてこれで引っ越し屋さんを呼べると言うまでになれば実行。そうすれば一石二鳥。目標や期限を決めると今の私の体力ではむしろ精神的負担から体調を崩してしまう。いつかは引っ越せるだろう。こんな感じで終活の物処分も併せてゆるりと進む方がいいのかもしれない。

さて前回、意味深なことを話してしまい、ご心配をおかけしました。その人は、さきほど日付けが変わったので昨日のこと、1週間の入院を終えて退院しました。すでにガン治療としては改善されることは何も無くなり、今後ますます厳しくなる症状に対して施される緩和治療だけとなりました。前回の記事は胃ろうという処置を受けるために入院したときでした。わずか2週間程の間に何も飲み込めず、水分すら喉を通らなくなったためです。その後、家で寝ていた間に、これも僅かの間に右半身の麻痺が出てしまいました。左脳にガンが浸潤した為、機能マヒの症状が出たのです。麻薬の使用で強い痛みを抑えるためか、まどろむことが多く、ほとんど言葉も話さなくなっているようです。すでに両眼は摘出され視力は失っていますが、聴力が頼りで私が作成する音楽CDを聴くことを何よりの楽しみとしてきました。6年間に渡る壮絶な闘いも終局が見えてきました。それでも一日でも生きていたいと望む姿勢に如何ともしがたい思いに苛まれます。12月の誕生日が迎えられるだろうか。お正月を迎えられるだろうか。そういうところまで来ています。

今日は皆さんにお話しができました。なぜ話したのかな。
皆さんの想像を絶する種類の癌との闘いがあることを伝えたいのかもしれない。芸能人の癌ばかりがすぐに騒がれるようだけれど、市井に生きる平凡ながら懸命に人生を歩んできた人々の壮絶な闘いだって至る所で静かに繰り広げられている事実を知って欲しいと思ったからかな。もう充分に闘ってきました。それでも口惜しい気持ちが痛いほど分かるつらさがあります。今後は緩和ケアのための在宅診療と病院、そして最期をどんな形で迎えるかなど、本人の意思を尊重して決めていくことになります。でも不思議です。こんなことを淡々と話せる私になっていること。家族もそう見えます。6年間の闘いが余りに厳しいものであり、それに堪えてきた病人が、今は麻薬の力を借りて激しい痛みを抑える緩和ケアの段階になり、いくらかの安堵もあります。もう充分に闘いました。私たちは充分に心を傷め、悲しんできました。それでも闘いはまだ続きます。静かにその人の命は燃えています。私にできることはひたすら音楽を届けること。それだけ。

それにつけてもテキパキと荷物の準備ができない自分が歯がゆく、もどかしいです。大型荷物の搬入があとになっても、いつでも生活できる状態なので、神戸の居場所に泊って何日か過ごすことも考えているところです。そして会いに行こう。そう。はるかちゃんも連れて。私の相棒、はるかちゃん。海を見たらきっと驚くだろな。船を見たらどんなにか目を丸くするだろう。

皆さんは分かってる?健康がどんなに素晴らしいことかって。
人生は長いようで、そうでもない。しかもいつ何が起きるか分からない。
だから毎日をきちんと暮らさないとね。きちんと生きないとね。そう思う。

聴いてくださってありがとう。
たくさんの人が来て下さっているんですね。
なかなか出てこられなくてごめんなさい。

毎日を元気に活動してください。
病気の人は大事にしてください。

毎日、何かひとつ、いいことをしてください。
あなたのため、そして人のため。

それでは皆さん、ごきげんよう。(^_^)/

                                  右近

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