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2016年2月

2016年2月26日 (金)

「フキノトウのてん天ぷら」 

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昨夜の夕飯のひと品は「フキノトウの天ぷら」でした。もちろん右近庵のフキノトウです。
火曜日(23日)に所用があって右近庵へ行きました。フキノトウは近所のお世話になっている方に時々収穫して召し上がっていただいていました。ピークは過ぎたようですが、いくつかまだありましたから収穫して発送する衣装ケースの隅に入れて翌日神戸着。きのう食べたという訳です。今年はもう諦めていたんだけれど、確定申告の書類を取りにやら、車検の期日が迫っていたのでその事やらで急きょ帰り、フキノトウも味わえました。美味しかったな。塩と天つゆと両方でたくさぁんいただきました。(^^♪

先月に一度帰った時は複雑な思いで早々に帰神しましたが、今回はそうでもなくよかったです。複雑な思いとはですか。かれこれ20年目になりますからね右近庵も。様々な思いがあるのです。愛着もあるし、悲しい出来事もあって孤独な時間を過ごしてきた場所ですからね。その後、世間とひとりで闘ってきたことなども含めてね。さしあたりマイナス感情としては隣家の嫌がらせが、また春から始まるんじゃないかとか、その向かいのご老人もまたピンポンダッシュを再開するんじゃないかとか…。これら熟年の方々、しっかりしてくださいね。

プラス感情としては猫と植物。小春がひとり庭で日向ぼっこをしていたので、呼ぶと喜んで走ってきてね。この猫は近隣では一世を風靡した勢力を誇るトラトラ一族の最後の一匹なんです。(小春だけトラ柄じゃなくサビ猫だけど) あぁ、猫。猫・猫・猫!!=^_^=いろんな猫に私は助けられてきたなぁなんて。それから何といっても植物たちです。みんな放って庭をあとにしたのに、クリスマスローズは花盛り。冬の間、何もしてあげていないのに、みごとな花をたくさんつけてて。なんかウルウルでした。水仙も伸びてきて間もなく最初の子が来週にも咲くんだろうなって。その前で眠るJJも「おかえり」と言ってくれてるし。私は右近庵でいかに猫と植物に支えられていたかがよくわかりました。小春にはたくさんエサをあげて、「もうすぐ帰ってくるね」とあと少しの別れを伝えてきました。いきなり天空に住まされたはるかちゃんも土が恋しいだろうし、地面を歩かせてあげたいな。そろそろ帰りますか。

神戸での滞在も二か月近くになりました。美味しいものもそこそこ食べたし、こちらでかかりつけにする病院や歯医者さんも決まったし、寒さも一段落しそうなので戻ろうと思います。私も土が恋しくなりました。(ワタシは何の動物かな) しかし都会と自然と両方を楽しめるなんて贅沢な話だなと神様に感謝しています。そんなわけでこの週末は右近庵への帰宅準備をいたします。次回の更新はおそらく右近庵からになると思います。

近畿では土日は気温が上がります。まだ寒さが厳しい地域の皆さん、春が待たれますね。今しばらく頑張ってください。本日、天空の隠れ家では快晴なるも風強し。さざ波の立つ海を勇ましく船が行き交います。時おりの汽笛は風の音とともにここではBGM。
それでは皆さん、ごきげんよう。    右近   (ただいま午後2時40分。珍しく昼間の更新です。)

 

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2016年2月22日 (月)

ボクはアルパカ ‘神戸どうぶつ王国’

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先日、「神戸どうぶつ王国」へ行ってきました。いろいろな動物が居て楽しかったですよ。

これはアルパカ君。トイプードルではありません。
白いメス二匹と同居の彼は、お客さんのくれるエサをほとんどもらえません。飼育員さんの説明によれば、アルパカはメスの方が強いんだそうです。(最近はニンゲンの家庭もそうかな) 何処を触っても怒らない彼の背中は、まさに‘アルパカ’。高級セーターのように温かかったですよ。(そんな高価なセーター持ってないけれど) やさしい目をして可愛いでしょ。

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飼育員さんからの草も、お客さんからのニンジンも、すぐにメスが彼の前へ突進してきて貰えないので、こんなふうにしてフェンスの外の雑草を舌を延ばして一生懸命に食べていましたよ。頑張れアルパカ君!

神戸どうぶつ王国は、以前は「花鳥園」という名でしたが、動物の種類を増やしてリニューアルしました。ハシビロコウ、カピバラ、ナマケモノ、ワオキツネザル、リクガメ、オットセイ、ペンギンなどのほか、様々な鳥や馬にラクダに犬に猫にウサギにと、動物好きにはワクワクさせられるものばかり。賢いワンちゃんたちや鳥のショーもあり、ペンギンのエサやり体験もできます。楽しいですよ。来月からは新しい動物もお目見えします。花もみごとでスタッフの苦労が感じられました。動物好き、植物好きの皆さんには外せない場所です。全国の皆さん、神戸に来られましたらぜひ訪れてみてください。

大阪・京都では外国人観光客も含めて集客数がうなぎ昇りの中、神戸は普段と変わらず、ほどほどの人の数で歩きやすい街です。(神戸人はもともと競争意識というのが少ない人たちのようで、住みやすければそれでいいといった印象です。そういう気質です、昔から) 美味しいパンやケーキ、それに珈琲は、全国のどこの街にも負けないと自負していますよ。さすが‘パンの消費量全国で第一位の街’です。私は毎日美味しいパンを食べて幸せです。ホント、美味しい。(^.^)

トークでは、時々いろいろな神戸を皆さんに紹介できたらと思っています。
それでは皆さん、ごきげんよう。 (^.^)/      右近   

 

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2016年2月14日 (日)

少ないモノで暮らすこと

こんばんは、右近です。と言いますか良です。(こちらの方がしっくり来る)
St. Valentine's Day だというのにこの悪天候。今宵、皆さんは如何お過ごしですか。
私は軽いjazzなどかけて皆さんとお喋りでもと出てまいりました。ただいま時刻は午後九時前です。この天空の隠れ家では、まだ風がびゅうびゅうと吹いています。昨夜から今日にかけて全国的に悪天候ですね。きのうは雨で夜半から風も加わって嵐のようになりました。けさの神戸は太陽が射し、はやばや天気回復かと思いきや、またまた物凄い強風が吹き荒れました。そうです、今も物凄い風の音です。風にはこんなにさまざまな音色があることは、ここに住むまで知りませんでした。ゴーゴー、ビュービュー、ヒューヒューから、ビビビビィ~ン、キィ~~ン、はたまた音楽の様に曲を奏でる時もあります。それらの音に一日じゅう退屈しません。さすがに今日は港に入ってくる船はわずかでした。けれど大きめの客船や観光船は頑張って航行していましたね。

さて今日のタイトルです。私は今、とても少ないモノで暮らしています。バタバタと右近庵から家財を発送し、これでは足りないモノだらけだから、すぐに帰宅して再度の荷物発送をしようと考えていたのですが、これがぜんぜん困らない。少ないモノでじゅうぶんに暮らしていけることが分かりました。

収納はたっぷりで大型家具は搬入しませんでした。着物は持ってきているけれど、和ダンスは右近庵に置いたまま。大事なものだけ桐の衣装箱に入れて持ってきました。家屋の状態や気候の面で着物によくない右近庵から移動させました。洋服はそのままクロゼットへ。引き出しケースやバックル収納ケース類は多くは持ってきていません。スッキリ片付くfitsか何かをどんどん購入し、きれいにしようかと考えていましたがやめました。とりあえず足りない収納グッズは荷物を入れていた空いた段ボールで間に合わせています。急ぐことは無い。ゆっくりでいい。最も必要なモノが判るまで焦ってモノを買わないようにしよう。それに器ばかり先に買うと、知らないうちにまたモノがふえていく。そう思ったので、さしあたり衣類の収納は持ってきた大2個、小5個の収納ケースに収め、こまごましたモノは小さめの段ボールで整理しました。冬物とお気に入りのコート類は殆んど持ってきましたが、クロゼットや押し入れは余裕です。クロゼットも押し入れも、只今20~30%程度しか埋まっていません。

台所のモノをいちばんたくさん持ってきましたが、これもまだ余裕でシンクや調理台などの下にある大きな引き出しは50%程度の使用です。うんと活用するつもりで持ってきた巾45センチの愛用していた食器棚も閑古鳥です。活躍する家電たちには収まる場所が与えられ、よく働いてくれます。これらを載せるメタルラックは持ち込みました。大きなモノの搬入は、このメタルラック、食器棚、天井まで伸ばしたCDラックくらいです。すべてが造り付けの収納スペースに収まり、なおかつまだまだ余裕がある状態です。いま現在、全収納スペースの4割に満たないくらいかと思います。小家族向きの間取りであることから単身で住む私にはじゅうぶんすぎる収納ということも言えます。おそらく今後も余った収納スペースが無くなることはないと思われます。それは「少ないモノで暮らす」快適さを知ったからです。

いま私は少ない食器で毎日の食事を楽しんでいます。ふだん使っていた愛着のあるわずかな食器です。来客用はともかく、まず自分がふだん使うモノだけでいいと準備しました。茶碗、汁椀、大きさの異なる皿などが各ひとつずつ、カップは多めで大小5個ほどです。これは食事よりも‘お茶好き’の私の選択です。右近庵にはさまざまな食器が大きい方の食器棚に収まっています。それらはまた後日に運ぼうと思っていましたが、必要かどうかと今は思います。2人の娘たち一家が来たときのことを考えて持ってこようと思っていましたが、たびたび来るわけでなし、来ても食事をするかどうかも分かりません。またそうなったとしてもスーパーではアウトドア用の食器があるし、日頃使用しないモノで収納スペースを満たすことはどうかと考えました。ですから食器の大量搬入は今後もしないことにしました。

私は右近庵でモノをふやすだけふやしてしまいました。家族のモノも含め、モノの洪水で収拾がつかない状態でした。加えて私はモノ処分がしにくい世代です。頑張ってずいぶんしてきたつもりですが、まだまだ右近庵には処分すべきモノたちがたくさんあります。もちろん今後も有効活用出来るものは人様にお譲りしたり支援に廻します。今回の部分的な引っ越しでも、ずいぶん右近庵からモノが減りました。こころなしかスッキリしてきたのを感じていました。この天空のささやかな城には必要なモノたちを厳選して運び込んだ訳ですが、どうしても足りないといったものは殆どありません。しかし今度持ってこようというのはあります。例えば双眼鏡。これは船をもっと大きく見るために。次に一眼レフと望遠レンズ。これも船の写真を大きく撮るためにです。そういうのは思いつくけれど、生活必需品は特に何が無いから是非というものがあまり無いのです。そうそう、裁縫道具を持って来ないと雑巾が縫えないや。

皆さんはこんなことを感じたことがありませんか?
たとえば入院中の病室や、旅行中のホテルの部屋では一本のボールペン、一冊のメモ用手帳、1個の消しゴムなどがとても貴重です。1個の爪切り、一本の歯ブラシ、一膳の箸、1個の置時計などなど。そしてそのたったひとつのモノが何処にあるかいつも把握し、大切に使ったという経験がありませんか?私にもありますよ。それに似た感覚を、この城でも経験しました。その延長でモノに翻弄されることなく、少ないモノで快適に過ごすことの心地よさを味わっています。以前は何かが無いとすぐにネットを開いて注文していたのが、今はまず、果たしてそれは本当に必要かどうか?と考えるようになりました。小さなモノでも増えてしまうことに抵抗を感じるようになりました。

少ないモノで暮らすと片付くのも早く、掃除もとても楽ですね。右近庵ではモノをのけながら掃除をしていたけれど、モノが殆ど置かれていない城の居間の掃除は楽で、おまけに楽しいです。そう、文字どおり楽&楽。ミニマリストという人たちが居ます。以前からかれらの暮らし方に興味をもっていましたが、現在、私は「半ミニマリスト」だと言えるかもしれません。もちろん神戸では必要なもの、欲しいものは何でも手に入ります。しかし足りないと思っても、本当に必要か?と先に考えてみます。そうすると「無くてもいいや」というものが多いことに気付きます。

新居に住むにあたり、入居前にいろいろなモノを購入しました。いくつかの家電はどうしても必要でした。右近庵から持ち込んだものもあります。こまごましたモノは住んでからと思っていましたが、住んでみても必ずしも必要だと思わないモノが出てきました。例えばトイレマットのセットです。便座に座る部分のカバーと蓋カバーのセットがありますね。あれは必要でしょうか。私も付けるものだと思い続けてきましたが、無い方がいいと気付きました。無いとすぐに雑巾で掃除する気になりますが、カバーをしていたら掃除が億劫になるような気がします。洗濯だってしないといけないし、ホラ、家庭以外のたいていの場所にはカバーなんてついてないでしょ。いつだってキレイに掃除して拭けば必要ないものだと判りました。トイレにはマットだけでいいかもしれない。うん、それもトイレ専用のでなくても薄型のバスマットみたいなのが洗濯後に干しやすく、乾きやすいかな、なんて。だからそうしました。

ここへ来てから私は掃除好きになりました。どこもかしこもキレイだから、ついつい掃除をして維持しようとするのでしょう。あちこちの掃除が楽しくて、動くので身体にもよくて、イイことばかりです。おまけにキレイになるとスッキリして心も晴れ晴れです。台所にしても居間にしても手洗いにしても、モノが少ない方が掃除もうんと楽。これは私もこのままミニマリストさんたちの仲間入りかもしれないなぁ。うん、濃厚。日本文化は「マイナスの美」と言われます。日本庭園も茶室も、古くからの日本家屋もそうですね。西洋化が進んで妙にモノがあふれてしまった今の日本だけれど、自分なりのポリシーを持ってモノと関わっていけばいいように思います。さしずめ私は「終活」も兼ねて右近庵のモノ減らしを進め、この城では「少ないモノで満たされた暮らし」を楽しみたいと思っています。

風はおさまったと思えばまた吹き始めます。また夜通し吹くのかな。凄い音だなぁ…。
今日、神戸では18度を超えました。近畿では20度を超えたところもありました。この後はまた寒気が訪れるそうです。気温の変化に体調維持が難しいですね。どうぞお風邪などお気をつけ下さい。最後にHappy Valentine!!暖かくしておやすみください。
それでは皆さん、ごきげんよう。

                                             右近or良

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2016年2月 9日 (火)

『台湾南部地震』 あなたにできる支援を

また災害が起きました。今なお瓦礫の下にいる人たちが居ます。生命反応のある方々から、一刻も早い救助が望まれます。
東日本大震災の時、台湾からも多額の支援がありました。私たちも支援をしましょう。
クレジット、振り込みでの支援、古本での支援、買い物のポイントを使った支援、クリックだけでできる支援など、私たちに出来ることがたくさんあります。
皆さんの出来る範囲で参加していただければ有難く存じます。

以下はレスキュー協会のサイトです。『ご支援方法はこちら』という所から入ってください。
いろいろな支援方法が右側サイドバーに出てきます。ヤフーネット募金も掲載しておきます。
皆さんのご協力をよろしくお願いいたします。          右近

   日本レスキュー協会 

   ◎Yahoo!Japan ネット募金

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2016年2月 3日 (水)

Roberta Flack - Killing Me Softly With His Song

ときどき聴きたくなる曲です。一緒に聴きましょう。
過去に歌詞の和訳も掲載したと思います。
この歌、本当に好きでね。よく口ずさむ曲です。

◎“Killing Me Softly With His Song ” 『やさしく歌って』 ロバータ・フラック    

                                                                     You Tube by yosh95wilde  Thanks!

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2016年2月 2日 (火)

忌明けに

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先週土曜日、四十九日の法要に行ってきました。
法要のあと、故人をしのびながら食事をし、その後に納骨のため、お寺に行きました。
すべてを済ませ、市内のマンションに帰宅したのが午後四時半でした。雨は降らずによかったです。

本来の四十九日(=七七日 なななぬか)は今日です。四十九日に故人は中陰という所から晴れて浄土へと渡ります。その旅立ちの日が七番目の七日である今日なのです。四十九日を「満中陰」と言いますね。つまり「中陰」に居る状態が、日が満ちて終了するという意味です。満・中陰ということです。

通常、人が亡くなると、同じ日に葬儀の後に続いて初七日の法要も行います。それから次は四十九日法要というのが一般的かもしれませんが、仏教では初七日に続いて七日ごとに故人の追善供養をおこないます。初七日の次は「二七日」(ふたなぬか)、「三七日」(みなぬか)、「四七日」(よなぬか)、「五七日」(ごなぬか)、「六七日」(ろくなぬか)、そして満中陰の「七七日」(なななぬか)=四十九日という訳です。

では皆さん、中陰という浄土への中継地点で、故人はいったい何をしているのでしょう。死んでしまっても、故人はまだ気を抜けないのですよ。それは七日ごとに大王さまの審判を受けなければならないからです。ですから故人は呑気に「あ~楽ちん。生きてる時よりうんと楽~」なんて言ってはいられないのです。修行をいっそう熱心におこない、切磋琢磨を続けなければならないのです。「五七日(ごなぬか)には、あの閻魔大王さまの審判が下りますよ。ふぅん。死んでからも大変だなぁ、ですって?はい、その通り。その後に何処へ落ち着けるかが決められる審判です。気を抜くことなく故人は励み、私たちは地上からお経をあげて一生懸命に応援するのです。

画像は先日の法要で飾った花を持ち帰ったものです。忌明けの今日、カサブランカがみごとに開いていました。甘い香りを部屋中に漂わせていました。そうそう、ユリの花は、めしべやおしべを切り取ると花粉で汚れることなく、長持ちもしますよ。私はその昔、「愛別離苦」という詩集の中で「カサブランカなんか大きらい」と書いた記憶がありますが、やはりユリの女王さま、いい香りです。(あの時は献花だらけで、カサブランカだらけで、ウンザリしたもので…)

隠れ家マンションには、さしあたり必要なものしか運んでおらず、花瓶が無いので大きいペットボトルを切って下半分を花瓶の代わりにしました。少ないモノで暮らすと、今までポイポイ捨てていたモノなども使い道があり、重宝することがあります。ペットボトルもそう。ステキな花瓶に変身です。ちなみに上の方も捨てないで「じょうご」に使えるなぁと。たとえばお米を保存ペットボトルに入れる時、これを使えばこぼれない、というふうに閃くわけです。おっと、四十九日の話でした。

夕方、般若心経をあげてから夕陽を見ていました。故人が住んでいた方向、納骨したお寺がある方向を見ていたのです。夕陽は素晴らしく大きく美しく、しかしそのうちに雲に覆われながら沈んでいきました。ふと水平に視線を移動させると、何ということでしょう。故人が眠るあたりが淡い紅色に染まっているではありませんか。太陽は完全に沈み、他の所はどこも紅くないのに、そこだけが山の間を三角に染め、その範囲をみるみる上方に広げていたのです。
「うそぉ…」
山の間の逆三角形の紅い色は、多くの人たちが紅い絨毯をいっせいに広げていくかのように見えました。私の眼はクギ付けになり、言い知れぬものが湧き起こりました。

「では、行って来る」
一度だけふり返ってそう言った故人は、さっそうと浄土の入口へと向かって歩き始めました。私は無我夢中でシャッターを切っていました。ふと気が付くと、もうその空は雲が覆い、宵闇を呼び寄せつつありました。言い知れぬ感動とともに、行かないでという思いやら、行ってらっしゃいという思いやら、なんで往くのという理不尽さやら、さまざまな思いが込み上げ、没後はじめて私は号泣していました。そんな忌明けの一日でした。

それでは皆さん、ごきげんよう。                             右近

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