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2016年2月 2日 (火)

忌明けに

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先週土曜日、四十九日の法要に行ってきました。
法要のあと、故人をしのびながら食事をし、その後に納骨のため、お寺に行きました。
すべてを済ませ、市内のマンションに帰宅したのが午後四時半でした。雨は降らずによかったです。

本来の四十九日(=七七日 なななぬか)は今日です。四十九日に故人は中陰という所から晴れて浄土へと渡ります。その旅立ちの日が七番目の七日である今日なのです。四十九日を「満中陰」と言いますね。つまり「中陰」に居る状態が、日が満ちて終了するという意味です。満・中陰ということです。

通常、人が亡くなると、同じ日に葬儀の後に続いて初七日の法要も行います。それから次は四十九日法要というのが一般的かもしれませんが、仏教では初七日に続いて七日ごとに故人の追善供養をおこないます。初七日の次は「二七日」(ふたなぬか)、「三七日」(みなぬか)、「四七日」(よなぬか)、「五七日」(ごなぬか)、「六七日」(ろくなぬか)、そして満中陰の「七七日」(なななぬか)=四十九日という訳です。

では皆さん、中陰という浄土への中継地点で、故人はいったい何をしているのでしょう。死んでしまっても、故人はまだ気を抜けないのですよ。それは七日ごとに大王さまの審判を受けなければならないからです。ですから故人は呑気に「あ~楽ちん。生きてる時よりうんと楽~」なんて言ってはいられないのです。修行をいっそう熱心におこない、切磋琢磨を続けなければならないのです。「五七日(ごなぬか)には、あの閻魔大王さまの審判が下りますよ。ふぅん。死んでからも大変だなぁ、ですって?はい、その通り。その後に何処へ落ち着けるかが決められる審判です。気を抜くことなく故人は励み、私たちは地上からお経をあげて一生懸命に応援するのです。

画像は先日の法要で飾った花を持ち帰ったものです。忌明けの今日、カサブランカがみごとに開いていました。甘い香りを部屋中に漂わせていました。そうそう、ユリの花は、めしべやおしべを切り取ると花粉で汚れることなく、長持ちもしますよ。私はその昔、「愛別離苦」という詩集の中で「カサブランカなんか大きらい」と書いた記憶がありますが、やはりユリの女王さま、いい香りです。(あの時は献花だらけで、カサブランカだらけで、ウンザリしたもので…)

隠れ家マンションには、さしあたり必要なものしか運んでおらず、花瓶が無いので大きいペットボトルを切って下半分を花瓶の代わりにしました。少ないモノで暮らすと、今までポイポイ捨てていたモノなども使い道があり、重宝することがあります。ペットボトルもそう。ステキな花瓶に変身です。ちなみに上の方も捨てないで「じょうご」に使えるなぁと。たとえばお米を保存ペットボトルに入れる時、これを使えばこぼれない、というふうに閃くわけです。おっと、四十九日の話でした。

夕方、般若心経をあげてから夕陽を見ていました。故人が住んでいた方向、納骨したお寺がある方向を見ていたのです。夕陽は素晴らしく大きく美しく、しかしそのうちに雲に覆われながら沈んでいきました。ふと水平に視線を移動させると、何ということでしょう。故人が眠るあたりが淡い紅色に染まっているではありませんか。太陽は完全に沈み、他の所はどこも紅くないのに、そこだけが山の間を三角に染め、その範囲をみるみる上方に広げていたのです。
「うそぉ…」
山の間の逆三角形の紅い色は、多くの人たちが紅い絨毯をいっせいに広げていくかのように見えました。私の眼はクギ付けになり、言い知れぬものが湧き起こりました。

「では、行って来る」
一度だけふり返ってそう言った故人は、さっそうと浄土の入口へと向かって歩き始めました。私は無我夢中でシャッターを切っていました。ふと気が付くと、もうその空は雲が覆い、宵闇を呼び寄せつつありました。言い知れぬ感動とともに、行かないでという思いやら、行ってらっしゃいという思いやら、なんで往くのという理不尽さやら、さまざまな思いが込み上げ、没後はじめて私は号泣していました。そんな忌明けの一日でした。

それでは皆さん、ごきげんよう。                             右近

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