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2016年11月 7日 (月)

『大川小学校児童津波被害国倍訴訟を支援する会』に支援を

東日本大震災に伴う大津波での被害で、最も悲惨な犠牲のひとつが大川小学校の児童たちでした。犠牲になった児童74人のうち、23人の児童の遺族たちが損害賠償請求を求めた訴訟で、やっと勝訴までこぎつけたのも束の間、本日、石巻市と宮城県は仙台高裁に控訴しました。何でも先生たちだけに責任があるということへの不服とか。想定外の津波であったと。

またしても「想定外」で県と市は逃げようとしています。この言葉は震災のあらゆる訴訟で使われていまあう。しかし大川小の場合、裏山へは1分ほどで駆け上がれたいいます。謎の「議論」に貴重な40~50分をとり、やっと出した結論が小高い丘の方へという決定。これが大惨事を招きました。広報車も来て高台への避難を呼び掛けていたのです。なおかつ「議論」で時間を取り、結局は誰でもわかるしてはいけない川の方へ向かって逃げるという行動が、取り返しのつかない惨事へとつながったのです。

亡くなった先生たちを責めても仕方が無いことではあります。先生方にも遺族が居て、悲しみは同じです。だが、かれらの決断が遅かったのは事実です。危機管理意識が甘かったことは否定できません。津波が来たら高い所へ。児童たちは口々に山へ逃げようとと言ったといいます。ふだんから祖父母や家族に教えられていたのでしょう。それにもかかわらず、先生という絶対的な存在に逆らえず、従ったがために命を落とした大勢の子どもたちに涙を禁じ得ません。片田教授の指導のもと訓練をくり返し、その結果、高学年の生徒が低学年の手を引き、児童の判断で避難指定場所より更に高台へと走って助かった「釜石の奇跡」とは正反対でした。この悲惨な犠牲が本当に残念です。

何をどう考えても迅速さが求められる避難行動が遅れてしまったのは明らかです。それは教師の危機管理意識が足りなかったということになります。「想定外」の津波という言葉で許される内容ではありません。過去にも大津波に襲われている地域であるのに、教育の場で災害が起きた時、教師が取るべき行動が遂行できなかったのは、県や市が各学校での避難指導を現場の教師たちに徹底するのが不十分だったということになります。元気に学校へ通い、将来に夢も希望もたくさんあった多くの幼い命を失ったことは痛恨の極みです。

更にこの被害については当初から曖昧な部分が明かされないままの裁判となりました。ただ1人だけ避難中に生存した男性教師の出廷は叶いませんでした。何を教師たちは相談し、県や市は、50分もの相談のあと、常識では考えられない川の方向へ逃げるという結論に至ったかを知る貴重な証人の口を封じている疑いがあります。遺族側がいったん勝訴はしたものの、依然「空白の50分」は何も解明されていません。遺族はそこを解明することを求めて更なる闘いを続ける予定でした。そこへ市と県による控訴です。全く何をか言わんやですね。

皆さんはこの悲劇についてどう思いますか。私は当初から遺族側の主張を支持しています。遺族の闘いは今後も続きますが、誤解のないよう付け加えます。遺族は裏山への逃げ道を封じられた可愛い我が子の死の直前に、いったい何があったのか真相を知りたい、そして以後は絶対に学校という場で、このような悲劇が起きてはいけないという強い信念のもと頑張っているのです。決してお金ではありません。しかしながら私は犠牲に見合う賠償金は獲得して然るべきだと考えます。それが勝訴の証となるからです。この訴訟に関しては国民が後押しをしなければなりません。

五年以上の年月が過ぎた今、この悲劇も世間では薄れてきました。日々、我が子がなぜ死ななければならなかったのかを問い続けて苦悶する遺族の皆さんを、遠くから、近くから応援してください。悲しみはまだ続いています。闘いも続いています。どうぞ宜しくお願いいたします。


◎ 支援する会はこちら (支援金の振り込み口座が掲載されています)  

◎ 大川小を襲った津波の悲劇

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