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2017年1月28日 (土)

稀勢の里の父上は武士

『横綱・稀勢の里(30)=田子ノ浦=の父・萩原貞彦さん(71)が“子離れ”を宣言した。27日、東京・明治神宮での奉納土俵入りを見届けると、
「育てたというとおこがましいですが、完全に私の手を離れました」。
22日の初場所千秋楽に話してから電話で少し話しただけ。
「会うとくだらない話をする。それは私の描いた横綱像ではない」
と今後も必要以上に会わない、話さない。親子の情を捨てて新横綱の威厳を作る茨(いばら)の道を選択した。』  < 本日のネット版「スポーツ報知」より抜粋 >

この記事を読んで感銘を受け、しばしボンヤリした。そして千秋楽に観戦していたご両親の姿を思い出していた。大きな身体で感激の涙をポロリと流す我が息子を見つめる父親の目に涙は無かった。心の中では泣いていたかもしれなかったが、感情をあらわにしなかった。私は彼に武士を見た。サムライを見た。この父が横綱の礎(いしずえ)を築いたのだ。柔和なもの言いの父は、きっと厳しい父でもあったのだろう。15歳で息子を手放して鳴門親方に預けるまで、この父が息子に横綱となる基礎を最初に叩き込んだと知った。

そして今、我が息子が晴れて横綱になった途端、さらに息子から離れると宣言した。もう自分たちの息子ではない。この国の横綱になったのだからと距離を置く宣言をしたのだ。父は家族として互いに無駄な言葉を出すことが、横綱という立場の息子に良いことではないと知っていた。それで家族の枠組みから完全に息子を放出する覚悟をしたのだ。彼は正に武士である。Samuraiである。‘日本の父、此処にあり’と嬉しくなった。

2016年の5月場所で稀勢の里に勝った白鵬が言った。「強い者が大関になる。宿命のある者が横綱になる。稀勢の里には何かが足り無い」と。こんなことを口にするのは横綱らしくないことを白鵬は少しも判っていなかった。負かした相手について見下すような発言は傲慢で恥ずべきことだ。寡黙であることは力士の美徳のひとつである。余計なことは語らず、奢らず、黙々と横綱相撲を取り続ける。それがあるべき横綱の姿だ。感情をあらわにすることも饒舌も力士と無縁のものである。先代鳴門親方も稀勢の里の父も、それを熟知していた。

日本人横綱を熱望する声が長く続いた。それは国技であるのに日本人横綱が居ないという理由だけではなかった。真の相撲道を身に付けた、身も心も強く、優しく、どんな時でも品位ある横綱の誕生を私たちは待ち望んでいたのだ。稀勢の里にはぜひとも多くを語らず、『心・技・体』を兼ね備えた誇れる横綱になって欲しい。これまで通り、愚直に、寡黙に真っ向勝負、ひたむきに相撲道を突き進んで欲しい。白鵬流に言えばそれが稀勢の里という力士の宿命なのだから。

今頃、彼を育てた先代の鳴門親方は、きっと天国で美酒に酔っているだろう。糖尿病からも解放され、祝杯を上げているだろう。おめでとう「千代の富士キラー横綱 隆の里」、おめでとう「72代横綱 稀勢の里」。‘お父さんの描く横綱’に成長を遂げることを私たちも切望し、今後の角界を牽引する存在となる横綱 稀勢の里を見るのを楽しみにしている。

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