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2017年3月

2017年3月30日 (木)

『大人たちが雪山で奪った若い命』

大田原高校の生徒たちが雪崩で亡くなった。まだ16歳や17歳である。高校生活を楽しむ真っ最中にある若い命はなぜ奪われたのか。このニュースを遅れて知って以後、いたたまれない気持ちが続いている。そして怒りへと変わってきた。怒りは関係者たちの謝罪会見をニュースで観た時、頂点に達した。この訓練の責任者である猪瀬という人物の発言に怒りが爆発した。

この人物はこう言った。雪崩が起きやすい場所ではないことを調べた上で、そう認識していた。それでその場所を選んだと飄々とした表情で強調した。何を言っているんだ、雪崩は起きたじゃないか。しかも7人もの高校生たちが亡くなっているじゃないか。実際に雪崩は起きているのに、そんなことを言うなど自分たちの保身以外のなにものでもないか、極めてアタマが悪いかどっちかだ。謝罪の場をなんと心得て出てきたのか。実際に雪山の専門家たちは、常識では考えられないことをさせていると強く批判している。しかも猪瀬という人物は、ふもとの旅館に待機していたとのことだ。事故発生時は電話が通じなくなり、事故を知らせるため山を駆け下りた教師が旅館に着くのに一時間もかかったという。これでは助かる命も助からない。

亡くなった生徒たちの明るい笑顔がテレビに写り、どうしようもない怒りが込み上げて叫びたくなった。保護者たちは大事な息子を奪われたのに気丈に振る舞い、誰ひとり関係者に怒号を浴びせかけることは無かったのだろう。いつも思うことだが、理不尽に大事な家族が奪われた時でさえ冷静に答え、怒りや悲しみを爆発させる人は誰も居ない。私はそのことに頭が下がる。おそらくは突然に家族を奪われ、まだ信じがたい気持があり、本当の悲しみや怒りを感じることが出来ないのだろうと思う。私ならカメラの前で怒鳴り散らすかもしれない。きっと怒らずにはいられない。今すぐにでも親たちの代わりに私が怒鳴りに行きたいくらいだ。こんな時、日本人はもっと怒っていいのにといつも思う。怒るべき時も日本人はあまりに謙虚でつつましやかだ。

雪崩は起きないだろうという大人たちの甘い判断と、雪に触れさせたかったという安易な理由で春山の恐ろしさを知らずにGoサインを出した大人たち。何の疑いも無く従った若い命は彼らに奪われたようなものだ。教師たちは日頃から命の重さを教えてきたのではないのか。せっかくの訓練だから何かさせたいというのは教師たちの傲慢ではなかったか。危険があるなら安全な場所で雪合戦でもして遊ばせてやればいい。それはそれで若者たちは何をしても楽しむのだ。ラッセルという訓練を強行した陰に、教員たちの「何が何でも‘訓練’の予定を消化する」こだわりは無かったか。それが若者たちの命を奪ったのではないのか。雪崩注意報が出ていたというのに…。事故の詳細が明らかになるにつれ、やるせなさと怒りが増幅する。

謝罪会見で、どの人物にも怒りを感じた。マスコミも籠池サンには突っ込んだ質問をして追求するのに、おとなしい質問ばかりだった。また、こんな言葉にもl腹が立った。「今後は二度とこのような事故を起こさないように致します云々」と言っている人が居た。早くないか?突然の愛する者の喪失に、耐えに耐えている家族への配慮は無いのか。失礼じゃないか。今後より、まず今は起きたばかりのことを真剣に謝ったらどうなんだ。どいつもこいつも腹の立つ奴らばかりだ。

韓国のセウォル号の事故もそうだった。積載量オーバーの船での修学旅行で事故に遭い、自室に待機して外に出るなという誤ったアナウンスに従った殆どの生徒たちの命は奪われ、必死で甲板へ出て、傾く船体を滑り降りたわずかな生徒たちが助かった。あの事件も多くの若い命が大人たちに奪われた。この雪崩でも若い命を奪ったのは大人たちだ。自然を山を春の雪山を、ちっとも知らない大人たちに奪われたのだ。先生を信じてそのまま命を絶たれた高校生たち。高校生たちの通夜の映像には胸が張り裂けそうだ。関係者は全員が剃髪をして仏門に入って頂きたい。若き命を奪った代償として、以後の人生を懺悔と供養に充てて欲しい。もしも自分たちの可愛い我が子がそんな目に遭ったならと想いを馳せながら、御遺族の悲しみを少しでも担う覚悟をするべきだ。無垢な若者たちの尊い命を貴方がたが無惨にも奪ったのだから。

若い人たちを育てることに関わってきた右近の激しい怒りは当分の間おさまりそうにない。怒り心頭とはこのことだ。やるせなく、ただ悲しい。生徒たちのことを想うと涙と溜息しか出ない。       

                                                怒れる右近

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2017年3月27日 (月)

カワイイ‘きせのん’カッケー‘きせのん’

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「君が代」斉唱の時、感きわまって涙ぐむ稀勢の里。ちっちゃな子どものようでカワイイ。

あ、ごめん。横綱に向かってこんなこと言って。だって可愛いんだもん。きせのん。

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重いね。前よりも何倍も重いね。左腕が痛い分。死にもの狂いで闘った分。重いよね。カッコイイ。

上の写真はテレビの画面を写したものです。頑張りましたね。ホント、頑張った。すごい。
一夜が明けてもまだ興奮が冷めやらない右近です。普段は見ないモーニングショーや午後のワイドショーも稀勢の里のことを放送する番組は殆ど観ていました。同じ大阪に居ることが嬉しいと感じて過ごしていました。余韻はまだまだ続きそうです。元気になったら思いきり語ります。

私も頑張らないと。そう思って今日は起きて料理などしました。庭へも出てみました。そんな何気ないことが出来る喜びを感じて過ごしました。夕方からは倦怠感に襲われ、まだ本調子ではありません。今日はもう横になります。夜は冷えますね。

暖かかったり寒かったりと体調維持が難しいです。皆さんもお気を付けて。
それでは皆さん、ごきげんよう。
                                                右近

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2017年3月26日 (日)

感動 「新横綱・稀勢の里」が優勝!!

稀勢の里が優勝した。左肩の怪我はかなり悪い状態であることは皆が知っている。怪我の翌日、休場するのではと思われた稀勢の里は出場を決めた。そして鶴竜との勝負に呆気なく負けた。その稀勢の里が今日は患部をさらにテープで固めて出場し、新横綱の優勝を果たしたのだ。何という精神力、なんという強靭な肉体だ。

今日の千秋楽は気持ちの高ぶりも無く、しかし早い時間にテレビをつけてベッドから観ていた。稀勢の里の優勝はなかば諦めていた。昨日の様子からすれば、本割りと決定戦の二度勝つことは不可能ではないかと思った人は多かったことだろう。解説の北の富士さんや舞の海さんも、言葉には出さないまでも無理であろうと思っているふうだった。怪我がなければ決定戦に沸くだろうが、とうてい二度は勝てないと私も思っていた。だが現れた稀勢の里の表情は、いつものそれと変わらなかった。その時に私は彼の「あきらめない精神」を強く感じた。それは身に付けた横綱の誇りと共に彼の中を貫いていたもので、長い間に育ってきた彼の「真の横綱」になりたいという強い気持ちにほかならなかった。

本割りの土俵に両力士が現れた時、私は起き上がり、ベッドで正座しをして合掌、般若心行を唱え始めた。何かをせずにいられなかったのだ。祈りながら見つめる画面で、なんと彼は勝利をおさめた。沸き上がる大歓声。合掌した私の手は拍手に変わり、なんという横綱だと目を見張った。優勝に関わることが出来なった二横綱の結びの一番が終わり、いよいよ決定戦である。再び割れんばかりの拍手と応援の声で府立体育館は沸き返った。気負いも無く、穏やかにさえ見える表情で稀勢の里が登場し、闘志をありありと顔に出した照ノ富士も登場した。すでにかなり痛んでいるだろう左肩で、あと一番とるのは過酷なことだ。無理だろう。いや、分からない。勝つかもしれない。きっと勝つ。なぜかそう思った。

再び正座し、今度は祈りながら神仏に願った。「稀勢の里は師匠の言いつけを守り、真面目に精進して善行を重ねてきました。神様、仏様、どうか彼に力をお与えください。どうかどうかお願いいたします」と声を出して私は神仏に願い続けた。立ち合いで呼吸を合わせて立った瞬間、すぐに稀勢の里が優勢になった。勝つ。これは勝つ。まんじりともせず見つめる画面で、先に土をつけたのは照ノ富士だった。右腕に力を込めて打った投げに照ノ富士はあっけなく倒れた。私の手は再び合掌から拍手に変わり、目もうるんできた。おさまらない会場の興奮。拍手。歓声。おそらく解説の北の富士さんや舞の海さんも目を潤ませていたのだろう。二人とも無言になっていた。こんなことってあるんだ…。あれだけ痛そうにしていた彼が二勝して優勝するなんて。凄い横綱だ。多くの人が重ね合わせたように、私も横綱貴乃花の、あの「鬼の形相」の勝負を思い出した。なんという横綱だ。なんという強さだ。

気の利かないNHKが既に画面をニュースに変えてしまってからも私はボンヤリして感動に包まれていた。稀勢の里に今日、どれだけの人たちが涙し、感動し、勇気を与えられたのだろう。私もその一人だ。賜杯を抱えるのも痛い左肩で相撲をとり、私たちを感動させてくれてありがとう、大横綱 稀勢の里。見えない力が働いていたと「サンデー・スポーツ」で語っていた彼に働いた力とは、師匠 隆の里、ご両親はじめ多くの彼を支える人々の思い、そして私たち「真の横綱」を応援する者の願いも働いていたならば、ベッドからの私の祈りや願う気持ちも少しは働いたのかもしれない。今夜は嬉しくてたまらない。おめでとう、稀勢の里。なんだか勇気が沸いてきた。今から五月場所が楽しみだ。

明日は起きられそうな気がする。
それでは皆さん、ごきげんよう。        右近

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2017年3月21日 (火)

猫のはるかですが何か?‘サビ猫の初トーク’

こんばんは皆さん。日頃は飼い主がお世話になり有難うございます。
わたしは猫のはるかです。『猫愛』にもお越しの皆さんはすでにご存じのことと思いますが、簡単な自己紹介をいたします。サビ猫、20歳。人間ならばそろそろ百歳になります。特技は狩り。若いころはいろいろな獲物を仕留めたものですが、今ではヤモリ、イモリくらいです。昔はコウモリ、ハト、スズメ、ヘビ、モグラ、ネズミなど、何でも捕まえたものですよ。そうそう、今日はなぜ出てきたかと申しますと、飼い主の右近が神戸のマンションにしばらく行かない話、皆さんお読みになったことでしょう。それに関して皆さんはどう思われたのかと気になっておりました。猫ごときでそんなことまで…と思われた方々も多かったのではと。そのことに対する説明のために出てまいりました。

右近庵には多くの猫たちが現れては去っていきましたが、わたしは最初にお世話になった猫です。ある日、わたしたち4匹の仔猫は、親から離れて独り立ちするために母さんに連れられて初めての旅に出たのです。旅と言っても母さんがよく知っているこのあたりの土地のことで、好きな場所を選んで暮らしなさいと言われ、気に入った土地を求めて歩きまわっていたのです。その時に右近庵の庭もみんなで横切って歩きました。その時たしか右近は「あっ、猫!」と叫んでいましたね。母さんを先頭に、4匹の私たちが庭を横切る姿は右近にとって驚きと感激そのものだったようです。母さんが「さぁ、おまえたち、好きな所を決めたかい?では元気に生きていきなさい」と言ってどこかへ消えてしまったあと、急に心細くなって思い出したのが「あっ、猫!」と叫んだ人が居た庭だったのです。それからわたしは毎日エサをもらいに行きました。まだほんの仔猫だった時のことです。

あれから20年が経ちました。私にも右近にもさまざまなことが起きました。喜びもあったけれど、悲しみもたくさんありました。わたしと右近はそれらが通り過ぎていった長い時間をいつも共有していました。運命共同体。右近は縁のあった猫たちをそう呼んでいましたが、わたしが此処で最も長く共に過ごした猫ではないかと自負しています。もちろん24年.5ヶ月も生きて逝かれたダッコ様にはまだ命の長さは及びませんが、飼い主が右近庵に住んで20年。住んでまもなくわたしは出入りをし始めたので、わたしも此処で20年を共に生きてきたと思うと感慨深いものがあります。

さて本題です。この度、右近がふるさと神戸のマンションに、何年か行かないことを決めました。わたしがどうしてもマンションという建物に馴染めないからです。バルコニーからの眺めは恐ろしくて…。海という広くて青い所も恐ろしいし、たくさんの車が通るのも恐ろしくてたまりません。そのせいか体調を崩してしまいました。慌てて右近は、わたしをキャリーバッグに入れて背負い、賑やかな三宮の街を駆け抜けて動物病院へ行ったのです。幸いにもわたしは薬を飲んですぐに元気になりました。そこの先生に、わたしは若いなぁと驚かれましたよ。そうですよ。

それまでは野山を駆けまわる生活で、病気ひとつしたことはありませんでしたもの。そんなわたしが初めて病気になり、きっと住環境にストレスがあったんだろうと右近は自分を責めていました。それからマンションには1年ほど行かない状態でした。それで考えた結果、さしあたり賃貸にでも出そうかと決めたようです。わたしに幸せな老後を過ごさせようと思ってくれたのでしょう。飼い主右近は自分だってそろそろ‘老後’なのですが。

ところで皆さんは猫が理由でこんなことを決めることをどう思いますか?それは当然だと思いますか?それとも猫ぐらいでそんなことを決めるなんてバカだなぁと思いますか? 後者の皆さん、わたしは猫です。猫ですが右近とは運命共同体であり、支えあって毎日を暮らしています。そうです。わたしは猫ですが右近の大切な大切な相棒なのです。だから飼い主右近のこの決断は嬉しくも当然であると思っています。はい、わたしは猫ですが、それが何か? 

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わたしはこの庭が好きなんですよ。だから何処にも行きたくないんですよ。(はるか)

分かってるよ。だからもう何処にも行かないって約束する。お互い元気で長生きしよう。此処で。いいかげんに機嫌を直して。そんな顔してるとせっかくの美人(美猫)がだいなしだ。ヒョウタンツギみたいな顔をしてるとさ。笑 (右近)

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2017年3月18日 (土)

強い新横綱 稀勢の里 他 

強いですね、新横綱。堅さがなく、慌てることも無い。落ち着いて‘横綱相撲’を取っている稀勢の里です。師匠 隆の里のように、新横綱で全勝優勝をしてほしいね。頑張れ。

私はようやく身体が少しずつ回復してきました。2月半ばから約1ケ月の間、とても大変でした。『猫の為に決断したこと』を着々と実行したのです。体力以上の動きをしたので、きっとドカンと疲れが来るだろうと覚悟していましたが、じわじわ来ました。猫の為に何を決断して忙しくしていたのかは、昨日、『猫愛』のブログに書きました。こちらでも少しそのことを話したので、昨日の記事をcopy&pasteしておきます。興味のある方はお読みください。

☆『猫の為に下した決断とは』   <ブログ『猫愛より>

それは神戸の「隠れ家」に何年かはもう行かないということです。
そのために家財をすべて搬出しなければならなくて、とっても大変だったのです。

なぜそう決めたかというと、はるかちゃんがマンションにどうしても馴染めないからです。私には居心地がよい場所でも、はるかちゃんには苦手で大嫌いな場所のようで、落ち着くことができないのです。そのせいか前年の冬に約2ヶ月ほど滞在した時、ストレスからか血尿を出すなど病気になってしまいました。病気なんかしたことがなかったので心配しました。すぐに病院へ連れて行き、幸いすぐに元気になりました。以後、私はマンションには出向けなくなり、せっかく手に入れた隠れ家なのに放置せざるを得ない状態になっていました。それでこの度、家財を搬出し、部屋を空にしました。今後は隠れ家をどうするのか考えているところです。おそらく賃貸に出すことになると思います。

そんな訳で、いま右近庵は箱だらけです。凄いのは玄関ドアを開けたらドカンと真新しい冷蔵庫が鎮座ましますことであります。荷物を箱を運び入れた和室はまるでNewYork。段ボール箱のSkyscraper(摩天楼)がそびえ立っている状態です。廊下はカニさん歩きでしか通れません。私は頑張りすぎて未だ疲れが取れず、その上マンションの今後を依頼した会社が実にいい加減だったので、また他の会社に依頼し直したりと、続けざまに大変なことがギュッと短期間に起こりました。あぁ、しんどかった。(*_*;

簡単に言うと、そういうことです。そんな訳でとっても多忙だったのです。2週間ほどの間に、神戸と右近庵を5往復もしていたり…。よくあんなことが出来たなぁなんて。思い出してもしんどくなるよ。でもはるかちゃんは喜んでいます。もう行かないから安心してねと言ったら目を細めていました。留守番はとても寂しかったと思います。今までも猫を中心に考えて暮らしてきたけれど、今後の暮らしは最後の飼い猫であるこの子(はるかちゃん20歳)を一番に考えることにしました。これが私の下した決断です。 これでいいのだ。
=^_^= (^.^)

ということです。段ボール箱や衣装ケースをまだ開ける元気はありません。少しずつ、ゆっくり片付けます。嬉しいことはCDが全部帰ってきたことです。殆どをマンションに運び込んでいたから、右近庵では何となくさびしかったので。

豪ちゃんの足はなかなかよくならず休場。残念。大阪場所に休場するのは辛かっただろうね。稀勢の里と仲間の高安が強い。いつも一緒に稽古をしている二人の同部屋決戦もあるかもしれない。楽しみだね。

庭では黄水仙が咲き揃いました。フキノトウも食べきれないほど出てきます。イチゴも花が咲き始めました。クリスマスローズの花をそろそろ摘んであげないと。昨年末に裏庭からの移設で庭に植え替えた桜の木、早く芽吹いてくれないかなぁ…。今年つぼみは付くだろうか。一輪でもいいから咲いてほしい。願いながら坊主になってしまったマイ桜を眺めています。

それでは皆さん、ごきげんよう。            右近

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2017年3月16日 (木)

横綱相撲の稀勢の里 つよっ!

今日も勝ちました。たった今。ただいま相撲中。(^.^)

稀勢の里は連日落ち着いた相撲をとっていますね。まさに横綱相撲です。いいですね。
白鵬は今日から休場。足の調子が悪いのは分かっていたけれど、こんなに早く休場とは…。楽しみにしていた『四横綱』では無くなりました。横綱になった稀勢の里と白鵬の対戦が見たかったのに残念。
新横綱の優勝が見たいですね。師匠の隆の里が成し遂げた優勝を、新横綱 稀勢の里も手に入れて欲しいものです。では結びの勝負を見るね。あれれ、蒼国来、今日はどうしたの?あっけなく負けちゃった。

私は一段落と言いましたが、その後も大変なことが続き、今日、少し落ち着いたところです。だから何が?、ですよね。もう少し待って下さい。話す余裕も無く、話せる時期でもないので。いろいろ落ち着いたら話します。ごめん。
それでは皆さん、ごきげんよう。   右近

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2017年3月15日 (水)

ヤッター!全勝で準決勝進出~!!

やりました。やりましたよサムライJAPAN。
凄い試合ばかりで本当に素晴らしい成績です。
いまインタビューに答える小久保監督は目に涙をためて選手たちを讃えています。ヒーローインタビューが続きます。それでは皆さん、ごきげんよう~ ! 

頑張れ~!!サムライJAPAN!! ありがと~! バンザーイ! \(^o^)/ 

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2017年3月13日 (月)

右近参上

御無沙汰いたしました。皆さん、こんにちは。お元気でいらっしゃいましたか?
私の方、やっと一段落したところです。まだ完全に終わってはいないけれど、一応、一段落。あぁ忙しかった。だから今、とっても疲れてる。(-.-) でも相撲みてる。(^.^) 初日までに一段落まで持っていかなきゃと思って私は無茶苦茶がんばったのであります。詳しくはまた元気になればお話ししましょう。でも面倒だと話さないかもしれません。(年と共にめんどくさがり屋がひどくなり…)ま、その時の気分に任せましょう。皆さんも私ごときのprivateな話なんぞ面白くも何とも無いでしょうからね。ま、そのことは風の向くまま気の向くまま、ということに。(^_-) その決断は猫の為にしたことなんです。=^_^=中心に考えた結果…。とりあえず、それだけ話しておきましょう。(^.^)

あれこれ忙しかったのが一段落し、あとは確定申告作成を残すのみ。で、クタクタになって頭もよく回らないのに頑張ってやりました。それが終わったのが10日の金曜日。翌日は『3.11』。心身ともにクタクタで、何か語らなければと思いつつ、特集番組を1日じゅう観ていたら、まだまだ厳しい現実で苦しんでいる人々、闘っている人々がたくさん居られることに心が痛くなりました。色々な重すぎる事実を知り、打ちのめされました。それで此処へ出てきて語ることが出来ませんでした。

東日本大震災に関して昨今は報道番組も激減するなか、私たちの意識は薄らいで居たことを実感しました。今後、何が出来るのか私なりに考え、出来ることがあれば実行したいと思います。6年前のあれだけの被害。日本じゅうが、世界じゅうが衝撃を受けたことを時々は思い出してくださいね。支援活動中の時、被災した皆さんが仰っていました。思い出してもらうだけで嬉しいです、ただそれだけでと。ですから皆さん、思い出してください。そして想ってください。その気持ちは必ず通じます。

私は徐々に疲れが出始め、いま殆ど何もできません。こうなることは分かっていたけれど案の定です。はい、動けません。動けないのでベッドから相撲を観ています。昨日は初日でした。稀勢の里は堂々の横綱ですね。2横綱が早くも★でしたね。新横綱に期待しましょう。昨夜はWBCの死闘にも感動させられました。相撲にしろ野球にしろ、すべてのスポーツが私たちに与えてくれるものは大きいですね。頑張れサムライ日本!頑張れ新横綱!頑張れ琴奨菊!

そろそろ中入りの後半です。
それでは皆さん、ごきげんよう。
                                    お疲れ右近

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