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2017年12月13日 (水)

称賛 貴乃花親方の美しい女装写真

「貴乃花親方に女装疑惑」という文字がネット上に踊っている。‘女装’はいいが‘疑惑’とは何ぞや?いきなりこんな文で始めたが、この分野は右近の得意分野でもあるため、相撲界の暴行事件と切り離して今日はこの件を皆さんと考えてみたい。(ご覧になりたい方は‘貴乃花 女装’でGoogle画像検索してください)

貴乃花親方が一門の親方衆と共に女装したカレンダーを作っていたらしい。私はそのことを知らなかったが、今回の貴乃花親方のバッシング材料として、あちこちから持ち出されたようだ。ネットで見る限り至極たのしいものであるし、驚いたのは貴乃親方が赤い帽子を斜めに被った画像はまるで往年のハリウッド女優さながらだ。実に美しい。この度の一件での仏頂面の男と同一人物だとは信じがたいほどだ。そのギャップに私は感心し、所謂(いわゆる)ギャップ萌えすらしてしまったほどだ。

男が女の衣装を着てどこが悪い?女が男の服を着て何が悪い?べつに誰にも迷惑をかけない。美しければ見とれてしまうが、特に美しくなくても装いたいように装えばいい。男のくせに、女のくせにといった非難や中傷はまるで当たらない。LGBTという言葉が定着しつつある。この言葉を知らない人は検索してみるといい。それらの人々の他にも、自身の性と逆の衣装を身に付けたい人々も居る。これを異性装主義者(トランスべスタイト)という。かつて私はこれに属する人間だった。今はそれも超越したが、現在でも身に付ける服の好みにその名残はある。人間みな着たいものを着ればよい。着るものは自身を最も表すとも言われているが、基本、着たい服を着れば心地いいのでそうすればいいのだ。(バカボンのパパふうに)

但し、その願望を満たすには相当に強靭な意志が必要とされる。男が女の、女が男の恰好をして歩けば世間からは冷たい眼で見られるのが常だった。そんな空気も今は少しは緩和され、一種のファッションだと思わせる風潮が芽生えてきた。女が男の恰好をする分にはそう思われることも多いが、男が女の恰好となると眉をひそめられることも多かろう。大きなガタイにスカートやブラウス、ワンピースといった姿はテレビの中でこそ、おちゃらけて笑われるタレントとして滑稽な姿となる。(しかし彼らも仕方なくおちゃらけている)ところが世の中には妻も子もある普通の男性で、女装をしたい人が意外に多く居る。もちろん誰にも秘密でその願望が果たされる場所でのみその願いを叶えるのだ。

古来、神々も仏たちも両性具有とされ、崇められてきた。人間も本来は両方の性を内に秘めていると言われる。それを意識するかしないかは、もって生まれた性のままで満足か、違和感を感じて反対の性を、あるいは両方の性を切望するかという違いに至る。ここではセクシャリティの説明をすると長くなるので、服装のみに絞って述べる。たとえば屈強の男がスカートを穿きたい願望もあれば、和服姿もあでやかな女性が男装を熱望することも少しも不自然ではない。力士である人たちが女装をしてカレンダーにした貴親方は、自分が一番キレイだと言ったそうだが、ほんに美しい。相撲でも一番でなきゃ嫌だという彼らしく、いちばん美しい。惚れぼれしてしまった次第である。

そんなお遊びでもカレンダーが話題になり、‘疑惑’という言葉も飛び出している。疑惑とはよくないことをした時に使われる言葉だが、美しき女装の貴乃花親方の、どこが疑惑なのだろう。どこが悪いのか?お遊びケッコウ。本気での女装は尚ケッコウ。自分の内なる声に耳を傾けての行動であれば右近的には満点を差し上げたい。雄々しい彼の内には繊細な美しくも愛らしい、寂しがり屋の彼(彼女?)も住んでいると見た。それは大いにケッコウなことである。両性具有については白洲正子氏の『両性具有の美』など多数の書物がある。興味ある方は読まれるとよい。そのことをおもてに出して足を引っ張ろうとするのは反則。というよりバカげたこと。今はひとつの性に縛られる時代ではない。あの画像で貴乃花親方には、より親近感を覚えたほどだ。、

近頃、ダイバーシティ(dversity)という言葉がよく目につく。かの小池女史も好んで使っていた。この言葉はもともと『多様性』という意味をもつ。生徒たちに尋ねたことがある。君たちはなぜ勉強するのか。かれらは口々に答えた。いい大学へ行って、たくさんお給料を貰ってお金持ちになるため。いろんなことを知らないより知っている方が役に立つから。しないと仕方がないからしている。など様々な答えが返ってきた。どの生徒も自分なりに勉強することの意義を語ってくれた。私はどの考えも肯定した後、かれらに話した。たくさん学べば学ぶほど君たちの世界が広がってゆく。日本には、世界には、様々な人種、宗教、職業、風習、生活水準、障害の有無、性的な違いなどなどたくさんの‘自分と異なる人たち’が居る。君たちはなぜ学ぶか。どんな人もも理解しようと努め、受容する姿勢を身に付けるためでもある。そのことも今後は勉強する目的のひとつに入れて欲しいと。偏狭で排他的な考え方に社会の進歩や改善は無いからだ。

この『ダイバーシティ』が今回の事件でも求められている。協会の努力も分かるがまだ足りない。伝統は守るべきだが立て前に縛られないことを求めたい。貴乃花親方の角道への邁進も理解した。だが自分だけが正しいとする考え方に未来は輝かない。改革はひとりでは出来ない。人がついてくる指導者でなければ高潔な改革を求める志も不発に終わってしまう。そのことに気付かせてくれる誰かが出現し、方向をを示して導く存在となれたら、この問題解決の糸口は見えるかもしれない。過剰な報道の在り方にも問題が露呈した。終息はまだ見えてこない。

寒い一日でしたね。実は今日、新しい車が来ましてね。右近、初の『軽』です。何もかも規模を小さく。その一環で車も小さいのにサイズダウンです。ところがあまりに仕様が異なり、ボタンだらけで戸惑っておりまする。うむ。(-.-) 頑張らないと。
お後が宜しいようで…。神戸の話はまたあした。それでは皆さん、ごきげんよう。   右近

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