« 『追悼』 阪神・淡路大震災『1.17』の記録画像  | トップページ | 気になる二横綱の行方 »

2018年1月17日 (水)

救える命があった 『村山内閣の歴史に残る大失態』

皆さん、こんばんは。冷たい雨の「1.17」です。
毎年ルミナリエの頃から震災のことを思い出し、考えてしまいます。なかでも当時の村山内閣の初動対応が非常に遅れたこと。そのことが救助を大幅に遅らせて多数の死者を出したことを皆さんはご存じでしょうか。これは何度もメディアで取り上げられてきましたが、若い人たちは知らないのではないかと思います。村山富市は地震が起きたことを知りながら、呑気に外遊の話などし、緊急性のない環境談話会などに出席し、お茶を飲んで談笑していたといいます。これを知ったとき、はらわたが煮えくり返るような思いでした。一瞬にして押しつぶされた家々の下敷きになり、まだ生きていた人たちもたくさん居たのに、燃え盛る街の中で次々と炎に包まれていった多くの人々も。村山内閣の初動対応に遅れから、救援活動がまったく間に合わなかった事実を知ってください。

ただし私は政治的に右でも左でもなく、村山富市という無能な首相の大失敗により救護が大幅に遅れ、救える命が救えなかったことのみ訴えます。古・貝原兵庫県知事の記事以下の、首相の村山富市が当時、いかに愚かであったかを知ってください。当時、大阪堺の自宅で、神戸の身内の誰とも連絡が取れず、崩れた家々、燃えさかる街の映像をテレビで観ながら、ひたすら無事を祈っていたことを思い出します。幸いにも身内に犠牲者は居ませんでしたが、町内や近隣では死者多数となりました。あの光景は思い出してもつらいものがあります。

以下の文は『なでしこりん』さんの文章を『くにしおもほゆ』さん『天晴!にっぽん』さんのブログより転載いたします。ありがとうございます。

阪神・淡路大震災 は、平成7年(1995年)1月17日(火)午前5時46分に発生しました。当時の内閣総理大臣は、社会党の村山富市です。「なんで社会党?」と思われるかもしれませんが、この時代は日本の政治の混乱期の一つであり、不幸にも平成6年(1994)6月30日~平成7年(1995)8月8日までは、社会党の村山富市が総理大臣、自民党の河野洋平が副総理兼外務大臣をやっていたんです。

f:id:b-co811:20150119060956j:plain

 この時代、小沢一郎により自民党が分裂させられ、「非自民党非共産」の新生党や日本新党などが作られ、そこに共産党を除く既成政党が野合したんです。具体的には、日本社会党 、新生党 、公明党 、日本新党、 民社党 、新党さきがけ、自由党、 改革の会 、社会民主連合 、民主改革連合、新党みらいなんですが、まさに「烏合の衆」ですよね。こういう連中が担いだのが「細川内閣」であり「羽田内閣」だったのですが、案の定、細川護煕は「佐川急便一億円借り入れ事件」で辞職。羽田孜が総理大臣になるも、今度は社会党が離脱して羽田は2ヶ月で退陣してしまうんです。そこでできたのが「自民、社会、さきがけ」の「自社さ政権」。

 

f:id:b-co811:20150119061129p:plain
 貝原俊民 

 そんな村山内閣の時代に「阪神淡路大震災」が発生します。当時の兵庫県知事は貝原俊民。貝原は去年、交通事故で死にましたね。一般的に言われているのが、「兵庫県知事の自衛隊への災害救助要請が遅く、迅速に災害派遣要請をしていれば死亡者はもっと少なく済んだ」という指摘もあります。なお、10時10分の陸上自衛隊への派遣要請は実際には、事態の深刻さを正確に判断した兵庫県の防災担当、野口課長補佐でした。野口課長補佐はその後、神戸の兵庫県庁から淡路島の県民局企画調整部に転出しましたが、これは野口課長補佐の独断をとがめた県による左遷という指摘もあります。

 

  10:10 ・兵庫県防災担当、野口課長補佐による陸上自衛隊への派遣要請
  19:50 ・兵庫県知事、海上自衛隊に災害派遣要請
  21:00 ・兵庫県知事、航空自衛隊に災害派遣要請

 

そして村山富市の、「阪神淡路大震災」時の動きですが、これが「信じられない世界」で・・・。

 

 06:00 ・CNNワールドニュース、トップニュースで「マグニチュード
        7・2。神戸で大地震」と報道。
       ・村山起床。テレビで震災を知る。

 08:00 ・官邸、防衛庁に、派遣要請がきているか確認するも、要請無し。

 08:26 ・総理、官邸執務室へ(予定より1時間早い)。
        テレビで情報収集。

 09:18 ・村山、廊下で記者に「やあ、大変だなあ」、
        視察はしないのかとの質問に「もう少し状況を見てから」
        とコメント。

 10:00 ・村山、月例経済報告終了後廊下で、記者の
        「北海道や東北と違い今回は大都市での災害だが、対策は?」
        との質問に「そう?」とコメント。

 10:04 ・定例閣議。閣僚外遊報告。非常対策本部設置決定。
        玉沢徳一防衛庁長官には「沖縄基地縮小問題で
       (上京してきている)大田昌秀知事としっかり協議するように」
        と指示。
        震災についての指示なし。

 10:15 ・中部方面総監部、自衛隊災害派遣出動命令(2300人)

 11:00 ・村山、廊下で会見。記者の「総理が現地視察する予定は?」
        との質問に、「状況見て、必要があればね」。
        「総理は行く用意はありますか?」、
        「そうそう、状況を見て、必要があればね」。
       ・村山総理、「二十一世紀地球環境懇話会」出席。
        「環境問題は国政の最重要課題の一つとして全力で取り組んで
         いく」と発言。

 12:00 ・新党さきがけ高見裕一、現地から官邸に電話。
        自衛隊増員要請するも、村山「高見は大げさだ」
        政府与党連絡会議中、
        五十嵐官房長官が村山に「死者203人」と報告。
        村山「え!?」と驚愕。 
        以上http://poo-mono.jugem.jp/?eid=294 より引用

 

 その後、初動対応を批判された村山は、

   「なにぶん初めてのことでございますし 、
    早朝のことでもございますから・・・、政府の対応は最善だった」

 と弁明するも、その後全面撤回する羽目に。

f:id:b-co811:20150119062847p:plain

 「阪神淡路大震災」での死者は6,434名で行方不明者3名なんですが、もし、もっと早い時点での災害対応ができていたら 焼死者や圧死者を減らすことができたのは自明の理ですよね。人々が苦しんでいる最中にこのボンクラ社会主義者は「二十一世紀地球環境懇話会」で 「環境問題は国政の最重要課題の一つとして全力で取り組んでいく」とやっていたんです。まあ、人命などそっちのけの社会主義者ゆえの「鈍感さ」なんでしょうね。 こんなボンクラどもが出したのが「村山談話」であり「河野談話」。』

|

« 『追悼』 阪神・淡路大震災『1.17』の記録画像  | トップページ | 気になる二横綱の行方 »

神戸」カテゴリの記事

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/172035/66289250

この記事へのトラックバック一覧です: 救える命があった 『村山内閣の歴史に残る大失態』:

« 『追悼』 阪神・淡路大震災『1.17』の記録画像  | トップページ | 気になる二横綱の行方 »