歳時記

2017年12月24日 (日)

“Last Christmas” by Wham!

皆さん、こんばんは。メリー・クリスマス!xmas 
右近庵では雪ではなくひどい雨です。どしゃ降りです。rain
Eveの夜を皆さんは如何お過ごしですか? くりぼっち?Me,too.です。はるかさん、=^_^= 20歳サビ柄、が居るので正確にはひとりと一匹です。

昨年のイヴにも記事を書いて、ジョージ・マイケルの歌をリンクしました。その翌日、彼が車の中で帰らぬ人となったのでした。訃報は全世界を駆け巡りました。私も大きなショックを受けました。Wham!(この意味は‘バタン!’とか‘ドスン!’などの擬音)は大好きで、その昔、カセットテープが擦り切れるほど聴きました。クリスマスというと必ず耳にする“Last Christmas”をはじめ、数々の名曲を残し、53歳で逝ってしまいました。残念です。

ちなみに‘last ’という意味、日本語では‘最後の’という意味合いが強いですね。しかしこれは‘前の’という意味をもつ単語です。last weekは先週、last monthは先月、last yerは去年ですね。‘前の’がなぜ‘最後の’という意味になるのかについて説明します。時の流れを考えてみましょう。そう、時系列で。今を中心として考えると、その前の週や年は順序として最後に当たりますね。要するに現在から見て‘前の’週は、‘今’から見ると‘最後の’週でもあるのです。分かりましたか?なつかしいなぁ。センセイ時代を思い出しました。

今日もこの名曲を一緒に聴きましょう。Kei'sEchoさんからお借りします。私は彼の大ファンでしたが、一時ネットから消えてしまい残念でした。復活されたことを先ほど知りました。嬉しいですね。よかった。(^.^) ステキな画像と和訳で楽しませてくださいますよ。では、お聴きください。

◎  shine  “Last Christmas”  shine   Wham!
                       YouTube by Kei's Echoさん Thanks!

今日はキタサンブラック、すごかったですね。ラストランを優勝で飾りました。
おめでとう!お疲れさまでした。horse おめでとう、サブちゃん、武 豊さん。

北海道、東北、北陸では荒れ模様になるとのことです。寒い地方の皆さん、お気をつけて。暖かくしてくださいよ。 
それでは皆さん、ごきげんよう。   右近

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2017年2月22日 (水)

Happy Nyan Nyan !!

今日は猫の日です。
飼い主は忙しいのでボクがこちらにも出て参りました。我々ネコをよろしく。

Happy Nyan Nyan !! ←クリックしてね =^_^=

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2017年2月14日 (火)

日本での‘Vチョコ’は『神戸モロゾフ』が発祥の店

今日はSt.Valentine's Day、皆さんはチョコを頂きましたか?あるいは差し上げましたか?はい、私もそれなりに。 
このチョコレートを愛する人にあげるという慣習は、かつて日本では女性から男性に告白できる唯一の日とされていました。それがこの日。これは日本独自の発想です。そのためチョコを買って男性に差し上げるということになっていました。そこから広がり、会社の上司や同僚の男性にあげるなど義理チョコなども定着しました。対する本命チョコは特別なものを吟味して買う女性、心を込めて手作りする女性も多いですね。また昨今では家族や友人、そして自分自身へのご褒美チョコも定着しつつあります。チョコレート業界やデパート、専門店などは、‘受け取る・渡す’の中身は変われども、寒さで経済が鈍くなるこの時期に、とにかく売れてくれぃと毎年のように力を入れています。

さて皆さんはこの日の謂われ(いわれ)をご存じでしょうか。Valentine司教が処刑された日なのですね。詳しくは下記にリンクするWebページにも記載されています。長くブログをやっており、そのことを過去に何度か書いてきたことがあるので今日はそちらをお読みください。

ところで外国で始まったこの習慣を日本に最初に取り入れて商売としたのはどこの店だかご存じでしょうか。それは「神戸モロゾフ」です。昔から神戸人にはおなじみの店です。其処から徐々に広がっていきました。最初にモロゾフがValentineのチョコを売り出したのが1932年だそうです。私がまだ陰もカタチも無い頃のことです。もちろん皆さんも。それからすでに85年を経て、なおもチョコを贈る習慣が日本人にあり、経済を活性化させているのは発祥の「神戸モロゾフ」に先見の明があったからでしょう。このモロゾフは、チョコレートの店としてスタートしています。

女性から男性に告白される唯一の日は、その昔、ずいぶん貴重な一日だったと想像いたします。当時は女性から男性に告白するなど難しい時代だったでしょうから。(今では女性からのコクハクももバンバンですが) 現在は広義での‘愛する人へ贈るしるし’になったチョコレート。皆さんはどのように味わっておられますか?あげる人なんて居ない。くれる人なんて居ないと嘆くあなた。この世であなたをいちばん愛する人はあなた自身です。貴方ほど貴方を愛する人はいないはず。だから美味しいチョコレートを買って、あなた自身に差し上げてください。そう、ご褒美チョコ。
Happy Valentine! よき夜を暖かくしてお過ごしください。それでは皆さん、ごきげんよう。  右近

◎ 『日本のバレンタインチョコレートはモロゾフから始まりました』

   ↑このページをご覧になったあとは『モロゾフ本店』を隅々までご覧あれ。美味しいものがいろいろありますよ。

 

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2017年2月 3日 (金)

恵方巻きもいいけれど鰯もね

こんばんは。今日は節分ですね。稀勢の里も横綱として成田山で豆まきでしたね。
季「」を「」ける日であるところから、今は2月3日が節分の日となっています。季節の境目になるということは、明日から春で「立春」です。まだまだ寒いですが暦の上では春になります。多くの皆さんが巻き寿司を丸ごと召し上がったのではと思います。

ところがこの‘恵方巻き’の習慣は、言われも起源も諸説あって定まったものがありません。元は大阪からと言われ、最近は全国的に広まっているようです。それまでこの習慣がなかった地方の皆さんも召し上がっておられる様子です。江戸時代、なにわの花柳界や商人の間で最初に始まったということで、大阪からとしきりにメディアで報道されますが、一般に浸透したのは1980年代だと思います。私は1980年から大阪府民でしたが、その当時、この習慣は全くありませんでした。それまで住んだ隣の兵庫県でもありませんでした。(現在は再び兵庫県民です)

府下での暮らしを思い出してみますと、その後、子どもたちが幼児・小学生の頃から家族で食べていた記憶があります。子どもは一本は多いので半分を食べさせていましたね。大阪では80年代半ばくらいから徐々に広まってきたのだと思います。デパートやスーパーでは盛んに売っていたのを覚えています。しかし私は流行のモノにはすぐに飛びつくもんかというところがあり、巻き寿司を最初は買いませんでした。むしろ昔から節分に食べるものとして豆と鰯を買うことの方が私には重要でした。春を迎えるにあたり、鰯を焼いて煙や匂いを出して邪気を追い払うというのが昔からのならわしです。豆まきも必ずしていました。

そのうちに私も巻き寿司を買うようになりました。仕事に忙しいけれど食事作りも頑張っていたので、たまには楽をしようかというところから買い始めたのです。巻き寿司があれば、汁ものと何かおかずは少しでいいと手抜きを考えたからです。その頃も江戸時代からある習慣だとは府民の耳に入ることはありませんでしたね。恵方を向いて食べるとよいと言うことだけで、何だかよく分からないけれど食べようかという風潮で、デパートやスーパーでの巻き寿司商戦は次第に過激になってきました。(恵方巻きと名付けたのは89年にセブンイレブンだとか) とはいえ並んでいたものは今のように派手な太巻きではなく、いたってシンプルな従来の巻きずしか、せいぜい上巻きと言われる太めのものだけでした。もちろん我が家では普通の巻き寿司でした。私はかんぴょうや高野豆腐、ミツバが入った昔ながらの巻き寿司が好きなので。

約20年後、右近庵と呼んでいる今の住居に越してからは、いっそう古い慣習どおりにしていました。尾頭付きの鰯(いわし)を必ず焼き、食べたあとは柊(ひいらぎ)の枝に鰯の頭を指しておもて玄関のどこかにしばらく挿しておくのです。こうすると邪気(鬼)が匂いを嫌って近寄らないと言われています。柊は西洋でも魔よけの植物ですが、東洋でもそうなのでしょうか。豆は出入りできる所すべてから撒きます。私の家ではしなかったことを義父母が必ずしていたので私もするようになりました。それで我が家の節分メニューは巻き寿司と鰯の塩焼き、お吸い物、煮物やお浸しなどという和風メニューがこの日の定番でした。

我が家だけでなく、近所のどの家からも鰯を焼く匂いがしていました。(町内で私がいちばん若いかも) 今日も盛んにいい香りがしていました。私も負けずに焼きました。猫がたくさん居た時は大変でした。焼いている時から皆がスタンバイ。なかなかなか魚は出てこないとみるや急いで他へ走る猫、根気よくうちの鰯を待っている猫など楽しい日でした。柊に挿しておいた鰯の頭はしばらくすると無くなっており、片付ける手間もいりません。わざと猫が届く所に置くのは猫好きが堂々と玄関にエサを置ける日。私には有難い日でした。今は猫たちも居なくなり、それらを縮小して今日は鰯と太巻き、かす汁とほうれん草のおひたしというメニューでした。ひとりぼっちになった老猫のはるかさんがバリバリと頭を食べました。元気のいい、はるか婆ちゃん20歳です。=^_^=

経済が冷え込む2月の商戦は節分とヴァレンタイン。でも過剰な販売はどうかなぁ。ノルマがあるとか何とか…。それに私は昔懐かしいシンプル~な巻き寿司が食べたいんだけど、最近はなかなか無くってね。近所のお寿司屋さんも廃業してしまったし…。昭和がもてはやされる割に巻き寿司は昭和なのが無い。それが私‘イマドキの節分’の不満です。

でもね皆さん、鰯はよく食べた方がいい。焼いても美味しいけれど梅干しと煮るともっと身体にいいですよ。脂が煮汁に溶け込んで。鰯は青魚の中でもEPAの多さは上位。100g中に何と1200mgも。動物の肉は食べない私はお魚さんたちにお世話になっています。だから善玉コレステロール値すごいんですよ。イワシ、サバ、アジさんたちには本当に感謝しています。

長々とお喋りをいたしました。暦の上では春です。明日は暖かそうですが寒さは続きます。
ニュースで見る北海道の様子…。大変ですね。北の人々はスゴイ。晴れます様に。
それでは皆さん、ごきげんよう。   右近

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2011年12月 6日 (火)

Myモミジの紅葉と『水無月右近のひとり言』復活について

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前庭のモミジが紅葉しました。今年はうんと遅れましたが、ただいま紅さがピークです。今週末の気温の低下で葉を落とす前に写しておきました。落ち葉のきれいなものを拾って‘押し葉’にします。

以前はこのブログにも右近庵の花や木々を掲載しましたが、今や掲載内容が広がり、花々や木々の様子は別ブログのみとなってしまいました。たまにはこちらにも季節の画像を掲載しましょうか。曇空の合間に日が射したとき、見上げるようにしてデジイチで写しました。

ところで私には気になっていることがあります。それはメインのホームページ『平成道行考』の更新がストップしたままになっていることです。恋愛詩その他は10年以上も前に書いたものであり、その他のページも古くなっています。それともかく、書く気はあるのに中途半端になっているページが気になっているのです。

恋愛詩など恋をすることもなくなった,私に書けないでしょうし、恋心のみ表す詩も文も今はバカらしくて書く気はないのですが、HPは以後ほぼ更新無しとお知らせした際に、「今後は『水無月右近のひとり言』だけ気ままに更新」と発言しました。そのことを満たしていないことが気になっているのです。

いろいろなお客様がふえ、全国各地からアクセスがあります。もしかしたら外国からも。(どこにお住まいか常連様にEnglish reader6名、たまにGermanyも1名おられます) 新しい訪問者の方は御存じないかもしれませんが、『ひとり言』は一番人気でした。ブログなどまだ無く、ホームページだけ時代からの古いお客様は、依然『水無月右近のひとり言』を待ってくださっているのではないかといつも気がかりでした。しかし私は弱り、今もベッドの上でこのブログを書いているようなことです。30分ほど動けば横になって休むといったことをくり返し、何とか一日の雑事をこなしている状態は改善されていません。

ところが今夜、食事の後片付けをしている時、茶碗など洗いながら突然に名案が浮かびました。運営中の4つのブログのうちのどれかを使って継続できるではないかということです。ノートPCにはビルダー及び膨大な容量のHP関連のフォルダを持ちこむ意思は無く、(それは容量だけの問題ではありません。つまりそこは完全に私のプライベートの場所にしたいからです)しかしブログならベッドの上での更新が可能なので(なぜならそれはプロバイダーから提供されているレンタルだからです)、とりあえずそういう形で継続しようかと考えついたのです。今ごろ気がつくなんて私はやっぱりテンネンかもしれません。(゜_゜)

読み書きには絶好のこの季節、大いに張り切って書くつもりでいましたが、そして実際に小説を書いていましたが、ご承知のように老猫の介護は何もかもをストップさせるほど大変なことで、莫大なエネルギーを要します。そのことについてはブログ『猫と庭』で書いているとおりです。病弱系の身には老いた猫の世話は心身ともに重労働です。そんな訳で私は現在、創作に興じることが許される状況にありません。

創作は現実の世界と離れてするものなので、猫のことが落ち着くまであきらめなければならない。そのことにずいぶん抵抗がありましたが仕方がありません。けれども文を書いていたい願望は常にあります。ホームページ更新も体調がある程度まで回復するまでは無理だと半ばあきらめていました。もちろん様々な方法で更新は不可能ではなかったけれど、私はいろいろ疲れ果てて気力が無く、ホームページからしばらく遠ざかりたかったのも事実です。しかし場を変えて継続というのもあるならば、それもいいかと考えた次第です。

先月の下旬にホームページ『平成道行考』は九周年を迎えました。今年はそのことすら忘れていました。来年の秋には十周年です。その時までは何とか継続しようというのが私の考えです。別ブログのタイトルになりますが、『‘その日’が来るまでにしておきたいこと』のひとつに、ネット上に公開しているHPやブログの整理や終了もしておきたいとのもくろみが頭にあります。それも人生の後片付けの範疇にあります。まだ体力が残っているうちに、きちんと御挨拶をして終わっておきたい気持ちは強いです。

『水無月右近のひとり言』を規定数まで継続する。この約束実行をずっと待っていてくださる貴女、貴方、あなた。書いていきます。ただし掲載時期、頻度、掲載場所その他いろいろ未定です。決まっているのは再開第一弾のタイトルだけです。『ここにもある女性差別』。世間の人々が気づいていない女性差別について、右近が一刀両断に斬り込みます。今しばらくお待ちくだされぃ。しかし‘右近調’、まだ書けるかなぁ・・。(-.-) 皆さんがよく言ってくださった右近の“飄々”が、まだ私に残っているかどうかわかりませんがやってみます。もちろん自然体で書きますよ。 私が楽しんで書かなければ意味がないものね。

冷えますね。私の部屋はただいま12度。ベッドの上であぐらをかいて打っていると、じぃじぃが膝のところにもぐり込んできました。私の半纏のヒモで烈しく遊んでる。=^_^=  風邪ひかないように暖かくしてくださいね。それではまた。右近

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2011年9月 9日 (金)

今日は『重陽の節句』です

今日は五節句のひとつ『重陽の節句』(ちょうようのせっく)です。(五節句は一月七日・三月三日・五月五日・七月七日・九月九日)
古来、中国では奇数を縁起のいいもの(「陽」)とし、最大である九を重んじてきました。その「九」が重なる九月九日を重陽の日と定めました。また、この時期は菊の花の季節であるところから日本でも菊の節句と呼ばれ、菊酒など愉しまれていたとか。現在ではすたれてしまい、あまり知られておらず残念に思います。古きよき事柄は、想像するだけでもどことなく風流を感じます。

この日になると必ず読み返す物語があります。怪談ものとして知られている上田秋成の『雨月物語』に収められている『菊花の約』(きっかのちぎり)です。この物語は私が好きな太宰治の最も健康的な作品である『走れメロス』と通ずるものがあります。世界の人が称賛した日本人の心とは、このあたりにあるのではないかと考えます。丈部左門(はせべさもん)と赤穴宋右衛門(あかなそうえもん)の友情には読むたび感動を覚えます。以下に現代訳をお借りしてきました。よろしかったらお読みください。右近庵ではコオロギや鈴虫がにぎやかに鳴いています。秋ですね。それではまた。お知らせまで。あなたのために。

◎ 『菊花の約』  (きっかのちぎり・上田秋成 『雨月物語』より) 

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2011年8月16日 (火)

送り盆

今日16日は送り盆ですね。家に戻っておられた御先祖たちが、ふたたび彼岸へ帰っていかれる日です。麻がらを焚いて灯りをつけて送ります。御先祖さまたちに馬に乗って早く戻り、ゆっくり彼岸へ帰っていただくためのものだとか。そこでキュウリやナスを使って馬と牛を作って飾るのですね。画像の馬と牛は実は造り物です。最初の頃は、ほんとうの野菜で作りましたが、暑さのためにすぐにしおれてしまいます。そこでいつ頃からか、娘が買ってきたこの張り子。よく出来ています。真ん中のはこれとは関係なく、ただピーマンに脚をつけたものです。ちょっとライオンっぽいですね。さてピーマン殿は脚が早いのか遅いのか。迎え盆の13日、娘が自作のピーマンを飾っていきました。これは庭で育てたという本ものの野菜。命名、ライオン丸。君に乗ればどこへ行くの?

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送り火といえば、今年はひと悶着ありました。ただいま燃え盛っているだろう京都五山の送り火です。最初の松の木からセシウムが検出されなかったにもかかわらず、陸前高田市に返すという訳のわからない行為が問題なのは明白です。「保存会」がいけないのか、「京都市」の誤判断だったのか、詳細は私たちにわかりません。とにかく良識ある京都市民からは抗議殺到だったとか。それはそうだと思います。

いずれにしても、一本を残してすべてが倒されたあの高田松原の松に込められた被災地の人々の気持ちを、踏みにじるようなことをしてしまいました。「粋」なはずの京都が、なんとも「無粋」なことをしたものです。同じ関西に住む者として恥ずかしく、お詫びしたい気持ちです。京都は学生時代を過ごした大好きな町なので、とっても残念。

(大阪ならどうしたかと考えた。少数の反対の声があっても何のその、祈りが書かれた最初の薪を問題なく燃やしたことでしょう。だって検出されてないんだもん。それを燃やさないなんて、大阪のおばちゃんたちが絶対に許さない。また、二度目の松にセシウムが含まれていたとしても、再び返すなんて・・。そんなことしないでしょ普通は。どこの自治体でもしないでしょ。だって一度傷つけているんだもの、同じことやるぅ?他に方法があると思うよ。わからないなぁ、その判断・・・。)

“日本はひとつ”なんて言いいながら、こういうことをしているようではいけません。情けないことです。海外からならまだしも、国内で差別を助長するようなことは私たち個人はしてはならず、まして自治体がこんなふうでは困ったものです。今後もあらゆる場でこういったことが起こりうる可能性があるのを予感させた一件でした。このような事態になることを避けるためにも、私たちは放射能について正しい知識を持たなければなりませんね。

すったもんだの末に高田の人たちの言葉を書き移した薪を燃やすとか。しかし結果的に陸前高田の人たちを深く傷つけてしまいました。京都市は今後、陸前高田市に詫びたうえ、なんらかの行動で謝罪の気持ちを表して誠意を見せるべきでしょう。一方で、この件を見ておられずに任せておけぃと名乗り出たのが千葉県。松の皮を剥げば問題なしっ!と太っ腹の「成田山」に此処は拍手喝采です。

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2011年8月 1日 (月)

花火大会

各地で今日は花火大会が催されました。私が紹介した石巻の川開き花火大会も今夜おこなわれたはずです。犠牲者の鎮魂や復興の誓いの花火が盛大に打ち上げられたことでしょう。

私にとっても8月1日は生涯忘れることができない日となっています。御存じの皆さんも多いと思います。そうです.。7年前の今日、花火をともに見た人が、2日後に急逝したからです。この日は本当の命日である八月三日よりも、実質命日のような気がしています。今年も庭から眺めていました。しかしマイナスの感情はもうありません。ご心配なく。きれいだなぁと見ていました。

この花火大会は、あの甲子園出場多数のPL学園を有するPL教団主宰です。宗教色はまったくなく、大阪府民に広く親しまれています。私も大阪に移り住んだ時から毎年かならず見てきました。といっても現場に行って見たことはなく、マンションのベランダからや、ここに越して以後は庭から眺めています。花火は遠景も風情があっていいものです。この花火のことを紹介しているサイトがありましたから、ご紹介します。

◎ PL教団の花火芸術

さぁ、今日は忙しい。昨夜、体調がよかったので、ボタンなど入れ替えておきましたが、肝心の中身がまだ掲載できていません。今から急いで書きに行きましょう。では御免。

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2009年10月 4日 (日)

月がきれいだね

きのうは中秋の名月でしたね。庭が明るいと思ってさきほど庭へ出ると今夜も名月です。しかし、中秋の名月が満月とは限らないそうです。以下のサイトに月のことを掲載しています。よろしかったらどうぞ。↓
fullmoon http://www.astroarts.co.jp/special/moon_watching/index-j.shtml

秋になるとromanticなことを考えたのも遠い昔のことのようです。今の私は秋を日本人独特の寂寥感で感じとるのではなく、季節の循環のひとつとして受け止めるようになりました。英詩では秋という季節、老いや死の前段階ということを象徴します。来るべき冬は死を表しますが、そのあとに巡り来る春に再生の歓びを見出します。

ともあれ、私は暑さがこたえるようになり、涼しくなって体が動きやすくなったのが嬉しいです。と言いながら、先週は風邪気味でした。あいかわらずすぐに風邪をひく右近ですが、調子のいい日は、またモノ減らしを頑張ろうと思います。たくさんあるなぁ、まだまだいらないものが。寒くなるとまた動けないから、今の内に少しでも減らしておかないと。

では皆さん、来週も一週間、お元気でお励みください。はい、私も。ありがとう。

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