追悼

2016年12月26日 (月)

追悼 “Wham!”ジョージ・マイケル

驚きました。朝のニュースで知りました。
“Wham!”のメンバーだったジョージ・マイケルが亡くなりました。
まだ53歳なのに…。残念。そのひと言です。

私のいちばん好きな曲、大ヒットした名曲を聴いて彼を悼みたいと思います。

◎ “Careless Whisper” 
<by“Wham!”  1984年 リリース>     TIN BONさん、リンクさせていただきました。有難うございます。


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2016年3月16日 (水)

境川部屋様からの供花

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これは境川部屋様からの供花です。
昨年12月に逝った故人の家に、春場所が始まる前日に届けられました。

 境川親方、女将さん、そして部屋付きの元力士様、そして今まさに奮闘中の力士の皆さん、関取りを目指して頑張っている皆さん、誠に有難うございました。立派なお花を頂戴し、故人はさぞかし喜んでいると思います。

 昨年初秋、故人が残っていた片方の目も失うであろう直前、私が急なお願いを致しました。それにお応えくださり素早く願いを叶えて頂きました。その御恩は生涯忘れるものではありません。親方ほか皆さんの手書きの文字と手形に、故人は家宝にするのだと大喜びいたしました。ほどなく残った眼球も摘出となり暗闇に住んでいた故人の頭の中には、テレビ中継で相撲放送を聴く度に、皆様のお言葉や威勢のいい手形が浮かんでいたと思います。

 故人はこよなく相撲を愛し、春の大阪場所に行くのを楽しみにしていました。私にとって今年は寂しい春場所となりました。しかしテレビで熱い声援を送っています。故人もまた彼岸にて楽しく観戦していると思います。話し好きの故人は、畏れ多くもひと足さきに往かれた北の湖元理事長様に御挨拶などし、相撲談議に花を咲かせているかもしれません。

 琴奨菊関に注目が集まる今場所です。しかしながら怪我のため苦労の絶えない大関豪栄道関ほか部屋の皆様には大いにファンを沸かせていただきたいと願っています。親方、女将さん、部屋の皆々様、今場所をお怪我やご病気なく、力のこもった勝負を披露して頂けますよう祈念致します。皆さん、頑張ってください。毎日応援しています。ありがとうございました。

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2015年1月21日 (水)

追悼 陳 舜臣さん 『神戸よ』

追悼 陳 舜臣さん 「神戸よ」

 陳 舜臣さんが亡くなった。阪神淡路大震災から20年を経て4日めの今日21日、90歳の生涯を終えた。息を引き取られたのは午前5時46分とか。奇しくもあの大地震が発生した時刻と同じだった。
 神戸の元町で生まれた陳 舜臣さんは、こよなくふるさと神戸を愛した。その彼は阪神淡路大震災発生後、力強い言葉で神戸市民を勇気づけた。その文章を読み、最後の段落まできたとき、私は涙を禁じえなかった。その後も彼の力強く美しい文章を思いだし、みずからを奮い立たせた市民は多かった。

 自然による大災害はその後も世界中でくり返し起きている。ふるさとを愛し、再生を願う強い思いは誰しも同じだ。震災から20年がたっても私の望郷の念はつのるばかりだ。そのためか人生の最終ステージは神戸で過ごしたいと考えている。あの時に何もできなかった忸怩たる思いがいっそう私の気持ちを強めているのだ。時がたっても今なお問題は山積し、解決できない悲しみと共に生きている人々がたくさん居る。今からでもふるさとのために何か出来るかもしれない。たとえそれが小さなことであったとしても。“1・17”が訪れる度に駆り立てられる。

 今日はその神戸をこよなく愛した陳 舜臣さんのご逝去を悼み、自然災害に立ち向かうすべての皆様に彼の言葉を発信したい。
 

 陳 舜臣さん、どうぞ安らかにお眠りください。
 そして災害復興に立ち向かう皆さん、頑張ってください。

 

  『神戸よ』     陳 舜臣     (1995年1月25日神戸新聞朝刊に掲載)

 
 
我が愛する神戸のまちが、壊滅に瀕するのを、私は不幸にして三たび、この目で見た。水害、戦災、そしてこのたびの地震である。大地が揺らぐという、激しい地震が、三つの災厄のなかで最も衝撃的であった。
 

 私たちは、ほとんど茫然自失の中にいる。
 それでも、人びとは動いている。このまちを生き返らせるために、けんめいに動いている。亡びかけたまちは、生き返れという呼びかけに、けんめいに答えようとしている。地の底から、声をふりしぼって、答えようとしている。水害でも戦災でも、私たちはその声をきいた。五十年以上も前の声だ。いまきこえるのは、いまの轟音である。耳を覆うばかりの声だ。
 

 それに耳を傾けよう。そしてその声に和して、再建の誓いを胸から胸に伝えよう。地震の五日前に、私は五ヶ月の入院生活を終えたばかりであった。だから、底からの声が、はっきりきこえたのであろう。

 神戸市民の皆様、神戸は亡びない。新しい神戸は、一部の人が夢みた神戸ではないかもしれない。しかし、もっとかがやかしいまちであるはずだ。人間らしい、あたたかみのあるまち。自然が溢れ、ゆっくり流れおりる美しのまち神戸よ。そんな神戸を、私たちは胸に抱きしめる。


         (神戸新聞出版社 緊急出版『阪神大震災』<1995・1・17 発生から8日間>より転載)

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